否定する焱

 例えば、粒子が何も存在しないとされている宇宙空間……すなわち真空。

 

 しかし、量子力学的な観点からみると、真空は決して「何もない」状態ではなく、粒子が絶えずどこかで沸き立ち、対生成と対消滅を繰り返しているのだという。

 もちろんそれは肉眼でとらえることはできないし、なんならどんなに小さなものを見ることができる電子顕微鏡ですら観測することもできないない。

 対生成で生じた粒子の分身も、須臾の時でお互いに打ち消しあってしまい、結果として「運動エネルギーが生じない状態」と観測されることになる。

(アーリアルの「ハイゼンベルグストライク」はこの理論を応用した技である)


 ところが、この動きにも例外が存在する。

 ブラックホールだ。


 重力が強くなりすぎた結果、光すらも逃げることができないブラックホール。

 その外縁部の「光がギリギリ脱出できる」部分の境目は「事象の地平面イベントホライズン」と呼ばれているが、もしこの「事象の地平面イベントホライズン」のちょうど境目で先ほどの対生成が行われたらどうなるだろうか?


 対生成された双子の粒子は、普通なら瞬間的に対消滅するはずが、片方がブラックホールの重力に囚われることで、片方の粒子は未来にはなたれ、重力に囚われた粒子は過去へと進み、その分だけブラックホールは質量を減らす。(これをホーキング放射という)

 とはいえ、普通のブラックホールであれば、このような事象が発生したとしても誤差ですらないが、もし仮にそのブラックホールの質量が原子、分子などよりも小さいとするならば、さすがに粒子程度の質量低下ですら影響が大きく、コンマ数秒もしないうちにマイクロブラックホールは強烈なガンマ線を放ち消滅してしまう。


 ここで肝になるのが、マイクロブラックホールが最後の瞬間にガンマ線を放って蒸発するという現象。

 その瞬間にもし何らかの形で介入し、失われた質量を回復させることができれば、もう一度ガンマ線を放つとともに蒸発、している間に回復、というように延々とガンマ線放射を継続させることが理論上可能になるわけだ。

 そして、マイクロブラックホールから放たれたガンマ線を高効率で変換することができるとしたら…………人類が夢見る永久機関の一つ『縮退炉』すなわちマイクロブラックホール発電が可能となるのである。



 ×××



『っ! ダメージレポート』

『マずい、各部の損傷甚大! 吾輩の陽電子頭脳ガ、一部回路が損傷してイる』


 ブレイズノアの手のひらに生成された超々極小のマイクロブラックホールは、測定不能の爆発熱と膨大なガンマ線を発生させた。

 それにより、オリヴィエの肉体は一度跡形もなく吹き飛び、サイブレックスほどではないが非常に頑丈なシャザラックの装甲は損傷、内部機構が故障するほどの壮絶なダメージを受けた。

 衛星「ムン」の表面も大きく削られており、その巨大なクレーターは夜になれば地上からも見えるくらいになるだろう。


『信じられない、といった顔だな。やはり、口で言うよりその身で理解するのが一番だろう』


 信じられない、というより、あってはならないとオリヴィエは感じた。

 銀河最先端の科学文明がマイクロブラックホール発電に漕ぎつけるまで、それこそ万単位の時間がかかったのだ。それを見よう見まねで再現されるのであれば、人類科学そのものが根底からひっくり返ってしまう。


 しかし、ブレイズノアからしてみれば、これは至極当然のことなのだ。


『お前たちが口を開けば出てくる「科学」だの「理論」だのは、極論、吾らがこの世界に存在し始めたころからすでにそこにあった。お前たちは、それを再発見しているに過ぎない、というわけだ』

『なん、ですって……』


 祖竜、すべての竜の源、それは自然現象そのもの。

 彼の言う通り、人間が焚火で火を起こすことを覚えてから「燃焼」をいかに効率的に、高エネルギーにできるかの試行錯誤が科学だとするのであれば、祖竜はその答えを初めから持っているわけだ。


『なるほど、お前たち人間を初めて見たとき、得体のしれない生き物だと感じたが、今ようやく得心がいった。お前たち人間は、生き物として定められた身の程をはるかに超えようとしている。その過程で生命としての神性を失い、自らの在り方を大きく歪ませたというわけだ。お前たちのが吾に届かぬのも、そのためであろうな』


 ブレイズノア自身は、決して人間を見下しているわけでも、非難しているわけでもない。

 神でもない、竜でもない、一生物としての「人間」が、それらを越えて繫栄していることはブレイズノアにとって非常に大きな疑問だった。

 実際、彼が初めから本気を出していれば、人間の文明は瞬く間に滅びただろう。それをしなかったのも、彼が人間という生き物に興味を持ち、その在り方を見てみたかったからなのかもしれない。

 まるで、人間が野生動物の生態を観察するかのように……


『さて人間よ、次は何を見せてくれる? それで仕舞というのであれば、決着をつけるのも吝かではなさそうだが?』

『そうね……じゃあ、お望み通り、とっておきを見せてあげるわ』


 科学を否定され、絶望したように見えたオリヴィエ。

 しかし、彼女は今こそこちらから決着をつけるときと踏んだ。


(もう、何でもいいわ。私自身で、この生物のすべてを否定する)


 アイデンティティを否定されたのは癪だが、引き換えにブレイズノアは慢心を抱き始めた。過去から現在において、竜が人間に負けるのはその慢心が大きい。


『浸透……【幾何学文様の彼方】』

『むっ』


 前衛のサイブレックスが修復に入り、シャザラックも応急処置に入った状態にある中で、なんとオリヴィエは瞬間移動でブレイズノアの懐へと飛び込む。

 理性的な彼女らしくない、無意味とすらいえる特攻に、流石のブレイズノアも対処が一歩遅れた。


 オリヴィエの右手には短剣が握られていた。

 これは、先ほどサイブレックスが装備していた巨大な斬竜刀の欠片を再生成したもので、厄竜の装甲をぶち抜いたことから、対厄竜の特攻を備えている。


(対竜特効……それは、竜によく効くという「情報」。それを、直接、流し込む!)

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