7章(3)宝石を生む国の、惨酷な予言

「一足飛びだねえ」

 呆れたようにガイルムは言い、煙を吐き出した。先ほどマジナイをかけたときと同じように建物全体に広がって行く。

 強化したのだろう。


「何にしても、その言葉はそれでおしまいにしな。今のでぎりぎりだよ」

 ベルナデットは頷いた。不穏な単語だ。そうそう何度も使用する気はない。

(真剣なのは伝わったはずだわ)


「そうだねえ……。どうにかできるか、といえば、やり方はある。最初にその話だね」

 老婆は深く椅子に沈み込む。

「結局は、何が起きたのかっていう昔話になるんだけどね。ノレイアの、本来の秘密にまつわる話さね」


 本来の?

 ベルナデットはきょとんとしたので、ガイルムは、ああ、そこまでは知らなかったんだね、と笑った。


「傭兵の供給国だったノレイアが、平和な時代になって国力が衰えたときに、ちょうどうまいこと宝石の産出国になった、というあたりのことは知ってるかい?」

「それはラウリン殿……、ですか? その方の持ってらした本にありました」

 そうだろうね、とガイルムも頷く。


「でなくともきちんとした本になら、その辺のことは書いてある……。だけどね、どういう経緯で鉱床が発見されたのかまでは載ってないだろう?」

(どういう……って?)

 変なことを言う。新しい掘削技術を試したとか、偶然見落としていた場所や奥地で見つけたとか、発見譚なんて通常はそんなものだろうに。

 ガイルムは、ふ、と口元を緩める。ほほえみではない。


「ノレイアは古い国だ。資源になりそうなものなんかは、とうに探し尽くしてるんだよ」

 それはそうだろうが、とベルナデットは首を傾げる。

(だから?)

 ガイルムの顔にすっと影がかかった。


「禁忌に触れたんだよ……」

 暗い。

 窓に目をやれば、大きな雲が太陽を遮っていた。

 ああ、そのせいか、と彼女は理屈を見つけてほっとする。天空には、いつのまにか雲が増えていたのだ。

「禁足地、のような? そういうものですか?」

 それなら、ベルフォールにもある。危険な動物、特に熊の生息地はそうされているし、ほかにも聖域という側面を持つ場所もある。行ったことはないが。

 まあ、そうだね、そうとも言える、と返事をして、老占い師はカップに茶を注いだ。新しい香りが流れ溢れる。


「進入を禁じられていた洞穴があってね。行き詰った王は、そこへ調査を入れることに同意した。案の定、奥深くに入って煌めくお宝、つまり宝石の鉱床があったってわけだ。だが、そこには守るように一頭の竜も眠っていた」

 ふう、と息をつく。

「そう、言われている」

「確かではないのですか?」

 ガイルムは、呵々と笑う。


「いや、えらく昔の話だよ。さすがに私も生まれてはないね。その頃のことだから、竜といっても比喩かもしれないしねえ。何か禍々しいものとか、強い何かとか……、要はあまりありがたくはないもの、ってことさね」

 それはそうだ。

 夜の暗さを擬人化するように、自然の驚異を神とするように、昔の人々は警告のためにそう伝えたのかもしれない。

 けれども、炎竜を見た後では、「あいつが眠っていたのでは」、そういう気もする。だとしても違和感はない。今は宮殿跡を根城にしているくらいだ。


「それが、どんな種類の竜だったのかも記録がないんだからねえ。最初の調査隊は全滅してしまっただろうしね。はっきりしているのは、宝石を採掘し始めてのち、大地に眠る火の力が強くなってしまった。それは次第に地表へと漏れ出てきて……」

 ガイルムは眉を寄せた。


「そのせいで、新たに炎竜が寄ってきた」

「あれは、後から……?」

 見たのかい、と彼女はベルナデットの指摘を肯定する。


「そう。今、ノレイアで我が物顔をしている、あのトカゲ顔野郎だよ」

(では、最初に禁足地にいた”竜“はどうなったのだろう)

 当然の疑問だったけれども、ガイルムは知らないのだろうし、話の腰を折ってしまう、とベルナデットは黙っていた。

(知っていれば、教えてくれるはずよね)


