6章(1)若くて老いた魔力使いの3つの願い

 それは……。


 私は聞いてもいい話だったのかしら……、とベルナデットは困惑した。

(後から、これを飲んで! ここでの記憶が全部消えるから! とか言われても困るのだけれど……)


 相手の思惑に気づいたのか、あれえ、とサクヤは思案顔になって、いや、本来こういう話はあんまりしちゃいけなかったんだっけ? なんか魔力院がそういうこと言ってたような……、誰まで大丈夫だっけ? とぶつぶつ独り言をした後で、勢いよくバンと机に両手をついた。


「うん、そっか! 君には魔力なかったね! ゴメン! まあ、まあ、いいか。ユアンの孫だし!」


(ざっくりしてる!)


 ということは、ユアンじいさまにも何か魔力に関わる能力が? と疑問に思いつつも、曾孫です、とベルナデットはそっと訂正したが、サクヤはまったく聞いていなかった。曾祖父に魔法じみたなにかのエピソードなんて、少なくとも記憶にはない。


「ともあれ、そういう理屈でね。禁書の間と秘匿書の間には僕が強い魔術を掛けている。資格のある者だけが立ち入ることができ、かつ資格に見合った情報しか読み取れない、という魔術だ。そこは基本的には自立型になっていて、詠唱魔術を魔方陣に落とし込んでいてね、該当する人間が入室すると、その魂の刻印を読み取って……。うーん、いや、それはどうでもいいか! とにかく、禁書の間は身分や地位に応じて、僕が許可を設定してるんだけど……」

 彼女はふと口を閉じて、じーっとベルナデットを見つめた。


「ところで、きみ、綺麗な瞳をしているね」

「はい?」

 にこりと笑う。また話が飛んだ、とベルナデットはたじろぐ。


「少しユアンを思い出すな。やっぱり血筋だね。初めて会った頃のユアンはまだ成人したばかりでさ、少年らしさが残ってたよ。きみとよく似た雰囲気だったなあ……」


(成人? は?)

 何の話なのか。ベルナデットは戸惑った。

 それ以前に、ユアンの目は水色で、顔も含めて彼女が曾祖父に似ていると言われたことは一度もない。

(何を言いたいの?)

 かつてユアンが何かしらをした。そのことを知っている人間が目の前にいる。

 気にならないといえば嘘だ。しかし、気になるものの、彼女の気の逸れやすさを考えて、ベルナデットはぐっとそこを堪えた。


「あの、それでは秘匿書は」

 そうそう。ごめん、すぐ注意が散漫になっちゃって、とサクヤは頭を掻く。本当に! と合いの手を入れそうになる自分をベルナデットは抑える。


「読みたいのは天劫災害の記録だったよね? その手の報告書は必ずしも秘匿書や禁書ってわけじゃないんだけど、ものによってはそれ自体が呪いを発動させることもあるんだよね、これが。ゆえに一部は、魔術書ではないけれど秘匿書に認定されている。というわけで、君が目標にするのは秘匿書の間ってことになるね」

 一気に核心すぎて、ベルナデットははっと息を呑んだ。今度は話が早すぎて内容を取り零しそうだ。早口でもあるし。


「で、秘匿書の間への入室は、僕が逐一判断する。こうやってね。確認するわけ。人柄を観るというか、それは僕の別の魔力でもあるんだけど……。あっ、方法は秘密だよ。聞いても教えてはあげない! とりあえず、きみは合格かな。資格はありそうだから」

 ベルナデットはほっと胸をなで下ろした。試験などがあるとは思わなかったが、面接とやらもずっとサクヤが喋っているだけだったので、内心どうなっているのかとひやひやしていた。

 小柄な室長は、実はねえ、と部屋の壁を見上げる


「もうここが秘匿書の間なんだよね。きみ、入ったときから書架を目で追ってたよね? 背表紙が“見えて”る時点で、条件のひとつはクリアできてるってことなんだけど……」

 サクヤは小首を傾げた。ベルナデットもつられる。


「でも、先に断っておくけどね、僕が許可を出しても目的の本が読めるとは限らないよ」

 ベルナデットは頷く。それは覚悟はしていた。


「つまり、私が求めるような書物や記録は残されていないかもしれない、ということでしょうか」

 内心はそんなことあるだろうかとも思う。天劫災害が報告されないということはありえないとはいえ、完璧に伝わるとは言い切れない。どこまでの内容が書かれているかはともかくも。

(破棄された……。とか?)

