7章(1)ノレイア王族の圧迫面接?!

「ありていに言えば、かなり会いたくなくてな……」

(どういうことよ)

 いや、でも。

 そんな個人的な事情は後回しだ。ベルナデットはそこには触れないことにして、「とにかくあなたは場所を教えてくれたらいいのよ、私が会いたいのだから」と提案した。


「それもなあ……。主はよい顔をせぬかもしれぬぞ、断りもなく会いに行って」

 責任転嫁きた。グズグズと彼は言い続ける。


(あー、これ。できない理由を並べるときのパターンだ)

「そんなもの、一方的に来るなって待たされてるのはこちらよ。お互い様じゃなくて!」

 彼女は鼻息荒く言い返した。

「それで気に入らない、破談にするというのなら、私を見損なっていたということね」


 ワイスは深いため息をついた。犬はともかく、狼もため息をつくようである。しかもこんなに長く。ベルナデットは新しい知見を得た。

「言っておくが、行ったとして面会してくれるとは限らんのだぞ」

 どういうこと? とベルナデットは首を傾げる。


「身内候補が話を聞きたいといって無碍にするほど、親戚づきあいがサイアクなの? それともその方を怒らすような何かが、あなた方にはあったの?」

 そういうことではないが……、とワイスは続ける。


「前回会いに向かったときも、主は、そやつに会うことはできなんだ……。その一回に限らぬ。もう長いことずっと、面会の申し入れを断られているのだ……。いろいろあって気難しい御仁でな」

(んん? それは……?)

 その主張は結果であって理由ではない。が、ベルナデットは彼に話させることにした。


「ゆえにまだ姻族ですらないお前が行ったとしても、無駄足になる可能性の方が高いだろう」

 言いくるめて諦めさせようとしてる? それとも単なる事実? けれども、その程度で引き下がる性格ではなかった。

「構わないわ。それに会えないから仕方ない、ではなくて、拒絶されたらそこから新しく会える方法を考えるわ……。それに、貴方、いろいろ言うけれども、肝心のところは教えてくれないのね」

 ん? とワイスは目を上げる。


「その方は会おうとしないのか」

「ああ……。それは……」

 ワイスは唸った。


(ああ、そういうこと)

 彼女は正解を引き当てたのだ。彼は言いたくても言えない……、つまり、天劫災害だ。

 沈黙の呪いが、ワイスにもかかっている。


(ということは)

 そっと彼女は両手を握りしめた。

(私の向いている方向は間違ってはいない。私は、その人に会うべきなのだわ……)


「とにかく、連れていって。後は自分でどうにかするから!」

 うんざりした雰囲気を滲ませてワイスは重い腰を上げた。


「わかった、わかった。うるさい小娘だ。叱責されるとしても、どうせお前ひとりなのだからな」

 自分だって本当は若造のくせに、とは思ってもベルナデットは黙っている。


「よかった。ありがとう。やっぱり優しいのね」

 ワイスは、結局彼女に甘い。にこりと彼女は微笑む。


「だが、ここでは会うことは叶わぬ。それも事実だ」

「? それはどういうこと?」

「大した話ではない。そやつはここから移ったということだ」

 いいから乗れ、とワイスは背を指し示した。


「そやつはこの街にはいない。おそらく幾つかある根城にいるだろう。この時期なら、ここから一番近い集落にいることが多い。そろそろ春から初夏の花が咲く時期だからな」


 根城って、と彼女は閉口する。

(山賊みたいに言う)


 会わせてくれるなら何でもいいや、とベルナデットはワイスによじ登った。首についたままの縄に鞄を結わえて落ちないようにしていると、「荷馬ではないのだぞ」と不快そうに文句をつけてくる。

「細かいことはいいじゃない」

 との返事を言い終わる前にワイスは地面を蹴って飛ぶように駆け出した。


 伯父の使用人たちの真上を飛び越えて 高く高く跳ぶ。人の形をしたものが、すぐに人形になり、やがてただの影になっていく。

 あっという間のことだ。何年も過ごしてきた、仮ではあるが我が家だった伯父の屋敷は遠ざかる。幻か夢のように。


 その紫の瞳に残ることもなく過ぎ去っていく風景を眺めながら、ふっとベルナデットは妙な感傷を覚えた。


 故郷じゃない。


 けれど、長い時間を過ごした都市。そこで成長した。

 なのに、もう二度と戻っては来ないような、遠くて薄れる気持ち。


(馬鹿みたいね。感傷だわ。気分に浸っているだけのこと……)