 そこからガイルムが話す被害は、もう伝承の範囲ではなかった。

 鉱山へは誰も入ることはできなくなり、地熱の高まりで農業は壊滅状態にまで追い込まれ、その代わりとしていた畜産も炎竜の食餌として狙われた。

 鉱床の発見による救済は、炎竜が住み着くまでの仮初のものになろうとしていた。


「そんなときに、女性の王族の中に魔力使いが現れた。この辺の詳しい顛末はもうわからないけれどもね、どうにかして炎竜と火の力を封印することに成功したんだとさ」

 ガイルムは煙管を吸い、煙を吐き出す。


 うっすらと広がった呪いの煙は、この古びた呪い師が鳴らす一音一句を柔らかく跳ね返して、外に漏れぬようにしている……、ような印象をベルナデットは持った。

 さきほどから、言葉が僅かに響いているような、そんな反響が木霊するような波紋を彼女の鼓膜は捉えている。


「わかっているのは、太古の帝国と縁づいた血だったってことくらいさね」

「え……? でも、お話はずっと以前のことですわよね?」

 それも最近の事件ではないならば、アデルたちに降りかかった災難は……。ベルナデットは脳内で整理しようと努めた。


 初めに、禁じられた地に眠る竜がいた。

 次に、炎竜がやってきて、それは封じられた。

(アデルたちが見舞われているのは、三つ目の事件、ということ?)


「せっかちだね! 話はこれからだよ」

 ガイルムは立ち上がって、ベルナデットのカップにも茶を注ぎ、ちらっと窓の外に気を配った。

「そうさね。炎竜の封印からはノレイアも平穏な時間が過ぎた……。鉱床の開発も順調にいってね。だけど、炎竜の封印はいつかの日か破られることが決まっていた」

 彼女は、胸に手を当てた。


「それが、私に与えられた【一つ予言】の中身」

(えっ)

 一瞬、目の前の老女が別人になったように思えて、ベルナデットは椅子を立ちかける。


 部屋の中なのに風がふいて、ガイルムの白髪は艶やかなダークブラウンに変わり、萌える若葉のような挑戦的な翠いろの瞳をした少女が立っていた。


 と思った。


「なんだい」

「えっ」

 我に返ると、そこにはひとりの老婆しかいなかった。


「この世ならざる者でも視たのかい」

 彼女はにやりとして、腰を下ろすよう自分よりずっと若い娘に勧める。

「そんなものを視界に入れていたら目が熱かろう。今はよしときな」

 確かに、長い時間細かい刺繍でもしたときのように、彼女の両目は疲労している。


「予言って言ってもね、七つの力のうち、【一つ予言】だけは本当は【預言】なんだよ。為すべき重要な決定について、生まれたときから教えられているというだけでね。それ以外には、特別な能力は持ち合わせちゃいないのさ」

 ベルナデットは腰を落ち着けて、茶を一口飲んだ。


「それは、どういうことなのです……」

 そうだね、私ら【一つ予言】の乙女も誰かに知っておいて欲しい気持ちはあるんだよねえ、とガイルムは呟いた。

「それが、あんたってのは、悪くはないかもね」

「お聞きしますわ、必要なら何であっても」

 ガイルムは、つ、と再び窓を見やって「太陽の歩みも遅いねえ」とこぼし、「じゃあ、聞いてもらおうかね」と肘掛けにもたれる。


「大陸のずっと南、半島の先にある漁村で生まれた、ちっさな女の子の話をさ」


 その子はずっと南にある国の、海辺の寒村で生まれた。

「風の強い土地だったねえ……」

 それ以外は覚えていない。小さいうちに家族を失って、孤児を集めた施設に送られた。南では女神信仰は廃れつつあるけれど、彼女が保護された先はたまたま魔力院の下部組織だった。そこで、魔力の兆しを見いだされ、星見を育成する星の館に送られた。


「星見って、そうやって教育されるのですね……」

 ベルフォールじゃあ知られていないかもね、とガイルムは頷く。

「あんたの故郷は、かなり古い神様が居座っているとこだからね」

 星見もかなり旧式なんですけど……。と一応は文明最先端の首都で育ったベルナデットは内心思ったものの黙っている。


「魔力使いになれるほどの魔力を持たない人間は、そこで星見や占い師になるよう学ぶ。それともうひとつ、保険のような役割もあってね」

 ふっと、彼女は遠い目になった。


「予言の乙女を、早期に見つけ出すのさ」

 低く暗い声だった。乙女は誇らしいもの、喜ばしいものとベルナデットは聞かされていた。そうとは感じられない。

「早いうちに……? というと」

「そうだねえ、そりゃあんたらは詳しくはないよねえ」

 ガイルムは自嘲した。


「予言の力ってのはさ、いつ発現するのかって決まりはないんだよ。子どもの頃から持っている女もいれば、出産後に目覚めた例もあったそうだね。さすがに若いうちが多いので、こいつはだいぶ例外的だったようだけどさ」

