第1話 1日目 あなたと話すことなんてないはずだった。
次の日。
明日まで外にいていいよ、と医者に言われた私は、今日も学校に来ていた。
恋バナやゲームの話でざわざわしている、いかにも普通の朝だった。
私と、あなたを除いて。
もしかしたら、今日がトロンボーンを吹ける最後の日かもしれない。
そう思って、昼休みに、私は音楽室に向かった。
いつもより背中のトロンボーンが、重く感じた。
今日は、吹奏楽部の練習日ではない。
最後の日くらい、みんなで合奏したかったけど、しょうがない。
みんなにとっても、普通の一日にしたいから。
今日も、明日も。
私が死んじゃう明後日は、もしかしたら無理かもしれないけど、その先は、今まで通り、ずっとみんなに笑顔でいて欲しい。
だから、一人だけで、あの曲を吹いた。
題名は、「君と僕がいるということ」。
君と僕が、この空間に、今この瞬間にいること、それは紛れもない奇跡で、それを大事にしようって曲。
お父さんがお母さんにプロポーズしたときに吹いた曲なんだって。
お父さんのトロンボーンは聴いたことがないけど、私にとって思い出の曲だ。
『今、ここに君と僕がいることが。
今、ここに存在していることが。
どれだけの奇跡なのか。
もし、僕がいなくなったり、
もし、君がいなくなったとしても。
その中でもお互いを想って、
大切に、ゆっくりと、
この恋を、愛を、育もう。』
サビを吹き終えると、私はトロンボーンを下ろした。
今までで一番の出来だったかもしれない。
ガラッ
突然音楽室のドアが開いた。誰だろう? 部員だよね、きっと。
そう思って振り向くと――
「ごめん、お邪魔しちゃったかな?」
クラスが離れている、人気者の男の子だった。
私は3-H。
あの男の子は3-Aだ。
だから、今まで話すこともなかったし、会うこともなかった。
でも、噂では毎日聞いていた。
イケメンで、スタイルがよくて、勉強も運動もできて、紳士で優しくて、ユーモアもあるって。
別に興味はなかったけれど、そんな人がいるんだ、と尊敬はしていた。
「全然大丈夫ですよ!」
病気のことは気づかれたくないから、努めて明るく振る舞う。
今まであの男の子は吹奏楽に何も関わってなかったけど、友達がいっぱいいるから、他の人に話して推測されてしまうかもしれない。
それに、明るく振る舞っていないと、私がダメになっちゃう気がした。
「今吹いてたの、何の曲?」
モテモテの男の子に顔を近づけられて、ドキドキしてしまう。
この男の子にこの題名は知られたくなかったけど、聞かれたんだから言うしかない。
「『君と僕がいるということ』って曲です」
「へぇ、わっ、難しそう! すっごい上手だったよな?」
急に褒められてしまって、驚く。
もしかして、全部聴いてた?
「いや、そんなことないですよ……」
「そんなことあるって! あと、敬語やめようか、
「え?」
敬語をやめて、と言われたことにももちろんびっくりしたけど、それ以上に私なんかの名前を知っているということにびっくりした。
「私の名前、どうして……」
「コンクールで賞とってただろ? すごいよな、金賞! 俺の父さんも、トロンボーンを吹いていたんだ」
またもやびっくりしてしまった。いつも休み時間は外で遊んでいて、サッカー部に所属している男の子が、トロンボーンに関係があったなんて。
「あ、そういえば、俺の名前は、
いいよ」
男の子、あらため恋輝は、小首をかしげて微笑んだ。
わっ、反則……!
「ありがとう、
よくよく考えると、恋輝も私も、名前に恋が入っている。
ちょっと運命なのかもしれない、と勝手に思ってしまった。
「すごいな、ちょっと俺にも吹かせてよ!」
と言って、手を差し出してくる。
その手の向く先は――私のトロンボーン。
「はぁっ⁉」
何、
そ、それはダメ‼ いくらなんでも! この鈍感!
「ん、ダメ?」
「いいよ! でもちょっと待ってて!」
また首をかしげてくるから、音楽準備室から超特急で使われていないトロンボーンを持ってくる。
その時に、置いてある使っていないトロンボーンのケースの数を見て、私が死んじゃったらヤバいな、とふと思う。
今トロンボーンパートの部員は私含めて三人。一年生はいなくて、二年生が一人、私入れて三年生が二人だから、トロンボーンパートもものすごく危機に陥る。
「基本の音はマウスピースに口を押し付けて息を入れて。高い音は上側に唇を当てて、低い音は口をちょっとだけ大きく開けてみて。感覚がつかめればすぐできるよ!」
簡潔に言うと、すぐにできてしまう
「すっげー! おもしろ! そういえば、
「うん、亡くなっちゃったお父さんがトロンボーン奏者で。その影響で」
同じ親の影響だっていうのも、なんか嬉しい。
今さっき初めて話したはずなのに、身体がふわふわしている感覚がある。
でも、こうやって
そう思うと、胸が痛くなった。
「そういや、今日は吹奏楽部、活動ないよね? どうしたの?」
――もしかしたら、私の一瞬だけ見せてしまった苦しげな表情を見られてしまったかもしれない。
「……」
私が、真実を言おうか迷っている間も、
私の事実を知った上で、普通に接してくれると思った。
「――私、明日死ぬかもしれないんだ」
「え、し……⁉」
そう口にしたとたん、
そんなことも気づかないくらいにこっちを見つめている。
自分の事実を、努めて明るく話して、一息つく。
「――
「俺……
「え……?」
やり残したこと――。
考えてみれば、色々あったかもしれない。
毎日トロンボーン漬けだった私は、そんなに友達もいないし、遊びに行ったこともない。一回くらいやってみたいなってずっと思ってたけど、今の練習を怠ったら絶対元に戻れない気がして止まなかった。
でも、もしかしたら死ぬかもしれない、生きることができたとしても大会には出られない確率が限りなく高い今なら、やってもいいかもしれない。
なんで、私の気持ちが分かるんだろう。
私の気持ちを分かったうえで、こうやって接してくれるんだろう。
「ありがとう。よろしくお願いします!」
そう言って握手する。
優しい
たった2日の旅だけど、握った手にもう一度力を込めた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
2日だけだから、という根拠のない理由で、勝手に学校を早退した。
制服で遊ぶために街を歩くのは、初めてだった。
「まずはどこ行きたい?」
「んー、クレープ食べたい!」
私が素直に言うと、
昼休みのすぐあとに学校を出たから、今は午後1時くらいだけど、お腹は空かせようと思えば空かせられる!
