ミガディの母星奪還記

第29話 アイトの独白

私は絶望していた。



私の名前は相藤カナ。来月の誕生日で19歳になる。3つ下に妹がいて、自分では仲が良いと思う。私はこの春から都内の大学に通っている。父親は大学へは家から通えるんじゃないか?なんて言ってたけど、新幹線で片道1時間かけて通うのは無理。そう言って何とか説得して、大学から電車1本で通えるごく普通の学生向けアパートで一人暮らしを始めた。



大学や日々の生活にようやく慣れ始めて、夏休みに向けてアルバイトでもしようかなと考え始めた頃に、私は異世界に攫われてしまった。木曜日の夜、サークルからの帰りでアパートの駐輪場、周りにはだれも人がいない時だったと思う。緑色の光に突然包まれて、気付いたら異世界だった。そこにいたマールという女性に魂を取り出されて、エーテルボディという死なない体に入れられてしまった。その時から余りにつらい日々が始まってしまった。



異世界には3年以上も居たのに、無事に地球へ戻ってきたら誘拐された時から3日しか経っていなかった。異世界に居た時は、両親は心配してるんじゃないか、大学から除籍されているんじゃないか、警察に捜索願が出されてニュースで話題になってるんじゃないか、そんな事をいつも思い悩んでいた。なので地球に戻って3日間しか経っていない事を知った時は安心のあまりに思いっきり泣いてしまった。


地球での空白の3日間は週末の事だったので、大学は金曜の一日休んだだけで済んだ。友達には急病だったことにした。家賃やスマホとかの支払いは大丈夫だった。生ゴミが少し臭った程度で済んだし、幸い実家からの連絡も無かった。私という存在が地球上から消えていた3日間は世間的にほとんど影響がなかった。



でも私の内面が受けた影響はとても大きかった。異世界で3年以上も、地球とはまったく異なる生活をしていたのだから。魂を抜き取られて、不死身で睡眠も食事もいらないエーテルボディというロボットのような体になってしまった。私を誘拐した人間の言いなりとなって、終わりが見えない中で毎日必死でダンジョンなんていう訳のわからない場所で探索や諜報活動と戦いを繰り返した。様々な怪物に何度も殺意を向けられ、生き延びるために自分より大きな怪物と何度も戦った。そんな辛くて悲しくて怖くて苦しかった3年間の経験があまりに強すぎて、アパートの部屋に戻ってきても誘拐される前の生活がなかなか思い出せなかった。



スマホやノートだけでなく、大学の入学式で配布されたシラバスまで引っ張り出して、ようやく月曜日の講義に普通に出る事ができた。それでも最寄り駅に着くまで不安で仕方なかった。大学について、久しぶりに友達の顔を見た時、やっと地球に戻ってきたんだと実感した。こらえきれずに涙が出てしまって、周りを慌てさせてしまい、花粉症という事で何とか誤魔化した。


地球の暦の上では3日程度のブランク、でも私にとっては異世界で食べることも眠ることもしないまま、3年という長い間を絶望の中で必死に生き抜いてきた。おかげで食事や睡眠を忘れる事もしばしばあった。なかなか元の生活に慣れないまま、あっという間に次の日曜日が来た。



この一週間、毎日のようにダンジョンやエーテルボディだった時の夢を見る。真夜中に自分の叫び声で目を覚ましてしまう事もある。死と隣り合わせなのに死なない悪夢のような3年間を思い出すと、今でも冷や汗がでる。異世界では危険な事ばかりで、何もいいことは無かった……ううん、少しだけ良い事もあった。


エーテルボディの『金狐』だった私は、他の誰よりも速く疾走した。全力で駆ければ、ダンジョンにいた恐ろしい怪物達も私の動きを追えなかった。飛び跳ねれば羽のように軽く、壁も天井も怪物も私の障害にはならなかった。暗闇でも遙か先まで見通せたし、目で見なくても近くであれば周囲すべての動きを完璧に把握できた。あの金狐の持つ万能感は本当に凄かった。地球に戻った今でも、もし金狐の体なら電車を使わなくても大学まで5分掛からないで通えるだろうし、目を閉じたままスカイツリーの頂上まで登りきれる自信がある。ダンジョンの中にいた怪物は怖かったけど、最終的にはメデューサ以外には負けなかったし、メデューサには刃が立たなかったけど自分が攻撃を受ける事も無かった。