 それならありうる。否定できない。


 いいや、とサクヤは首を振った。


「読者に読ませる内容を決定するのは、本それ自体だからだ」

「は?」


 サクヤは、ぱちんと手を鳴らす。と同時に、壁に備え付けられた書架はぼんやりと光り始めた。


「君には秘匿書に触れる資格がある。それは確認できた」

 代わりに窓の外はふっと暗くなり、サクヤの姿に陰が落ちる。さきほどまでの朗らかな印象は一瞬で消え失せる。

 ここに来て初めて彼女は老練な魔術士の姿を見せた。


 ベルナデットは驚いて、つい立ち上がった。

「何……?」

 ねえ、とサクヤは歌うように訊ねる。


「ここにどれだけの本があるように見えるかい? 君の目には」

 どんな謎かけなのか、ベルナデットは慎重に語を選ぶ。


「そうですね……。見たままで言えば、二百か三百でしょうか」

 サクヤは、「まあまあ、良い言い方だね」とまたにこっと笑った。よく笑う人のようだ。


「それが、まずは君に存在を知られてもいい、と自ら決めた本の数だね」と説明しながらサクヤは立ち上がって、手近な一冊を手に取った。


「で、これはどんな本に見える? ああ、別に答えなくていい。僕には厚い本に見えるけれど、もしかしたら君にはそうでもないかもしれないよね」

 サクヤは本を開いて、中のページをベルナデットに見せた。


「そして、ここには何が書いてある? 一部しか書かれていないか? 君と僕とでは見える情報が異なる。文字だけかもしれないし、古い言語で読めない文字かもしれない。それとも何もないかもしれないね。あるいは絵か……。もしかすると何もない白いページすら、そこに“ある”ことを本は君に教えてくれないかもしれない」


 僕らは書を司るといわれるけれども、実際には書に仕えてるようなもの。仕書かもしれないね、と誰宛てでもなく呟いて彼女はぱたんと本を閉じ、もとの棚に置いた。


「秘匿書とは、すなわち魔力を帯びた本のことだ」

 強い言葉だった。


 このすべてが? とベルナデットは周囲を見回す。


「そうだね……。これらは強い魔力を浴び続けてそうなったものもあるし、書かれた内容のせいでそうなったものもあるんだけど、どれも共通した特徴があるんだ」

 意味がわかるかな、とサクヤは準備させるように言い置いて


「秘匿書は己を偽装する」


 多くの場合、人格を持っているわけでもないんだけどね。不思議だろ、と彼女は肩を竦めた。

 多くの、ということは人格のある本もあるってこと? とベルナナデットは驚いたけれども、またまたぐっと堪えた。話が行方不明にならぬように。


(レアケースだとしても人格を持つ本があるってことになると……。それは読み手の資質で判読できる文章が変化する、というのとは、また全然違う話になるわ!)


 それが、自分の読みたい本だったらどうすればいいというのよ……、と憤りのような気持ちが浮き上がる。いや、どうしようもないのだろう。


(ああ。ダメ……。今は、そうでない方に賭けるほかない。それにしても、これも私に伝えてもいい内容だったのかしら)

 やはりサクヤは隠しておくような話をぽろぽろこぼしてしまうタイプのようだ。いちいち指摘していたら、時間はどれだけあっても足りない。でも、気になる要素が多すぎる!


(いつか聞いてみよう……。今日が終わっても覚えていたら!)

 とはいえ、あやしいものである。

 ベルナデットは、衣服を正して椅子に腰掛け直した。


「つまり、ここにある秘匿書とは、そういう性質のものなんだ」

 わかるかな? と彼女は理解を促すように一度黙った。


(って言われても!)

 初耳の話に溢れていて、それをすべて飲み込めとは無理な要求ではある。彼女は「努力しています」とだけ口にした。サクヤは、何度もしたように、うんうん、と楽しそうに頷く。


「さらに加えれば、種類も一様ではないんだよね。これが、困ったことに」

 困るといいながらも何故こうも愉快そうなのだろう、とベルナデットは不平を飲み込む。意地悪からではないようではあった。


「君が探しているような記録をまとめたものもあれば、魔術書もあるし、それ以外にも厄介な特性を持った書籍もある。その一冊一冊がそれぞれに、君に読まれてもいいか、どこまで読ませていいかを決めることができる。目に映っている本はそういうものだ。だから、今回君の求める情報ではないものも、君が一覧した中には含まれている。すなわち」

 彼女は肩を竦める。


「要はね。君には時間が限られているのに、ここにあるのかないのか、あったとしても読ませてくれるかもわからない本とこれから格闘しなければいけないってわけ」

「………」

 意味を、ベルナデットは咀嚼した。


「って。ええ!」


 そうなんだ、ゴメンネとサクヤはウインクした。

 愛嬌の使いどころを間違えすぎていて、ベルナデットの神経を逆なでしてくる。


「なかにはわざわざ外国語で表示するようなひねくれた本もあってね、君に素養がなければ、それも読めない。イタズラ好きなんだ」


 それはイタズラといえるのだろうか? 悪意ではなくて? と彼女は握りこぶしを作る。

(条件がどんどん厳しくなるじゃないの!)


