3章(2)こんにちは! 婚約者(予定)の親友さん!

 ルシールの目にはまだまだクマが残っている。むしろ、前日よりも酷くなっていた。

(これって少しも休んでいないのでは……)

「ベル……!」

 そこでアデルに目を止め、言い方を改める。

「ナデット、様……」


 王子への遠慮で、少しだけ表情も大人しくなった。助かる。

「おひとりで出歩かないでくださいませ、とあれほど……」

「ああ、おはよう」

 ちょうどよかった、とアデルは、ベルナデットと自分の間に割り込むように入ったルシールに水差しを、はいと手渡した。


「これを取りにこられたのだよ」

「あ……りがとうございます。さあ、ベルナデット様……!」

 半裸のアデルに警戒しつつ、ルシールは主人を促す。お礼もそこそこ、ベルナデットは「はーい」と彼女を刺激しないよう大人しく従った。


「ベル! どういうつもり! 私を置いて!」

 ぱたんと、外への扉を閉めると速攻彼女の苦言が始まる。

「ベルフォールじゃいいかもしれないけど、他の地方であんな恰好の異性と一緒にいたらどう噂されるか! 気を抜いちゃダメだって常々言ってるじゃないか!」


(ああ、始まった……)

 言われると思った。

 説教タイムの始まりである。


(これは不可抗力なんだし、そこまで怒らなくてもいいじゃない)

 ベルナデットには彼女の勢いが解せない。たまたま鉢合わせしたのくらい、観察力のある彼女ならわかりそうなものなのに。


(いや……。でも、ここは我慢……)

 発見したのがルシールでよかったと思うべきだ。もし、これが彼女ではなくバメイだったら、確かにもっと面倒だったかもしれない。少なくとも、軽率な令嬢への評価は駄々下がりである。


「はいはいはいはい、わかってるわよ、悪かったわよ。気をつけます。それより!」

 さっと、ベルナデットはルシールの唇に人差し指を当てる。

「貴女、全然眠ってないでしょ?」


「は? 今はそんなこと……」

(そんなことじゃないわよ。酷い顔色だし)

 王子との遭遇よりも幼馴染の体調の方が確実に重要だった。


 ルシールは、ベルナデットのことになると自分を後回し後回しにする癖がある。

 それはやめるように言っているのだが、聞きやしない。そのことには、ベルナデットはちょっとだけ怒っていた。

 怒りには怒り返すのが有効、という小技でもあった。


(それでも、イヤな言い方にはなるわよねえ)

