第8話

 ぼうっと朝のことを思い出していると、ズシャアァと盛大な物音に俺の意識は引き戻される。


 見ると、アリシアが盛大にすっ転んでいた。


 どうやら勢いをつけた渾身の一撃をカミュにあっさりと躱されたらしい。


 あまりにも激しい音だったので地面に据えていた腰が浮きかけるが、アリシアはすぐにむくりと起き上がる。

 その顔や髪は汚れていたが、何事もなかったかのようにまたカミュへと突っ込んでいく。


 この少女かなり打たれ強い性格らしい。


 朝の華やかで明るい印象とはまた百八十度違うものだ。


 俺が見ている限り、彼女は朝食をとってからずっと動きっぱなしだ。

 朝食からこの打ち合いに至るまでに、ランニングに筋トレ、素振りに型の練習とそれなりに様々なことをやっているのだ。


「止め、一度休憩だ」


 しばらく、無言で打ち合いは続いていたが、カミュのその声でアリシアは突っ込むのをやめて木剣をおろす。


 それまでうっすらと感じられた気迫が溶け、緊張していた筋肉が弛緩させるのがこちらにまで伝わってくる。

 激しく息が荒れており、せわしなく胸が上下していた。


 対するカミュは、汗ひとつかかない涼しげ表情で指導の言葉を述べる。


「力みすぎだ。右手は力を抜いて柄に添えるぐらいでいい。

 もっと左手を意識して軽く構えろ。打ち込む一本一本に神経を研ぎ澄まして鋭く振れ。

 あと、上段からの切り込みが多すぎる。そんなのではすぐに相手に見抜かれるぞ」


 そう矢継ぎ早にそう言って、カミュはアリシアから離れる。

 その背後でアリシアが小さく会釈し、座り込むのが見えた。


 つかつかとこちらにやってきたカミュはなにをする訳でもなく俺の隣に座ると、唐突に口を開く。


「何か思い出したか?」

「いえ……」

「そうか……。まぁ、ダメもとだったからあまり期待はしていなかったがな」


 そう呟くとカミュは黙ってしまい、生まれた沈黙を埋めようと俺は言葉を紡ぐ。


「あの……もしかして俺も、彼女と一緒に剣術の訓練をしてました?」


そう問うと、カミュは驚いた顔で俺を見た。


「なんだ、思い出したのか?」

「いえ、そういうわけじゃありませんよ」


 彼女らの稽古を見て何かを思い出したわけではない。

 なんとなくそう思っただけだ。


 剣術の時間が暇だと、体を動かしたくもなるだろう。

 この世界にサッカーや野球などのスポーツがあるのかどうかは知らないが、ここがゲームや小説などで得た俺のイメージするような世界ならば――、


「やっぱり剣術を教わるのは魔物、とかと戦うためですか?」

「ここいらの一帯は数は少ないが、いるところにはそういう生物いきものはいる。魔物以外にも人間などとも剣を交えることもある」


 やはりか。

 そういうことなら少なくとも自衛の意味で剣術は実用的だろう。


「確かにお前は姫様と一緒に剣術の訓練をしていた」

「彼女はいいかもしれませんけど、僕に剣術を教えるのは給料も出ないタダ働きなんじゃないんですか?」

「なに、持ちつ持たれずの関係というやつだよ。剣術を教える代わりに私も簡単な魔術についての教示をしてもらった」


 それは知らなかった。


 なるほど。

 ギブ・アンド・テイクということか。


 俺が彼女に剣術を教わる代わりにこっちは魔術を教える。

 それはかなり良好な関係を築けているという証と言えるだろう。


 どうやら体の持ち主は肉体年齢は十四歳でも精神的には非常に大人びていたらしい。


「まぁ、お前の場合は剣術というよりも弓術などのほうが優れていると私は考えているがな」


 ふっと笑ったカミュの言葉に今度は俺が首を傾げる。


「弓術って、弓ですか?」

「あぁ、前にお遊びでナイフ投げなんかをやらせてみたが、お前は初心者にしては非常に優秀だったよ」


 そう言ってカミュはお前は投げる、射るに関する分野でのセンスはトップクラスだろうと付け加えてくれた。


 それを聞いた俺は顎に手を当てて考え込む。


 俺はこの世界に関する予備知識なしで目覚めた。


 だということは前の意識――本来のジーク・ラングランドの得た知識などが受け継がれていないということだ。


 恐らくは憑依という形で、前のジークの意識の上に俺の意識が上書きされたのだろう。


 だからこの世界に関する知識がない。


 そこから考えると、前のジーク・ラングランドが投げナイフが得意だからって、その能力ステータスが俺に受け継がれるとは考えにくい。


 むしろ受け継がれない線が濃厚と考えておいた方がいいだろう。


 期待はしない方がいい。

 俺の意識が入った時点でこの体が前の物とは違うのだ。


「それにしてもよくわかりますね。そんな事」

「私の種族はそういうのが得意だからな。見ていれば分かる」


 俺は特徴的な耳のほうへ視線を移動させる。


「種族っていうのはやっぱり……」

「エルフのことだ。

 私たちの種族は基本的に森林に暮らしていて森で狩った獲物を売る時以外などは森を出ることはない」

「そうなんですか……」


 自然な流れで適当に相槌を打つ。


 どうやらエルフの生態は俺が知っているフィクションの中での大まかな情報と合致する部分が多いようだ。


 だが、そこで俺の中にある疑問が浮かぶ。


「なら、どうしてカミュはこんなこところに? エルフは基本、森から出ないんですよね?」


 そう問うと、カミュの目がぎょろりとこちらを向く。

 向けられた眼光の冷たさに一瞬顔が引きつるが、カミュはすぐにふっと笑みを作った。


「逃げ出してきたんだよ、故郷から。そうじゃなければ私はここにいない」

「それはまた、どうして?」


 この世界のエルフが俺の知っているのと同一なら人間に比べれば澄明なはずだ。

 まだ見た目が二十代のカミュなら親も存命だろう。


 だというのに故郷を捨てて、こんなところで剣士やっている。


 それなりの理由があるはずだ。

 そう思っての問いかけだった。


「嫌だったんだ、村の空気が。だから村から逃げ出し人に混ざって生活して、冒険者となって最終的にここにたどり着いたというわけさ」

「帰りたいとは思わないんですか?」

「思わない」


 カミュは即答で断言する。


「自分の意志で私は逃げたんだ。今更それを変えるつもりはない。それに私にはもうコイツがあるからな」


 そう言って、コツコツと自分の腰にある剣を叩いた。

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