5章(1)出会いがしらの破談相手
次に必要なのは、それなりの服装だ。旅装はもちろん、普段着すぎても困る。
「さてと」
ベルナデットは近くにいた侍女に声をかけて、でかけるための準備を頼んだ。今回はひとりではやれない。
「大げさにならず、でもちゃんとして」
そう注文するのを忘れない。心得た使用人の多い屋敷なので、侍女はもちろん、と頷いた。ウエストを絞り上げ、侍女が選んだいくつかの訪問着を吟味する。
(あーあ。やっぱり月琳がいないとこうなるわよね)
軽くがっかりする。仕方のないことではあるけれど。
彼女たちは、ベルナデットの髪と瞳の色に合わせた淡い色の、華やかな衣装を選んできた。それは間違ってはいないけれど、誰かに見せるために選ぶのではないのだ。
(いえ)
ベルナデットは自分の苛立ちを反省する。
(不便を感じるのは当たり前なんだわ)
彼女は周囲に目的を教えていない。行先は辛うじて伝えたけれど、それではわからなくて当然だった。
黙っていても何でも察するのは、彼女とルシールの関係があればこそで、幼馴染でもある従者がいないのだから、いつも通りでないのは当然といえた。
「もっと落ち着いた色がいいわ。緑……、モスグリーンの」
言いかけると、侍女たちの気配が低めに変わる。
「えーっと、ではなくて、新緑色でレースをあしらった服があったわよね」
重くなりかけた空気が消えた。
あまり地味で野暮ったい恰好で出かけさせれば、後で彼女らが叱責されることもあるためだ。ベルナデットも着飾るのは嫌いではないけれど、自分の楽しみ以外でわざわざ、というのはあんまり好きではない。
(月琳がいれば、そのあたりは考える必要なかったもの。うっかりしてたわ)
なぜなら、今から彼女が向かうのは王宮だったから。
正確には王宮そのものではなく、その付属施設に該当する王宮図書室が目的地。
正面の正門は利用しないとはいっても、敷地に出入りする以上人の目はあるし、ほかの王侯貴族とも鉢合わせることはある。
(また、あの困った辺境伯令嬢が妙な恰好でうろついていた~! なぁんて知られたら、伯父様に何を吹き込むかわかったものでは)
余計な刺激はすまい、とベルナデットは思った。
そこから服に合わせて髪を結いあげる。これも華美になりすぎないよう注文をつけた。
(それにしても、図書室利用はいつぶりになるのかしら)
ここ数年は婚活という正論のせいで令嬢業の修養に励まされていた。それまでは、首都の誇る王家の図書室へはルシールを連れてよく遊びに行っていたものだった。
どこの国にも歴史資料や稀覯本の類いを収監している部屋、場合によっては施設がある。その規模は、もちろん、王者の関心度によって大きく異なる。
この国では、それは他国と比べても破格だった。
所蔵されている書物のすべてを知る者はごく僅かだが、そこに古い魔道関係の書物、天劫災害の記録といった他にない貴重な書き物が存在していることは間違いない。
知識はおいそれと国外へ流出させないものではある。しかし、例外的に外国から照会を受けて回答したり、調査のために使節が来たり…… という話はベルナデットも聞いていた。
それは首都では珍しいことではなかったし、国同士、何かしらの合意があるらしいことも勘づいていた。
(どうも、じいさまがそれにかかわっているみたいなのよねえ……)
彼女がこの屋敷に来たばかりの頃、
トラブルを抱えてやってきているのだ、と。
その意味でも図書室は王に直属する施設のなかでは、かなり特別な機構である。
王家が収集するほどとなると情報価値に加えて、金銭的価値も高い。賊を阻むための王宮敷地内といった立地、さらに許可のない者は立ち入れないよう厳しく規制されている。
だからといって、完全に外部との接触を遮断されている、というわけでもない。その辺が他国と大きく違う点……、とベルナデットは聞いている。
この知識の宝庫は部分的に解放されているのだ。
むろん、無制限に、ではない。
図書の閲覧には何段階かの権限が設けられ、室内への立ち入り制限によって実現していた。一定の身分の者、例えば上級貴族子弟などであれば初級閲覧が可能だった。
これにはある意味リスクも伴うことなので、他国では禁止されている例が多い。無理もないことだ、とベルナデットも思う。