 自分でわかっている。でも響かせるには、そうするしかない。


「腹を立てるのもわからないではないけど、貴女、従者であると同時に私の護衛でもあるわけでしょ? そんな状態で役目を全うできるの?」

 はっ、とルシールは息を呑む。


「それは……」

「想定外のことや……、無礼なことなど、今までだって幾らもあったでしょう」


 なにしろ、首都在住の性悪令嬢ランキングの堂々一位を獲得したばかりのベルナデットである。悪評は慣れっこでもあった。

 実際、口が悪いのは事実なので、そこは別に否定する気もない。


「どうしたの。ここに来てから、貴女らしくないわ」

 もともとルシールは物静かで冷静な性格だ。こんなにあからさまにわかりやすく攻撃的にはならない。

 すいません、そうですね……、と彼女は素直に認めた。


「空気が身体に合わないのか、どうも神経が高ぶりやすくて……」

 ルシール自身、何かに急かされてるような気持ちになっていることはわかっていた。それは、この顔以外は、何の好条件も持っていないふざけた求婚者のせいだと思っていた。

 違うのかも……? ふとその可能性が頭を掠める。


「それなら余計に休まないといけないわ……」

 ベルナデットは優しい声色で、戻りましょう、とルシールの腕を取った。我ながらあざといな、と思いつつも飴の投入である。

「誰と結婚しようと、私の大事な乳母子に変わりはないのよ。私だって月琳を大事にしたいんだから」

 可能な限り柔らかく微笑む。


「あの……。ベル」

 言いづらそうにルシールは彼女の手を押さえた。

「そっちじゃなくて、こっち……」


「……。あ、そう。ここ構造がわかりにくすぎやしないかしら……」

 気を取り直し、建物のせいにしつつ廊下の角を曲がると、ちょうど向こうから闊歩してきたバメイと真正面から行き会う。

 内心ひやっとする。

 タイミングが少しずれたら、先に彼と顔を合わせていたかもしれない。


「これは失礼を……」

 すっと身を引いてから、バメイは思い出した表情で「よろしければ」と続けた。

「お連れの従者を後でお借りしたいのですが」


「ルシールを?」

 二人は顔を見合わせた。彼は強く頷く。

「ご令嬢のご滞在も、もう何日もありません。我が国についてのより詳しい情報をお伝えしておきたいのです」

 国土、歴史、制度、現在の国力に関わる事柄をできるだけ、と提案されると、否やはない。それなら私も、と言いかけるベルナデットにバメイは首を振った。


「本日、アデル様がご令嬢に会わせたい者がいるとおっしゃっていました。それに昨日のお話も途中です。その際に、ともにされるおつもりかと」

(あ。そうだった)

 すっかり忘れていた。

(えーと、何だっけ?)


「それに、私めの方はごく事務的な説明ですので、お手を煩わせるほどのことはないかと」

「でも、ルシールの体調は万全とはとても……」

 彼女の思案顔を、すぐにバメイは掬い取る。

「そうですね。拝見した感じでは、とてもお疲れのようです。午前は休んでいただいて、万全の状態になっていただいてからがよろしいかと。細々した話になりますから。午後でもこちらは構いません」


 ぴり、とルシールの眉が上がる。言外の言葉に気づいている。きっとバメイを見つめる強いまなざしを、相手も涼しい顔で受けた。

「長旅もありましたし、女性の身体では無理はできぬのも仕方ないことでしょう」

「それは、どういう意味でしょう?」


 ベルナデットの胃が痛み始める。

(喧嘩は……。しないで……)

 強火の主人推し同士の対決だ。バメイは自分を気に入っていないのでは、とはベルナデットもなんとなく感じている。

 気に入らない……、というよりも、引っかかっているという方が正確かもしれない。ともあれ、思うところはあるようで、当然、ルシールも感じ取っている。

 

 そんなこともあり、初日から、このふたり、あんまり合わなさそうだなあ、とは感じていた。雰囲気で。

 バメイはあからさまではないもののベルナデットたちに警戒を解かなかったし、つまり、アデル第一主義という感じで、対するルシールについては言わずもがなだ。

 ついに直接対決かと、ひやりとする。


 この田舎者が、こちらの弱みに付け込んで、適当な求婚をして……!

(月琳の方は、それくらいは思ってるのが駄々洩れだものね)

 贔屓目に見てもはっきり顔に出ている。


 にしても、ルシールは本調子ではない。睡眠不足では頭も動かないし、まともに判断できないとみられてもそこは致し方ない。

(まずはちゃんと休まないと)


 たかが縁談だ。

 男に代わりはいるが、彼女の代わりはいない。

 こんなつまらないことのあれこれで、幼馴染をすり減らしたくはない。


「そうですわね」

 私、父上の血か体力だけはあるようですの、と補足も入れながら、ベルナデットは同意する。この調子で自分に付き合っていたら、彼女はいつになっても休んでくれそうにない。

「私は、そのお考えに賛成です」

「ベル……、ナデット様!」

 

「私はアデル様のご用事があるから、貴女はしっかり体調を整えて私の代わりにバメイさんのお話を伺って把握しておくのよ。これは役割分担ってことでもあるわね」

 責任感の強いルシールだ。少し卑怯かな、とは思う。

 敢えてベルナデットはそういう言い方をした。もちろん、ルシールは意図に気づいて不満そうではあったけれど、バメイの手前か、素直に「はい」と受け入れた。


「僭越ながら、ベルナデット様。私に敬称は要りませんので」

 表情を動かしもせず、バメイは告げる。冷たくさえある。

(本当に堅いひとなのねえ)

 初見との印象の違いには驚きだ。首都の市井で会ったときにはもっと如才ない若者だと感じた。

 あのとき、不思議なことにアデルの記憶はほとんどないけれど、バメイの方は覚えている。愛嬌もあって、話術も悪くなかった。

 今は別人のよう。


(そう装っていたということ?)

