第2話 2日目 あなたとこの景色は見られないはずだった。

 ピロリン、ピロリン……


 いつも通りのアラーム音の、いつも通りの朝。


 いつも通りアラームを止めて、いつも通り起き上がり、いつも通りカーテンを開けて、朝日を浴びる。


 こうして、いつも通りしているだけでも、心が落ち着く。


 昨日買った少し控えめだけどおしゃれな、青色のワンピースを身にまとって、ヘアアレンジに移る。

 今日のために、おしゃれに詳しい妹から教えてもらったんだから!


 妹から教えてもらうなんて恥だけど、この際いい。

 今日のためだったら何でも頑張るもん!


 ということで、肩より少し長めの髪は、いつもおろしているけど今日は結ぶことにした。


 左側の一部の髪の毛を三つ編みにして、前髪は反対側に青い三つのピンで留める。

 三つ編みを混ぜて髪を結び、ヘアアイロンで少しカールさせる。


 うん、大人っぽい。不器用な私にしては、良い出来!


 自分で自分に納得して、バッグを持って恋輝を待った。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 ピーンポーン


 家のインターホンが鳴った瞬間、私はソファから起き上がり、超特急でドアを開ける。


「おはよ! ……⁉」

「おはよ……⁉」


 私たちは、お互いを見て固まる。


 恋輝れんき……。

 私服姿は見たことなかった。


 真っ白に輝くシャツに黒いズボンというシンプルな服装。

 でも、それがすっごく絵になってる。図工の才能があれば絵に描きたいくらいだ。才能ないけど。


 そんなことを考えている間も、恋輝れんきは私を見下ろしている。

 数十秒見つめ合っていたけど、お隣のおばさんがごみ捨てに行くときに「おはよ~って、あら! なんかしてるわ」とボソボソ言われて、ずっと家の前に立っていることに気付いて、すぐに目を逸らした。


「じゃ、じゃあ行こうか」


 今日は遊園地に行って、水族館に行く。

 それだけで、きっと一日使ってしまう。


「うんっ」


 少し顔が赤くなっているのは、見なかったことにしとこう。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 バス停からバスに乗り込む。ここから遊園地までは、40分。

 いつも通りの時間に起きたけど、昨日疲れてしまったからかあくびが出る。


「ふぁぁ……」


 あくびが声に出てしまったかと思って隣を見ると、あくびをしているのは恋輝れんきだった。


「あれ、恋輝、寝不足?」

「まあな。テスト近いから」


 そういえば、定期テストがあった。嫌だな。

 いや、でも私は関係ないんだよね?

 死んでも生きても、一週間後に学校に復活できるわけではないし。


純恋すみれこそ。昨日、ちゃんと寝た?」

「寝たは寝たよ? でも昨日、楽しくて疲れちゃったから」

「そっか。寝たら?」


 恋輝れんきが気にかけてくれるけど、恋輝れんきのほうがきっと寝不足だ。


「いや、恋輝れんきこそ寝たら?」

「でも……」

「遠慮しないで! せっかく学校休んだんだしさ」


 そう、今日は水曜日だから普通に学校がある。しかも、今日は一年に一回の、大きな屋内プール場に行って泳げる、特別な日。


 運動が好きな恋輝れんきにとっては、高校最後だから絶対に行きたかっただろうに。

 それでも私のために時間を割いてくれることが嬉しい。


「ん、ありがと。じゃあ俺のこと20分後に起こして」

「はーい」


 そう返事をすると、すぐに恋輝れんきは目を閉じる。


 よく見ると、まつ毛も長いな。まぶたもまんまるで、鼻筋が通ってて、口角が上がった口の形をしている。だからみんなイケメンって言うんだろう。


 こんなに近くで人気者の恋輝の寝顔が見られるのは、私の特権だ。

 スマホを取り出して、パシャッと音が鳴らないカメラのアプリで盗撮した。

 ふふ、可愛い。


 スマホの写真のアプリの中で、恋輝れんきが写った二つの写真が、お気に入りリストに入っていた。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「……純恋すみれー」


