5章(4)圧の強い人との出会い
「ちがっ……!」
エラの手前もあってベルナデットは真っ赤になった。セヴランは気づいて訂正する。
「あ、そうか。ハーレムじゃなくて逆ハーレムか。女主人を目指すなら」
「だから! 違います!」
おかしいな、そんなようなことを昔よく言っていたじゃないか、とセヴランは指を顎において思案顔をする。
「いや、待てよ? 違ったかな? 今、思い出すから」
「もう結構ですから……! セヴラン様は本当に私に関心がございませんのね。よ~くわかりました!」
ふん、と顔を背けるベルナデットを、司書は「お早く」と急かした。彼……、か彼女かは不明だったが、とにかく司書が正しい。図書室に滞在できる時間には限りがあり、夕刻までには退出しなければいけない。
でも、これだけは言っておかなければ、とベルナデットは慌てて言葉を継ぐ。
「とにかく、私にも考えがありますの。ですから、必要が生じましたら、この前の借りは返していただきますわよ」
にっと彼女は笑う。
あー、やっぱり、そう来るか、とセヴランは頬を引きつらせ、それからふっと力を抜いた。
「君らしいよ。何かはわからないいが、いいさ。頑張れ」
言われなくとも、とベルナデットはスカートの裾を翻して、奥に向かう司書の後を追った。それを見送りながらも、セヴランはとても遠い気持ちになる。
幼なじみの女の子がずっと離れた場所に行ってしまうような、もう二度と彼女には会えないような。
「セヴラン様?」
エラが彼を見上げ、そんなバカな、とセヴランは感覚を振り払った。
「書架を案内するよ」
ベルナデットはもちろん、セヴランでさえもホールの先に、足を踏み入れたことはない。
ホールの奥にある扉を抜けるとひとつめの禁書の間がある。そこへはベルフォール辺境伯ら、家督を継いだ爵位のある貴族であればまず入ることができる。
入室したことはなくても、そういう部屋があるということはユアンから聞いて彼女も知っていた。
さらにその奥には、より厳重に管理された秘匿書の間があるとも。
以前、曾祖父が禁書の間を通って室長に会いに行ったことと考え合わせても、目的の部屋は秘匿書の間か、その隣辺りなのだろうとベルナデットは想像していた。
通された禁書の間はこじんまりとはしていたが、壁の全面、天井につくまで大きな書架が嵌められており、そこにはぎっしりと古びた書籍が詰め込まれていた。いかにもそれらしい。
高い天井の果てには天窓があり、どういう仕組みかは不明ではあるものの、そこからの自然光と幾つかのランプの灯で、室内は充分な明るさがある。
(そういう力の方なのかしら……)
それとも、今案内役をした目の前にいる司書の力かもしれない。
司書は小さな扉の前でぴたりと止まる。
不自然な作りだ、と彼女はすぐに感じた。
それまでの、いかにも王室好みらしい質実剛健でありながら豪勢な意匠と異なり、美しい造形ではあったけれども、その扉は瀟洒な別荘のように繊細で華奢だった。
(……いえ。それもあるけれど、それよりも)
小さい。
お伽噺に出てくる妖精やドワーフたちの家のように小作りなのだ。宮殿付属の施設として作られている図書室のものとしてはあまりにも。
「室長の許可は出ております。どうぞ、こちらの扉よりお入りください」
司書はすっと、身を脇に滑らせて腰を屈めて礼をした。頭から被っている布がさらりと肩から落ちる。
異国では男女問わず、頭巾状に布を被る民族もあるという。この司書がそうなのかはわからない。ただ、髪がほぼ覆われてしまい、性別すらも定かでなくなっている。男性だとしたら、女顔といわれることもあるかもしれない。話し方も声質も、低く落ち着いた女性ものといわれたら、そうとも受け取れた。
そのまま動かないので、ベルナデットは戸惑った。当然すべきとは思わないが、こうした場所では係の者が扉を開けるものと決まっているためだ。
「ええと?」
司書は微動だにしないまま答える。
「こちらは貴女様専用の扉になりますので、私は入ること適いません。扉が見えている、ということは、ひとまず面会は合意されたということですので……。私は、ここで控えております。大変申し訳ございませんが開けて差し上げることもできません。私には見えませんので……。ご自身でお願い致します」
