7章(2)【予言】の乙女
ガイルムはくい、と煙管を傍らの椅子に向けた。
「まずは、お座り」
さあ、どうぞ! と少女は弾けるように椅子に駆け寄って背を引く。ぎぎ、と重たい振動が床と空気に伝わった。
「え、ええ。ありがとう」
にこり、と彼女は微笑みでベルナデットの礼を受け取る。以前と違って怯えは一切ないので、笑顔に陰りがない。その姿は愛らしいの一言だ。
とはいえ、その様子にも心和むゆとりはない。
「この娘にはまず飲み物が必要だね。ナツレン」
はい、と少女が答える。ベルナデットは初めて名前を知って、エルフの名前ってそんなだったろうか、と思った。
何かが引っかかる。エルフの知り合いがいるわけではないし、それが正しいとも言い切れないのだけれども、物語で出てくる名前はもっと優美だった。
ような気がする。
多分。
(変わっていて他では聞かない響き……。どこかで……)
ああ。
彼女は思い起こす。
サクヤだ。
呼び名には意味がない、と言い放った図書室の魔力使い……。
あれに似ている。
「集中して。ひとつ事を持ち帰るために」
唐突に、ルシールのレイゲンが鼓膜を鳴らした。レイゲン使いがよく使う言い回しで、過去に聞いた覚えもある。
主従の関係で、姉妹婚の相手であるふたりには、レイゲンの響きを共有できる。何が起きているのかはわからなくても、ルシールは心配して想いを投げている。
祈りが届く。
彼女の祈りが。
ベルナデットの背筋にすっと一本筋が通った。まるでルシールがそばにて、その背中を支えてくれるように感じた。
(気を散らしている場合ではないわね)
幼なじみの彼女は、いつもそばにいてくれる。
そばにいられないときも変わらず。そばにいようとしてくれる。
(そうよ、私はすべきことをして帰らなきゃ)
ルシールの待つノレイアに。
「では、お茶をお持ちしましょう。ハーブ? それとも……」
「いいや」
ガイルムが煙管を撫でると、自然と火がついた。
「はちみつ酒がいいね、景気よく。気合い喪はいるし、せっかくはるばる来てくれたんだから」
そうなんです? とナツレンは首を傾げる。
「だけど、この家には置いていなかったね。余所に行ってもらっておいで。多分モアルの爺さんあたりがため込んでるだろ」
「ええと、でも……」
ナツレンは、視線を老婦人と外への扉との間で何度も往復させる。
「モアル様のお宅はかなり距離がありますけれども……」
構わんよ、とガイルムは煙を吐く。
「どうせ、短く済む話ではないんだ。飲まずにやってられるかい」
では……、とナツレンは玄関脇にある籠を手にした。
「ああ、ケープも使いなさい」
「でも、天気も良いですよ? 夕刻なんてかかりません、いくらなんでも」
不思議そうにナツレンは首を傾げた。
「時間はね。しかし、空気がざわついている。面倒事にならないようにフードを使えるようにしておくんだ」
そこまで説明されると、少女は大人しく言われるままケープを肩に掛け、「いってまいります」と出かけていった。
バタン、と扉が閉まり、ぱたぱたと足音が遠ざかる……、とガイルムは深く深く煙管を吸って、煙を長く長く吐き出しながら地面の底から絞り出したような声を出した。
― 古き七つ神の名において申す
この血に連なる者 この業に連なる者
我が許しなくば 何人たりとも
神の吐息を侵すこと能わず ―
二人を取り囲むように流れる煙の中、まるで雷雲であるかのように光が走る。ぐるぐると巡ったままで、煙はふわりふわりと広がり、やがて建物の天井や柱に到達して、ぴしり! と鋭い音を出して家屋全体に行き渡った。
「これは……」
「ああ、私は魔力使いではないよ、安心おし」
何をもって安心とするかは定かではないけれどもね、とガイルムは鼻で笑う。
いちいち皮肉に満ちた人だ。
「これは……、そうさね。いわば原始的な魔術のような……。初歩の初歩。一番はじめの魔術みたいなもんさ。今では大体はマジナイという言い方で括られるけれどもね」
昔はこれくらい誰でも使えたらしいけども、とガイルムは立ち上がり、一度奥に引っ込む。
「あんたも知ってるだろう。あんたの、それ、あの黒目黒髪のお付きもやってた」
(月琳のことだわ)
情報を与えたくない。容易には同意できない。ベルナデットは聞き流す。
(といってもお見通しなのかもしれないけれど)
隣室にいて聞こえづらかった老婆の声も部屋に戻ると、明瞭になっていく。ガイルムは茶器を乗せた盆を手にしていた。
「今さっきも、あんたを心配して何か放ったようだね。向こうの国ではなんて呼ばれるんだい?」
残念ながら、あちらの手妻には詳しくないんだが、と付け加える。
魔力使いを否定しながらも、レイゲンの存在には気づく。やはり、油断してはいけない相手だ、とベルナデットは口の端を引いた。
「あの……? お茶を?」
ガイルムの持ったトレイのポットに目を留め、さきほどナツレンに取りに行かせたのは……? と彼女は眉を寄せた。
「これ?」
どかっと椅子に腰掛けて、彼女はカップに二人分を注ぐ。立ち上るレモングラスの香りを一嗅ぎして飲み下し、いい匂いだろう? と老婆は笑った。
「見損なっておくれでないよ? いくら私が大酒飲みだとしても、大事な話を酒杯を片手にするわけがないだろう。さあ、飲むがいい。これは私の一番好きな配合だ」
(酒飲みなんだ……)
ベルナデットは父親の配下にいる気のいい兵士たちを連想した。彼らも酒盛りが大好きだ。
とはいえ、同じようには受け取れない。それなら何故ナツレンを、とも感じてしまうからだ。
言われればその通りの正論なのだけども。では何故遠ざけた?
