4章(3)つまりは、好きにさせろ、ってこと

「そもそも借りる、とはどういうことなのかな?」

 笑顔の種類を変えもせず、彼は尋ねた。

「一番早い馬を貸して欲しい、というのならわからないでもないよね。君を騎乗させて、かつひとりで行かせるのか、という問題は置いておくとしても」


 馬を扱うことくらい、どうという話でもないのだが、ベルナデットはひとまず黙って聞いておいた。

「あれはどれだけ立派な体躯をしていても、狼なんだよね」

(あっ、そこは狼で通すんだ)

 大きさは認めているのに、種族は何としても狼にしておきたいらしい。


「あれの足が速いことは知っているよ、もちろん。日々、国内を見回ってくれているからね。だけど、人間と一緒に行動できるような、家畜ではないんだ」

 そのわりに慣れているようだけれど、と言いたいのを堪える。

「貸す? 到底無理だよ、それは」

 どう利用するのか、彼は予想しているようだった。というか、他にないだろう。ならば口にしても同じだ、と彼女は心を決めた。


「私は、ワイスと心を通わせることができます」

 ちょっと奇麗すぎる表現だった。

「ワイスが規格外の生物であることは、もうお気づきでしょう? それもこの国の災害に影響されたものなのか、そこまでは私にはわかりませんけれども……」

 肯定も否定もせず、アデルは「うーん」と唸る。


「首都から国境まで数日かかった道のりを、ワイスなら一日で踏破できることでしょう。私は時間をかけたくないのです。その理由はさきほどお伝えした通り」

 そこは事実なので、アデルは眉を寄せた。

「ゆっくりと帰途についていたら、親族に時間を与えます。母も故郷からやってくるかもしれません。そうなったら、屋敷から出してはもらえないでしょう」


「失礼ながら」

 バメイが口を挟む。

「逆に、そんなに反対を予想されているにも関わらず、ノレイアに肩入れするのは何故なのですか? 縁談は多くは家同士の関係でもあるので、親戚の方々がよい返事をしなければ、貴女にはデメリットが勝るのでは」


「それは……」

 ベルナデットは返事に窮した。

 まさか、顔面偏差値と国の一挙両得とは言えない。

「恋に迷って、という雰囲気でもありませんしね」

 そうだよね、と少し残念そうにアデルも賛同する。

(いやいや、そうでもないんだけども)


「どうお思いか想像もつきませんけども」

 説得は事実を交えて、だ。ベルナデットは言葉を慎重に選ぶ。

「私、首都の暮らしとは相性が合いませんの」

 バメイは、ああ、そうだろうな、という目の色をする。一方、王子は、え、そうなの? と意外そうだ。


「一応の教育は受けましたけども、これから一生お上品なお屋敷生活をするのはおそらく無理です。ご存じだと思いますけれど、あの両親の娘ですし」

 説得力はあったようで、ふたりは、ああという空気を醸す。つまり、人の行き来が少ないノレイアにも母の逃避行は伝わっているということだ。


「だからといって、低く見積もられて求婚されるのは私にも自尊心というものがありますから」

 ベルナデットはにっこり笑った。

「ならば、求めてくださるアデル様とのご縁を真面目に考えるのが筋というものでしょう」

 それは嬉しいが、とアデルは少し頬を染めて零す。バメイは、そうかなあ、と疑わしそうにしている。あまりベルナデットに遠慮しなくなってきたようだ。

 それは、彼女にとってはいつものことではある。接しているうちに、相手の壁がなくなっていく。良い意味でも、悪い意味でも。


「とはいっても、そちらの情報を鵜呑みにすることもできません。それほどお人よしではありませんし、それに、私が嫁するときは少なくともルシールも同行するのですもの。私ひとりの話ではありません」

「で、自分で確証を得たいと?」

 ベルナデットは頷いた。


「でも、何について?」

 ふんわりとした回答では、きっと納得しまい、と彼女はわかっていた。どう答えるのだろう、と向こうは興味を持っている。


「この天劫災害が、私の手に負えるものかどうか」


 アデルとバメイは顔を見合わせた。

(大きく出すぎたかしら)

 特別な力があるわけでもないのに、とも思う。


「君の? 手に?」

「はい」

 アデルの問いへ素直に頷くベルナデットを、バメイが胡乱げに見やる。

「貴女は魔力の覚えが?」

「全然? ありませんけども?」


 ふっと、アデルが破顔させ、それから、大きな声で笑い出した。

「や、だってさ」

 苦々しく、バメイはアデルを肘でつつく。

「いや、でもさ……!」

 ひとしきり笑ってから、アデルは何とか言葉を継いだ。

「君、さっきから好きにさせろ、しか言ってないよね」

 ベルナデットは平然と答えた。


「そうです」

 できる限り淑女らしい仕草で告げる。

「私に求婚されたのはアデル様なのですから。受けて欲しいのなら、私の要求を聞くしかないのです。つまりは」

 バメイが唸った。


「なんて令嬢だ……」

 あら、とベルナデットは続きを引き受ける。

「調査が足りませんでしたわね。自分勝手なことでは首都ではトップクラスですの」

 そんなことを自慢されても、とバメイは不満そうに言葉を閉じた。


「まあ、いいよ」

 降参、とばかりアデルは両手をあげた。

「ワイスがいいというのなら、好きに使ってくれて。ただ、危ない目には遭わせないでくれないか」

(他人を危険にしても、自分がそうなることはないのでは……)

