第6話

「千六十一、千六十二、千六十三……」


 部屋に空虚な俺の声が響く。


 外は曇っているのか、窓から月明かりが差し込んだり消えたりを交互に繰り返している。


 すでに夜は更けていたが俺は眠れずにいた。


 こうやって頭の中で千匹以上の柵を超えた羊を数えているが眠気が訪れる気配はなく、目だけが夜に慣れていく。


 体は睡眠を欲しているようだが、脳はそんなものは必要ないとでもいうように目覚めてからの思考を保ち続けていた。


 俺は仕方なく眠くなるまで脳を酷使してやろうと思い、自らの意識の奥深くへ潜航する。


 カミュに頼んだ食事は彼女たちが去ってからメイドさんが持ってきてくれた。


 まったく見たことのない物が出てくるのではないかと少し身構えたのだが、特に何と言うことはない。

 普通の陶器の食器に置かれたパンや白いスープが出てきただけだった。


 俺はその食事を何の文句も言わずに黙々を食べきった。

 元から食に関してはあまり頓着しないタイプだ。


 食事はあってもなくてもどっちでもいい。

 だが出されたりしたものなら、余程マズいでもない限りはちゃんと食べてみせる自信はある。


 いままでそういう気概だったので、普通に出されたパンとシチューに近い乳白色のスープを食べきり、感謝の意を込めてごちそうさまでしたと手を合わせた。


 味の評価としてはまずまずだ。


 それからすることもなく、ただこうしてぼうっとベッドの上でのんびりしていた。


 建物の中を色々と見てみたかったのだが、途中で倒れてここで目覚めるのがオチだろう。


そうしている間に日が暮れて明かりのない部屋はすぐに暗くなった。

 だが俺は薄暗い部屋の中でクリアな頭で天井をジッと見ている。


 規則正しい生活を意識しているせいで相変わらず眠気を感じるはずと体感覚は告げているのだが、目は冴えたままだ。

 脳が休みたいというまでにはまだもう少し足りないらしい。


 少し前世のことを考える。


 あの後、俺は一体どうなったのだろう。


 多分、少なくとも前世の俺は死んだことになっているはずだ。


 あの距離では電車は避けようもない。

 なら俺の体はあの線路上に留まり、車輪に潰され引き裂かれ、線路にその臓器や砕けた骨をぶちまけているのだろうか。


 つい自分の死に様を想像してしまう。


 だけど、後悔や自己嫌悪はなかった。

 先に少女の体が線路の間でバラバラに散らっているのを想像していたからだろう。


 一人の少女の未来がなくなるよりは自分の死に顔なんて笑い飛ばせるほどに安い代償だ。


 しかし、惜しいなという思いもあることにはある。


 自宅のパソコンの中には未完のままの小説や原案が山ほど詰まっている。

 それらを完成させることが出来ないのは実に口惜しい。


 もし今日死ぬことが分かっていれば、死に物狂いで作品や原案を書き上げられるだけ書き上げただろう。


 そんなことを考えると俺は前世の未練を次々に思い浮かべてしまい、自分が死んだことを再認識すると同時に少しばかり落ち込む。


 だがそこで終わりだ。

 どんどん暗い方向に流れていることを感じ取り、俺はそこで暗い考えを一度止める。


 死んで転生した今ではすべては後の祭りだ。

 後悔しても仕方ない。


 だいいち、小説なんてまた一から書けばいい。

 この世界にも紙とペンくらいはあるだろう。


 受け入れられるのかどうかは分からないが、書くのは自由だ。

 それでお金を稼げるならなおよろしい。


「なら、まずはこの世界の調査リサーチから始めないとな」


 天井を見据えたまま小さく呟いた俺は自然と目の前で魔術をやってみせたアリシアの姿を思い出す。


 本物だった。

 少なくともマジックや手品の類ではない。


 手のひらから炎を生み出した彼女の姿が目に焼き付いて、頭の隅にこびり付いている。


 あれは確かに人間も焼くことができる本物の炎だった。


 何処かで納得しがたい気持ちあったが、あれを見た瞬間に完璧に認めざるを得ない。


 ここは異世界であり、今の俺はジーク・ラングランドという名の少年であることを。


 でも同時に心の何処かで大いに好奇心を刺激されていたのだと思う。


 偽物ではない。

 本物の剣士や魔術師がこの世界では実在するということに。


 魔術は、前世ではフィクションのファンタジー世界にしか存在しなかったものだ。

 それがここでは日常的に理解されて使われている。


 剣だってそうだ。

 前世で戦場を闊歩していたのは、銃を持った兵士や高度な管制システムとコンピューターに制御された戦車や戦闘機だ。


 既に剣や槍、投石器を使った戦いは廃れていまや歴史や武芸の域に落ち着いている。


 だがここでは死なない試合殺し合いや見せるための芸ではない。

 本物の殺し合いを行うために剣と力が振るわれるのだろう。


 そう考えてみると、フィクションやおとぎ話のような場所であろうこの世界に興味を抱かないわけがない。


 誰しも子どもの頃に別の世界――例えば本の世界に入り込んで一時の非日常を体験したいという願望を抱いただろう。


 もちろんここは子どもに読み聞かせるおとぎ話のように優しい世界ではないだろう。


 しかし俺はこの世界に期待した。

 そう思うことにした。なぜならその方が――


「楽しいもんな」


 知りたい。

 魔術を、剣術を、人々を、この世界を。


 世界の全てを貪り尽くして自身の糧にしたい。


 そんな欲が溢れ出る。

 ここまで感情が昂ぶったのはいつ以来だろう。


 興奮した感情で世界の色々なことを想像してから、ゆっくりと感情を鎮める。


 感情で行動するのは魅惑だが危険だ。

 それでまた命を奪われるようなことになるのは御免だ。


 命はとても大切だ。

 それは一度死んだことで身に染みている。


 命は電化製品でいうところの乾電池に等しい。

 時間が経てば電池が切れるように命もいずれなくなる。

 人間の場合は不慮の事故とか寿命が基本だ。


 電化製品は命である電池を交換すればまた動き出すが人間はそうじゃない。


 命は取り換えられない。

 無くなってしまえばそれで終わりだ。


 だけど俺はありえるはずのない新しい命を得た。


 何故だ?


 ただのどこにでもいそうな人間であったはずの俺がなぜ他人の肉体を得て、死なずに生きている。


 死んだ人間が全員そうなるとか言われてしまえばこの問題はそこで終わりだろうが、そうなのだろうか。


 分からない。

 なら俺は欲しい。


 この事象に対する答え解答、つまり生きていることへの意味答えが。


 それを得るまでは俺は死にたくない。

 いや死ねない。


 せめてこの答えを得てから死にたい。

 だから今度は、この命が疲れたというまで精一杯生きてみよう。


 そう思うと、自分の中で未だに燻っていた前世への未練が吹っ切れたような気がした。


「またここから始めればいい、か」


 再スタートは楽しみなものになりそうだ、と心の中で続けてから再び目を閉じる。


 二度目の試みはあっさりと成功し、俺の意識は眠りに落ちた。

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