7章(4)迫られる選択
「え……」
つまり、ガイルムはアデルの実祖母ということ?
さすがに声も出なくてベルナデットは占い師を見た。外見で似たところはない。けれども、親子でも似るとは限らない。
実際、ベルナデットの祖父と母は少しも似ていない……。
「気づかないだろう? 私からはあの子は何も受け取らなかったからねえ」
(あの人が、何故……)
混乱したまま、彼女はアデルの姿を思い起こす。
邪気とは無縁な男だ。美しく善人で、ただただ優しい。
ふっとガイルムは祖母の表情をして頬を緩ませた。
「あの子を気に入っているんだね……」
それは嬉しいことだが、とこぼす。
「いえ、だって」
意味がわからない。彼に脅威などない。何故、そこまで……?
父親の血か、ベルナデットは危険には敏感な方だ。
首都にいてはほぼ使うことのない第六感めいたものではあった。命に関わるような邪なもの、害意のあるものには勘付くことができる。もっとも最近で発揮される対象はといえば、主に貴族が飼う躾のなっていない大型犬くらいではあった。
アデルにそんな印象を持った記憶は一度もない。
「ノレイアは軍事国家でもなく、今は国力も衰えています」
そうだ、と老婆は頷く。
「戦争なんかしても勝てやしないよねえ」
「そうです。それに、お人柄だって……、そんな悪事を思うような方では……」
「そうだね。性格といったらお人好しといった方がいいくらいだね、我が孫ながら」
理不尽だ……。ベルナデットは震える手でカップを取り、唇を湿らせた。喉の渇きは感じていなかったけれど、彼女は乾いていた。
「だが、それが事実なんだ。女神は誤ちなど起こさない。間違うのはいつも……」
彼女はそこで言葉を止め、「話を続けるぞ」と切り替えた。
星見役としてノレイア宮廷に仕えたシングラリアはやがて世継ぎの王子と恋仲になる。ノレイア王家は血統にこだわる伝統が薄く、ふたりの結婚にはそれほど大きな障害もなかった。
「だが、そこにも事情があったんだよ……。先に話した魔力使いの王族の遺言らしいのだがね。その一件から王家には魔力使いの才を持つ者の血を入れるように、そう言い習わされていたんだよ」
私の持つ【一つ予言】の中身を予感して、というよりは、災害の記憶がそうさせた、ということだろうね、とガイルムは付け加えて、ふっと遠くを見る顔をした。
「赤子だったけど、あの子は本当にね……」
溜息をつく。
「可愛かった……」
(はい?)
うんうん、とガイルムは頷く。
「今でも相当な美形だからね、そのチビ版といったらもう……。よくぞ、私の血筋から生まれてくれたもんだと思ったね。可愛らしいったらなかったよ」
いや……、それはそうかもしれないけども、とベルナデットは口を引き結ぶ。想像するだに可愛らしいだろう、それはもう! 星々の輝きを集めてこしらえたかと思うほどに!
(わかる! わかりますけども!)
ガイルムは、すまないねえ、と苦笑した。
「何しろ、ごく小さい頃に生き別れて、そうそう会うこともできやしないし、孫がいるという話も他人にはできないしでね」
それは孫自慢も炸裂させたいだろう。
「それに私と会うことで悪い影響を与えてはいけないからね……。自重しなければならないんだ」
生活習慣的な意味合いか、女神の予言にまつわることか、どっちなんだろう。ベルナデットは触れないでおいた。
「あの……、まあ、理解はできます……」
あれだけの顔面偏差値であれば幼いときはさぞかし……。だが、今はそこに突っ込んでいる時間はない。
「そういう楽しいお話は、その。のちほど落ち着いて……」
「あ、ああ。そうだね」
ガイルムは緩んだ表情を引き締めた。
「孫を初めて見たときに悟った……。この子の
彼女から苦しみがにじみ出る。
「そして、このことは誰にも理解されない、ということもわかった」
当時、ガイルムは星見役を降りて代わりにラウリンがその役に任じられていたけれども、彼は特に気づきもせず、通常通りの誕生の言祝ぎを行った。誇らしげに。
「それを見て、並大抵の者ではわからないのだと知ったね。そもそも、あの頃のノレイアに魔力使いはいなかったし、いても察知できたかどうか。相当に強い能力の者でなければ……。だからこその、【一つ予言】なのだからね」
けれども、彼女はできなかった。
できるはずがない。
「しかし、それならばどうされたのです?」
ベルナデットは首を傾げる。
「あの方に、そのような邪性はまったく感じられませんわ。私も魔力使いではありませんけれど、それほど巧妙に隠し通せるものでしょうか」
「確かに、あんたに魔力使いの才能はないね」
ガイルムはあっさりと宣告する。
(う……。もしかしてちょっとは、と思っていたのに)
わかっていたことではあるけれど、彼女は少しがっかりした。
「だけど、あんたの瞳からは隠れられないね。そういう体質なんだよ。さらにとても古い神の加護もあるからね」
(そうなの?)
