第5話
三十分後。
俺は目覚めた部屋のベッドに座らされていた。
その傍らの椅子には悲しみ六割、怒り四割くらいのなんとも表現の難しい顔をしている少女。
背後にはしなやかな肢体が見て取れる黒のインナーとズボンの上から革ジャケットを羽織った色白の女性が腕を組んで立っている。
腰には細身の剣を差しているが模造の剣……ではないだろう。
「えーと……、もう一回だけ言っていただけます?」
彼女らを観察しつつ、状況が飲み込めていない俺は申し訳なさそうにお願いする。
少女の後ろに立つ耳の尖った女性は溜息をついた。
「だから、お前は魔術師で姫様の護衛と教育係を務めていたと説明したんだ。
なにか思い出さないのか?」
答える代わりに苦笑いを浮かべると、むっとした表情で睨み返されて再び溜息をつかれた。
気のせいか、なんかこの人の俺に対する対応がキツいというか、あからさまな気がする。
「本当に、なにも覚えていないの……?」
対して抱きついてきたほうの少女の声は震えており、顔は少し青ざめているようにも見える。
余程今の状況がショックらしい。
「面目ない…………」
頭を軽く下げて謝罪を述べつつ、俺は先程説明された事柄を整理してみる。
彼女らの話によると、俺の名前はジーク・ラングランド。
二年前からこの少女――アリシア・H・アルトリアの護衛と家庭教師を兼任する魔術師らしい。
その彼女の隣に立っているのが、俺と同じくアリシアの護衛と剣の教師を任されているカミュ・チェルクという女性。
説明されたことを簡単に整理してみたもののなにがなんだがさっぱり分からん。
とりあえず気になっていることから聞いてみる。
「えっと……あのー、その耳は?」
状況を説明してくれたカミュの長い耳を指さすと、驚いたように少し目を剥く。
それで素っ頓狂な質問をしてしまっていることに気付いたが、彼女は俺の質問に答えてくれた。
「私はエルフという種族でな。種族的な特徴でこういう耳なのだ」
…………マジか。
どうせ作り物だろと半ば馬鹿にしつつしてみた質問が、まさかの正解だと言われてしまった。
現実感のない事実に呆然としながら俺はさっきお願いして枕元に置いてもらった鏡を横目で見る。
そこにあるのは俺の顔。
だが、二十五年間見てきた顔ではない。
映っているのは、真っ黒な黒髪に黄金に近い瞳を持つ少年だった。
別人の顔と身分。
そしてエルフの存在。
小説なんていう妄想の塊を書いていた俺は、それだけで理解してしまった。
ここは俺のいた世界ではないと。
これまで生きていた世界とはまったく別の世界――有り体にいえば異世界。
そして俺はデビュー直前の二十五歳の小説家ではなく、ジーク・ラングランドという名の魔術師である。
それが結論だった。
視点がおかしいと感じたのは、身長が実際に縮んでいたからで錯覚なんかではなかったわけである。
「…………で、どうして俺は寝てるんでしたっけ?」
その結論を頭にゆっくりと飲みこませつつ、俺は尋ねる。
話はまだ途中なのだ。
二人は一瞬顔を見合わせ、先程と同じようにカミュが答えた。
「お前は三日前、襲ってきた暗殺者のナイフから姫様を庇ってずっと生死の境をさまよっていたんだ」
覚えてないか、と目で尋ねられるが俺は首を横に振る。
全く記憶がない。
それはそうだろう。
俺はこの世界の人間ではなく、アリシアを庇ったというジーク本人でもないのだから。
「本当に?」
「……えぇ、まったく」
この体の持ち主が守ったとされるアリシア本人はしょんぼりとした表情で肩を落とす。
もしかしたらジークは仲が良かったのかもしれない。
俺が一言発するたびにテンションの下がっていくのを申し訳なく思いつつ、試しに服の下の体を覗いてみる。
だがしかし、体に刺されたような傷はなかった。
「ナイフを受けたという割には傷が見当たらないんですけど……」