 なんのために? その必要があるとも思えない。

 まあ、本来の彼が生真面目な性格なのだろう、と捉えておくことにした。


 それはそれとして。

「けれど、貴方はアデル様のご血縁でいらっしゃるでしょ?」

 気づいていないと思ってる? と問いかけるように彼女はイタズラっぽく笑った。

 自分にも立場があるし、考えもある。なんでも言われるがまま唯々諾々と受け入れる女と受け取られるのは心外だ。そこは譲らない。


 バメイの瞳孔が僅かに開く。アデルとバメイ、ふたりの外見はかなり異なる。態度でも、それを感じさせるような証拠はなかった。

「いや。でも……」

「違う?」


「いえ、違いません。よくお気づきに」

 答えず、ふふ、とベルナデットは笑った。

「では、後で」


 侮らないようにしよう、と、バメイは心に留め置く。彼女のことを見た目は美しいが、どこかふわふわしていると思っていた。要は世間知らずの令嬢だと。

 しかし、さすがに辺境伯の娘だけはあって、最低限の観察眼はあるようだ、とそれ以上追求せずにバメイは軽く会釈した。

「はい。お食事の用意ができましたら、お声掛けいたします」

 ええ、お願いします、とベルナデットはたおやかに応えた。


 二人の会話を聞きながら、ただただルシールはぎゅっと両の手を握り合っていた。

 よりによって王子の従者に指摘されるなんて。自分が情けなかった。

 主人が自分を置き去りにして、環境に馴染み始めているのも焦りを感じる。


 けれど、それ以上のこととして。


 ノレイアに来てから確かに調子がおかしい。短慮になっている自分を感じるし、身体が落ち着かず横になっても休めない。ベルナデットはどうという風でもないのが、余計に変だ。

 地域特有の気候病でもあるのだろうか? 先祖が土着して長いとはいえ、本来はルシールたちは別の土地で暮らしていた一族だ。


 でも、今さら体質に合わない、とか……? ベルフォールでは何もなかったのに、そんなことが?


 怖い。

 不安が増す。

 役目を解かれることもあるのだろうか? と一瞬よぎる。


 辺境伯は能力判断については容赦がない。我が子のように可愛がってはくれたものの、そこに情を挟みはしないだろう。最悪は、姉妹婚の候補から下ろされるかもしれないとも思った。

 娘の希望を優先するとはいっても決定権は結局のところ父親にある。娘がどう言おうと、必要なことは、する。そういう人だ。


 ベルナデットの傍に控えていられない日が来るのだろうか?


 いやだ。


 ルシールは唇を噛み締めた。

 幼い頃からずっと一緒だった。別れるなんて考えたこともなかった。

 ベルナデットたちの言うことはいちいちもっともだ。感情的にいやだ、というだけでは拒めない。無理をして不適格だと思われたくない。

 一言での肯定。でも、たくさんの想いが詰まった承諾だった。


 そんな複雑な感情が背景があるとは想像もせず、食事の後ルシールが休むことを受け入れたので、何とかベルナデットは安心できた。

 それでも信用ならないので寝台で横になるところまで確認して、 行ってくるわね、とベルナデットは声掛けまでした。拾われた子犬のような瞳で彼女は頷く。

 ふっと、ベルナデットは微笑む。ときどき、ルシールは妹のようになる。


 さて。

 そろそろベルナデットも学んできた。

 改まって「紹介したい者がいるんだ」などと婚約者候補に言われたら、 両親兄弟、あるいは個人的な親友のような関係が相場…… と一般的には考えるだろう。


(この王子様の場合、絶対なんか違うわよね……)


 さあ何が来る? なんでも来い、だわ…… と身構えたベルナデットは、アデルに建物から少し離れた位置にある大きな脇屋に案内された。


(やっぱりね……)

 ベルナデットは自分の予想が的中しそうだと妙な自信を持った。

 愛馬かしら? 可愛がってる牛でも驚かないわよ。最高にいい乳を出す! とかね!

 農家のいでたちを思えば、十分ありうる。


「彼はワイス。俺の大切な友人なんだ」

 獣の匂い。やっぱりね!