 目を開けると、そこには遊園地の電飾に照らされている、恋輝れんきの顔のドアップが目の前にあった。


「わっ、ごめん! めっちゃ寝てた……?」


 あのあと、「俺が20分寝たんだから、純恋も寝て?」と言われ、お言葉に甘えて寝てしまっていた。


 バスは遊園地の目の前に停まっていて、乗客はぞろぞろと出ている。


「ううん、大丈夫。結構ぐっすり寝てたな」

「あはは……ごめん」

「俺も結構寝てたし、そう謝るなよ! じゃ、行くか!」

「うんっ!」


 よくよく考えてみれば、遊園地なんて……初めてかも。


 お母さんはシングルマザーだし、トロンボーンしかやってなかったから友達がいなくて、一緒に行ったこともない。


 もちろん彼氏なんて生涯できたこともない。


 考えてみれば、少女漫画で言う遊園地デートってやつに似てるなぁってほんわかしちゃったけど、緩んでしまった表情筋を頑張って元に戻した。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「わぁ! すっご! 人いっぱい!」


 初めて来た遊園地に、ものすごくはしゃぐ私。

 それを当たり前だけど気づかれてしまって、


「もしかして……遊園地初めて?」


 と聞かれてしまった。


 恥ずかしいから本当は言いたくなかったけど、聞いてくれたんだからと、


「あ……うん」


 と小さく返事をした。


「そっか! じゃあまずは王道から行こうかな! ジェットコースターって大丈夫?」

「あー、多分!」


 ジェットコースターは怖そうだとは思っていたけど、まだ乗ったことがないから分からない。

 でも、もしかしたら最初で最後かもしれないんだから、思いっきり楽しまないと!!


「よし、じゃあ行くか!」


 人がいっぱいと言っても平日だから空いていて、待ち時間は10分くらいで済んだ。


「エクスクラメーションジェットコースターに乗りたい方はこちらで~す!」


 と遊園地らしい高い声がメガホンから響いて、そっちの方向に向かう。


「エクスクラメーションジェットコースターにご乗車されますか?」

「はい! 俺たち2人で!」


 2人で並んで歩いている私たちを見て、カップルだと受け取ったのか、とってもにこにこしながら、


「楽しんできてくださ~い‼」


 とメガホンで言ったあと、私にしか聴こえない大きさで、


「お似合いですよっ」


 と言ってくれた。


 おっ、おにあ……⁉


 わっ、私なんて可愛くないし、トロンボーン以外全部苦手だし、コミュニケーション能力低いし、友達いないし。


 私なんかとカップルだと勘違いされたら、恋輝だって困っちゃうと思う。


 私がここに来てるのは、最後かもしれないからなんです!


 恋輝を困らせたくないからそう言いたかったけど。


 喉から出かかった大きな声は、しゅるしゅるとしぼんでいった。


 そうだ。私は、これできっと最後だ。


 たった0.3%の確率に賭けるって言ったって、それは1000分の3の確率なんだよ?

 同じ病気になった人が1000人いたとしても、3人しか助からないんだよ?


 だから、これからずっと、あなたと一緒に。

 そんな願いは断ち切られてしまった。


 もし、奇跡が起きたとして。

 その時、恋輝れんきはずっと、こんな風に優しくしてくれるの?


 私がこんな人でも。

 今、目の前で、「純恋すみれ? 大丈夫?」って気にかけてくれる。


 でもそれは、きっと恋輝れんきにとっての当たり前。

 もっとなんでもできて優しい人に対しては、どれだけ優しくなってしまうんだろう。


 私はあとたった2日でいなくなるのに、

 それがほぼ確定しているのに、

 今恋輝れんきはなんで、そんなに私と一緒にいてくれるの?


 私と一緒にいたって楽しい思い出はできないし、

 もし思い出になったとしても、それは泡のように消えていくものなんだよ?


 いつまでも残らないものなんだよ?

 数年経った後に、こんなことがあったねって笑い合えないんだよ?


 そんな問いかけも、当たり前だけど恋輝れんきには届かなくて、虚しくて悔しくて、涙が出た。


純恋すみれっ⁉ なんで泣いてるんだよ?」

「ご、ごめっ……私……」

「とりあえず、一回出よう!」


 そんなに優しくしないでよ。

 私に対してなんて、雑でいいんだから。

 それでも、


「うん……」


 なんで甘えてしまうんだろう。


 さっきの案内人さんは、私たちのことをじっと見つめている。眉を寄せて、大丈夫? と問いかけているようだ。


 ごめんなさい。大丈夫じゃないです。

 自分の気持ちがよく分からないし、今は分かりたくもないんです。


 心の中だけでそんなことを思って、それは嗚咽となって空へ消えていった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