首都で暮らしていて、特にそれを感じたことはない。超常現象とは無縁の人生だし、両親から何か言い含められたこともなかった。
「それは私が口を挟める領分じゃないのでね。まあ、あんたの家族にでも聞くんだね」
それはもっともだった。
「私はね、あの子に強力な封印を移して難を逃れようと考えた」
なるほど。
「え?」
移した?
一瞬納得しかかって、彼女は即言葉の違和感に気づいて老婆を見つめた。本当に勘がいい、とガイルムは笑う。
「そうそう。そもそも私は魔力使いじゃないからね。封印などできない。できたとしても、あんな強いモノを封じる力はまずないね。だから、せいぜいが先人の残したものを利用するくらいしかできない」
「先人の……」
もしかして、とベルナデットは唇に指を当てる。思いがけず震えている。
「そんな……。では……。いえ、できるはずが……」
やったんだよ、と地の底から響くように老婆は答える。
してはいけないことを。
「女神は初孫か、世界かを見捨てるように求め、私はどちらも選べずに……」
そう、強く封じる力はその頃の王国にあり、そのときも、今も効力を発揮し続けている。
「自分の王国と臣民を見捨てたんだよ」
ベルナデットは思わず立ち上がった。その拍子にカップが揺れ落ちて、床でくるりと半円の軌跡を描く。
「濡れたね」
ガイルムは拭くように、と彼女へ手布を差し出す。スカートを伝って、足の甲へと冷えたお茶が滴っていた。
「では、今の炎竜と火の力は……」
「そうだね。私のせいだね」
「アデルのご両親たちが亡くなったのも……」
「反動が大きくてね。予想外に被害が広がってしまった」
「ルブルたちの姿も……」
「ああ。あれはさすがに驚いた。多くは力の放出に耐えきれずに即死してしまったからねえ。生き残った者の外見が変わるなんてねえ」
自分が行った決断に気づかれる前に
耐性があって生き残った僅かな大人たちに王子を託し、生き残った子どもたちをまとめて国外に出るように指示した、とガイルムは続けた。
「どうも子どものうちは順応できるようでね。大人たちの一部が幼子族めいた姿になったのも、そういう適応らしい。それでも、生き延びられただけで成長は止まってしまうようだがね」
こともなげに老女は言う。
それなら国境を越えて災害の地から離れたら、また違うのでは? とベルナデットは一瞬考えたけれども、そんなことはとっくに試しているだろう。
「そのまま、全員で落ち延びてくれたら、と思ったのだけどねえ。そううまくはいかなくてね。アデルを連れていると、国境を越えることはできない」
その辺は、私も後で知ったり、推測した部分になるんだけどね、と補足して、ガイルムはまた外を窺う。
回数が多いわね、とベルナデットは不審を感じた。
時間を気にしている?
「外国に伝手のある者はそちらを頼って、数人ずつ国を出られた。これが国外脱出組。ラウリンと王の側仕えだった者たちはアデルを守って、国境近くの別宅に身を寄せた。こちらは国内残留組。二手に分かれるしかなかった。おまえが読んだというラウリンの書き付けは、そのときのものだろう」
でも、とベルナデットは口を挟む。
「それならおかしいのでは? 私は王子と首都で出会っています」
「そう。そう思うだろうさね」
ガイルムはまた茶を口にした。
「あの子も一定の条件下なら、国境を越えられるのさ。ひとつは私が贈った外套を被っていること、もうひとつは……、まあそれはいい。今は」
ガイルムは屋根に視線を流してから話を変えた。
「とにかくおまえが思いつく異変のほとんどすべてが、私が孫息子を選んで他を見捨てたせいだ。それで間違いはない。要は、私が十数年前の災害を引き起こした犯人ってわけさ」
ちょっと……。それは……。
ベルナデットの中に数多くの感情が、一気に沸き起こって言葉にならない。
領主が民を見捨てた? 冷静に選んで。いえ、それはわからない。それほど単純ではない。
天秤にはかけている。
だけど、それが自分の孫に関わることだったら……。
仕方がない、と言える?
多くの死がひとりのために?
仕方ないと?
お父さまなら……。
どうされた?
お祖父さまたちなら?
自分なら見捨てられる?
国のために。
例えば……。
たとえば。
(月琳を見殺しにして、赤の他人を助ける……?)