「当然だ。姫様が治癒魔術をお前にかけたからな。傷跡など綺麗さっぱりなくなっている」
カミュが小さな胸を張るように言った。
なぜこの人が胸を張るんだ。
内心ツッコミを入れつつ、頭を振る。
そこは今の論点ではない。
俺はさっきから気になった質問を繰り出す。
「その、魔術というのは一体なんなのですか?」
魔術――そう聞けば俺が思い浮かべるのは、ファンタジー関係の小説やゲームだ。
エルフ同様、ファンタジーな世界を構築するには欠かせないと言える力で俺の傷は治ったらしい。
しかもその術を掛けたのが魔術師である自分の教え子ときている。
これだけの情報で興味をそそられるのだ。
今の内に聞いておかねばなるまい。
そう思って質問したのだが、今度は大人しく椅子に座っていたアリシアが勢いよく椅子から立ち上がって詰め寄ってきた。
「いや……、そんな、まさか魔術まで忘れているの!?」
瞳に銀色に見える髪の間から覗く藍色の瞳が近づいてきて思わず目を逸らす。
俺は彼女の魔術の家庭教師でもあるらしい。
その師が自分の身代わりに傷を受け、目覚めたと思ったら何もかもを忘れていて、教えていたはずの魔術について聞いてくるというのは弟子としては衝撃的なのだろう。
「姫様、ジークは目覚めたばかりです。あまり詰問しないほうが」
「でも、今の彼は何も覚えていないのよっ」
「混乱しているだけかもしれません。
ですから、今は彼の質問に答えてあげてください。私よりは実際にご教示していただていた姫様のほうが魔術に関して詳しいでしょう」
カミュが冷静に肩を掴んで椅子に座らせる。
再び椅子に腰を落ち着けたアリシアは不満げな目をしたが、一呼吸置いてから咳ばらいをひとつした。
「魔術というのは文字通り、自身の中にあるとされる魔力を使って行う術です。普通は詠唱によって発動しますが、少し訓練すれば、このように――」
言葉を切ってアリシアが胸のあたりに手を持ってくると手から突然炎が生まれた。
ギョッとして体を引く。
だが、炎は変わりなく彼女の手のひらで踊り続けている。
大きくも小さくもならないそれに恐る恐る手を近づけてみると、暖かみを持ちつつも滑らかに肌を撫でる熱を感じることができた。
「――このように詠唱なしに魔術を使うことができます」
手のひらを閉じてもう一度開いてみると炎は跡形もなく消え去っていた。
俺は初めて火を見た原始人のようにポカンとしていただろう。
開いた口が塞がらないというのはまさにこういうことだ。
「……すごい、すごいですよッこれ!
「あなたが教えてくれたのよ……」
興奮する俺に対し、アリシアはキョトンした顔をした後に顔を逸らしてしまう。
その塩対応にお前が教えたんだから覚えていろよ、と言われている気がして俺は満面の笑みを苦笑いに変える。
「姫様、詳しい話は明日にしましょう。ジークも今日は休め。病み上がりでは疲れているはずだ」
会話の合間を見計らってカミュが割り込む。
特に断る理由もなかったので俺も頷く。
聞きたいことがわんさかとあるので正直引き留めていたかったが、体はまだ完全回復していないのか
何事も体が資本だ。
今日は大人しく従うとしよう。
二人が扉へと向かう。
アリシアは立ち上がり際にまた明日に来るからと嬉しい一言をくれたので返答の代わりに笑顔を返した。
そして部屋から消える直前、カミュが閉まりかけた扉から顔を出した。
「そういえば、何か欲しいものや必要なものはあるか?」
「出来れば、なにか食べ物をお願いします。えっと……」
「カミュでかまわん。前のお前もそう呼んでいた」
「そうですか、ならお願いします。カミュ」
そう言って俺は軽く頭を下げた。
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