純恋すみれ、大丈夫か?」

「うん」


 何分泣いていたことだろう。貴重な時間を無駄にしてしまった。


「……大丈夫なら、ジェットコースター、行こうか」


 恋輝れんきだってジェットコースター乗りたかっただろうに、私がジェットコースターから離れたがった理由、そして急に泣き出した理由さえも聞かずにいてくれる。


「……ありがとう」

「ぜーんぜん」


 いつだって明るくて、元気で、優しくて、気遣いができる人。


 あなたと一緒にいられるのは、ほぼ明日までと分かっていながら、

 今もあなたの隣を歩いている。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 遊園地でジェットコースターに乗った後、お昼ご飯を食べて、お化け屋敷で叫びまくったり、観覧車で学校のことを話したり、メリーゴーランドやバイキングで写真を撮ったりした。


 そんなことをしていたら、もう時刻は17時。もうそろそろ日の入りだ。

 明日の今頃は、きっと手術を受けているんだろう。


 そんなことを思っても、明日までしか一緒にいられないことが分かっていても、もう泣かなかった。


 だって、恋輝れんきは私のことを気にかけてくれて、私はそれに甘えてしまう。できることなら、恋輝れんきを助ける。


 そういう関係でいいんだって思ったから。


「最後に、行きたい場所があるんだ」


 恋輝れんきが背負っていた私のトロンボーンを肩まで上げながら、そう言った。

 もしかしたら最後かもしれないからって持って来たんだけど、重いからって言って恋輝れんきが一日中持ってくれた。


 バスは家とは反対方向に向かうものに乗った。

 バスの前方には、「恋語駅行き」と示されている。こいがたり駅、と読むらしいのは、恋愛のパワースポットとしてテレビで紹介されていたから分かるけど、住宅街なのか、都会なのか、山なのか海なのか森なのかさえも分からない。


 でも、これが恋輝れんきの唯一のお願いなら、絶対に聞きたいと思った。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 20分ほどバスに揺られると、「次で降りるよ」と恋輝が言った。

 次は……終点、恋語こいがたり駅だ。


「終点、恋語駅です。バスをお降り下さい。今回は、ご乗車頂き、誠にありがとうございました!」


 バスのアナウンスが車内に音を響かせて、私たちはバスを降りた。


「わぁっ……!」


 目の前を見ると――そこには、一面の、海、海、海。


「綺麗だろ?」

「うんっ!」


 海は夕日に照らされて、オレンジ色に輝いていた。


「この景色を純恋すみれに見せたかったんだ!」


 恋輝れんきがこっちを見て言う。

 海を見ている私は、もう衝動を抑えきれなくなった。


「ごめん、トロンボーン貸して」

「えっ、ここで吹くのか?」

「一番いい演奏ができそうだから!」


 夕日に照らされた海を男女二人で見ているシチュエーションは、まさに「君と僕がいるということ」のミュージックビデオと同じだ。

 恋輝れんきはきっと知らないと思うけど、今私はとてもトロンボーンが吹きたい。


 すぐにマウスピースを取り付けて、唇に当てる。


 すっ……と息を吸って、吹き始めた。


 涼しい海風に髪をなびかせながら、遠くへ、太陽へ届くように吹く。


 今までで一番開放感があった。


「……今、ここに君と僕がいることが。今、ここに存在していることが。どれだけの奇跡なのか」


 え?

 恋輝れんき、この曲知ってたの?


 いつの間にか、恋輝れんきは太陽を見ながら歌っていた。


 とても透き通った声だった。意志が感じられた。


 こんな人とセッションするのが、本当に楽しかった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 吹き終えて、トロンボーンを下ろす。


「……純恋すみれ、良かったよ」

「ありがとう。恋輝れんきもね?」

「ありがとな」


 恋輝れんきはどこか悲しげだったけど、次の瞬間には、


「さっ、帰るか!」


 と元気に立ち上がった。

 もしかしたら気のせいだったのかもしれないけど、私はこれは事実だと思っている。


純恋すみれ

「なに?」

「俺、今日の演奏、一生忘れない」


 今度は、私の目を見て、はっきりと言ってくれた。


「……私も」


 もし、明日私がいなくなったとしても。

 きっと、最後に思い出すのは、これだと思う。


「……二人だけの大切な思い出。な?」

「うんっ」


 手を差し出されて、握手をする。つい昨日のことが、遠い昔のように思えた。


 ねぇ、恋輝れんき。私を明るくしてくれてありがとう。元気にしてくれてありがとう。

 前向きにしてくれてありがとう。

 全ての感謝を込めながら、また大きな手を握り返した。

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