 予言の力を持つ一般人、しかも若い女が何の保護もなく、その辺をうろうろしてたら危険極まりないって、想像がつくだろう? と彼女は煙管を差し向ける。


「なかには政治利用しようって人間もでるしねえ。それに、乙女が現れるときには、それなりの大きなわざわいが一緒ってのが多い。魔力院は国を超えて為政者たちと連携を取れる、数少ない存在だからさ。そういう仕事もしてるってわけさね」

 そのなかで、と老婆は息を吐いて、一瞬言葉を止めた。


「【一つ予言】は物心つく前に預言が顕現する、と言われてる。だが、必要になるときまで外に漏らすことはないから、見つけるのも難しい。とはいっても」

 彼女は自嘲する。

「あるべきとき、あるべき場所で、すべきことを行う、というだけのお役目だからねえ。監視に引っかからないとしても、そこまで困りはしないのさ」

 話が少し逸れたね、とガイルムはお茶の追加を手振りで尋ねたが、ベルナデットは遠慮した。


「それで……?」

 知らない機関の内情について興味はあるけれども、それはいつかでいい。早く先が知りたい。

「そこに移ってから繰り返し行われている試験や占いの、何度目だったかねえ……。その結果で私が予言の乙女であるってわかったのさ。占い館に入ってから、私はシングラリアって名前をもらっていたんだけども」

 あ、もとの名前はもう覚えちゃいないよ、誰も呼ばなかったしね、と彼女は付け加える。


「そのときから、シングラリア・ファー、になった」

 名字……? と首を傾げるベルナデットに、ガイルムは違うね、と可笑しそうに否定する。

「予言の乙女であることを示す、ただの識別さ」


 しかし、その名前は基本的には伏せられる。自ら名乗っても碌なことにならない。ガイルムの生活は魔力院に移り、魔力使いたちに混ざってそうしたこともさまざまに学び、成人を迎えて独り立ちしたという。


「保護されるのではないのですか?」

「あんた、そんないつまでもいい大人を囲っておけるものじゃないよ! 理由があって女神は力を与えるんだしねえ? 準備が済んだら世の中に出されるもんなんだよ」

 あ、そうか、とベルナデットは頬に手を当てた。


「それからの私は星見や占い師として生計を立てていたんだが……。預言の日はいつになってもやってこなかったんだよ」

 ふっと、ガイルムは苦い表情をする。


「魔力院での暮らしも忘れかけるくらい平穏だったね。私は結婚をして、星見も引退して……。子どもが生まれて、その子らも成長してねえ。夫の血筋がいいせいか、私の粗野なところはまったく受け継がないいい子たちで……。息子や娘の結婚式はいいもんだったよ……。ああ、もしかして、そんな日は来ないまま、このまま一生終えるんじゃないかなあ、とさえ思ったね……」


 だけど。

 言葉にしなくても、ベルナデットにはわかった。


 もっとも望まない日に、それは到来したのだ、と。


「息子の嫁が無事出産してね……。落ち着いたところで、やっと孫に会えるってね、初孫だよ。たくさんの贈り物を用意して行った先で、私は【そのとき】が来たと気づいた」

 すう、と彼女は深く息を吸う。


「いつか


 まさか、とベルナデットは唇をかみしめた。

(それに何の意味が? いえ、でも女神の神託に誤りなど起きない……)

 予想はできたけれど、口にはできなかった。


「私は、殺さなければならない、と知った……。生まれたばかりの孫を」

 ああ……。

 淡々と語るガイルムに代わるように、ベルナデットが眉を顰め、目を細める。


「できなかった……。何十年も前から選択肢を教えられ,それに備えるように訓練され、私自身も運命に耐え得ると自負して生きてきたのに。生かしてはならないとわかっていたのにね……」

 できるはずがない。ベルナデットは使命を放棄した彼女を責める気持ちにはなれなかった。


「それがあの子……」

 静かな眼差しで、シングラリアはベルナデットを見据える。


「アデル・ノレイアだ」

 紫の瞳孔が、花びらのように一瞬開く。


「私の、孫だよ……」

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