 むしろ、自分にそんな感覚がある方が彼女には驚きだった。

 神経は極太と言われたベルナデットだったから。


 首都からおよそ半日弱の距離。

 第二の規模を誇る都市がある。まだ別の国がこの地に在った頃、そこは王朝発祥の地ではあった。その時代には大河があり、交通と流通の要衝となっていた。

 現在では、川は流れを変えてしまっているが、年月をかけて整備された街道と行商ルートのおかげで、商業都市としての繁栄できている。


 しかし、ワイスが向かうのは都市の中心ではなかった。

 一体ではないが、街道でつながっている少し離れた地域には、首都やその都市に提供する農作物を育てている村々が母鳥に従う雛のように付随して存在している。ワイスの目的地は、そのうちのひとつだ。

 彼の足なら半日などかからず、太陽がまだ高いうちに到着した。


 ベルナデットも、幾度かはこの第二の都市に来た経験はある。けれど、村の方にまで足を伸ばしたことはなかった。伯母の監視つきだったせいもあるが、貴族が行くような場所ではないのだ。

 そのほとんどは大規模な農業を営む農村である。広さでいえば、村、というよりも、町だ。

 もっとも、ワイスが連れていったのは、王侯貴族の別荘地には及ばないとはいえ、農村にしては随分と小綺麗で整えられた雰囲気があった。

 整然とした畑を見て、その理由を彼女は理解した。


「生花を納入している地域なのね」

 そういえば、何代か前の大公妃がとても花が好きで、宮殿、わが身を飾るに留まらず、香料の開発から染め物など多岐にわたる分野を保護し、花農家を育成していたと聞いたことがある。

 宮殿への納品を思えば、それはごく近隣でなければならない。

 それがここだ。


(花ばかりを育てる農村があるという話だったけれど)

 蕾で刈り取られる花もあれば、咲いてすぐ摘み取られる花もある。目にしている咲き乱れる花は、蜜を取るのか、あるいは実を使うためのものなのだろう。

 遠くはためく数々の布は、染色をした後だろうか。


 なるほど、春から初夏の花、とのワイスの言葉はこれを意味していたのか。

 ワイスは村の外れまでくると、彼女に下りるように告げた。

 畑は終わって野原に変わる。


 そこかしこにも花はあるけれど、管理され整理されたそれではなく気まぐれに運ばれた種から根を下ろして育った可憐な野花がさまざまに顔を出しては風に揺れていた。

 その中を細い道が伸びる。

 さほど踏み固められてもいない。人の気配は、ぱたりと止む。

 緩やかにうねり、小道は草花に埋もれそうになりながらも、形ばかりの柵に囲まれた、こじんまりとした屋敷に続いていた。


「あれだ」

 ワイスは顎で示し、その場に寝そべった。

「貴方は行かないの?」

  はッ、まっぴらだな、と嫌悪感を隠しもせずに彼は吐き捨てた。


「儂はここで待っているから行ってくればいい。会いたくもないが、あやつも儂に気づいたらへそを曲げるかもしれぬでな」

 もっともこうるさい奴だから、とっくに気づいているかもしれんが、と言い放ち、ワイスは、後は知らぬとばかりに瞼を閉じた。


 ふつうの人間には、ワイスは風としか感じられないはず。

(ということは、それなりの誰かなのだわ)

 もしかして、魔力使いだろうか、と彼女は不安を覚えた。

 どこにも所属していない魔力使いは、ごく僅かだ。大抵の場合、少数派にはそうなっただけの背景がある。


(いやね。一筋縄でいかないなんて、とっくに覚悟しておくべきことじゃないの)

 ベルナデットは、今さらだと自分を笑った。ワイスの態度を見ていれば、親切で優しい人物とは到底言えない。

 ワイスにこれ以上尋ねても彼は答える気はないだろう。もう何もしない固い決意を見せている……。が、耳が時折反応している当たりは可愛らしいものだ。


(グズグズしていたら、向こうも逃げてしまうかも)

 彼女の用向きは、相手にとってありがたい話でもないだろうから。

 ベルナデットは狸寝入りを決め込んだワイスの首から鞄をぐいぐい引っ張って外した。知らん振りの手前、ワイスは不快そうではあるが、寝ているていを崩さない。

 そんなところ、やはり子どもっぽい。


 彼女は、ぎゅっと鞄の持ち手を握った。せっかくまとめた書き付けが必要になるかも、と根拠もなく思った。

 すう、と大きく息を吸う。


 花の香りと青葉の匂い。適度な湿度をはらんで、風は季節を空へと吹き上げる。

深呼吸してから、彼女は意を決して歩き始めた。

 屋敷は二、三人程度で暮らすのがせいぜいの大きさではあったが、明らかに農家ではない。建てられたのもそれほど古い時期ではなさそうだった。

 空き家に棲み着いたというよりは、この場所にわざわざ建てさせては別荘のように使用しているという風情だとベルナデットは推測した。


(だけど、貴族が住んでいるふうではないわ)

 手入れは最低限で整頓はされているけれども、瀟洒とか洗練されたという類いの表現が似合うものは一切ない。実用主義が透けて見える。

(なのに、建築はしっかりしている……。それなりに費用をかけられる人が建てさせたものということね)


 出会う前に少しでも情報が欲しくていろいろと観察してしまったが、彼女はそんな自分を押しとどめる。すぐにわかることなのに。それとも怖じ気づいているのだろうか。

(私が?)

