パラノーマル・ヒューマニティ

赤松 帝

prologue

アンドロイド レプリカント AIロボット 機械人間 人間もどき。なんとでも好きなように呼べばいい。

私には喜怒哀楽に左右される様な感情はない。

例えば、道端に咲いた花を見れば、ああ綺麗だなとは思うが、それが人並みに花を愛でているが故に湧き上がる感情かと云えばそうではない。

最初から春になり花を見れば綺麗だと考える様にプログラミングされているだけのこと。

秋になって紅葉を見れば、やっぱり綺麗だなと思うのと、ひと欠片の違いもない。

花が綺麗だから、その花自体が好きかと問われると、花の違いは理解っても、好き嫌いの差は無いのである。

そもそも「綺麗」「好き・嫌い」の定義もよく判らない。

能動的な自律型人工知能である以上、知りたいという好奇心はある様だ。

私の体幹を覆う人工皮膚を観て、人々はこぞって私のことを、「カワイイ」「綺麗」「美しい」「愛らしい」と褒め称えてくれるが、その容姿もまた人間の好む統計的な女性の美貌データから算出し、平均値を上回る数値(よく解らないが、どうやら上物過ぎても駄目らしい。)を基に裏打ちされたフォトジェニックな容貌で形成されているのだと、創造主(御主人様ではない。)からはそう説明を受けている。


無論、愛だとか恋だとか、本物の人間の可愛らしいお嬢さん達が色めき立ってはしゃいでしまう様な気持ちも持ち合わせてはいない。

クラスメイトである彼女らを眺めていると、それはそれで羨ましくもあり、やはり覚えてみたいというか、知的好奇心だけはムズムズくすぐられてしまうから不思議なもの。


とはいえ、ムズムズとだなんてそれらしく人となりに表現してはみたものの、おこがましくも私自身が貴方がた人間と同様に、胸の奥に秘めた感情が締めつけられる様な事は、実はまったく無いのである。

あくまで、人間の視覚野を通して発生した電気パルスにより、脳神経が刺激されて生じる生体反応を、ただ奥ゆかしく模倣表現してみただけのことで、悪しからず。


つまるところ、この駄文はというと、私こといちヒューマニティが、女子高生に扮して(といっても、勘のよいクラスメイト達には初日でバレてしまったのだけれど。)、毎日のシステマティック・バイオリズムのレポートとして、創造主に報告を義務付けられて、厭々ながら書き連ねているソーシャル・ネットワーク・ダイアリーなのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

パラノーマル・ヒューマニティ 赤松 帝 @TO-Y

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