全人類 1/1

『このようなところに人間が……いや、ただの人間ではあるまい。ここはすでに、尋常なる生物が生きられる場所ではない』

『果たしてそれはどうかな?』


 面倒ごとが増えただけ――――とは思えないほど、目の前の人間からとてつもない異質さを感じ取ったブレイズノア。

 今この星を新しい神が統治し始めたことくらいは聞いたことがあるが、良くも悪くも竜王陣営に直接ちょっかいをかけてきたことがほとんどなかったので、存在を半ば無視してきた。

 だが、よりによってこの面倒な時に横やりを入れてくるというのであれば、もはや無視できる存在ではない。


 おそらく、目の前の人間――――クラリッサは、女神から非常に強力な加護を受けているのだろう。宇宙空間というおおよそ生命が活動できない場所で、焱竜ブレイズノアを正確に殴り飛ばし、あまつさえ悠々とその場に浮いていられる。


『まあいい、何が来ようと同じだ、焼き尽くしてくれる』


 ブレイズノアが勢いよく大剣を振るうと、十数万度にも達する紅蓮の炎が全面広範囲に迸った。

 しかし、彼はすぐに何かを感じ取ると、振ったばかりの大剣を構えた。


 そのコンマ数秒後、炎の壁の中から光のようなものが飛び出し、すさまじい衝撃が襲った。


『っ!!』

『リア様の御力は、その程度の炎は寄せ付けぬ!』


 強大な力を持つ竜であると同時に、超一流の戦士でもあるブレイズノアは、その場のわずかな違和感から、クラリッサが炎の中を真っ向から突っ切ってくることを感じ取ったのだ。


 クラリッサがその手に持つのは、彼女の身長を上回る長さの柄と、頭部二つ分ほどの大きさの鎚が備わったポールハンマーだった。

 クラリッサ自身が「マルテル鉄槌」と名付けたこの武器は、元々クラリッサが愛用していたモルゲンシュテルンを創造の力で変形させ、神敵の頭をよりえげつない威力で粉砕することも目的としている。

 幸い一撃目は剣を構えることで防ぐことができたが、驚くことにブレイズノアの力をもってしても衝撃を完全に受け止めることができず、僅かに腕に痺れが走った。

 しかし……それ以上にブレイズノアにとって衝撃的だったのは――


(吾の身体が本能的に危機を感じたというのか……! ……)


 先ほどのオリヴィエとの戦いですら、とっさによけようと思うほどの危機感は覚えなかった。それゆえに彼女の捨て身の一撃を食らうことになってしまったのだが……いずれにせよ、万物の頂点に立ち、天敵というものが存在しない竜にとって、他の生命体に一瞬たりとはいえ恐れを抱くというのはよほどのことだ。


 もっとも、人類種の誕生前と誕生後では竜族といえどもだいぶ意識が違っているらしく、黄金竜ヴェリテや光竜シャインフリートなどは、ほとんど人間に近い危機感知力を持っており、それゆえ古の竜と比べてより知恵が回る傾向にある。

 ブレイズノアも決してバカではないが、生物的な完全さに胡坐をかいた代償は小さくはなかった。


『だが、甘い。そのような動きで、吾を仕留められると思うな』

『いや、必ず仕留める! それこそがリア様の……全世界の民の「願い」なのだからっ!!』


 熟練の戦士や英雄とはまた違った、何かをしたかのような動きで、クラリッサはブレイズノアを圧倒して見せた。

 ブレイズノアは知る由もないだろうが、クラリッサはリアの強大な加護と一時的な創造神の権限委譲を受けたことにより、周囲の現実の一部を「書き換える」ことを可能とした。

 それを齎すのは、幾度もの危機に立ち向かったこの世界の人々の決死の願い。

 普段信仰心など気にも留めていない人々は、今やだれもが多かれ少なかれ心の中で日常が戻ることを祈り、その祈りはリアの元に集まった後、クラリッサに託された。

 女神リアが人々の自由を最大限に尊重したからこそ、彼らが心から願う力もまた強くなり、結果として祖竜を圧倒できるほどの勢いとなったわけだ。


 だが惜しいことに、この宇宙空間という戦場では、敵に衝撃を与える攻撃は効果が低くなってしまう。

 質量×速さを瞬間的に高めることで敵を「圧し潰す」ためには、それ相応の鉄床かなとこが必要だ。ただただ殴るだけでは、重力も抵抗もない宇宙空間では大半の威力が拡散し、無駄になってしまう。


