4章(2)運命を動かす乙女

 言い返そうとするバメイを制して、ベルナデットはさっと手を伸ばして先んじた。

 この男、有能そうだから、とにかく先手必勝を目指す。


「乗せてくれるというワイスを私が信じて散歩に出かけた……。そうしたことにいちいちお伺いを立てたくはありません。私はまがりなりにも王子の求婚を真剣に考えてこの地へ見聞に参っているのです」


(ちょっと苦しいかな……)


 追及から逃れたい一心ではあった。

 あるけれども、それは彼女の本心でもある。

 何でもかんでも制限されて、好きにやれないのでは意味がない。


(それに今ダメだといわれることが、結婚してこの国の人間になったら許されるとは言い切れない)

 貴族の令嬢たちが求められる“ふさわしさ”は特定の場面に限られるものでもなかろう、と彼女は思う。


 とどのつまり、女性たちは常に“そうであること”を望まれる。

 ある場所での窮屈と不自由さは、別の場所へいっても変わりはしない。やはり窮屈で不自由なままだ。


(それなら、そんな縁談は私には要らないわ)

 さっさと壊してしまっても同じことだ。

「お客様として背の高い椅子に祭り上げられているのでは、ここまで来た甲斐がありませんもの。見て回ることについては、好きにさせていただきます」


「は? でも……。え?」


「くっ」

 言葉を失ったバメイの背後から、笑い声が漏れてきた。衝立の向こうにある扉はいつのまにか少し開いていて、そこからひょいとアデルが現れた。


「おもしろいよね、貴女は」

 ふふっと笑いをもらし、そのまま、声を上げて笑い続ける。


(あら……。またやってしまったかな?)

「ああ、すまない」

 彼は苦労して真面目な顔を作ろうとしている。


「飼い主に黙って狼と一緒に散歩に出て、迷って転んで俺たちに捜索させた人の言うことではないよね」


「う。それは……」


「ふっ」

 自分で言ったことに、また彼の口元は緩むけれど、なんとか持ちこたえた。


 いちいちごもっとも。

 反論の余地はないばかりか、真実はもっと酷い。とはいえ、事情を知らなければ、発見時の状況からしたら、その辺は妥当なところだったろう。


「それは……。ご心配をおかけして申し訳なく感じております」

 しかし、ここで引き下がる気はなかった。


「お気を悪くされないでいただきたいのですが、天劫災害のこと、このお国の状況……、私はまったく知らされずにここまで参りました。口外できなかった……、というのはあくまでアデル様たちのご事情。もちろん、それは了解しております」


(ああ……。これを言ったら向こうからお断りかもしれないわね……)

 それでも、ベルナデットは中断するつもりはなかった。


 小さくて特殊な領地。

 王子の存在のみでどうにか成り立っている王国。

 災難だらけの国情。

 いいことといったら、王子がとてもイケメンで好ましい人物という点。

 でも、それは辺境伯の一人娘が婿としてよいほど、問題と釣り合う長所にはならない。


 なかったことにしてもらうのが当然だろうし、母親のイネスならそう主張するだろう。

 最初はなんとなく、けれど、今は離れがたくなっているのには動機がある。

 (とうに諦めていたことが、かもしれない、ここになら)

 かつてセヴランに嗤われた、彼女の夢はここにならあるのかも、と希望の気配を感じ始めていた。


(私は、私の国が欲しい)


 自分の、と胸を張って言えるような。

 土地とも人々とも一緒になって、ここで暮らせると言える。

 そういう場所が。

 ベルナデットはずっと自分の国が欲しかった。


 だからこそ、ここは引きたくない。


「そちらから選んで与えられるものを唯々諾々と受け取って、それがすべてだと思いたくはありません。ノレイアを自分の目で見て、縁組を判断して欲しいと申し出てくださったのはアデル様ご自身です」

 すうっと彼女は息を吸って、一気呵成に言いきる。


「ですから、私も見るべきものは自分で決めたいと思います」


 ふうんとアデルは頷く。

「それは」

 邪気は微塵もないのに、何故か少しばかり意地悪な気配を漂わせて彼はつづけた。


「前向きに求婚を捉えていただけていると受け取っていいのかな?」


「そっ」

 ここで、そうです、と返せるほど、彼女の心は定まってはいない。

 本当に自分の希みを賭けていいのか、迷いもある。


「うですわね……、今のところは」

 としか返事のしようがない。


「だということだよ、バメイ」

 ああ、そうですね、わかりました、とバメイは溜息をつく。ふたりが合意したのならば、彼が口を挟む筋ではない。


「飼い犬のように親しんでいる、とはいえ、ワイスは狼です。で、ある以上、ご令嬢のお考えを曖昧にしておくことはできませんでしたので……。出過ぎた真似を謝罪いたします」

 ベルナデットは内心、納得する。バメイは身分差を超えてまで、日常的に客分へ意見するような人には見えなかったからだ。


(そうせざるを得ないくらい、大切ってことなのでしょうけれど)

 ノレイアが? アデルが?


