2章(4)ちょっと待って? お顔が変。

(もしかして、そうかなー……、とはちらっとは思ってたんだよね……)

 予想はしていた。知らせに走ったひとりのみが幼子族、なんてことはないだろうとは。


 しかし、全員がそう、とは……。いくらなんでも。

 そもそも自分たちサイズの農夫がいない。ひとりも。人間の村に迷い込んだ巨人族になったような錯覚を覚えて、ベルナデットの脳はぐらっと揺らされた。

 まさにおとぎ話の挿絵で描かれた世界である。


「アデル様、これは……」

 彼は力強く頷く。国を見渡すその横顔は愛情深い。

「彼らはみなノレイアの民だ。ルブル、と自称している」

 古い言葉で、何でもないもの、取るにたらないもの、という意味だった。


(あの……。そこじゃなくて……)

 この際、呼び名はどうでもよかった。


 天劫の後に棲み着いたのか、それともこれも呪いの一部なのか……。

 自称、というのなら後者なのでしょうね、とベルナデットは感じた。


(いいわ、それも後で教えてもらわなければ)

 聞かねばならないことが、多すぎである。


 疎らに作業に勤しむルブルたちの一方で、高台から畑に向かっている石造りの水路に何人かが集まっている箇所がある。アデルたちはそちらに進んだ。

 この水路とやらの作りも小さい。手の小さいルブルたちが完成させたものなのだろう。

 水は豊かとはいえないけれど清流ではあり、このささやかな耕作には十分だろうと思われた。見上げれば、水路の先は水源になっているらしい小高い山に繋がっている。


 横に視界を滑らせれば、爽快な青空が広がり、そしてひときわ高い山の頂に気づく。

 青い山々と異なり、それひとつが不穏に赤黒い。煙を吐いていないのが不思議なほどだった。


(あれが、炎竜が巣にしているという……)

 そう聞かされているせいかもしれないが、確かに禍々しい。

 周囲の山々は青く穏やかだというのに、あの孤峰のみ色合いが違っているのは、やはり天劫の影響と考えてよさそうだった。


 水路は切り出された石ではなく、自然石を利用して作られている。そのため、場所によって使われる石の大きさには差があった。

 そのうちの、大きな石を組み入れている箇所を遠巻きにしてルブルたちは心配そうに佇んでいた。


「怖い鳥。怖い。火を吐くの」

 彼らを案内するルブルは眉を寄せる。どうやら石の影に何かいるらしい。

「なるほど。ここに巣を作ろうとしているのか」


「そう。ヒハキドリ」

 ベルナデットは初めて聞く名前だ。ルシールも首を振る。

(火を吐く鳥、でいいのかしら。そのまんまの名前だけれども)

 ふたりにとって聞いたことはない名だ。


(ノレイア地方独特の野鳥とか?)

 アデルはルブルを下がらせ、バメイと一緒に石の裏側に近づく。あまり寄らないで、とベルナデットを牽制するけれども、彼女は好奇心には勝てない。


 そっとアデルたちの後ろからヒハキドリとやらを覗き見する。地面を掻いて浅いヘコみを作っており、そこに石を幾つか運び入れているようで、巣作りを始めているのは間違いない。中央に座り込んだふわふわの羽毛が見える……。


「ライチョウじゃない!」

 思わず、高い声が出た。

 どう見ても、高山にいるというライチョウである。平地にはいないので珍しいが、高い山ならわりとどこにでもいる。


 白い羽根をした鳥は、ん? と頭を上げてベルナデットの方を向く。まずい、警戒された、と感じた瞬間、ライチョウは羽根を広げ威嚇を始め、嘴を開いた。


 カッ!

 喉の奥から小さく赤い何かが彼女の足下まで飛んでくる。


「危ない!」

 横からルシールがベルナデットの腕を引き、とっさに避けさせた。バチバチと火花が撥ねていく。


 それがなくとも当たる位置に着弾はしなかったが、予想もしない攻撃を目の当たりにして、さすがに面喰った。


「大丈夫? ベル」

「あ、ありがと……」


 ルシールから離れて態勢を直して、「貴女は?」と改めて見ると、彼女の袖に小さな焼け焦げがあるのに気づいた。

「石に当たって飛んできただけ。問題ない」

 すっと彼女は手でそこを覆った。


 ベルナデットはライチョウが吐いた、まだ煌々としているものをまじまじと見下ろす。 真っ赤に光っている。どうも熱された石のようなもののようだ。


「大丈夫だったかい?」

 ライチョウを刺激しないよう、彼女らに近づかずに足を止めたままアデルが問いかける。

「ええ、ごめんなさい……」


 ライチョウではない。こんなライチョウ、聞いたことはない。

「……。ライチョウには、こんなことはできませんわよね」

 ひとまず、真面目にそう感想を口にするが、自分でも突っ込む気持ちが収まらない。


(というか、そういう話ではないわね、もはや)

 それ以前に普通の鳥にはこんなことはできないだろう。


 魔獣の邪気で生まれた変異体…… とか?

