6章(2)知らない歴史

(何でもいい、役に立つ知識が見つかりますように)

 ベルナデットは手を組んで祈り言を唱えた。本を開くときには、ユアンに昔教えられたように女神たちに祈ってから、が癖になっている。


 年寄りみたいだ、とセヴランなどは笑う。

 けれども、そうすると本はベルナデットに大切なことを囁いてくれるような気がするのだ。


 初めのページには、ベルナデットも聞いたことのあるような、よくある『国の成り立ち』について書かれている。いかにも第一章らしい当たり障りのない内容だ。

 本に教えられるまでもなく、ノレイア王国がとても古い国であることは、彼女も知っている。


 おそらくは、上古にドワーフの見つけた鉱脈があったのだろう。放棄された鉱山を中心に自然発生した集落が山の中腹にある街道と商業的に結びついて発展し、人口の増加と共に産業に高山農業と畜産が加わって、王国を為した。

 同時期には、大陸の平野部にも多くの国が誕生し、争いあってひとつになったり滅びたりを繰り返していた。いわゆる戦乱の時代である。


 ノレイアは、高山という立地のほか、大陸の主要商業ルートが海洋貿易であったことから、長らく戦火とは無縁だったけれど、鍛冶需要の高まりが刺激となって景気は上昇し人口が増えていった。そのうち内需だけでは、到底増加人口の生活をまかなえなくなったために、次子以下として生まれた国民は出稼ぎ、多くは傭兵を生業として独立するようになっていった。

 このころがノレイアにとって、もっとも勢いのあった時代だろう。


 最盛期は幾つもの傭兵団がノレイアを拠点としており、王国の庇護下にあった。それらの兵力を目当てとして幾つかの有力な国から王家への輿入れが行われ、次第に王家としての格を上げていった。

 しかし、ここ百、二百年ほどは大陸全土を巻き込むような大きな戦争は収まってしまった。当然、傭兵の需要は激減し、それに伴って国勢も衰え始め……。


 ところが、この零落が始まったところで、それを埋め合わせるかのように宝石の鉱脈が見つかって、一大産出国に成長した。以前より規模は小さくなったものの安定した王国運営が実現できたのだ。


(運のいい国)

 歴史を素直に受けとるのなら、それが率直な印象だ。

 現在のノレイアに足を踏み入れた後で、とてもそんな無邪気な気持ちにはなれない。

(背後になにもないのなら、だものね)


 その後も、ノレイアでは、古い国々の王家の血、特に傍系とはいえ、今では滅んだ帝国の血すら受け継いでいるため、さまざまな王者から王族への求婚が続いた。結局、大陸の宗主国である大公国の先々代と縁づいて、藩王国として服属国よりも一段高い特例的地位を得ている。


(この辺はざっくりとは知っていたことだわ……。こんなに詳しい話ではなかったけれども)

 ここまでは、特に伏せることもない内容で、おそらくは図書館外の書物、もしかしたら軽い読み物でも近いことは書かれているだろう。


(ノレイアにそこまで関心を持つ人がいるかはわからないけれどね……)

 ベルナデットがそう感想を持つほど、今のノレイアは藩王国とは思えないほど没落している。


 歴史を知っている者なら、あの! と興味を持つかもしれないが、ほとんどの人間は「そんな古い国があったなあ」と骨董品の話題を振られたのと同様の反応をしてしまうだろう。


「何があったんだろう……」

 歴史の流れを考えれば、それはせいぜい二、三十年以内のはずだ。


 ベルフォール領とノレイアは大公国を挟んで方角がほぼ正反対といっていい。縁談がどうこうという展開になる以前は、教養の一部として名前と概略を知っている程度に過ぎなかったのだ。つまり、政治的にも、産業的にもほぼ関わりがない。


 ひとつの章が終わり、ベルナデットは次の章へとページを繰り……、止まった。


「……。白い」


 開いた左右のどちらにも、文章も絵図もない。

(なるほど……。こういうこと)

 ふうん、と彼女は息をつく。


 本の厚さから考えても、ここで終わりなわけはない。部分的に復元された写本でもなく、ページの抜けがあるような破損の痕跡もなかった。


(見せないって、そういうことなんだわ)

 私には一般的な知識しか教えられないってこと……? そう判断された。

 サクヤの言葉を信じるならそうなる。


(でも、一応、私はそこの王子にプロポーズされてるんですけど?)