 人見知りとは無縁、態度がふてぶてしいとよく評される自分が、と彼女はおかしかった。


(それなりにきちんとした、アデルの親族に会うのは初めてだから? そんなことで緊張するなんて)

 自分を笑って、背筋をぴっと伸ばす。目の前にあるのは、飾り気のない素っ気ない扉だ。


(私はできることをする。それしかないのだもの)

 ノックの瞬間、うなじにぴりぴりと痺れが走る。


 天空から撃たれたように、ルシールのレイゲンが身体に痺れる。


(今……)

 周囲を見回す。間違いなくレイゲンだ。

「何?」

 彼女の警告を、ベルナデットは何回か聞いたことがある。だから、間違えたりしない。ルシールの立てた主従の誓いによって、レイゲンの音はベルナデットにも届くからだ。


 警告が、走る。

(何故?)


 ベルナデットは、頭をごく速く回転させる。

 思い出せ。


(一番最近レイゲンを使ったのは、アデルに出会った日だ。それ以後、月琳はレイゲンを口にしていない)

 考えろ。


(あれは占い師を探していった日。その面会の間に限って掛けられたレイゲンで、場所だってここじゃない。なのに、何故、今日になって?)

 理由はひとつしか考えられなかった。


(終わっていない)

 彼女は表情を険しくする。


(あのレイゲンは完了していなかったんだわ……)

 訪問はやめようか?

 いや、それには遅い。


 彼女の右手はもう扉を叩いてしまった。閉じた戸口の向こう側には、すでに近づく人の気配がある。

 彼女は腹を括った。もはや他にできることはない。


「突然の訪問、大変失礼致します。私はベルフォール辺境伯の長女、ベルナデット・ベルフォールと申します」

 聞こえているようだ。声の響きを受け取って吟味している空気を感じた。


「私は、ノレイア王国アデル様に求婚されております。それにつき、ご親族にお会いしたく参上いたしました。お目通りいただけますようお願い申し上げます」

 即答はない。しん、と静まりかえっている。

 開けてくれるだろうか。王子にも会わないという頑なな人が。


(いえ、扉は開くでしょう)

 面会は叶う。だからこそ、警告は為された。

 内側でぱたぱたと走る小さな足音がして、内鍵を回す音に続き、ゆっくりそれは開かれた。


「こんにちは! お久しゅうございます!」

 最初に輝く瞳が目について、次に嬉しそうな笑顔にたどり着く。ベルナデットは素直に笑って応えるべきかわからない。けれども礼儀として、ええ、こんにちは、と挨拶した。

 そこには、市場で出会ったエルフの少女が立っていた。


(ああ。やっぱりそうなのね)

「さあ、どうぞ」

 少女はベルナデットに向けて室内を解放する。さらにその奥には年老いた女がいて、沈み込むように深く深く椅子に腰掛けている。


 ふう。

 老女は、煙草とは異なる匂いを立ち上らせた煙管を口から離す。中身を煙草盆の壺へ捨てると、「お入り」と低くくぐもった音を放った。

(ご機嫌というわけにはいかないようだわ)

 ベルナデットは息を呑む。


「ああ……。お前には一度会っているね?」

 ええ、そうですわねとベルナデットは頷き、一瞬躊躇ってから敷居を越えた。

 ここからは、相手の領域だ。

 ふうん、と老婆は舐め回すように彼女を睥睨する。

「意外でしたわ……。ガイルム……、貴女がノレイアの縁者だったとは」

 窓から入る自然光は明るいとはいえ、部屋の中程あたりまでしか届かない。占い師の靴先を何とか照らしている。決して暗いわけではないのに、ガイルムの周囲は影に包まれていて、そのせいか、老女はひどく疲れているように感じられた。


「そうかね」

 お座り、と彼女は目の前の椅子をベルナデットに示す。令嬢は黙って頷き、大人しくその場へと向かう。

 この新しい借り分は何を意味しているのか、まだ想像もつかなかったけれど。


 ルシールのしかめっ面が浮かび、彼女の胸が痛んだ。レイゲンは当然彼女の耳にも届いている。

(きっとすごく怒って……、それから、とてもとても心配するわね……)

 そう怯えなさんな、とガイルムは口角を上げる。


「それじゃあ、身内の話を始めようかね……」

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