 まさに、辺境伯アルノーの好みそうな状況になってきた。

 こちらは何も嬉しくはないけれど……、とベルナデットはもう一度ライチョウの姿を観察した。

 しかし、そんなことよりももっと大きな異変がある。


「……。ねえ、ルシール」

「ええ、私も気づきました」

 気づくとかいう話なんだろうか……。この鳥……。


(顔が、おかしい……)


 え? ライチョウってこんな顔してたっけ? もっとつぶらな目をしてなかった? いや、ライチョウが、というよりも、鳥として……?

 目の前にいて怒り狂っている鳥の顔、動物として作りがおかしい。


「あの白い羽根の下、かなりの熱量ではないでしょうか。赤々と透けて光が漏れていますね」


「えっ、そこ?」


(いや、そうだけども!)

 ベルナデットも見てとってはいたが、まず気になるのはそこではないだろうと思われた。


 他に何が……? と言いたげにルシールは彼女に向って首を傾げる。

(確かに間違ってはないけど)

 ベルナデットは、あ、うん、そう。そうね、とごまかした。


 子どもの落書きみたいな顔をしてるじゃない。嘴のついてる位置だっておかしいわよね? 大体、ライチョウって頭小さくなかった? あんなに大きな頭してないわよね? バランスがどうかしてるじゃないの。


 それが翼をバッサバッサと広げて人間を威嚇するものだから、どうしてもベルナデットは緊張感を持てない。


「足下に卵があります、王子よ」

 バメイの言葉にアデルは頷いた。

「あれほどの火石を吐くのだから、身体が熱すぎるのだろう。水場で適宜冷やせるように、あそこを巣と定めたのかもしれないな」

「流水は水路の石を冷やしもしますからね」

 ふたりは端正な顔を見合わせて、真剣に相談している。


(でないと、そのままゆで卵になるのかしら……)

 ベルナデットは素朴な疑問を覚えたけれど、緊迫した空気の中でとても発言はできない。ふんふん、ともっともらしく聞いている顔を作った。


「水路脇にある石がちょうど巣を掘ったときに庇のようにもなって、都合がいいのだろう。大きいからと放置していた。それを壊して小さくしてしまえば、もう寄って来はしないだろうが……」

「ひとまず上流の水門を閉じて、水を止めては? 冷やされなくなれば、周辺温度が高くなり、移動するかもしれません」


「そうだな……」

 まだアデルは懸念のある雰囲気だ。


「しかし、そうしたところで、またやってこないとは限らないな……」

 ヒハキドリが巣にしそうな場所は、まだ他にもある。

 ちらと、後方に控えるルブルに目をやって、それでは彼らは水路の管理ができなくなってしまう……、と彼は呟いた。


 ふと思い立って、あの……、とベルナデットは声をかける。

「なにか?」

「肉食の獣を飼っていたりはしませんか? 牧羊犬や番犬程度の動物でいいんです。狐でも構いません。毛皮用に飼育していたり、とか……」

「なくはないけれど、それが?」


「私の故郷では、鳥獣被害を避けるために肉食獣の抜け毛を使うことがあります。大型の動物、例えば肉食獣には効かないかもしれませんが、ライ……、その鳥程度なら巣を壊されたうえに獣の匂いが強かったら、ひとまずは寄ってこないのではないかしら」


 結局、ライチョウらしき鳥はそこが安全だと思うから巣を作ろうとする。

「ああ……。いいかもしれないね」

 バメイも頷く。


「だけど匂いは薄れるだろうから……」

「しばらくはこの辺を犬の運動ルートに組み入れておこうか……」

 そのうえで巣作りを妨害する程度の作業ならルブルたちでも自衛できるはずだ、と結論した。

「じゃあ、さっそく取り掛かろうか」

 ベルナデットは、私も微力ながらお手伝いさせてください、と申し出た。


「ベル!」

 ルシールは当然物言いを入れた。あんな得体のしれないものに、これ以上近づいて欲しくない。大体手伝うとは? 辺境伯令嬢は人足ではないのだ。


「まあ、乗りかかった船というでしょう?」

 それに、国民性を確認するにはちょうどいいくらいの作業になりそうじゃない、と耳打ちする。それはそうだけれど……、と否定できなかったルシールは無理やり承諾させられた。