 王家の一員になるかもしれないのに情報は教えないなんて、それを一冊の本が決めるなんておかしくない? と思うのだが、失礼だ、と本に無礼を説いても仕方がない。


(人格があるわけではないということだから無駄かもしれない)

 ベルナデットはもう一度、祈りを捧げる。


(どうか求める知識に出会えますように……。あのちいさなひとたちのためにも)

 瞼をあげたとき、紙の上を文字の形をした光がさらさらと流れ過ぎ、さきほどまでは見えなかった本文が現れていった。


「ありがとう……!」

 つい、ベルナデットの口から感謝がこぼれる。子供っぽいだろうか?

(いいわ。人格はないだろうけど、意識がないとは限らないもの)


 第二章は、天劫災害についての記録が記されていた。

 いつから、それが起きたのかは定かでない。


 上古には火の山であったという一帯は長らく静けさを保っていたが、あるとき地面が割れて真っ赤な火を吐き、そこにいた家畜を飲み込んだ。しかし、これはすぐに閉じてしまったので、異変ではあったが、誰も大事に繋がるとは考えなかったようだ。


 奇妙な出来事として記されたそれが、振り返れば天劫災害の始まりだったのだろう、と本をまとめた者は推測している。

 周囲の地面はやがて熱を帯び、大地に惹かれるようにたびたび炎竜が飛来し、全国民は天劫の到来を知った。


 災害には波があるようで、地の熱が低めで炎竜が来ないときもあれば、数匹に悩まされる年もあった。しかし、次第に規模も頻度も拡大してゆき、ついに放置できない事態へと進む。それを受け、王の号令により根本的対処が行われることになった。

だが。


(何をしたかっていう、大事な点は書いてないのね……)

 私には教えられないということだろうか、とベルナデットは考えた。


 その疑いは次のページを捲って、すぐに晴れる。というのも、国をあげての一大事業であったそれは、実施事体がだいぶ昔のことで、記録が編纂されたときには言い伝えとしてしか記憶に残っていなかったのだ。

 編纂に辺り、責任者は古老を訊ね、聞いて回ったらしい。ゆえに、曰く、と注意書きがある。


 わずかに残っている情報としては……。


(女系王族に強い魔力使いが現れ、その者が何事かを為した、と)

 でも、解決はしなかった……、彼女はそう感じた。

(もしも、それで終わった話なら、こうして隠されるほどの秘匿書にならないわよね……。古い戦場のように傷跡として聞き伝えるだけじゃないのかしら)


 紙面に光が走った。途切れていた文章の続きが浮かび上がる。

 正解に近い考えを持ったから、許可された、ということだろうか?


(うーん、なんだか試されてるようだわ)

 それも、あながち思い込みではないのかもしれない。重要な情報はおいそれとは開示できないだろう、と彼女は慎重に文字を追う。


 そこには天劫災害の記録が、こうして記述され、王家…… おそらく最初はノレイア王家の書庫に収められた理由が記されていた。

 ほんの十数年前、封印されたはずの天劫災害が活性化したのだ。

(これが、アデルの話していた天劫災害のことでしょうね)

 時間的にも一致する。そのページの右上にはノレイアの年号が追加されていた。


 そこから始まる二章の最後、本来は余白であり、第三章との境界を明確にするために用意されていた三枚ほどのページに正式な書写ではなく、急いで書き留めたような、追加された文章がある。

 インクだまりも気に留めない、緊迫した筆致だった。乱れ具合から筆者の心境が伝わってくる。彼女はそっとそれを指で触れた。


 書かねばならない、強い使命感によって為された文章。


(きっと、この部分がこの本を秘匿書たらしめているのだわ……)

 新しく起きた天劫災害をできるだけ詳しく残しておくために、誰かがことの次第を書き留め、国外へ持ち出したのだろう。

 ベルナデットはすっと文字をなぞる。


「魔女が、封印を破った……?」


 魔力使いではなく、そこには魔女、と記されていた。自然と声に出る。

「王の身内に邪な心を持った魔女が現れ、かつて王家が施した封印を破った。地に眠る火が宮殿の奥で迸り、多くの者は最初の閃光で命を落とした。僅かに助かった者のほとんどはルブルに姿を変えられ、以前の自分を失ってしまった」


(やっぱり、あの小さなひとたちは、本来は私たちと同じような人間だったのだわ……)