ぞくりと悪寒が走る。それは、自分の根幹を揺るがす問いだ。
「あんたは……」
ガイルムは、すっと目を細める。
「ちゃんと為政者の娘、なんだね……。正義感もある。理屈も通る。あるべしと目指すように心が動けるんだね……」
ベルナデットは、はっとして表情を引き締める。気づかぬうちに感情が、溢れていた。
「いいや、気遣いは無用だよ。あんたには嫌悪が出ていた。それは正常な感覚だ。同時にいろいろ考えたね? しっかりした領主が治めているところなんだね、ベルフォールは」
それでいて、最後には素の自分に当てはめて想像する力もある、とガイルムは思ったが、そこまでは口にしなかった。踏み入りすぎる。
ええ、とベルナデットは呼吸を整えた。荒くはないけれど、心臓は高鳴っている。まあ、落ち着いて座りなさい、と年上らしくガイルムは彼女に勧めた。
「一応ね、大元をどうにかできやしないかと考えて当たったんだよ、これでも。それなりには準備をしてね。だが、力が足りなかった。私は重傷を負ってしまい、国外へ逃れるまでがせいぜいだった。異変を嗅ぎつけて調査に来た魔力院に拾われて、意識を取り戻したのは半年が過ぎてからだったね……。それから動けるようになるまで数年。そのときにはノレイアの国土に入ることはできなくなっていた。アデルとは反対にね」
外套を使おうと何をしようと、こればっかりは今も無理なんだ、とガイルムは寂しそうに告げる。
「もっとも、あの国に顔向けなんざできないがね」
「それでは……。彼は、ノレイアはどうにもできないのですか? 魔力院の結論は……」
ガイルムは首を振る。
「あいつらは、別に問題を解決して回っている集団ではないんだよ。彼らの目的は、あくまで全体として世界の平安が保たれていること、魔力による被害が広がって行かないこと。そういう意味では、私の移した封印は有能だったんだね。ノレイアの国民は大半が死滅してしまったから、国としての体を為していない状態になって、そのうえ、禍いは国境で押し止められている。もっといいことに」
言葉とは裏腹、ガイルムはこの上なく苦々しく顔を歪めた。
「この災害はね、アデルが死んだら消えてなくなるんだ」
「え?」
「私も詳しい理由は聞かされていないんで、どういうことかは説明できないんだがね。どうやら移した封印によって、地の力とアデルの中にある禍々しいものは強く結びついたらしくてね。アデルという器が消えれば、この問題も消え失せる」
「それでは、王子の身が狙われるのでは……?」
ああ、それは大丈夫、とガイルムは弱く微笑する。
「下手に刺激するよりも、現状を維持して時間で解決する方を選んだんだよ、魔力院は。そう、百年もせずに解消するだろう、とね。さほど長い時間ではない、と」
魔力使いは長命だからねえ。気が長いのさ、と彼女は付け加える。ベルナデットはサクヤを連想した。確かに年齢不詳で物知りなところは、老人めいている。
「それまでノレイア王国は監視されつつも放置されているってわけさ」
世界全体としてはそれでよいかもしれない。
けれど。
ベルナデットはぎゅっとスカートを掴んだ。濡れた布が肌に触れて気持ち悪い。
それでは国は滅ぶだろう。
今のノレイアは、国としての体を為していない。かろうじて、アデルという王族が残っていることによって僅かな臣民が集団を作っている状態だ。
だから、彼は未だ王子なのだ。
こんな事情では戴冠などできようはずもない。
それ以前に国としての実体がない。今アデルが死んでしまえば、災害も消えるだろうが、国も無くなってしまう。
「よく、私との縁談が放置されていますこと……」
「魔力院はそういう分野には興味がないし、積極的にノレイアを滅ぼしたいわけではないからね。大体さ、普通のお嬢さんは国内事情を理解したら逃げ出すからね。今までそれほど問題にもされなかったんだろう」
しかし、この先はどうだろう、とガイルムは思ったが、黙っていた。
目の前にいる少女のような人物が現れることは予想していた。誰かはここまでたどり着くだろうと。占いでも何でもなく。
ただ、ベルナデット・ベルフォールのような、とは考えもしなかったのだ。
自身に潜む力も知らず、原初の神に見守られているような……。
それが吉と出るか、凶と出るのか。ガイルムは幾度も占ってみたけれども、ヒントも得られなかった。
(だが、もうためらっている時間はない)
「さて、ここからが本題」
彼女はまた煙管を吸って、煙を吐き出す。
「災害を振り出しに戻す方法が、ある。ただし、実行するのはあんただよ」
「は?」
ベルナデットは目を丸くし、それから首を傾げた。
(今、なんて?)
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