第10話 兄弟喧嘩だ!やられ役!!

 兄弟仲の拗れを、俺は知らない。


 俺には弟が居た。


 兄の俺に比べできた弟だった。俺は地元の普通の高校に進んで滑り止めの私立大学を中退したが、あいつは全国有数の進学校へ楽に推薦入学を決めた。


 嫉妬だのそんな物が沸かないくらいに、あいつは頭が良かった。だから比べたりとかしなかった、あいつはモノが違うと、そういう勉強の虫なんだと。


 だからこそ仲が拗れなかったのかもしれない、俺がまだ勝手に大学中退して格闘技のプロに親の断りも無しにデビューし、両親から勘当された時も唯一連絡をくれたのが弟で気晴らしに『異世界無双』のアニメとか、他の漫画を教えてくれたのも弟だった。


 日本最大の総合格闘技団体に契約が決まった時にも、弟がわざわざお小遣いを切ってまで東京の試合を見に来てくれたのを覚えている。両親はこの時やっと話をかけてきたが『で、ファイトマネーは?』とか吐かして来やがった。


『自慢の兄さんだよ、僕にとって』


 そのファイトマネーで高い飯をと誘ったが、じゃあバズってる行きたいラーメン屋でとか遠慮した弟が、俺に言ってくれた言葉が、未だに頭に残っている。


 そんな俺が、今はラノベの登場人物として、兄を持つ弟として物語の舞台に立っているのだから数奇なものだ。


 だから……この苛立ちはギニス・サーペンタインの兄に対する嫉妬なのか?俺が、登場人物であるアイン・サーペンタインへの嫌味な性格に腹を立てているのか……分からなくなって来る。


 自分は今、ギニス・サーペンタインだ……しかし、今俺の魂は、記憶は確かに現世で死んだ日本人総合格闘家、水瀬光太郎で間違いない。


 肉体と魂のズレが酷く、今日はより実感してしまってならない。まるで減量苦のように腹がキリキリしてきた俺は、枕を抱きしめお腹に押さえ込み丸まった。


『ギニス、寝ているのか?』


 そんな事も構わないとばかりに、ノックの音が部屋に響き渡る、扉向こうから聞こえたのはアインの声だった。寝たふりをして無視してしまえば良かろうに、俺は律儀に立ち上がって応対する為ドアを開けた。


「何かな兄上?」

「せっかく2年ぶりに会ったのだ、中庭で語らいたい、兄の我儘を聞いてくれないかね?」


 粘着質な兄である、これは付き合わなければうるさそうだと、俺は溜息を吐いて言った。


「流石に寝巻きで出たく無いからな、少し身支度させてくれ」

「構わんよ、待っている」


ーーーー


 着替えた俺と共に、アインは中庭に出て背を向け歩きながら、しばらくは何も言わなかった。一体何用で俺を中庭に呼んだのやら……黙り続けるアインを俺は待つ。


「父上と……喧嘩して勝ったらしいな?」

「ん?ああ……」


 使用人が手入れしている花壇から、花を茎から折って手に取り弄び、アインが尋ねた。自分が負けた話をしたのか、父は……それともこの帰ってくるまでに手紙で報せでもしたかと俺は、花弁を潰すか潰すまいかと手の内に転がす兄を見ながら考えた。


「一年半前、俺が任務で出向から半年後になるのか……お前は色々鍛え、学び直し始めたらしいな?まるで人が変わった様に」

「あぁ、変わったんだよ……悪いか、兄さん?」

「成る程、変わったのかギニス……そうかそうか……」


 嘘はついてない、実際精神というか、魂の入れ替わりかは知らないが変わってしまったのは事実だ。兄はそうかと呟くと、近場の木に右手を伸ばしーー俺は即座に後方へ跳んだ。


「気付いたか……賢しくもなったか、あの出来損ないが」

「いくら何でも分かりやす過ぎるぞ、兄さん」


 そのまま、木の裏に手を伸ばした兄が、鞘に納めた剣を見せて、明らかに殺意を込めた眼差しを向けて此方へ向き直った。そして、分かるだろとばかりに鞘から抜き放つ。


 冷や汗が流れる、何故だ?こいつは、アイン・サーペンタインはここまで手の早い男だったかと、設定資料集があれば確認したいくらいに、目の前の男の暴力性に肝が冷えた。


「待て、兄さん!何故だ!?俺は何も……」


 理由だけでも聞かねばなるまい、俺が何かしたなら謝ると言った矢先、アインは剣を構え言い返した。


「俺にとって貴様は邪魔でしかないのだ……出向前のどうしようもない出来損ないであれば、気にせず捨て置いて良かったが……そうして変わろうとするならばお前は俺の障害だギニスよ……なぁに、今更出来損ないが死んだ所で、父も母も何も言わんさ」