 それはほぼ確信になって理解できていた。


「魔女は生まれたばかりの王子も害そうと試みたが、失敗した。理由はわからない。王子が魔女を退けたように見えた、と生き残った近習は言っている」

 筆者は見ておらず、伝聞だった。いや。


(伝えた者も,そう長くはなかったのかも)

 当時の混乱の中でかき集められた断片なのだから、どこまでがどのように正確なのか、それも疑う必要がある、とも彼女は考える。それにしても。


(王子が、退けた……)

 噛みしめてベルナデットはもう一度黙読した。


 アデル。あの端正な容姿をした王子。

 そのような超常の力を持つひとだろうか? 作物を無事育てること、民と平和に暮らすことしか頭にないような、そんな善意に溢れた人物としか思えない。


 いえ、わからないわ、と彼女は自分を諫める。

(能力は、そのひとが人格者であるかはもちろん、性別も外見も何も関係なく宿るもの……)

 そのことは、自分自身が最もよく知っているではないか、と。


 のち、かろうじて命を長らえた人たちは赤子だった王子を連れて国境近くにあった王族の別荘であり、迎賓の役割を持っていた館まで逃げ延び、そこでこれをしたためたと結ばれていた。


「ここで、終わってる……」

 他に文字が現れたりしないだろうか、と本を持ち上げてみたり、ページを透かしてみたり、別の章を開いてみたりとしたけれども、それ以降は国勢などを紹介した一般的な地誌以上の情報は見当たらなかった。

「見せられない何かがあるわけでもなさそう……」


(つまり、この追記された文章以上のことは書かれていない……)

 いくら秘匿書といっても、記した者が知らないことまでを含んだりはしないのだろう、とベルナデットは結論づけた。

 この一冊は、誰かが追加した最新の天劫災害ゆえに、秘匿書としての性質を持つに至ったのだろう、と。


(でも……)

 それだけなのだろうか? とも思う。


 天劫災害は確かにタブー視されることが多い。それでも施政者にとって絶対的な忌避事項というわけではない。むしろ、万一のために知識を有していなければならない類のものだ。

 だから、サクヤが言うように“読む資格〟によって図書館や司書は開示する情報を選別している。必要な立場の者が行使できるように。


(それにしても、はっきりしないことが多いわ)

 アデルと、その家族に何が起きたのか、実際のところは不明なままだ。書いた人間は目撃していないのだから、当然、わかるはずもない。

 それなのに秘匿書と成ったなら……。〝ある〟ことすら気づかせたくないような……。存在すら隠しておきたいような、そういう特別な〝何か〟があるのだろうか。


「まるきりゴシップの世界ね……」

 世間には、そういった怪しげな伝承や悪意に満ちた噂話をまとめた民衆用の雑紙ざつがみも流通していて、貴族でもそちらを読んだり胡散臭い術を実践したりする趣味の者は多い。けれども、ベルナデットはこれまでその界隈とは無縁に過ごしていた。

 ゆえに全く関連知識がない。


「うーん。どうなんだろう……」

どうせ調べても怪しげな話しか発見はできないだろう。ならば、今の時点であれこれ想像しても仕方がない、と彼女は割り切った。

 見切りのよいところは、父親譲りである。

 そうでなくとも、図書室にいられる時間は限られている。


「でも、その前に……」

 封印を施した魔力使いと、悪事を為した魔女が、どちらもノレイア王族の関係者という点が気になった。念のため……、とベルナデットは、一通りノレイア王家の系譜に目を通す。


 始祖が誰で、アデルはどの枝に属しているのか、その血族はどう広がっているのか、知っておいて損はないだろうと踏んだ。


「ほかには……」

 書棚の一角に温かな光を感じて、彼女は立ち上がる。導かれている感じがした。

手に取って開けば、それは酷い災害、それこそ天劫や呪いを克服しうる特殊な農法についての一冊だった。


「きっと、小さいひとたちが喜ぶわね……」

 ふっと浮かんだ微笑みが、自分自身でも意外だった。

(そういえば、ノレイアの話をしたら、セヴラン様が変な顔でこちらを見ていたわね……。まあ、あの方は私には思いやりや優しさといった美徳が欠落していると思い込んでいる方ですからね。失礼なことに)


 それを差し引いたとしても……、という自覚くらいはある。


「よくも影響されたものだわ……」

 あの国の、のんびりした空気と悪意のない朗らかな人たちが、もう懐かしくなるなんて。

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