 日光の真下から暗い屋内に入って目がくらみ、彼女は視線を下に落とした。清掃しきれなかった獣毛が地面に落ちている。


(これは……。昨日ヒクイドリ避けに持ってきたものだわ)

 すぐに理解して、彼女は顔を上げた。


 小屋にはとてもとても大きくて真っ白な……。


「えーと、犬?」

 知らん顔で寝そべっていたそれの、耳がぴくりと動く。


「いいや、オオカミなんだよね」

 犬みたいにいいやつだけど。

「犬には見えないよね、さすがに」

 貴女は楽しい人だね、とアデルは笑う。


(あ、はい。ですよね。この巨大さ、犬じゃないですよね)

 狼はちらっと彼女を見たものの、軽く鼻を鳴らして朝寝を続けた。


「ダイアウルフ……、の一種だと思うんだけど、昔からノレイアにいる狼はみなこんな感じだったから、ただオオカミとしか呼ばれていなくてね」

(いや、熊じゃん!!)

 彼はベルナデットの僅かな反応を目ざとくくみ取った。


「そうかあ……。うーん、ちょっと大きすぎるよね。性格は大人しいのだけどね。まあ、この大きさは土地柄といったところかな?」

 固有種ってやつかな? とアデルは今更な疑問を口にしている。


(いやいやいや? そんな地域差って、ある?)

 目の前の動物は、明らかに規格外だ。狼より一回り大きい、ちょっと育っちゃったな! というレベルではなく、言ったら馬よりもずっと大きいのだ。

(熊といっても、巨大熊くらいは……、もしかしたら二頭分くらいの体長はあるような……)

 若干丸くなっているため、全体像が見えない。長さはもっとあるかもしれなかった。


 北方のハエは小さくて、南方のハエは大きい、みたいなノリで言われましても! 彼女は言葉を飲み込んだ。


(それに、そうだとしても大きすぎない……?)

 そもそもダイアウルフとは古代狼の一種ではあるけれど、それほど特異な存在ではなく、その他大型だった古代種のひとつに過ぎない。大きいとはいっても、あくまで限度がある。

 このダイアウルフとアデルが説明する肉食獣は見た目こそ狼だけれども……、ああ、わからない。そんなことがあるのだろうか?


 とは脳内でぐるぐると思いを巡らせるが、彼女は賢明にも沈黙を続ける。

 そろそろ察知し始めていた。

(この国は、人の知覚か認識、あるいは両方ともがおかしいのでは……)


 ベルナデットは、オオカミとして紹介された生き物をまじまじと観察する。これで「ふつうのオオカミです」とかそんなわけない。


(大きさだけでいったら悠に馬以上はあるもの。そんな狼の生息地なんて聞いたことない。そもそも、このサイズの肉食獣なら、一日の食事量もそれなりになるわ。そういう生物が人間に飼育できるものなの?)


 こんな犬みたいに!

 ベルフォールでは何十年も前からときどき、親熊が処分された、あるいははぐれたりした小熊を家畜化する試みがされているけれども、成功した例は少なく、うまくいっても手法化できていない。

 だから、熊と仲良くなってしまったベルフォール辺境伯は異質なのである。


 肉食の野生はそれほどに手なづけにくい。大きく、強い生物であればあるほど。

(巨大すぎる……。むしろ神獣か魔獣の類と言った方がしっくりくる……)


 そっと王子の様子を伺うと、な、可愛いだろう? と言わんばかりの笑顔を浮かべていた。

(いや、犬じゃないから!)


「す……、素敵な毛並みですわね……」

 当たり障りのない返事をする。

「美しいオオカミは我が国の自慢なんだ。とはいっても、もう数が随分減ってしまって……。もっと高地に行けばあるいは生息しているのかもしれないけれど、この周辺ではこいつしかいなくて」

 残念なことにね、としんみりアデルは言う。


(それって残念な話かしら……)

 この個体は友好的だとしても、大型肉食獣が闊歩する森林は人間にとってはとても住みやすいとはいえないだろう。


 人間の手が入っていない自然を間近にするベルフォール出身だからこそ思うのだ。敵国だけでなく、自然だって辺境国にとっては同様に敵となる。


いにしえより王家を守護するため霊峰より降り来たりて、王子を守護する……、らしいんだけど、俺も僅かに聞いた話で、よく知らないんだ」


(それ、神獣の言い伝えじゃない!)

 すんでのところでツッコミを飲み込み、「そ、そうなのですねえ」と合いの手を打った。


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