命をかけた怪物との戦いなど、地球には存在しない。だから忘れた方がいい。……なのにどうしても全身全霊を掛けて戦った時のこと、そして生き延びたことが脳裏に焼き付いている。いえ、体はエーテルボディだったのだから、魂に焼き付いている。認めよう。辛くて大変だったけど、私は金狐の体が好きだったんだ。



あと人間の体に戻る際に、誘拐されたお詫びとして免疫賦活?というご褒美をもらった。これによって病気や怪我にとても強くなり、老化も若干だけど抑えられるんだとか。地球の科学ではぜったいに不可能な、まるで魔法のようなご褒美は、正直うれしい。実際に毎年悩まされていた花粉症が治ってたし、気になっていた顔のニキビ痕もきれいに消えていた。



もう一つ良かった事、それは同じ地球から来たサノさんに会えたこと。サノさんのお陰で人間の体を取り戻し、再び地球に帰って来られた。あの地獄のような日々から心も体も救い出してくれたサノさんには、感謝してもしきれない。もう一度サノさんに会いたい。この地球でお互い人間の姿で会いたい。会ってたくさんお礼を言いたい。お礼を言うだけで良いのかな。とにかく会いたい。


向こうでの3年間は地球で3日程度だった。ならばやるべき事があるといって向こうに残ったサノさんも、もう地球に戻ってきているハズ。異世界での別れ際に、サノさんが日本に戻ったら、私に会いに来てくれるように約束した。サノさんに私の名前も住所も大学も電話番号も教えた。なのにまだ何も連絡がない。向こうで何かあったのだろうか?でもあのサノさんだから絶対に大丈夫だと確信できる。



……待って?まさかサノさん、私のこと忘れてない?



私は絶望していた。


あー!なんで私、地球に戻る前にサノさんの住所と電話番号訊かなかったんだろう!サノさん、超忘れっぽい人だったじゃない!サノさんに連絡してもらうより、私がサノさんに連絡した方が早いじゃない!


……そっか、男の人に名前とか聞くのに緊張しちゃったんだ、私。エーテルボディだった時は全然気にならなかったけど、人間の体に戻ったら恥ずかしいって気持ちが溢れてきちゃって、サノさんにいろいろ聞けなかったんだ。


それに私が地球に戻る時、サノさんはまだエーテルボディのままだったから、人間の姿を見てない。それもあって余計にサノさんの事を聞けなくなっちゃって……



……あ、人間のサノさん見てた。サノさんの服を脱がしたの私だった……顔どころか裸まで全部見てた……恥ずかしがるどころの話じゃなかった……私のバカー!



僕が他次元でエーテルボディに魂を入れられて、墜落した宇宙船の中を探索していた時、最初にアイトという名のサポート役がついた。アイトさんは僕と同じ日本に住む女の子で、僕より前に誘拐され、やはりエーテルボディに魂を入れられていた。本人はつらそうだったけど、アイトさんは誘拐犯マールのお気に入りだったらしく、彼女の目となり耳となるようにこき使われていた。


マールを捕らえたときに、これでアイトさんを開放してあげられるなと安心した事を覚えている。彼女も無事にエーテルボディから人間の体を取り戻し、地球に戻っていった。宇宙船の探索でアイトさんにはたくさん助けてもらったし、別れ際にもらったお礼の言葉だけで僕は充分だった。もうアイトさんと会うことはないだろうけど、彼女も日本の何処かで元気でやっているだろう。本名は忘れてしまったが、とてもいい子だったな。


僕も無事に他次元から日本に戻り、そして半年ぶりに日常を取り戻した。少しのんびりしたかったけど、研究が切羽詰まっていて、宇宙船探索の時とはまた違った多忙な生活が再び始まった。

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