 そこで鉄床の役割を果たすのは――――


『っ! これは!』

『私のこと、もう忘れたとは言わせないわよ……』


 ハンマー連打攻撃を無重力を生かしてしのいでいたブレイズノアの四肢が、突然何かに拘束されたかのように後ろに引っ張られる。


『重力操作―――ムンの重力を6倍に上昇っ』


 先ほどまで、自身の存在が燃え尽きるのを食い止めることだけで精いっぱいだったオリヴィエが、ブレイズノアの意識の外から情報操作によって衛星ムンの重力を操作し、彼の身体を重力井戸へと落とし込んだ。


(こうなれば、後のことは知ったことではないわ。本当の本とうに私が持てるすべてをぶち込んででも、こいつを仕留めて見せる)


 ファイアウォールのシャットアウトにより、本国のリソースに頼れなくなったオリヴィエだが、彼女にはまだ切り札が残っている。

 エリア5フロストマキアにあるアークアーカイブス――――極氷点下の山脈の下に配置された無数の陽電子スーパーコンピューターは、オリヴィエの命令により一斉に出力を上昇させた。

 本来これらのスパコンたちは、この星の膨大な記録を分析し蓄えておくもであり、それ以外の用途に転用できる余裕もあるにはあるが、下手をすると役割に支障をきたしてしまいかねない。

 それでもオリヴィエはためらうことなくこの力を使った。


『まだ弱いわね、ならば、重力12倍……!』

『おのれ……吾の力に干渉するというなら、さらに燃やし尽くしてくれる!』


 情報操作で重力の力をさらに強めるオリヴィエに対し、ブレイズノアも干渉する情報を通じて「焼却」の力を発する・


(く…………まるで、素手で赤熱した鉄棒を握っているようだわ)


 もはや人間の処理能力をはるかに超えた凄まじい「情報焼却」の奔流に、流石のオリヴィエもニューロンが焦げ付き始め、激しい頭痛に苛まれる。

 しかし、オリヴィエがブレイズノアを抑えつけたたった十数秒が、クラリッサに大きな有利を齎した。


『民衆の敵、女神様の敵! 貴様の居る場所は地上ではない、地獄だ! 砕けよ、神敵!!』


 盛大に力を溜め、さらにハンマーの片側から術力によるジェット気流を噴出させるという念入れの上で、クラリッサは戦鎚を大車輪のごとくブレイズノアに叩き込んだ。


『■■■■■ーーーーっっ!!』


 最大瞬間威力は隕石落下数十個分にもなるだろう。

 とてつもない大打撃を頭部からまともに受けたブレイズノアは、声にならない絶叫とともに、衛星ムンの地表に叩きつけらた。

 その衝撃は並大抵ではなく、地面には直径数キロにも及ぶ巨大なクレーターと、地上からでもはっきり見えるほどの亀裂が入り、衛星の軌道自体も変わってしまうほどだった。

 直す方法があるかは不明だが、おそらく放置していれば数か月以内に衛星ムンは周回軌道を外れ、砕け散ってしまうことだろう。


 とはいえ、これだけの威力の攻撃をぶち込めば、いくら何でも致命傷だろう……と、思われていたが?



『思い知ったか、神敵! これが全人類とリア様の力だ!』

『いえ、まだ安心はできないわ。鼓動は弱くなっているとはいえ、まだ息がある』

『ならばここでとどめを――――』


 人類の脅威を完全に潰すべく、クラリッサが鎚を振るおうとした次の瞬間、衛星ムンの亀裂が赤く輝き―――――すぐに高温のマグマを勢いよく噴き出した。

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