 威嚇を続ける、ちょっと顔がどうかしているライチョウを動かす作業は、全員で追い立ててやった。ちょこちょこと動くルブルたちがコミカルで可愛い。本人らは真剣そのものなのだけど、どうにも緊張感を感じられない。


 一度水門で水を止めて水路周辺の整備をする……。これは壊れた箇所を直したり、ヒハキドリが巣にしそうな窪みを無くす、要は土木作業なので、アデルとバメイが中心になった。


 そのうちに、ルブルたちが飼い犬らしき抜け毛や、体臭のついた敷き藁を運んでくる。屋敷で犬を飼っていそうな気配はなかったけれど、こういうお国柄だから猟犬くらいは数匹いるだろうと予想したベルナデットは正しかった。かなりの量がある。

 それを狙われそうな要所に配置して、固定する、とそんなことでその日は終始した。

 途中、ルブルたちが手弁当を差し入れしてくれたりもして、内心苛立つルシールを除けば、至極和気あいあいと時間は過ぎる。


(水路はひとまずこれで大丈夫でしょうけど)

 その水の流れる先には、ルブルたちの耕作地がある。そちらまでやりますか、とバメイがアデルに尋ねる。


「ヒハキドリは厄介だけれど、刺激しなければ、それほど攻撃的ではないよね」

 あれで?! とルシールは思ったけれど、黙っていた。十分、危険だと思うけれども。


 畑にはいつも誰かしらルブルたちがいるから、そこまでやってきてわざわざ巣を作ったりはしないだろうと、アデルたちは言い合った。

「もし、これ以上ヒハキドリが執着してくるようなら、仕方ないけど本格的に駆除しよう」

 でも、あまり必要なく野生生物を殺したくはないな……、とアデルは呟いた。


(あら。お優しい……)

 でも、あれが普通の野生生物のくくりでいいのかしら、とも疑問である。


 気づけばノレイアの早い夕暮れが迫っていた。

「もうすぐ暗くなるね。家に戻らないとね」

 アデルの声で、ベルナデットは、はっとする。


(しまった……)

 観察しましょう、みたいに偉そうなことをルシールに言っていたくせに途中からすっかり忘れてしまっていた。

(うっかりそのままふつうに労働してしまったわ……)

 身体を動かすことは嫌いではない。やれ行儀が悪いだのとやかく言われずのびのびやれるものだから、すっかり没頭してしまった。


 部屋に戻ったら小言の時間になるだろうことが予想できて、ベルナデットはルシールと目を合わせられない。すでにその圧はなんとなく感じている。

 のんびりした雰囲気を醸すルブルたちのせいでもあるのよ、きっと……、と彼女は他人のせいにして言い訳をこね回すけれど、どう考えてもルシールには通用しないだろう。

(さて、どう言いくるめるか……)


「すまなかった。本当にありがとう」

 アデルは優しく微笑む。その頬が多少染まっているのは、夕焼けのためばかりではなかった。


「今日は大事な話と、それから貴女に会わせたい者がいたのだけれど……。遅くなってしまったね」

 そうだ、話が中断されている、と彼女も思い出す。

(私が何かかもしれないとか、そんな話だったかしら?)


「それは明日にしたいのだけど、いいかな」

「ええ、はい。わかりましたわ」

 とにかく、聞かなければ話は始まらない。彼女が頷くと、アデルは優しく微笑んだ。

「勝手ですまない。ありがとう」


 いえいえ! 冗談ではない。


 ルシールは、ほのぼのムードを出し始めている二人を苛々しながら見つめた。

 どうもベルナデットは雰囲気に流されているとしか思えない……。今は黙っておくけど、ちゃんと考え直してもらわないと……。


 はにかむ彼女の後ろでルシールはむかむかしながらも、何とか吐き出す前に不満を口の中でかみ殺した。

 それから、はたとあることに気づいて脱力する。

 って、ことは帰れない……?


 明日もいなきゃいけないってことじゃないかーッ!

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