「それから、ここがもっとも重要なことなんだけど」

「まだあるんですか!」

 うん、ごめんごめん、とサクヤの謝罪はあくまで軽い。


「僕がした話のうち、秘匿書の間における規則の部分なんかは外にでたら忘れてしまう。ここでの会話は記憶の泡に包んだ状態になっているんだ、大体はね。何を言ってるかわからないと思うけど。とにかく、きみが持って帰れるのは読んだ本の内容だけなんだよ」


 案の定、そういう仕掛けがされている。

 それはそうだろう。サクヤには、中身を線引きして喋ることなど難しいだろうと初めて会ったベルナデットでさえ予想できるくらいなのだから。

 じゃあ、余計にのんびりしていられないわ、余計に、とベルナデットはさっと立ち上がる。

 持ち帰りできるものをできるだけ集めなくては。


「でしたら、もう調べ物をさせていただいても?」

「うん。君の求める知識へと導かれますように」

 サクヤの声は年老いた者のように乾いていて、深く深く空気に響いた。


(導くと言われても、どうやって)

 決まり文句だろう一言を胸に受け止め、ベルナデットは書架を見上げた。

 書籍にはすべてラベルがない。開かなければ内容はわからないということだ。装丁もバラバラで統一されてはいない。加えて外観から推測するのも無理そうだ。


(私は……。まずはノレイアの国としての事実を知りたい)

 あの国は何なのか。どうしてあんなことになってしまったのか。

 もとはどういう風土だったのか。

 どんな人たちが暮らしていた場所だったのか

(それを教えて欲しい……)


 胸元で両手を握りしめると、視界の端で柔らかく小さな光が灯ったように思えて、彼女はそちらへ進んだ。

 所詮、本を選ぶときはいつも直感だ。


 臙脂色の布に上品な装飾を施した一冊がある。

 表紙を開けば、そこには『王国周辺諸国の地誌』と記載があった。目次には、ノレイアの名前もある。


(最初はこれからでしょうね)

 書架の傍らにある小さな書机に本を置いて、彼女は椅子に腰掛けた。

 さきほど、サクヤと会話していたときに使っていた椅子は、いつのまにか消えている。逆にこの書机にはこれまでまるで気づかなかった。


 そもそも、この部屋は狭いのか、広いのか。

 端に向かうとそこが部屋の中心になったようにぐっと空間が広がるような感覚がある。なのに、認識はひとつの部屋としてのまとまりがあるままだ。酔うこともなく、自分の中でつじつまは合っている。


(目に入っていなかったのか、あるいはなかった、のかも)

 それももう不思議とは思わない。魔力使いが支配する、ここはそういう領域。


 目次にあるノレイアのページを指ですっと確認していると、「待って」とサクヤの制止が入り、彼女は顔を声の方に向けた。


「まだ、読んではいけないのでしょうか」

 ううん、とサクヤは首を振る。


「ただ、ね。作業に入る前に、ひとつ。お願いがあるんだ」

 ああ、でも、できるかな……、と一瞬ためらいを見せ、けれども、サクヤは思い切ったように告げた。


「君のこと、ベル、って呼んでいい、かな?」

「は?」


 あ、はい……。どうぞ……? というベルナデットの返事を聞いて、サクヤは幼子のように嬉しそうに微笑んだ。


「やったね! ついでに、図書室のことも好きになってくれないか」

(ひとつじゃないじゃない!)

 またか! と突っ込みたかったベルナデットは何とかその誘惑に耐えた。この人の矛盾をあげつらっていたら、それで一日が終わってしまう。


「大丈夫です、幼い頃から図書室は大好きなお気に入りの場所ですから」

 そうだと思った! と彼女は嬉しそうだ。


「それで……、僕と友だちになってよね」

 彼女はつかつかと近づき。ベルナデットの手をぎゅっと握りしめて,紫の瞳を覗き込む。サクヤは小さいのに、何故か巨体にかがまれているような感じを受ける。

 暗い瞳には、光はない。とても長い時間をため込んでいる。


「ね? いいだろう? ユアンがそうだったみたいにさ」

(ああ……)


 ベルナデットは腑に落ちたように感じた。

 ユアンが何故、特別だったのか。


「それは、ええ。喜んで」

 おそらく何十年も生きているだろう若くて老いた魔力使いは少女のようにはにかんだ。

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