「俺には、数少ない係累だからね、獣であっても」

 その気持ちはわかるような気がしたので、彼女は大人しく承諾した。王子の決定には反対だとはっきり態度に出ていたけれども、もうそれ以上バメイは何も言わなかった。


(問題はもうひとりの従者だわ……)

 説得しなければならないのは、彼女の方なのだった。


 王子たちから離れて、ベルナデットは自分に与えられた部屋に戻る。

 穏やかな寝息を立てているルシールの傍らに腰掛けて、ベルナデットはじっとその横顔を見つめた。彼女の真っ黒な瞳を、もう長いこと見ていないような気がする。

 ルシールの熱はだいぶ下がっていた。起き上がって小言を言い出すのもそう遠い話ではない。


(そのとき私は帰ってこれてはいないかもしれないから)

 だからこそ、今、わざわざ目覚めさせてでも伝えておかなければならない、と彼女は幼なじみの名前を優しく呼んだ。


「月琳」

 ん、と彼女は身じろぐ。覚醒しつつあったのかもしれないが、ルシールは深い眠りでもきっとベルナデットが望むのなら目を覚ますのだろう。


「ベル……」

 主人の顔を認めて、彼女は嬉しそうに微笑む。ベルナデットも微笑みを返す。だが、ルシールは相手の旅装に気づいて、眉を寄せて身を起こそうとした。

「ベル、どうし……」

 いいから、とベルナデットはルシールを制して横たわらせる。


「貴女が休んでいる間に、一度家に戻ることにしたの」

「それなら私も……」

 いいえ、とベルナデットは首を振る。

「数日で戻るし、それに強行軍だから病み上がりの月琳には無理だわ」

 ルシールは悔しそうに唇を歪め、首都に帰るのではないのですか、と問うた。

 それを、彼女に説明しなければならなかった。


「貴女がこの縁談に賛成でないのはわかっているわ。私もまだ決め切れていない。予想外の情報が多すぎて。けれどもね」

 すうっとベルナデットは優しい視線を落とす。

「もしかしたら、ずっと欲しかったものが手に入るかもしれないの。ここなら」


「ベル?」

「貴女なら知っているでしょう? 物心つく前から私と共に育ったのだもの」

 ルシールは目を伏せた。ベルナデットがずっと諦めていたものを彼女はよくわかっている。


「それには、この国のことをもっとよく知りたいと思うの。正直、お話があったときは首都での悪評と令嬢というものの賞味期限から逃れられたら、疾風離縁ナリタリコンでもいいかなと思っていたのだけど……」

 ああ、とルシールは聞こえない嘆息をもらす。


 彼女はついに見つけようとしている。ずっと退屈そうにしていた。身を持て余していた。でも、今は目を輝かせ、頬を紅潮させて夢中になっている。

 とても綺麗だ、とルシールは思った。


「ベル……。まるで……、獲物を見つけた猟犬のよう……」

「えっ、何それ……。そんなにガツガツしてるってこと? 酷い言いようね」

 ふふっと二人は笑い合う。


「戻ってくるから、貴女がいるのだものね」

 わかってる。

「待っています……。朗報とともに」

 休んで、とベルナデットはその頬に触れ、彼女は素直に従った。


 ルシールは瞼の裏に、幼い日の彼女を思い描く。まだ、まだ遊び相手としての役割しかなかった頃、お互いの身分も出自の違いもよく理解できなかったあどけない時期、小さな女の子だったけれども、もうベルナデットは他の子どもとは違っていた。

 それをルシールは知っていた。


 森で遊んだ日々……。そこで遭遇した、はぐれて気の立っていた小熊を、彼女は目が合うや否や張り手で吹き飛ばし、ルシールの手を掴んで一心に逃げたのだ。

 話を聞いて現場を確認しにいった大人たちによると、小熊は顎が砕けて気絶していたそうだ。そのときから、ベルナデットはルシールの憧れになった。


 もっともそんな怪力はその一回だけで、火事場のなんとやらというやつだとベルナデットはもとよりベルフォールの皆は結論づけた。


 でも、そうじゃない。そういうことじゃない。


 迷わない貴女が、自分にとって特別なのです。

 そう思っても告げることはない。彼女は静かに部屋を出て行くベルナデットを薄目に見送る。

 

