エピローグ:ゆりかご

「明日になればより素晴らしい未来が待っているだろう」

――― ダン・クエール




「う……ここは?」


 気が付けばオリヴィエは、どこかの家のベッドに寝かされていた。

 身を起こして体のあちらこちらをじっくり見るが、どこも欠けているところはなく、あの気が狂いそうなほどの灼熱ももはや感じることはない。

 ただ、体感的には魔力がほとんど底をついていることだけは気がかりだった。


「生きてる。すべて消えたと思っていたのに」


 こうなった理由には何となく想像がついた。

 意識を手放す直前、オリヴィエの脳内に微かに届いたあの言葉――

 一体どうやってかは知らないが、たびたびオリヴィエの前に立ちふさがったあの天才少女が、首都のバックアップサーバをハッキングして、ブレイズノアの焦土化プログラムを打ち消すだけでなく、オリヴィエの肉体まで再構成したのだろう。


「貸し一……ね。正直、あの子に借りを作るのは嫌なのだけれど、命を助けてもらった手前文句は言えない……か。まあ、顔を合わせたら、お礼の一つくらい言ってあげるのも、悪くないかもしれないわね」


 いつまでたっても、素直になれないお年頃のようだ。


 そんなことを思っていると、木製の扉がコツコツと控えめかつ規則的に鳴ると、見覚えのあるが入ってきた。


「マスター、お目覚めになりましたか」

「サイブレックス、無事だったのね」

「もちろんです。私、高性能ですから」

「くすっ、そうよね。あなたは私やシャザラックの技術の結晶だもの、簡単に壊されたらたまらないわ」


 宇宙空間で祖竜相手に壮絶な白兵戦を繰り広げたサイブレックス。

 戦場では幾度も損傷したが、その都度驚異的な修復力で復帰し、現状では損傷は見当たらない。

 寝たきりになっていたオリヴィエの面倒を見ていたのももちろん彼女だ。


「無事といえばこの方も」

「…………」

「!! あなたは!」


 サイブレックスに促される形でおずおずと入ってきたのは、白い修道服を着た伏し目がちの女性――――クラリッサだった。


「たしか、行政委員のクラリッサだったかしら? まさか女神リアの加護を得てまで加勢してくれるなんて……とても助かったわ」

「…………」

「うん? 戦場ではあれだけ血気盛んだったのに、随分とおとなしいんじゃ…………いえ、まさか貴女」

「マスター、クラリッサ様は視覚と聴覚を失っています。私の高性能な医療技術でも直すことはできませんでした。視神経と耳小骨自体が機能していません」


 オリヴィエの声に全く反応しないクラリッサだったが、どうやら彼女は神の力を代理行使した反動で視力と一時的に失っているようだ。

 それでも、それ以外の感覚は生きているようで、オリヴィエの前で立ち止まった際、僅かな空間把握力でオリヴィエが目の前にいることを認識したらしい。


「この度は……ご助力……ありがとう……ございました。暗黒竜王は……打ち取られ……平和を、取り戻し……ました。リア様……も、きっと……よろこんで、おられる、でしょう」


 今のクラリッサは外からの情報だけでなく、自ら発する言葉も聞こえていないのだろう。まるで闇の中を探るように、おずおずとした言葉だったが、それでもなお声色からは安心と、オリヴィエたちへの感謝があるように思えた。


 オリヴィエはふぅとため息一つつくと、少しだけ感覚を集中させ、術力による念会話をクラリッサ相手の脳に直接送った。


『礼を言うのはこちらの方よ。異世界から来たとはいえ、私の故郷を護るためにともに戦ってくれた。あそこに貴女が現れていなければ、今頃銀河ごと崩壊していたかもしれない。あなたの言う「女神様」にも、が感謝していたと伝えてちょうだい』

「……はい」


 宇宙空間でクラリッサが敵味方と脳内会話ができていたのもまた、リアの加護による能力の一つ。よって、それが失われた今は、オリヴィエのように相手の脳内に直接言葉を贈ることはできなかった。

 その代わり、クラリッサは目を伏せながら温和な表情でにっこり微笑んだ。


「助けられたのは……私、もです。私だけ……では、文字通り……代償として、この身が……消えていた、でしょう。まだ……リア様の、お力に……なれる。それだけで…………十分です」