「君が大人しく屋敷のなかで刺繍をしているような人だとは、当然こちらも思ってはいないよ。だから、驚いたけれども、そう意外ではなかったよね」

 にっこりとアデルは笑う。

「それに、いろいろ考えているよね。俺にとって建設的な方向であれば嬉しいけれども」


 それからちょっと、彼は考える顔をした。

「どうせだから、今言ってしまうね」

 ベルナデットは首を傾げる。

 何を?


「最初に、これは言うべきだったと思ってる。見ての通り、俺にとっては大切な故郷だけれど、外国から来た君にはどう見えるかくらいはわかっている」

 彼女は、え! と声を上げそうになるのを堪えた。

(じゃあ、あの独特な顔の鳥とか、ルブルたちが普通ではありえないってわかって……?)

 だとすれば少しは気が楽だ。


「今のノレイアは、潰れかけた小さな国に過ぎない。国といえるほどの人口もない。国の形を維持する産業もね。王国とはいえ、おそらくベルフォール領よりも貧しいと思うよ」

 それはそうだろう。ベルナデットは賛成も否定もせず、静かに聞く。

「原因は、ほとんどが天劫災害だよね……。というよりも、正確にはこのせいでまともな農業すらできない。それ以外は平凡な、ありきたりの土地柄だ」


(えっ、ありきたり???)

 それはちょっと違うような……、と言いたくなるのを努めて抑え込む。

「首都で過ごしてた君には退屈なくらいだよね、きっと」

(いえいえいえ、そんなとんでもない!)

 ベルナデットは大きく首を振った。そこには嘘はない。


 気遣いは要らないよ、と寂しそうに一度目を伏せ、それから王族の顔になって彼は彼女に向き合った。

「だから、縁談などは全く考えていなかったのだけどね。首都にはご配慮のお礼のために伺ったのだし……。でも、もしかしたら、という気持ちもあったのは事実だ」


 隣で控えているバメイが、今、その話をしてしまうと……、とためらいを見せる。いいんだ、とそれを制して

「天劫災害が起きたとき、古い星見が言った。止まった運命を動かす乙女と巡り会うことができれば、この災難を打ち消すことも可能だろう、と」


「それはどういう……?」

 ふんわりした予言めいた言葉で、ベルナデットにはつかみきれない。

「わからない」

 彼は肩を竦める。

「なにしろ、伝聞でね。その星見も大怪我をしていたということだから、どうなったことか。それに当時はひどく混乱していたらしくてね。この言葉もどれだけ正確なのか」

 態度からも、そこに嘘はなさそうだった。そもそも、アデルは悪意のあるごまかしや嘘がつける人間ではないように見える。


「それは……。もしかして【予言】ですの?」

 まさか、そんな強力なものではないよと彼は笑った。

「ああ、そうだ。神託などではない。星見の占いでしかないね。だから、あやふやでアテにならないと思っていたし、信じたい気持ちもあるにはあったけれど……」

 彼の瞳に迷いが走る。

「こんなこと、お相手にとっては迷惑でしかないだろう? ノレイアの事情に巻き込むことはできない。そう思っていたんだ」


 彼は、ベルナデットを見つめた。

「君に出会うまでは」

(あっ、その角度でこちらを向くのはちょっと卑怯では)

 慣れてきたとはいえ、彼の顔面の良さを改めて思い知る。


「巻き込んではいけないと思うと当時に、それでも近くにいて欲しいと感じた……。あのとき」

 彼は弱々しく笑う。

「でも、もし、運命なんてものがあって、それによって動かされた気持ちだとしたら、それは少し残念だけどね」

 愁いを帯びて、けれども、双眸はまっすぐに彼女を射抜く。


(おーっと危ないわ)

 ベルナデットははっと我に返った。脳内でイマージナリーのルシールががんがんと鐘を叩いて理性を起こしている。

(うっかり、結婚を承諾してしまうところだったわ)


 どう返事をするのが正解だろう。自分ひとりのことなら、もうこの勢いで嫁いでしまってもいいかーと決めてしまえなくもないのだが、それでも王族と結婚となれば家同士の問題でもある。

(それに、天劫災害の存在は無視できない……)