 けれど、私は主でもあり友人でもあり姉妹婚の相手でもある貴女に言っていないことがある……。

 従者である以上決して乗り越えられない秘密。

 故郷を離れる前に偶然立ち聞きしてしまったことから課せられた、役目。


 それを知っても、彼女は自分に変わらず微笑みかけてくれるのだろうか。

 そうだと信じたい。そんな日が来ても。

 ずっとそう願っている。


 視界から消えるベルナデットの旅装がノレイアのものであることに気づいて、ちくりとと痛みを覚えた。針のように小さく、けれども鋭利に彼女を傷つける……。


 首都の、伯父宅まで。

 馬車を使っても五日、馬を跳ばしても三日かかかるだろうことはベルナデットも理解している。

 これを短縮する方法がワイスだ。先日出かけたときの速さ、あれを利用できたのなら、旅程は誰の予想よりも短くできるだろう。


 ワイスとは心を通わせられるとはいうけれど、とアデルは直前までためらってはいた。

「本当に、気をつけて」

 さすがに心配そうにベルナデットを見送った。

「大丈夫ですわ。貴方の大切な友だちを信じて」

 ね、と傍らにうずくまるワイスの首を軽く叩く。


「怪我をした俺を酷使するとはどういう性格をしている」

 あら、だって、とベルナデットは囁く。

「貴方の怪我なんて一日もあれば治るのでしょう? 通常の狼の規格ではないのだもの。それに貴方の足は誰よりも速い。貴方はノレイアの全土を巡回して見張っているのでしょ? その空を駆けるような足があれば、誰よりも早く国境を越えられるでしょうよ」

 だから、彼はいつも眠そうなのだ。

 持ち上げても何も出んぞ、とワイスは鼻を鳴らす。


「大胆な女だな。国外の者に目撃されたらどうするのだ」

「それはさらに大丈夫よ。だって、天劫の呪いで多くのことは覆い隠されるもの。利用しない手はないでしょう?」

 ふん、と鼻を鳴らしてワイスは黙り込んだ。

 ひとりと一匹の言語として他者には伝わらぬやり取りを目の当たりにして、「獣と心を通わせられる、というのは真実なのだな」とアデルとバメイは感心している。


 口では勝てないって学んだかしら、と満足気な彼女の足元へ、まとわりつくようにルブルたちが寄って来た。

 触ろうとして止め、顔をあげて話しかけようとして止め、を繰り返していたが、やがてひとりが意を決して口を開いた。

「行っちゃう? どこか行っちゃう? 奥様、もう帰らない? 帰らないの?」

(まだ奥様ではないんだけども……)

 ベルナデットは苦笑する。この一日の間に、ルブルたちにすっかりなつかれてしまった。


 あの後も、ワイス言うところの火の種が広がり、彼らの農作物は大きな被害を受けた。枯れる寸前で、ベルナデットはふと思い立って回避する方策を提案してみた。


「地に宿った熱は、川の水を引いて冷やしてみたらどうかしら」

 その程度ではどうにもならないよ、と当初アデルたちは同意しなかった。これまでも炎竜がまき散らした火によって多くの耕作地や住まいが使えなくなっている。水をかけるくらいのことはむろん試していた。


「そうですわね。でも、全部が無駄ではなかったはず……」

 畑のうち、川にちかいエリアは被害が軽い。ワイスが教えた泉の水が混じった流れの一部は、薄まりつつあるとはいえ効果があるようで、被害を抑えられているのだろう。


 その辺の関係を知らなければ、水辺に近いから冷やされているとしか思えない。

(これも泉の力を実際に見ているから言えることではあるわね)

 アデルたちがワイスの知見に触れていないというのは事実なのだ、と彼女は思った。だから、冷泉のことを知らない。


 しかし、水の流れを変え、熱される土地をどうにか冷やして潤してもなお、地面は温かい。 

 それなら、いっそのこともっと暖かい地方で育てられる植物を植えてみたらどうかしら、と思い付きを口にすると、ルブルたちの表情は変わった。


「お客様すごい! そうだね! そうだね!」

「違うこと、新しいこと、しよ! ね!」

 じわじわと自分たちの生きる場所が削られていくことに、すっかり疲れていたのだろう。別なやり方をできると知って、ルブルたちは沸き立った。


「あの子たちがあんなに喜んでいる様は久しぶりだよね」

 アデルは嬉しそうに笑って、ありがとう、と彼女の手を取った。

「いえ……。ただの思いつきですから、うまく行くかは……」

 失敗したらより以上失望させるかもしれない、と少し軽率さを後悔しつつ、お言葉は受け取ります、と笑顔を返すと、ベルナデットを見上げて、ひとりのルブルが「おくさま……?」と首を傾げた。


 ルブルたちの本性は幼い子どもだといわれている。

 奥様なんだ、結婚なんだ、と嬌声を上げ始め、あとはどう言っても呼び方を変えなかった。アデルも困った顔で肩を竦める。


「夢中になると、もうそこから離れられないんだ」

 すまないな、そのうち飽きると思うが、と彼は言ったけれど、丸一日経っても特に変更はなかったらしい。


 そんなにはかからないわよ、と寂しがるルブルたちに手を振り、彼女はワイスに跨がった。

 ああ、やっぱり、とアデルが苦笑する。絵面がひどいのはベルナデットも承知している。でも、知ったことではない。

 やれやれ、馬ではないぞ、と狼は不承不承そうに彼女を乗せて立ち上がると、強く大地を蹴る。


 途端、彼女たちは空中の鳥になった。


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