ということで、走って向かうことにした。
「はぁ、はぁっ……」
2人で全速力で走って、着いた頃にはぜぇぜぇと肩で息をしてしまう。
短いはずだけど、久しぶりに走ったからか、すっごい疲れた。
秋らしくない汗で制服も半分びしょびしょだ。
「ふぅ……どれがいい?」
「贅沢ストロベリー!」
と、もとから決めていたメニュー名を口にした。私はいちごが大好き!
「オッケー、買ってくるわ」
これでいちごを食べるのは最後なんだ、と少ししんみりしたけど、そこまで苦しくはならなかった。
もしかしたら、恋輝がすぐそこにいてくれているからかもしれない。
「おいひい!」
人生初の贅沢ストロベリーの貴重なあまおうを頬張る。
「よかった!」
そう言う恋輝の手には、贅沢チョコレートという名のクレープが。
贅沢ストロベリーとはシリーズものらしい。
そのまま目線を上げると、
「
「えっ、マジ? とって!」
鈍感な
でも、これだけでも同じようなシチュエーションな気が……?
気づかなかったことにしとこ。
「ありがと!」
その表情に、また胸がドキッとする。
あと2日にもなって、恋?
そんな考えが頭をよぎる。
少し、少しだけど判っていた。
これが恋だということを。
決して実らない恋だということは知っている。
それでも、この胸の鼓動は止められない。
「ん? どうかした? なんか硬いの入ってた?」
私がそんな風に考えている間でも、
そういうところがずるいんだよ。
「ううん、大丈夫!」
そう言って大口を開けて、2つ目のあまおうを口に入れた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
お次は、ショッピングモール。
一回、服とか買いに来たかったんだよね!
「今日と明日着る服と、入院用の服……」
舞い上がってるだけじゃなくて、手術にも備えないといけない。
私の「入院用の服」という単語を聞いて、
「今日着るのは、カジュアル系がいい!」
って私が言えば、スタイルが良く見えるズボンと、可愛らしいシャツを買ってくれた。
「明日はせっかくだからワンピースがいいな!」
と言えば、ワンピがいっぱいあるコーナーに足を運んで、ああでもないこうでもないと私に似合うワンピを探してくれた。
「明後日は気合い入れるために暖色がいいな!」
と言えば、赤色、オレンジ色、黄色と色々なパジャマを私に合わせてくれた。
お腹いっぱいに買った私は、早速トイレで着替えて出てくる。
白と緑のしましま模様のシャツに、網の白い上着に、デニム色のズボン。
我ながら、いい組み合わせになったと思う!
トイレから出てきた私を見て、
「わ……」
と
「どうしたの?」
気になって問いかけると、
「あ、ごめん、何でもない」
とぶんぶんと首を横に振る。
どうしたんだろう?
見つめ返していると、
「……最後に公園でも見て帰ろうか」
とそっぽを向いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「綺麗!」
公園に着くと、私は一番に声を上げた。
赤、オレンジ、黄色、茶色と、色とりどりの
「本当、綺麗だな」
そう、こっちを見て微笑む
その顔も、紅葉も、夕日に照らされて
「うん。来られて良かった」
ここはショッピングモールに近い公園。結構遠出したから、この公園は来たことが無かった。
家の近くに公園があるわけでもないから、この紅葉が見られて良かった。
「それなら良かった」
と
この微笑みを写真に残したい。
私がいなくなっても残しておきたい。
私の、存在証明がしたい。
唐突にそう思って、スマホを取り出し、パシャッと写真を撮った。
きっと、これはトロンボーンのように宝物になると思う。
「何だよっ、急に撮るなって!」
私の思っていたことも、全部知っていたかもしれない。
その上で明るく言ってくれることが、とても嬉しい。
「へへへ、ごめんごめん」
つられて笑顔になってしまう。
ねぇ、ありがとう、
――私の、最後の、希望。
「じゃ、帰ろうか。明日は7時半に家に迎えに行くから」
弟妹たちに怪しまれないように、いつも学校に向かう時間。
こういう小さいことでも気にかけてくれる
「うん。ありがとう」
でも、忘れちゃいけない。
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