 かろうじて理性が働いた。


「正直に話してくださって、ありがとうございます」

 ベルナデットも、最上の微笑みになるよう、表情を和らげる。

「私も貴族の娘ですから、事情のひとつもない、と無邪気に信じてはおりませんわ」

 いや、何も考えてなかったけども。

「そのお話で、何かが揺らぐということはありません」


 たぶん。

 何にせよ若干の引け目を感じているらしいこの機会なら、こちらの要望も通しやすいかもしれない、と彼女は思案しながら口を開いた。


「では、私の方からもお願いがあるのです」

 なんだい? とアデルが視線を投げる。ベルナデットは令嬢らしく艶やかに口元を綻ばせる。


「帰らせてください」

「え?」


「あ、もちろん、首都に、ですけども」

 アデルとバメイは顔を見合わせた。

「だが、まだ……」


「ええ、ルシールは当分は動けないでしょうね。ですので、一時的に戻りたいだけです」

 それは、貴女が望むのであれば引き留める権利はないけれども、と彼らはためらう。彼女は、はい、と彼らの不審を先取りした。


「こうしてお国のことを幾分か把握できましたので、私なりに一度首都で調べたいことがございます。ご存じとは思いますけれど」

 別の国ではあるけれど、王家の親族なのだから知らぬはずはあるまい、と彼女は言葉を継いだ。


「首都には王家が所有している図書があります。王族や貴族、あるいは一定の地位にある者には解放されております」

 もちろんだ、とアデルは答える。

「訪れたこともある」


「浅学のため、私はこれまで天劫災害について世間の風評以上のことを学んでおりません。それには我が家独特の理由もあるのですが……」

 彼女は父親を思い出す。あの父の庇護下では、すべての天災は避けて通ってしまうのだが、そのことは身内と一部の識者にしか知られていない。

「そちらは、おいおいご説明させていただくこともあるかと思います。まずは、図書にある事実を確認しておきたいのです」


「それならば、ルシール殿の体調が戻ってからでも」

 考え込むアデルの代弁をするようにバメイは問うた。

「ええ。その方が私も往復の手間が省けるのですけども、いつ万全になるかわかりませんし、急いだ方がよいかと」


「いや、それは貴女の考えが正しいだろう」

 アデルは口を開いた。

「ふたりで戻ってしまえば、この話はなかったことにされてしまう、と思っているのだよね?」

 はい、とベルナデットは肯定した。

「父はともかく、母は許さないでしょう」


 天劫災害という特殊な条件があったにしろ、今頃はイネスももう少し詳しい情報をつかんでいるだろう。アルノーは面白がるだろうけれど、両親の意見が異なっては揉めることは必至。長引けば長引くほどややこしくなるし、うやむやにされてしまうかもしれない。


(大体、私はお母さま曰く、崖っぷちらしいのだから悠長にしてられないわ)


「お受けするにしろ、そうでないにしろ、私の意志の外で決められたくはありませんもの」

 すまし顔で言い放つ彼女の前で、ふっと彼は噴き出した。


「いいね」


「おほめいただいてどうも」

 スカートを持ち上げて、丁寧に礼をしてから

「ご厚意に甘えて、もうひとつお願いをしてもよろしいかしら?」

「なんだい?」

 アデルは喉を整えてから彼女に向き合う。


「ワイスを貸していただきたいのです」

「え!」

 アデルより早く、バメイが声を上げる。


「貴女、さきほどの会話は何だったと……!」

「あら、私はもうしません、とは言ってませんわよね」

 素知らぬ風に彼女は答える。バメイは絶句した。


「……。確かにそういう約束はなかったね」

 アデルは笑いをかみ殺しつつ、ちらっとバメイを窺う。彼は言葉を失ったままだ。


「いや……、でもさ、うん」

 けれども我慢できなくなって、彼は笑い声を立てた。


「ははっ! バメイのそんな顔、何年ぶりかだよ」

「おかしいですか、王子」

 ああ、それは、と彼は従者の恨みがましい視線に耐え切れず、高らかに笑った。


「まあ、それはよかったですわね」

 ベルナデットは再びスカートを持ち上げて見せたので、アデルは笑いすぎて完全に返事ができなくなってしまった。


 けれども、さんざん笑った後で、アデルは真剣な顔になってこう付け加えるのも忘れなかった。

「でも、それはダメだよ」

 ふだんは優しげなアデルの面立ちは冷たいものになって、その瞳は鋭さを帯びる。それは一瞬に過ぎなかったけれど、ベルナデットは本気で拒絶するときの父親と同じ気配を感じて、ぞくり、とした。


(そうはうまく行かないか……)

 ベルナデットは心中で舌を鳴らしたい気持ちになった。

 

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