『光と音をとられたというのに、随分と余裕じゃない。まあ、その様子だとそう遠くないうちに回復しそうね。ま、私は私で人のこと言えないけど』


 そう伝えながら、オリヴィエはサイブレックスに窓を開けるように言った。


 窓の外に広がるのは、なんの変哲もない住宅地と青い空だが…………「この場所」ではその光景が異常なことはよく知られている。

 オリヴィエも何となく察していたのだが、今彼女がいるのはエリア5「フロストマキア」、その中心に存在する唯一の町「ウインタードリームカントリー」の一角だった。

 窓から入る風は涼しく穏やかだが…………少し前までは、それこそ毎日-20℃以下という超絶極寒で、窓を開ければ吹雪で部屋が凍り付いてしまっていた。

 だが、オリヴィエが宇宙でブレイズノアとの戦いで、クオルト氷壁に内蔵されていた超巨大スーパーコンピューターが完全に故障してしまい、結局その後始末としてサイブレックスが山脈ごと残骸を一掃した。


 エリア全体を凍てつかせていた元凶が、地形ごとなくなってしまったことで、ここウインタードリームカントリーは一気に過ごしやすい気候になったほか、隔絶されていた山脈の向こう側の荒野に簡単にアクセスできるようになった。


「っていうか、私はどれくらい意識を失ってたのかしら」

「本日でちょうど2週間です。町中央の燃焼装置は停止し、今は北方の未踏破地域を調査するため、探検者グループの拠点と化しています」

「そう……このエリアが凍り付いていたのは私たちのせいだから、必要がなくなればこうもなるわ」

「あと、とある登山家の方からは「でかい山が2つもなくなっちまったから、新しい登りがいがある山を作ってくれ」との依頼が」

「馬鹿じゃないの。ま、もしかしたら、女神様とやらが新しく遊び場を作ってくれるかもしれないわね」


 相変わらずのマイペースな現地人の要望に苦笑いしつつも、オリヴィエはクラリッサの手を取って、立ち上がった。


「本国は何か言ってるかしら? 辞表書けとか」

「そのような報告は来ていません。むしろ、マスターの戦闘データから多数の未知の情報が得られたということで、本国は賑わっているようです。サー・シャザラックも、衛星基地でレポート作成に没頭しているようです」

「全くどいつもこいつも、本当に、バカばっかりなんだから。まあ、私もそんなバカの一人ってところかしら」


 相変わらずの口の悪さだったが、今まで背負った重圧から解放されたからか、それとも新しい体が思ったよりもなじむのか、オリヴィエはルンルン気分でお湯を沸かし、お手製のハーブティーを3人分注いだ。


「カモミール、ローズマリー、ミスジェサップ。これを5:3:2でブレンドして、ステビアを気分で一つまみ。これは、私が記憶している中で最も古い知識よ」


 寒冷だったこの地でも生える、体が温まる成分を持ったハーブを使ったハーブティーは、今は無きオリヴィエの生まれ故郷の国秘伝のレシピだ。

 本来は香こそいいがかなり苦めのお茶だが、ステビアなどの甘味料を適量加えることで、独特の甘さのある味に仕上がるのだ。


「ふふ、おいしくて……いいかおり、です」

「何も見えない上に、何も聞こえないでも、味と香りはしっかり楽しめる。それを飲みながら、何も話さずのんびりしましょう」


 アークアーカイブスに保管していたデータは全部だめになったが、一部はこうして今でも彼女の頭の中に残っている。

 このお茶を飲むたびに、帰ることができない故郷のことをひっそりと思い出していたが、今はこうして変わりゆく生まれ故郷で、古の味を楽しむことにした。


「地球は人類のゆりかごである。しかし人類はゆりかごにいつまでも留まっていないだろう……か。でも時々、人はゆりかごが恋しくなる。また旅立つ日はすぐ来るかもしれないけど、しばらくはこのゆりかごでのんびり過ごすのも、悪くないかしらね」

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祖星へ捧げる鎮魂歌  ワールドワイド・フロンティア外伝 南木 @sanbousoutyou-ju88

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