第8話 どうしてこうなった!?

 森の奥、月の光は届かず辺りは漆黒に包まれている。


 そんな常闇の世界にて、ブランは駆けていた。


「ハア、ハア、ハア!」


 呼吸荒く駆けるブランの顔は、恐怖と涙に歪んでいた。


「やめろ、来るな!来るな!!!」


 闇に向かって叫ぶ。


 そこには赤く光る二つの光が。

 否、無数の光が浮かんでいた。


 光の正体は魔物の目だ。

 ゴブリンの群れがブランを追いかけていたのである。


「どうして、どうしてッ!?」


 いや、当然の事だ。

 メーメル草が自生すると本に記載されていた屋敷の近くに鬱蒼と茂るこの森は、魔物が蔓延る危険区域。

 魔力濃度が高く、そこらかしこに魔物が生息しているのだ。

 しかしながら幼いブランは視野が狭かったのだろう、彼の姉を助ける事に夢中になってしまってこの森が危険であることを忘れてしまっていた。

 父親から危険であることは聞いていたのに、どうしてか忘れてしまっていた。

 

 来なければよかった。

 そう後悔するが、もう遅い。

 時が巻き戻ることはないのだ。


「グギャ!」

「ギャ!」

「ゴギャ」

「ググ……」

「ゴリャ!」


 後ろからは無数のゴブリンの声が聞こえてくる。

 捕まったら──死。



「……ハッ、ハッ、ハッ!」


 その右手に家から持ってきた真剣を握りしめひたすら逃げる。


 果てなき時間が過ぎた後、ふと気づく。


(僕なら勝てるんじゃ?)


 そうだ。

 僕は強いんだ。

 魔法だって使えるし、剣術だって教わっている。

 そこらかしこの人間よりは強いんだ。

 ゴブリンはD級の魔物。

 そんな魔物如きに僕が負ける訳がない。

 本にはゴブリンは魔法を使えないって書いてあった。

 うん、そんな奴らに負ける方がおかしい。

 それにこのまま逃げ続けても埒があかない。

 なら、ここで倒す!


「あああああああぁぁぁぁぁああああああ!!!」


 覚悟を決め、後ろへ振り返り剣を振るい上げた──


「ギャ!?」


 不意を突かれたのか、真剣はゴブリンの内の一体の頭蓋を打った。

 その剣は鉄で打たれており、ブランの稚拙な一撃により打撲となったとはいえ相当な威力を持つ。

 

 ──しかしながら、一つ問題があるとすればゴブリンは群れで動く事だ。


「!?」


 次の瞬間、他のゴブリン達がブランに襲いかかった。

 

「ギュギャギャ」


 醜悪な笑みを浮かべたゴブリンはブランをボコボコに殴りつける。

 魔物というだけあってその攻撃は魔力により強化されており、一撃ごとに骨にヒビが入る。


「ガアアアアぁぁぁぁぁああああああ!!!」


 骨が折れた!

 

 やめろ!

 肉を食いちぎるな!

 痛いからやめてくれ!


 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!


 ボタボタと血が滴り落ちる。

 

 ゴブリンがブランの上腕の肉を食いちぎったからだ。


「やめ、ガッ、あっ、やめろ、やめろおおおおお!!!」


 しかし、ゴブリンは止まらない。

 幼く力の弱いブランは、どれだけ暴れてもゴブリンを跳ね除ける事が出来なかったのである。


 

 来なければよかった。

 来なければよかった!

 来なければよかったッ!!!


 視界は激痛により赤く染まり、意識は苦痛に支配される。


 その時だった──


「──えっと、どうしてこんな事になっているんですか?」


 声がどこかから聞こえてきたのだ。



 えっと、あー、あー、これはどういう状況だ?

 ブランが心配になった俺は両親の目を強引に盗んでここまでやってきた訳なのだが、どうしてこんな事になっているんだ。


 いや、まあ分かってはいるさ。


 ブランが俺のためにメーメル草を探しに森に出かけた→そして運悪くゴブリンの群れにマークされてしまう→で、こうなった。

 という感じだろう。


 俺から言わせると、どうしてこうなった!?と言わざるを得ない。

 まあ、俺が迂闊にメモを置いておいたのが悪かったのかもしれない。

 しかし、少し目を離した隙にこんな事になっていたのだ。


 普通森に入っただけではここまで大規模にゴブリンの群れに襲われるなんてことはない。せいぜい数匹くらいに追われることはあってもここまで大規模な群れに追われるなんてことはそうそうないぞ。

 もしかしてブラン君、ゴブリンに好かれている?