なぜ、そんな運営を許しているのか、彼女は知らない。
一度、何年も前に図書室利用に関連して揉め事が起きて、そのせいで閲覧を全面的に禁止しようという動きが出た。
それでも、王は、というか、現王の外戚であるグエノール家を中心にした勢力と、図書室を実効支配する、ある特殊な存在の強い意志によって阻まれた。
(とかいう話なのよね)
このときも、彼女は幼かったので、事情はわからない。周囲の空気でそうと悟っているだけだ。
(そのおかげで、私はずっと図書室を利用できてるんだけど)
現在のベルナデットは、初級の権限なら持っている。それ以上の、中級以上ともなると閲覧権限は誰でもというわけにはゆかず、通常、辺境伯令嬢程度では得られない。それが王族の親族であってもだ。
天劫災害ともなれば、中級以上でなければ接触できない情報だろう、と彼女は踏んでいる。
アクセスできるだろう辺境伯である父親にお願いする、といった手もなくはないのだが、今回はその暇はないし、彼女の父親は書籍にまったく興味がないので、付き合ってはくれないだろう。面倒くさそうに話を逸らす姿が目に浮かぶ。期待するだけ無駄だ。
だからこその。
「魔法のカードさまさまだわ」
その規定をすり抜ける裏技は、ある。
カードといっても一枚の申請書類なのだが。
彼女がグエノール家の屋敷で暮らすうちに集まって来た断片を総合して推理したところによれば、かつての図書室はそれほど大規模ではなかったらしい。
どの王宮にもあるような、貴重な書物を収集する小さな部屋でしかなかった。それをここまで充実したものへと整備した立役者がユアンだと彼女は推測していた。そして、そのことを王は重要視している。
(外交的にも結構利用しているっぽいものね)
もともとは王宮の図書室もごくありきたりな稀覯本の蒐集場所だった。
その辺については使用人や客人がもらす言葉の端々から、ベルナデットはほとんど確信を得ている。
さらに明確に聞いた話としては、現在の
その縁があるからこそ、彼が推薦する者へは通常の規則とは別に主監自身の判断で閲覧許可を出すことができる。ゆえに、図書室を目的とした訪問者は以前から何人もユアンの許に足を運んでいた。
その末尾に、彼女も並んだ。
そうまでしてベルナデットが読みたいもの―― それは。
禁書。
表向きを取り繕った一般書や概説書ではなく、核心を突く何かしらの書かれている書物。それらは内容の重要性ゆえに、禁書に指定されている。
禁書の存在そのものは隠されてはいない。隠しても、ある程度書籍を読んでいれば、より深い内容を記した本の名前にたどり着く。さらに探そうとすると、司書たちにやんわりと退けられる。そして、存在を知る。
(閲覧そのものをほぼ禁止されているなんて書籍なら、過去の天劫災害のことを詳しく書いてあるはずだわ。広く知られては困るほどの事実が)
「たぶん」
全身の支度を終えて、彼女は窮屈な装いのせいでふうとため息をつく。
(まあ、そうそう都合よく行くとは限らないけれども)
で、なくともノレイアからの報告や記録くらいはあるはずだし、もう少し踏み込んだ周辺事情もわかるだろう、と彼女は期待している。
どうしてああなってしまったのか。
訪問の通達を依頼し、馬車を仕立ててもらい、彼女は王宮へと向かった。
(この手間が面倒くさい……)
何時間余計にかかってしまっただろうか、と思うと焦りもする。ワイスの迎えまでにすべてを終えなければならない。幸いなことに、今の彼女は親族内であまり注目されていない。第二王子セヴランの婚約のおかげで、それどころではない。だから、この程度のことなら目立たずに終わらせることができるだろう。
(……。そこまでしなくても、って月琳なら言うわね)
けれども、ベルナデットはノレイア王国にもう関わった。
沈黙の呪いがどこまで有効なのか、厳密なラインはわからない。王子が首都に来訪し、ベルナデットと関わり……、そうやって縁が生じることで、じわじわと周囲に天劫災害の事実は漏れていくのではないだろうか、そう彼女は案じている。きちんとした術式でなされたものではない“呪い”とは、ごく曖昧模糊とした存在なのだ。
