第30話 サノのレポート
僕の名はサノ ツカサ、23歳になったばかりの独身男だ。都内の国立研究所に勤めて5年目の、研究者としてはあまり特徴のない一人だと思う。ただ他の人と違うのは、数日前に他次元世界に誘拐された経験を持っていることだ。
これは相当に稀な体験だと思うけど、もし他の人に「ぼく他次元に行ってきたんだぜ」と自慢しても「こいつクレイジー」とか「ドラフトチャンバーの外でシンナーか純アルコール使った?」と思われるのが関の山だろう。なので自慢できない。ちょっと残念。
とはいってもやはり超レアな体験なのは間違いないし、個人的にもいろいろ勉強になった事も多いので、忘れないようにレポートにまとめておこうと思う。
◇
まず前提である条件と環境を書かなくては。他次元とは地球とはまったく異なる次元だ。その次元に地球はない。でも人間がいる。収斂進化によるものだろうと推察する。
次に誘拐の発生状況だ。5月の第2木曜日の夜11時ごろ、自分が勤める研究所の実験室に、突然なぞの球体が空間転移 ―― いや違う、次元転移だな ―― によって現れた。
その球体は記憶の限りではあるが、直径3メートルほどの真円球状で、色は緑色で半透明に近かった。やはり円球は自由エネルギー効率や表面積の最小化、そして耐圧構造としても優れており、次元を超えるにも最適な形状なのだと考えられる。その球体が現れてほんの2〜3秒後に、僕はその球の内部に取り込まれた。球の内部でも普通に呼吸は出来たけど、視覚や聴覚などの感覚が消えたのは覚えている。
その後、経過時間もわからず、気付いたら別次元の空間に立っていた。不思議と慌てたり恐怖する事もなかったので、多分あの球体は次元転移の機能の他に、誘拐した人間の興奮などといった感情を抑える機能も持っているのだろう。球体は次元転移して地球で目的の人間をすぐさま拉致し、また元の次元に戻ったと仮定すると、恐ろしく機能的で優秀だ。シンプルイズベスト、サーチ&キャッチ、よくあそこまで機能を徹底できたと思う。球体設計者の話を一度聴いてみたい。
……話がズレた。他次元に誘拐された僕は、そこで誘拐犯の女にそのまま捕縛され、即座に自分の身体を凍結保管された。そして体から魂だけを取り出されて、『エーテルボディ』というその次元で開発された人工の身体に移されてしまった。
その次元は地球よりはるかに科学が進んでおり、人間から魂を移植してしまったり人工生命体の極地とも言えるエーテルボディといった技術にも驚いたが、有人宇宙船や軌道エレベーターといった既存設備もすごかった。また転送技術やモノポールなど、今の僕には理解できないものも多数存在していた。
そんな世界で僕は自分の体を取り戻して地球に帰るため、誘拐犯が出した条件に従い、とある惑星に墜落した宇宙船の中を探索する業務についた。なおその惑星には、僕以外にも地球や他の次元から誘拐された人が約50名ほどおり、同じように宇宙船内の探索に従事させられていた。
また宇宙船が墜落していた惑星の衛星軌道面にはポータルという人工の建物があり、探索の拠点だけでなく誘拐された人間の身体の保管場所にもなっていた。誘拐犯はそのポータルの管理責任者でもあり、最終目的は墜落した宇宙船の制御コアを掌握する事だった。
宇宙船内部には制御コアによる防衛システムが働いており、それを突破するための手段がエーテルボディを使った尖兵だった。エーテルボディは人間の魂を入れて動く人工身体であり、地球上のあらゆる動物を超えた身体能力に加え24時間動ける継戦能力を有し、魂が無事であれば体はいくら破壊されても問題ないという、不死身のスーパーマンだ。
そのエーテルボディを使って危険な探索任務をさせるために、誘拐犯は地球を含めたいろいろな次元から人間を誘拐していた。なぜ他次元からわざわざ誘拐してくるのか? 理由は軍事用エーテルボディと適性が高い魂は、他次元の人間の方が多いから、らしい。僕としては更に他次元から誘拐すれば自分の言いなりになるとか、その魂が事故にあってもごまかせるとか、そういう誘拐犯の思惑もあったのではないかとも思っている。
さてエーテルボディの体になってしまった僕を含めた計62名の人間は、惑星上空のポータルを拠点にして、地表に墜落した宇宙船を探索する任務を負った。自分の体を人質に取られた以上、僕も他の人もみな誘拐犯の言う通りにならざるを得なかった。
エーテルボディは不死身で24時間不眠不休で食事もなく動く。それでも宇宙船内部の探索は困難を極めていた。理由は宇宙船側が探索者をありとあらゆる手段で拒んだからだ。様々な防衛システムに加え、宇宙船内部には改造された生物兵器が徘徊していた。なかでもメデューサという怪物は、エーテルボディの探索者たちが束になっても適わない最強の存在だった。幸いというべきか、メデューサは1体だけだったので大人数で対処することで、何とか探索を続けている状態だった。もしメデューサが3体いたら、宇宙船内部での探索は一切進まなかっただろう。
そんな状況で宇宙船内部を探索する傍ら、僕は他の人や宇宙船側の協力を密かに集め、さらにメデューサとも意思疎通を図って共同戦線を組んで、とうとう誘拐犯に逆襲し捕縛する事に成功した。
最終的に誘拐された全員が人間の体を取り戻し、僕も無事に地球に帰ってきた。以上が他次元誘拐事件の概要である。ちなみに逆ウラシマ効果と言うべきか、他次元には8ヶ月ほど居たのだが、地球に戻ると10時間程しか経っていなかった。素晴らしい。
◇
補足として、誘拐犯そのものについても記述しておこう。まず犯人の名前はマール、性別は女、年齢は35歳、外見は銀の長髪に赤い目をしたヒステリックな美人、そして向こうの次元でも相当に評判が悪い女だった。
マールはもともと政府機関の人間で、墜落した宇宙船の探索拠点であるポータルに、秘書のような補佐的立場で派遣されてきた。しかしポータル責任者である上司を事故に見せかけて殺害し、他にもいろいろやって勝手に責任者の地位に就いたらしい。それどころか本来なら仲間であるはずの現地の軍人も騙して、最終的にポータルを完全に自分の支配下においていた。実際、僕が誘拐された時には、ポータルにはその女しか生身の人間はいなかった。マールは自分と同じ次元に住む人間すらも魂を抜き取ってエーテルボディに入れ、自分の言いなりにしていたのだ。
マールを捕縛した時、その扱いについて僕は悩んだ。考えの一つに、現地の上層部にその女の悪事を報告して処罰してもらうという選択もあった。でもそんなバカ女を長期にわたって放置しておくような上層部には期待できない……ので現場判断でその女の被害を最も受けていた宇宙船側にその身を委ねる事にした。今、誘拐犯の女は墜落した宇宙船の中に魂を囚われているはずだ。
そうだ、その女に騙され言いなりになっていた現地の軍人さんにも、後始末について頼んでいたんだった。その軍人さんの名前はミガディ、たしかその惑星派遣部隊の責任者だったはず。どんな会話をしたっけ……
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