 ……まあ、それはともかく、逃げ続けさえいればここまでリンチされることは無かったはずだ。

 もしかしてだが、正面から立ち向かったのか?

 

「お、お姉様!?」


 いや、あのさ、質問に答えてくれよ。

 どうしてこうなった!?

 ちょっと目を離したらこれだったんだぞ?


「質問に答えなさい、ブラン、どうしてこんな事になっているのですか?」


「痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!」


 質問してもゴブリンにリンチされているせいで苦痛に悶えるだけのブラン。

 これは、助けないと話は出来そうにないな。

 仕方がないから聞くのは後にして助けてやるとしよう。


「ギャ!?」


「それっ!!」


 助走を付け、ブランに群がるゴブリンの内の一匹の頭を蹴り飛ばす。

 俺の感覚的にはゴブリンの頭をぐちゃぐちゃにするくらいの強力な蹴りだったのだが、残念なことにこの体は鍛錬を積んでいないためまだ脆弱。

 故にゴブリンを吹っ飛ばすに留まる。


「ギャギャガ!?」

 

 すると新たに現れた“俺”という存在に気がついたのかゴブリン達が一斉にこちらを向く。こちらを警戒しているのかジリジリと後退するゴブリン。

 おっと、素晴らしく殺意の籠ったいい目じゃないか。

 まあ、今の俺ならば戦えなくもない相手だろう。

 楽しく戦えそうだ。

 ペロリ、と舌で乾いた唇を潤す。


 と殺る気満々の俺に対してブランは叫んだ。


「む、無茶です!今のお姉様じゃ無理です!」


 きっと、ファイアーボールを使った事により魔力器官が過負荷を起こしたことを指しているのだろう。

 俺はこの呪いにより魔力器官が蝕まれている。 

 そのせいであの時は無様な姿を見せてしまった。今も魔力が使えない。


 それに今の一撃は不意打ちだった。

 これから先ゴブリンと正面から戦えるかどうかは分からない。

 でも──


「──そうかもな。普通の人間ならキツイかもしれない」


「え?」


「ここから先見るものは父さんと母さんには秘密ですよ」


 唇に人差し指を当てて、シーと息を吐く。


「ど、どういう意味ですか?」


「見ていればわかります」


 この体の中身は俺だ。

 これまで幾多もの死線を潜り抜けた俺なのだ。

 魔力が使えない程度ならば丁度良いハンデであろう。


 それに、


 暗殺者たるもの、いかなる状況でも戦えなければならないのだ。


「久々に本気を出すとするか」



 ブランの手元から真剣を取る。


 剣を構え、ゴブリンと相対する。


「ギャギャ……」


 数は10?


 いや、12だ。

 多いな。

 まあ、対処できない数ではないが。


「シッ!」


 地を蹴り、接近。

 剣を振り上げその内の一匹を切り裂く。


 勢いのまま宙で一回転し腰を捻り、近寄る二匹の首を跳ねる。

 魔力は使えないが、剣は上手く使えば簡単に魔物を殺せるのだ。


 地面に着地し、下段から蹴りを放つ。


 脚を掬われたゴブリンは転倒。


 無防備な姿を晒した一匹の頭蓋に剣を差し込む。

 

「むっ?」


 おっと、俺としたことがうっかりしてしまった。

 頭蓋に差し込んだせいで剣が抜けないのだ。


「まあ、剣なんて要らないか」


 武器が使用不可になった時、人間はどうするか?

 その答えは簡単だ。

 素手で戦う。


「ふんっ」


 ゴブリンの棍棒による攻撃をその手でいなし、顔面に拳を叩き込む。


 ゴギャ!


 嫌な、鈍い音を立てて四匹目のゴブリンの顔面が陥没した。

 

 さらに次から次へと襲いかかってくるゴブリン。

 しかしながらその全てが俺の敵では無かった。


 内臓破壊

 脳震盪

 頸動脈切断

 関節破壊


 様々な手段を持ってゴブリンの群れを殲滅していく。

 次々と鮮血が飛び散り、地面が紅い華を描く。



 そして……


「あーあ、もう居なくなってしまった」


 最後の一匹を殺したのだった。

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