(わざわざ馬車まで仕立てて……)
本を探しに行くだけなのにバカバカしい……。いや、そこは割り切らなければ、と逸る気持ちをぐっと抑える。
本来、ベルナデットは格式張らないベルフォールの人間だ。首都に放り出されての十年弱で上っ面はごまかせるようになったものの、所詮はあの父の娘である。
簡素な生活スタイルのノレイアでの数日間によって、故郷にいたときの自由な感覚に戻りつつあると、自覚している。いいことか悪いことかは判別できない。楽ではあった。
(でも、郷に入っては……、よね)
首都には首都のルールがある。
御者は衛兵に到着を伝え、確認を取ってからその目前を通過して王宮の門を幾つかくぐる。これは王族の安全性確保のため、仕方ない。
馬車は敷地の東方にある関連施設をまとめた建物の方へ向かい、正面玄関の前でベルナデットを下した。歩くのは、扉までのわずかな距離ではあるけれど、なるべく目立たないよう、そのために彼女は大きな帽子を使っていた。
建物全体を管理する主事に来訪を伝え、そこまで付いてきた間に合わせの従者を控えの間に待たせて、彼女ひとり奥へと案内される。
そうやって巨大な一枚板を二枚使用した図書室の扉の前に立ったときには、昼もだいぶ過ぎた時刻になっていた。
彼女は扉を見上げる。ここへ来るたびに、毎回同じことを思うのだ。
(この扉、本当に見事だけれども、どういう木から伐り出したのかしら。前も考えたことだけど)
ベルフォールの山奥でも、こんな巨木を見たことも聞いたこともない。草木は自然のなせるもの、そうやって在る以上、きっと大きく成長したのだ。おかしくはないのだろう。それでも、見慣れない極端に巨大なものを見れば、それがありきたりなものであってもやはり思うのだ、不思議だ、と。
彼女はユアンの手引きで、図書室には何度も訪れている。そのときはまだ小さく初級閲覧の権限すら持っていなかった年齢だ。曽祖父の魔法のカードは、小さな子どもたちの知的好奇心を育てるために発行されたようなものだった。
初めてこの扉が開かれて、その中に収納されている外国から輸入された美術品のような絵本や、珍しい仕掛けの巻物を見たときは、どれほどときめいたことだろう。幼い彼のひ孫たちはみなそれぞれに手にとっては無邪気に喜んだ。
今日は目的が違う。
果たして、役に立つ一冊はあるのか。どこまでの閲覧権を受けられるのか。
それによって、彼女の将来も大きく動く、かもしれない。
(運命、ってものがあるなら)
今、その分岐点なのかも、と彼女は口の端をきゅっと引いた。
「ベルナデット?」
意を決してノックをしようとあげた腕は、ぴたりと止まる。知った声だ。
(もしかして……。いえ、いたとしてもおかしくはないのだけれど)
背後の人物を想像しつつ恐る恐る振り返るとそこには。
「セヴラン?」
(ああ……。見たくない顔)
つい、うっかり表情にでる。
「ええと……。殿下」
間を置いて追加した敬称に、「君は本当に相変わらずだなあ」とセヴラン第二王子は苦笑した。
第二王子である彼もユアンの曾孫であり、生まれついての無制限閲覧権限を有している歴とした王族だ。読書好きの彼と図書室で偶然出くわしたとしてもそれほど不思議ではない。今までもそんなことはあった。
が、次の展開はさすがのベルナデットも予想外だった。
「ベルナデット様……?」
可憐な細い声が響く。
(ああ……。なるほど)
婚約のあれやこれやで超多忙なはずの彼がここに来た理由は、それか、と彼女は合点した。
「あら、貴女も……。ご一緒でしたのね」
セヴランより一歩引いて、彼女は立っている。
プラチナがかった美しい金髪。大きな瞳と白い透き通る肌。その血脈には他に生まれていない
「ペトワーズ男爵令嬢……」
「はい。エラ・フレイアです」
邪気の欠片もなく、少女は心底から嬉しそうに微笑んで膝を引いた。
「ごきげんよう、ベルナデット様。お会いできて嬉しゅうございます」
「あ、はい。そうですわね」
形式ばかりは同じ挨拶を返しながらも、ベルナデットの方はといえばあまり嬉しゅうはなかった……。
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