第18話

「負い目、ですか?」


 俺は首を傾げる。

 この数日彼女を見ているが、そんな素振りは一切ない。


 彼女はいつもと同じく、花のように笑い真面目な顔で魔術を教えてくれている。


「覚えていないだろうが姫様が襲われた時、向けられた刃をお前は身を挺して受けた。目の前でそんなことがあれば姫様が自分を責めるのは無理もない」


 そこまで言ってからカミュは残りの言葉を吐き出す。


「今の姫様には、焦りと不安が渦巻いている」


 焦りと聞いて俺は、カミュが今日の剣術の稽古の時にも同じことを述べていたことを思い出す。


「それじゃあ彼女の剣が鈍ったっていうのは?」

「恐らくはそれが原因だろうな。やはり心の傷までは消えないということだろう」


 おそらくアリシアの焦りとは強くならなければいけないという一種の強迫観念のようなものだろう。


 目の前で誰かが自分を庇って死ぬ。


 それは庇われた側の人間にとってはとてつもない罪悪感となって重くのしかかる。


 だから彼女は自分自身が強くなって、守られる存在から守れる存在になろうとしているのだ。


 あのそれなりに芯のあるお嬢様のことだ。

 いままでもその意識はあったのかもしれないが、俺が彼女を庇って生死の境を彷徨うような事態になったことで強く意識するようになったのだろう。


 おそらく知ってしまったのだ。

 身近な人間が死ぬという恐怖を。


 それが彼女の不安――失うということへの恐怖へと繋がった。


 だから一刻も早く自分が強くなって、俺やカミュへの負担を減らそうとしてくれている。


 だが、今度はその意識が強すぎて空回りを起こしている。

 それが今のアリシアの状況なのだ。


 そんな推察をした俺はそれなりにリラックスしていた体をしゃんとさせ、カミュを真剣に見た。


「一つ、お願いをしてもいいですか」

「……聞こう」


 俺が真面目な顔をしたことから察したのか、カミュも真剣な顔で俺の言葉を待つ。

 軽く頭を下げて俺は言った。


「俺の剣術指導を再開してくれませんか?」


 一瞬の無言。


 俺がそう言うのを予想していたのか、カミュは眉一つ動かさずに訊ねてくる。


「体のほうは大丈夫なのか?」

「はい、問題ありません。それにいつまでも役立たずではいられませんから」


 この世界の俺は、魔術もロクに出来ない役立たず――ボンクラだ。


 だが、そんな俺に信頼を置いてくれている人がいる。

 しかもそこには同僚や主従関係を無視した見返りのない信頼だ。


 そんな信頼を置いてくれているのならば俺もそれに甘んじるわけにはいかない。

 信頼に見合った働きをしなければ。


 決意を心の内に掲げているとカミュは静かに口を開いた。


「……分かった。では明日からお前の剣術の指導をしよう。だが、やるからには徹底的にやるぞ」

「はい。よろしくお願いします」


 俺は深くお辞儀する。

 カミュはそれまでの真剣な空気が一気に緩ませてふっと笑った。


「変わったな」


 唐突にそう言われて俺はキョトンとする。


「そうですかね、俺は特に意識していないんですけど」


 頭を掻いてとぼけた風に言う。


 意識なんてない。

 なんせこの体の持ち主と入れ替わっているのだから考えようがないのだ。


 記憶がないと認識しているカミュもそれはわかっているだろう。

 それでも彼女は続ける。


「あぁ、変わったよ。

 さっきも言ったが、前のお前は他人と距離を置きたがる節があった。今ではそれがまったくない。

 それに自分のことを私と言っていたのに今は俺だ」

「すいません。変えた方が良かったですか?」

「いいや。今のお前がそっちを気に入っているのなら構わないさ。

 にしても本当に変わったよ。まるで別人みたいだ」


 別人みたいだ。


 そう言われた瞬間、心臓の鼓動が止まったような錯覚をした。


 もちろん意図して言った言葉ではないだろう。


 だが、それが真実なので冷や汗が出た。


「……褒め言葉として受け取っておきますよ」


 ヒヤっとするほどの内心の動揺を悟られないよう俺は軽口を叩く。


 カミュは俺の言葉を聞き届けてから立ち上がったので、俺もベッドから降りて彼女を扉まで見送る。


「今日は帰る。また明日会おう」

「はい、明日からよろしくお願いします」


 そう言って俺は部屋を出ていったカミュの姿が闇に消えるまで見送った。

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