そうなのか、とベルナデットは頷く。
どうやって大事な本を守っているの? と無邪気に問うた幼い日、曾祖父の返事のままに。
「触れることすら許可のある者のみ……」
曾祖父に聞かされた通りだった。
(秘匿事項は、強い守りの力で守られる……)
そう、彼は言っていた。実体として何なのかは教えてくれなかったが、それはこれから目にすることだろう。
彼女はノブをぎゅっと掴んで、扉を開く……。自然な明るさが隙間から漏れ出でる。
室内に慣れていた身には強い。
眩しい、と彼女は目を細めた。
さきほどの閉じられた空間とはまったく違う光景があった。
正面には大きな窓、その先には手入れされた中庭の緑が見えた。
一見しては、趣味のよい小さめの書斎。その中央にある書斎机はかなりの年代物で、桜花心木で作られた天板は大木から切り出された一枚の板だ。
そこに肘をついて、小柄な人影がベルナデットを待っていた。
(この人が……)
「初めまして、ユアンの孫娘」
大きな眼鏡のせいで幼く見えるけれど、おそらくは二十代らしい女。
(ん? 祖父さまと近い関係みたいだけど……。室長が代替わりしたとか? ユアンじいさまの知り合いにしては若すぎる……)
いや、そんなはずはない。
彼女は今、曾祖父を呼び捨てにした。であれば、聞いていたユアンの古い友だちなのだろう、ひとまずはとベルナデットは思い直した。どういうことか、確認するのは後回しだ。
黒く深いくせ毛を耳にかきあげて彼女は手元に開いていた巻物をくるくると閉じて脇に置くと、にっこりと微笑んだ。
まるで同じ村に住む年長の娘が、年下の少女にそうするように。
そうなんだわ。
間違いない。彼女は確信する。
(この人が、図書室の魔力使い……!)
「まあ、お座りなさいよ、ベルナデット・ベルフォール」
彼女は机を挟んで自分の向かいに置かれた椅子を示した。
「僕の名前は、サクヤコナド。サクでもコナドでも室長でも好きに呼んで。知っているかもしれないけど、僕たちはみな名前を失うからね」
彼女は机の脇にあるティーワゴンでお茶を入れると、カップをベルナデットの前に置いた。皿はない。
「じゃあ、サクヤ様と……」
様はいらないけどね、と彼女は自分自身も茶を入れてカップを傾けた。
「そこで切ったか。おもしろいね。東方の知人がいる?」
どきりとした心を隠して、ベルナデットは微笑みを返した。
「曾祖父からお聞きおよびでしょうか?」
肯定ってことだね、と彼女はカップを飲み干すとワゴンに戻した。ベルナデットも慌てて続いて戻す。
どうもせっかちな人のようだ。
「それは最近来訪した人なのかな? 以前から住んでいる人? いや、そもそも人なのかな? 何にしてもいつか会わせてくれないかな? 東方の人間にはもう何十年も会っていないんだ。あ、といっても僕がそちらの出だとかそういう話ではないよ。純粋なる知的好奇心だね」
これは……、とカップを戻して押しやりながらベルナデットは思う。サクヤはそれもさっと片付けた。
(圧が強い……)
しかも気が回らない人間ではないとみえ、サクヤはすぐに相手の顔色を読んで、にっと笑った。
「ごめんよ、面食らった? こういう面接は久し振りでね。今、外で何が起きているのか気になって仕方ないんだ。僕たちは自分の担当する分野以外のことは、どうしても疎くなりがちでね。ああ、興味が無いのかといえば、なくはないけど、まあ、専門が一番心躍るよね。仕方のないことだけど」
彼女がぐっとティーワゴンを押すと、それは部屋から消えた。ベルナデットはぎょっとしたけれども、それを必死で押し殺す。
何事にも原因がある。
あり得ないことに見えたとしても。
ユアンの口癖を思い出して、冷静さを保った。
「そういうのねえ。よくないとは思ってるんだけど、なかなかね。だからこそこういう貴重な機会は逃せなくて。僕のおしゃべりが気になるだろうから、会話をするときには、三つのことを無視してくれたらスムーズにいくと思うよ」
と、彼女は指を三本立てて,深呼吸の間、沈黙した。
「ひとつ、一人称は気にしないで。僕たちはその辺がどうでもよくなっちゃうんだ。方便でしかないし、時として変わることもあるしね」