(ちょっと意地悪ではない? それとも……)
ハーブティーを一口含み、少し考えてから飲み込んだ。
「いいね。私を信用するのはよい判断だ。ひとまずは」
当然沸き起こってしまう疑念を捨てた彼女を評価し、ガイルムは口角を上げた。
「聞きたいことは多いだろうね。だが、最初に言っておくと、今からする話はおまえ以外の……、赤の他人には聞かせるわけにはいかない。ナツレンも同様だ。それに、邪魔が入るとできない話もあるしね」
わかります、とベルナデットはカップを置きながら頷いた。呪いが作用するかもしれない。
「この煙草と茶には同じ草が入っている。日没くらいまでは、結界って言っていいのかね……、このちっぽけな屋敷くらいは邪魔者を排除できる。要は私の個人的な空間になったというか……」
ああ、いきなりだと説明しづらいね、とガイルムは頭を掻く。
「私に何らかの許可を与えたのですよね、ここにいてよいと。そのうえで周囲を閉じた。ドアを閉めるようにして。違いますか?」
そう、それは。
「王宮の図書室のように……」
「ああ、そう……。そうかい」
ガイルムは背もたれに沈んだ。
「図書室の魔力使いに会ったんだねえ。それなら話は早い……。そうか……」
あのけたたましい女にねえ……。しかも気に入られたようだ、とじろりベルナデットを睥睨してから、老婆は溜息をついた。
「じゃあ、やっぱりおまえなんだね。運命が掴み取ったのは」
聞いた台詞だ。
(ん? でもそんな言い回しだったかしら)
ベルナデットが違和感を形にする前に、彼女は「さあ、時間が勿体ない。さっさと進めよう」と身を起こした。
「おまえはベルフォール領出身だったね。あの辺りは古い伝統を奉じてる地方だからよく知っているだろう。世界を作ったのは七柱の女神だと言われている」
はい、とベルナデットは頷く。
「女神信仰ですよね」
「そう。今では大分廃れたけれどもね。忘れられただの、埋もれたからだのといって事実が変わるわけじゃない。もちろん、予言のことも知ってるね」
「ええ、女神に祝福された七人の乙女ですよね」
ふっと、ガイルムは嘲笑を浮かべる。
「祝福ね……。そんないいもんかね」
まあ、いいさ。話が早い、と彼女は気を取り直し
「女神は【予言】という形で人々に恩恵をもたらす。【予言】は乙女の身のうちに宿るという……」
「まさか?!」
ベルナデットは胸を押さえる。
「おや、勘が働……」
「私が……?!」
ベルナデットはがた、と立ち上がり、両手で頬を包み込んだ。
「おかしいと思ったのです、アデル様との出会いからこちら……! いくら私が人より優れた部分をいくつも持っているとはいっても、所詮は片田舎の貴族令嬢……、こんな不思議で驚くべきことばかりが連続していいものかと……! だけど、女神様が私をお選びになったのなら理解できます!」
彼女は手を組んで、ガイルムをじっと見つめた。
「覚悟はできております! 私に運命をくださるのは、どの女神様ですの?」
「………」
ガイルムは瞳をキラキラさせたベルナデットを呆れた顔で見返し、はあああ、と腹のそこから嘆息した。
「本当にこの娘でいいのかね……。いや、でもここまで来たのはこの娘だけだし……。他にいないか……」
脇を向いてぶつぶつと呟き、それからもう一度彼女はベルナデットの瞳に着目した。
「その色……。それなら……。まあ、そうなのだろうけど」
「なんですの?」
少し気を悪くし、ベルナデットは胸を張って身を起こした。
「おっしゃりたいことがあるなら、はっきりとお願いいたしますわ!」
ガイルムはぱちんと指を鳴らす。すると、そのタイミングでベルナデットの鼻先が
「???」
何が起きたのかわからなくて、ベルナデットは面喰った。空間を見回すけれども、当然ながら何もない。柔らかな光があふれるばかり。
「いいから落ち着いて座りな。気の早い、というか、思い込みの激しい娘だね……。ああ、そういえばそういう血筋だったかね……」
イネスの所業は彼女にも知られているようだ。猫を被ろうと頑張っていたのに、つい興奮してしまった。ベルフォールにいると、こういう現象とはどうしても無縁になってしまうから……、と内心言い訳しつつ、ベルナデットは、椅子に座り直した。
