第15話

 そうして急遽、魔術の訓練が始まった。


 さっきまで二人が打ち合っていた庭に集合したのは、俺とアリシアの二人だ。


「俺の部屋ではないんですね」

「今日は昨日と違って魔術の実演をしようと思っているから。あそこだと狭すぎるの」


 俺の半歩前に立ったアリシアが言う。


 水浴びをした彼女はドレス姿に戻っている。


 残念ながらカミュの姿はない。

 彼女はアリシアの水浴びが終わった後、別件で出ていったそうだ。


「本は読んだ?」

「魔術教本は読み終わりましたよ。他はまだですけど」

「も、もう読み終わったの!?」


 驚きの声とともにアリシアが振り向いた。

 そんな驚かれるようなことだろうか、と俺は首を傾げる。


「なにか、おかしかったですか?」

「あ、いえ……、まさか、こんな早く読み終わるなんて思わなかったから……」


 平静を装って、アリシアは顔を背ける。

 課題を出したのはアンタだとツッコミを入れつつ、内心ほくそ笑む。


 からかってきた俺に無理難題を押しつけて困らせたかったのだろうが、こっちは昔から本の虫なのだ。


 速読にはある程度自信がある。

 元小説家を舐めてもらっては困る。


「読んだのは基礎編だけ?」

「いえ、応用も全部読みました。ダメでしたか?」

「ううん、これからやるのは基礎の知識だけでいけるはずよ。だから別に応用の部分はいらないわ」


 アリシアの言葉を聞きながら、今日の徹夜は無駄だったなと俺は頭の中で冷静に思う。


「はい。じゃあ無属性以外の魔術詠唱の最初はなにか分かる?」


 そう問い掛けられ、俺はアリシアを見やる。


 彼女は不敵な笑みを作り、横目でこちらを見返していた。

 その目は妙に挑発的な色を持っており、俺は表情で理解する。


 どうやら、俺がどれくらい教本に書いてあることが覚えられているのかを確かめる魂胆らしい。


 冷静に考える一方で、まだ昨日からかったことを根に持っているのだろう。


 精神年齢二十五歳のくせに十二歳の少女の挑発に乗ってしまっていることを薄々気付きつつ、俺は答えた。


「それぞれ最初は、『燃えしもの』『流れしもの』『吹きしもの』『固めしもの』の四つです。

 ですが、水属性に含まれる氷系の魔術は『流れしもの』ではなく『凍りしもの』になります」


 この世界での魔術を使うときの詠唱の頭部分は使う魔術の属性にによって決まっている。


 特に属性を持つ四大元素は特に分かりやすく、


 水魔術の詠唱は頭が『流れしもの』から始まり(氷系の魔術は『凍りしもの』から始まる)、

 火魔術は『燃えしもの』、

 風魔術は『吹きしもの』、

 地魔術は『固めしもの』


 となっている。


 しかし無属性の魔法にはそういった法則性はない。


 だが、無属性に分類される魔術もそれぞれの系統によって詠唱の冒頭はおおまかには決まっている。


 例えば、治癒系の魔術なら『癒しきもの』といった具合にだ。


「その通りです。じゃあ、まず私が見本を見せるわ」


 教本通りに答えた俺にアリシアは右手を前にかざす。

 その先にあるのは、庭の隅っこのほうに生えている高さ三メートルほどの樹木だ。


「流れしものよ、来たれ」


 そう短く告げると、アリシアの右手にサッカーボール程度の水球が一つ、突如として生成される。


「流れしもの、降りかかりし災厄を払い、敵を貫く刃となりて――」


 詠唱を唱えていくアリシアに従って、丸い球体のままだった水球が形を変え、棒のように横に伸びる。


 彼女は手を後ろに引き、槍投げでもするかのように構える。


「――駆けろ」


 一本の槍となった塊をアリシアが投げると水の槍は樹木めがけて一直線に飛翔し、そして衝突する。


 運悪く、的になった樹木がベキベキッと音を立てて真っ二つになり、その周囲が水浸しになった。


「まぁ、こんなところです」


 平然と言って、こちらを振り返るアリシア。

 俺はすかさず質問する。


「いまのは?」

「水魔術の水槍ウォーターランスよ。

 本当は氷系の氷槍アイスランスのほうが威力は高いのだけれど、今回は威力を求めてはいないから」


 すらすらと答えるアリシアに俺は実演の中でひとつ、気になったことを質問してみる。


「一つ聞きますけど、さっき二つ詠唱しましたよね?」

「えぇ、先に水球を作る詠唱をしてそれを水槍の詠唱で変化させたの」


 通常、水槍の詠唱をすると自動的に水球を生成し槍の形に変化させる。


 だが、彼女はそれをわざわざ水球を作る詠唱をしてから水槍の詠唱をして形態を変化させたのだ。


 これでは言うまでもなく二度手間である。


「何故、二回に分けたんです?」

「特に意味なんてないわ。

 ただ、あなたが最初に教えてくれたようにこういうことができるって意味でやってみせただけ」


 アリシアは肩をすくめてみせた。


「でもお嬢様は俺が目覚めた時、詠唱なしで魔術を使ってましたよね?

 無詠唱については書いてなんて書いてありませんでしたよ」


 俺は最初に会った時を思い出しながら訊ねる。


 さっきは手本として詠唱をしていたが、彼女は最初俺に魔術を見せた時は詠唱をしていなかった。


 それが気になって、隅まで教本を読み通したが無詠唱についての記述はほとんどなく、あったのは昔に無詠唱の使い手が何人かいたと書かれている程度だ。


 俺の質問にアリシアはイタズラの成功した子供のように舌を出した。


「まぁ、これは裏技みたいなものなの」

「裏技、ですか?」

「普通は詠唱すれば魔術は発動するけど、その時の感覚を詠唱なしで再現することが無詠唱なの」

「つまり詠唱というのは、魔術を行使させるためのプログラムソースのようなものということですか?」

「ぷろ……、なにそれ?」

「いえ、気にしないでください」


 詠唱を唱えるだけで魔術は半ば自動的に作動する。

 無詠唱は詠唱によって自動的に発動するプロセスを自らの意識のみで行使することだ。


 要は詠唱はプロセスをしっかり踏むためのいわば自転車の補助輪のようなものだ。


 無詠唱で魔術が使えるというのは、その補助輪を外し、自分の力だけで自立できるようになった状態なのだろう。


 そうやって俺が頭の中で自分なりの言葉で要約していく。

 そんな考え込む俺を、アリシアは微笑ましそうに見ていた。


 だが、その笑顔は何処か悲しそうに見える。


 原因はやはり、教えたことを忘れていると思われている俺のせいだろう。


「さぁ、今度はジークの番よ。私がやったようにやってみて」

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