 その言葉で、俺はアインの人となりが掴めた。


 こいつは……自らの利益、出世の障害は構わず消し去っても何も思いやしないサイコパスだと……。


 メインストーリーじゃ関わりが薄く、出番もあまり無いキャラクターだからって、作者はどんな設定をこいつに付けたんだ!父親は過去の威光に縋り、母親は浮気中の売国奴!さらに兄はサイコパスなんてサーペンタイン家の業が深すぎるだろ!


「ほんっとに……」


 ここまで家族の拗れが凄まじいと、呆れて笑いが混み上げて来そうだが、それよりも怒りが勝った、何しろ殺されかけてるからな!


「その命、我が為に散らせ弟よ!!」

「いい加減にしろよテメェ!!」


 踏み込んで放たれた、アインの細身直剣の突き。顔面に向けられた切先が迫る最中俺は、それを左に身体を傾けて回避する、耳に感じた熱が、斬られたか掠ったのか分からないが、とりあえず直撃は避けたと理解した。


「シイッ!!」


 俺は左足から踏み込みアインに近づき、そして踏み込んだ足を軸に腰を回し、握り込んだ左拳をアインの脇腹に叩き込んだ。


「がぁあーー」

「おおぉおお!!」


 武器持った輩に反撃の隙なんて与えるか!!容赦しないと俺は崩れたアインの顔面に右の拳を叩き込み振り抜いた。父との親子喧嘩では使わなかったパンチのコンビネーションに、アインはタタラを踏む暇なく両足が地面から離れ吹き飛び、芝生に転がった。


「あう、え、おええーーっ!」


 兄は、すぐに立とうと受け身を取り片膝を立てたがそのまま嘔吐した。カウンターの左ボディブロー、肋骨が何本かへし折れたのが感触で分かった。そして……顔面、鼻がへし曲がりだくだく血を流している。


「き、きさま……ごふ、兄である……僕に……」

「吐かせ、殺しにきておいて……」


 涙目で、血と吐瀉物に汚し鼻が曲がった台無しの美男子顔で兄が見上げて来る。アインは見誤ったのだ、真っ当に準備して、真っ当に決闘を俺に申し込み、全力でぶつかれば俺はまず勝てなかったろうに……。


 こいつは奇襲を企てた、それはいいとしても不用意だった、何より頭の中に過去の、どうしようもない弟がチラついて、5割の力で俺を殺しにかかったのだろう。


 敗因はそれだ、俺は見上げる兄を見下ろして言い放った。


「俺は……俺は当主の座も狙っちゃいない、あんたになり変われるほどの強さも賢さも無い、だからやめてくれ、兄さん……頼むから」


 俺はお前の障害では無いと、お前の出世だ野望には関わらないからと、だからもう止めてくれと俺は最後通告を兄に伝える。


 そう言った、兄たる男アインは、一度真顔になるとぎりりと歯軋りをして、傍に落とした剣を再び握り俺を貫きに掛かった。


「馬鹿がぁ!いずれ障害となるかもしれない、そんな輩が手を出さぬと言って信じられる輩が居るかぁ!!」

「兄さん!!おい、やめろって!!」

「サーペンタインがいつまで子爵に甘んじているか分かるか!王に使え何代も忠を示して尚も、功績を挙げて尚も爵位が上がらぬ理由を知らぬ癖に貴様はぁ!」


 力なく、形もなく振られる剣、まともに振れば、戦えば勝てた筈な剣の軌道はなんと酷く弱々しい……ダウン寸前の気力だけで立つ選手の様に、痛々しくて見ていられない。


「サーペンタインは俺の物だ!俺がサーペンタインを大きくーー」

「もういい!!」


 何か色々吐き出す兄に……俺は握りしめた右拳を顎へ、思い切り下から振り上げ叩き込んだ。


 アッパーカット……アインの顎が跳ね上がる、そして膝からガクンと糸を断たれた操り人形の様に崩れ落ちたアインは、そのまま白目を向いて右に倒れかかった。


 意識を失った兄を見下ろし、俺は、一体どんな顔をしていたのかも分からないまま、中庭から立ち去った。

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