はあ、とベルナデットは頷く。うんうん、とサクヤも頷く。
「ふたつめ、名前はどこかで聞いた、どこにもない言葉からつけられる。だから意味を考えても仕方ない。出典もない。単なる呼び名でしかないからね。わかった?」
再び、ベルナデットは頷く。うんうん、とサクヤも頷く。
「で、ユアンの依頼なんだけど……」
「……。あの、三つめは?」
「あれ? 僕、三つって言った? いいか、まあ、それは」
とサクヤは勝手に納得して話を終わらせ、「先に、秘匿書の間について説明しておくね」と続けた。
「僕が魔力使いだということはユアンから聞いてるね?」
ベルナデットははい、と答えた。
「現在では、魔法技術は廃れている。というか、失われた。僕の仕事のひとつは、古い魔術書を読み解くことなんだけど、そもそも魔術書は魔術士以外に読むことができないものなんだよね。で、
「あ、はい。大体」
詳しいことは知らされていないけれど、ベルナデットも司書たちが古い時代の書籍を読み解く仕事をしていることくらいは教えられている。
「で、魔力使いの話に戻るけれども、魔術は絶えても魔力を持った子どもは生まれてくる。これは体質だからね、どうしようもない。僕のように、さ。ただし、力はあっても使い方はわからない。困ったことに。ところで、君の故郷には大きな川ある?」
「えっ? ええと、はい。首都近郊の大河ほどではありませんけれど」
サクヤはうんうんと頷いた。
「そこから水を引いて、いろいろ利用してるだろ? 水車だったり、生活用水だったり。けれど、活用方法を知っていて実践できる環境がないと、川は川のままだ。魔力を持った子ってそういう感じの存在。わかる?」
はあ、とベルナデットはまたまた曖昧な相槌を打った。
比喩は理解できるけれども、魔力使いは数がとても少なくて、大抵の場合は王室や大貴族に保護されている。もしくは、魔力院という独立した組織が囲ってしまうかで、ほとんど接触した経験はない。
大体、魔力を持って生まれつく、を大前提にされても、魔力自体を間近にしたことがないのだから、ピンとは来ない。
さすがに首都に何年も暮らしていると魔力使いたちを見かけることくらいはあったものの、実態はよく知らないのだ。
「川は川のままでも、岸辺を潤すことはできるし、ときに強い力で周囲を破壊することもあるよね。まあ、あれだ。酷いお天気みたいなもの。それと似た感じで、力が漏れて回りに影響しちゃうんだよ。困ったことにさ」
とまったく何も感じていないような平気な顔でサクヤは言い放つ。
「その反面で何も指導しなくても、魔力を持った子どもは自然とひとつやふたつくらいは使い方を身につける。なんていうのかなあ……。ほら、教えられなくても何となく得意なことってあるでしょ? やたら手先が器用だとか、訓練もしてないのに喧嘩に強い、とかさ。で、そうなった人間を、魔力使いという」
サクヤは、右手を開いて掌を上に向けた。その表面から水の膜のような、ヴェールのようなものが立ち上がり、くるりと回って泡になった。
「僕の最初の魔法はこれ。空間の泡を作る魔法」
きゅっと拳を作ると、それはサクヤの手の中で弾けた。
「なんでもない魔法でしょ?
(え? 何? そうなの? って、いえ知らないけど!)
チビの頃にさあ、洗い物してて泡立つのが面白くてもっともっこもこにならないかなあって、よく遊んでたんだよねえ、と彼女はお構いなしに思い出話を口にして、
「あのイメージでいろいろやってたらできたんだよね。これが元になってこの秘匿書の間が生まれた。そういうことを自在にするのが“技術”、すなわち魔術なんだ」
「そう……、そうなんですね……! 知らなかった……」
というか、何もかも初耳だし、まくしたてるサクヤの話についていくので精一杯だ。わあ、すごい、本当に? 以外返事ができそうにもない。
ベルナデットの素直な反応に、いやあ、とサクヤは嬉しそうに照れた。得意げでもある。
「魔力使い以外には、ふつう教えないからね……」
「え」
「あ」
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