第19話
俺が魔術を使って気絶してから一週間が経過した。
ここの生活もそれなりに慣れてきた。
毎回食事を用意してくれるメイド二人の顔も覚えたし、迷路のような城の中を迷ったりすることもなくなった。
この一週間の中で分かったこともいくつかある。
まず一つ。
俺は魔術を使えない。
しょっぱなから言いたくないことだが事実だ。
水槍を失敗し、気絶してから何度か魔術を使ってみたが、どれも使えず発動する前に俺が気絶するか痺れでしばらく動けなくなる始末だった。
だからと言って魔術がまったく出来ないというわけではなく、二節程度の詠唱なら軽く手に痺れるような痛みが走るだけで済むので使う分には問題はなかった。
だがそれ以上になると、途端に謎の電撃のような痛みが全身へと広がって動けなくなり、運が悪ければ気絶する。
それでもなんとかめげずに二節以上の詠唱をしようと試みている。
料理と一緒だ。
最初は教科書通りに作ってそこから自分なりの工夫や裏技を使う。
基礎の出来ない奴が突然応用技なんてできるわけはないのだ。
と、論理的な理由を立ててはいるが、結局は何度かやっているうちに成功するかもしれないという淡い期待とせっかく異世界なのだからひとつくらいは使える魔術を覚えたいという個人的なエゴだ。
だがしかし、今のこところ二節以上の成功はしていない。
この一週間、欠かさずやったのに出来ない時点でほぼ絶望的だろう、と俺は少し諦め始めている。
ちなみに原因の解明にはまだ至っていない。
アリシアやカミュたちは口をそろえて昔の俺は魔術を使えたと言っている。
つまりこの変化は、俺の意識が憑依して以降ということになる。
死に至るような致命傷を負ったのが原因なのか。
それとも俺がこの体に宿ったことそのものが原因なのか。
はたまた他の原因か。
いずれにせよ、魔術が使えない理由はいまだに分からずじまいだ。
一時期は詠唱をするから失敗するのではないかと思い、アリシアが見せてくれたように無詠唱にも挑戦してみたが出来なかった。
考えてみれば、無詠唱は詠唱によって魔術の行使される感覚を自分の意識だけで再現することだ。
しかし俺はまだ一度も魔術を成功させてはいない。
それなのに詠唱にやってもらっている工程を自分一人でこなすなんて無謀にも程がある話だった。
にしても、いままで使えていた魔術が使えないとなるとマズい状況だった。
なぜかというとそれを理由に解雇される恐れがあるからだ。
いまはアリシアたちに口止めしてくれているので内輪で様子見ということになっているが、使えないことが他の人間に伝わるのは時間の問題だし、判明すれば確実に職は失うだろう。
こちらとしてもそれは困るので騙してやっていくしかない。
二つ目の分かったことはこの城の中に書庫があるということだ。
魔術がロクに使えないことが判明すると午後はとてつもなく暇になった。
基本的に午後の魔術の授業は魔術に関するものなどの書物を読み漁りつつ、アリシアの魔術の実演を眺める。
だがそれだけだ。
俺は眺めるだけ。
さすがにそれは飽きてくる。
もちろん魔術の授業は楽しいが、これも三時間程度で終わってしまうので、そのあと暇なのだ。
ならどうするか。
その間に魔術以外の勉強でもするしかない。
知識はあっても困るものではない。
むしろ今の俺には一番必要な物だろう。
魔術や魔法についてもっと深く知るためには、この世界の歴史なども学ぶ必要がある。
そのためにはやはり本が必要だ。
そして大量の本が置いてある場所と言えば、図書館だ。
というわけで、思い立ったら吉日とばかりに早速訊いてみた。
「あの、ここには図書館はありますか?」
「図書館はないけど、書庫はあるわよ」
「あるんですか」
「えぇ、あるけど、またどうしてそんなことを?」
「いえ、目が覚めてから結構色々なことが抜けているみたいなので、早く頭に叩きこもうと思いまして」
「なるほどね、でもジークが求めているような物はないかもしれないわよ。あそこは財政資料とかばっかりだし」
「とりあえず百聞は一見に如かず、ですよ」
「……なにそれ?」
そんなこんなで俺は、アリシアから書庫の場所を聞き出して魔術の授業の後にそこに通うようになった。
なので、現在はカミュやアリシアとは別行動をしている。
向かう先はもちろん書庫だ。
ここ数日は必ずと言いっていいほど通っている。
こう何日も通うと、書庫の本の配置がどのようなものなのかは把握できてしまう。
アリシアの言った通り、基本書庫に置いてあるのは資料や報告など政治に関してものが多い。
それらの束はまるで会社の帳簿を見ている気分になるものだが、書庫にはそれ以外にもちゃんと歴史書などの本が置いてある。
でなければこんな足しげく通ってはいない。
そんなことを考えている間に書庫にたどり着き、目の前の扉を開く。
図書館ではないのだが、扉を開けたすぐの所に書庫の管理役である初老の司書が常駐しているが、今日に限ってはその影は見当たらなかった。
だが別の先客はいた。
ずらりと並んだ本棚の一角、一冊の本を手にぽつんと本棚の前に立つ男がいた。
男はしばらく気付いていないようだったが、視線に気づいたようで顔を上げてこちらを見てきた。
年齢は二十代に差しかかるか、かからないかくらいだろう。
ブラウンの髪に薄い青色の瞳。
遠目から見ても上等そうな――少なくとも俺のよりは質のいい服を着ている。
これがもし高校の制服かスーツ姿だったら、外国から来た文学青年か影ながら女子に人気のある外人教師に見えただろう。
青年は俺の姿を見て、「見知った顔に会った」と言わんばかりの表情をしたが、すぐにそれは怪訝な表情に隠れる。
「……おぬし、ジークか」
どうしよう。
見慣れない顔だ。
俺はどういう対処をしたものかと困惑する。
自分の記憶喪失関係の情報は出来るだけ外に漏れない方がいい、というのは三人で話し合って決めている。
なので、俺がこの城で喋ったり顔を知っている人間はまだ両手、いや、片手の指で数えられるほどだ。
その中にこの青年は入っていない。
つまりはまったく初見の人物だ。
「……どうも」
顔見知りではあるようだし、とりあえずここは適当に見知ったように振る舞っておくか。
そう結論付け、俺は適当に挨拶を返す。
顔は知っているが、そこまで親密ではないという感じだ。
「ん、あぁ……」
軽く頭を下げつつ、俺は書庫の奥へと足を進める。
青年はぎこちなく俺に受け答えすると、それ以降声を掛けてはこなかった。
ただ本棚の間に消えるまで、俺の姿を目で追っているのがひしひしと伝わってきた。
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