「はい、冷める前に茶を飲んで」
(子どもじゃないんだけど)
「飲んだら、深呼吸して。はい、吸って。吐いてー」
とりあえず言われるままに従う。
「落ち着いたかい」
「あ……。はい、まあ……」
決まり悪く、ベルナデットは居住まいを正す。
「じゃあ、冷静に聞くんだよ」
ガイルムは真面目な口調になって、身を乗り出して話を続ける。
「七柱の女神はそれぞれ異なる【予言】を乙女の身のうちに宿らせる。ほとんどは、ひとつの時代にひとりの乙女、ひとつの【予言】の力。今、この世界にもひとつの【予言】の力がある」
「はい、わかります。そう聞かされて育ちました」
いいことだ、とガイルムも請け合う。
「現在、顕現しているのは【一つ予言】の力だ」
もちろん、ベルナデットも知識はある。おとぎ話にだって頻繁に現れるのが七種類の予言だからだ。
「それは謎の多い【予言】ですわね……。伝承も伝説も詳しくは聞くことがない。物語だって、ほとんどは存在している、としてしか登場しない。そそもそも顕現したとしても、それ自体すら知られることの少ない力だと、そう聞きました」
「そうだ。そう言われている。その意味では、おまえは幸運かもしれないね」
(それは、どういう意味?)
意図を掴めずにいるベルナデットに向かい、ガイルムは威厳をもって宣言する。
「女神に愛された【一つ予言】の
「……え?」
マジで?
って。
(私じゃないの!)
少し残念な気もしたが、余計なことは言わず、ベルナデットは黙っている。でも、本音では少しばかり悔しい。
いつか女神の神託が下りて、【予言】の乙女に選ばれる……、なんて夢物語。少女なら一度は夢想したことがあるからだ。
成長につれ、そんな奇跡なんて起きやしないとわかっていくのだけれど。
に、しても目の前の老婆に「予言の乙女だ」などと宣言されても……。こう……、と彼女はしっくりこない。
(この方もかつては、それは乙女であったのでしょうけど)
「それはそうと、ノレイアのことをどこまで知っている?」
吟味するような目線が投げかけられる。
「もしや何ひとつ自分で調べることもなく、相手の外見だけでふわふわしていたわけじゃなかろうが」
ガイルムの視線は厳しい。
あら、危な……、と内心思いつつ、ベルナデットは図書室で見た、おそらくは天劫事変の直後に持ち出されたのであろう一冊の本の話をした。
「ああ……。それはラウリンだろうね。王宮で星見役をしていた男だ。多少の占いとマジナイができるが、ほとんどは天候を見る役目をしていた者だ」
ならば、基本的なことは把握していると思っていいんだね、と返事を求めるふうでもなくガイルムは言い、「さて」と息をついた。
「時間も話せることも限られているけれど、さあて。何から伝えるべきだろうね」
「それならば」
ベルナデットは進言する。
「もっとも教えていただきたいことから、というのはできますでしょうか」
おや、とガイルムは彼女を値踏みし直した。主導権を取ろうというのだろうか。
「昔の知識も無駄にはならないでしょうが、歴史の講釈は後からでも受けられます。もっと緊急度の高いことがあります」
ほう。老婆は煙管を口にした。
「なんだい。言ってごらん」
「天劫災害です」
(口にできた)
その国土から離れたら、その言葉も声にならないかと危ぶんでいた。
「ノレイアに降りかかっている、その災害を取り除くことはできるのでしょうか」
ピシッ。
天井で大きな家鳴りがした。
家屋からではない。結界そのものが揺らされたのだ。
自分たちを包み込む空気に、得体の知れないねっとりした気配が纏わり付くのを感じてベルナデットは息を呑んだ。
(でも、後戻りはできない)
物語の【予言】の力も、その乙女も、興味がない、といえば嘘になる。けれども、知らなくても困りはしない。結局は知的好奇心だ。
しかし、天劫災害は目前に迫った危機で、状況によっては大事な人たちの命に係わる。選択の余地はない。
ベルナデットは自然と拳を作り、力を籠めていた。
「それをまず教えていただきたいのです」
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