2章(3)第一村民、発見?!

(ああ……!)

 彼女はぎこちなく微笑み返す。

(今朝になって何度も何度も目にしているけれども、なんて柔らかく優しく笑うんだろう……。本当に魂が浄化されそ……)


「ん!」

 ルシールの咳払いで我に返り、ベルナデットも軽く喉の調子を整える。


「ありがとうございます……。国土のご事情は理解しましたわ……。けれど、それで全てではございませんわね?」

 もっとも大事な話を、まだしていない。

 ベルナデットは直感している。


「うん、そうだね」

 少し瞳に憂鬱の影を投げかけてアデルは沈黙した。

 言いたくないのだ。

 天劫災害よりも、貧しい国の実情よりもなお、彼女に伝えたくないと思っている。


(それは何なんだろう)

 ルシールにはお人好し呼ばわりされるベルナデットではあるが、父親譲り、人を評価する目は冷静だ。人の器は、苦しいところによく表れることを知っている。


 すっと、彼の澄んだ瞳が陰る。

(悲しみ? 苦悩?)

 まずは苦しみであることは間違いない。


「俺は、誰かを選ぶつもりはなかった……。選ばずにいようと思った。でも」


 声を断ち切る小さなノックの音がする。

 小鳥の囀りほどの大きさではあったけれど、王子の言葉を待っていた静かな室内にはしっかりと響いた。

 アデルはバメイに目で指示をする。彼はドアの前まで行って少しばかり開けて、すっとごく自然に屈んだ。


 さすがにベルナデットははしたなく振り返ったりはしないが、代わりに背後を窺ったルシールは首を傾げた。

 目線がおかしい。低すぎる。子どもだろうか?


「いいよ、バメイ。急ぎなんだろう」

 でも、とためらう様子を見せたバメイは、主の頷く様に仕方なく立ち上がり、ドアを大きく開けた。


「おうじさま……」

(子ども?)


 とても可愛らしい声がする。振り向くべきじゃない、紹介もされていない。彼の国のうちうちの話だ。

 けれども、好奇心に負けたベルナデットはつい振り返ってしまう。

 そこにはバメイの半分以下の身長をした、小さな小さな……。


幼子おさなご族?!)

 滅びて久しいと言われる幻の種族だ。生まれて一定程度に成長したのちは、寿命の尽きるまで子どもの姿をしているという……。


(嘘でしょ!)


 幾度めになるだろうか、ベルナデットたちは顔を見合わせる。

 幼生族らしい者は礼儀正しく脱いだ帽子をぎゅっと掴んで大きな瞳を潤ませる。


「大変なの……。お水が……」

 ノレイアに幼子族が住んでるなんて聞いたこともないし、事前学習した地理国書にも載っていなかった。むろん、過去にそんな記録もない。


 というか、幼子族はもはやお伽噺のなかの存在。

 かつて世界にはさまざまな種族が暮らしており、その一部族であるという、信じてよいのかわからないほど古い記録にしか登場しない。


(どういうことなのよ……!)


 ベルナデットは混乱を鎮めるために大きく息をつき……、そして息を止めて覚悟した。

 もういちいち驚いてなどいられない。


(どれだけの想定外があるのか知らないけど、全部見てあげるわ……!)

 ベルナデットは口元を引き締めた。もうそれ以外にない。


 水路に問題が起きた、と小さな訪問者は言った。

 トラブルを伝えに来た幼子族の……、子どもだろうか、成人だろうか、ベルナデットたちには見分けがつかないのだけれども、とにかく近くの農地に引かれている水路でなにかあったのだと、おそらく彼、は伝えた。


「そこは、夜明け前に直したところでは?」

 バメイが指摘する。


 などという、冷静な問いかけからしてあの子は大人なんだろうか? ともベルナデットは思うが、バメイという人は相手によって対応を変えるようには思えないので、関係ないのかもしれない。


「おかしいな。大丈夫そうだったけどなあ」

 不思議そうに呟いてから、一度、明け方に修繕したんだ、とアデルはふたりに補足説明をした。

「そうだけど、そうだけど。また来てるの。あの怖い鳥。怖い鳥」


(鳥?)

 畑に鳥害はよく聞く現象ではある。


「もしかして、また水路が塞がれたのか?」

 幼子族は頷く。

 すまないけれど、こちらを先に対処させて欲しい、と王子は立ち上がった。もちろん、と頷きつつも、

「あの……、私たちも現場に同行してもよろしいかしら?」

 ベルナデットがそう申し出ると、彼は意外なほど戸惑いを見せた。


「え…?」

 大きく見開いたアデルの瞳は美しい。さきほどの陰りはどこにもない。

 でも、いや、危ないかも…… と言いかけて、すぐに優しい色を見せ、ああ、そうだねと頷く。


「何も隠すことはない。むしろ俺の国を見て欲しいと思っているくらいだからね」

 ただ、対処に時間がかかるかもしれないし、スカートで向かうのは、と彼は気遣いを見せる。


「少しお待ちくださる? 狩装束に替えてまいります」

 ルシールはぎょっとしたが、アデルは少し驚いた後、柔らかい表情になった。


「君だったらいいな、と思っているよ、本当に。俺の運命ならって」


(はい?)

 そこちょっと詳しく! と指摘したいところだけれど、不満顔のルシールに袖を引っ張られて断念する。

 

 いつの間にそんなものを詰め込んでいたのですか、と小声で苦情を入れるルシールの手に、自分の手を置いて、まあまあ、怒らないで、と機嫌を取る。

 自分のことは自分でやる気風のベルフォール生まれのベルナデットは、ごくごく身の回り品は手ずからまとめていたのだった。

 ではそういうことで、と彼女は涼しい顔で席を立つ。


「ルシール、来て」

 納得はしていないものの、はっと我に返り、ルシールは慌てて主の後を追う。


(あの方たちの前で言い合いはしたくないわ)

 ベルナデットはさっさと廊下に出ようとしていた。

「お、お嬢様!」

 ドアの前で、不安げな幼子族を間近にして、ベルナデットは失礼にならない程度に注視しつつ軽く会釈した。


 やはり、信じられなかった。

 緑色の髪、クリーム色の肌……、書物で書かれたままだ。

 書物……、といっても子ども向けの絵本の挿絵だけれど。


(これも、後で詳しく聞かせてもらわなきゃ)


「ベル、何を考えてるんだ? これ以上関わる気なの?」

 バメイにも聞こえない距離になったことを確認してから、ルシールは歩きながらベルナデットを問い詰める。

 さっさと帰るよう進言する予定だったのに、さらにややこしいことになってしまっている。


「それはもう朝言ったじゃない? それより男装の狩装束持ってきているから、さっさと着替えましょ? 月琳もどうせ似たようなの、持ってきてるんでしょう」

 一緒に替えてしまいましょう、と言われ、ぐ、とルシールは言葉を呑む。


 その通りだ。

 東の血が混じっているせいもあって、ルシールは纏う衣服で性別がわかりにくくなる。それを利用して、しっかりと現地で情報収集をする予定でいたのだ。


「どんな魔物がいるかわかったものじゃない! こんなわけのわからない土地で、変なものにベルを近づけさせるわけにはいかないよ!」


 それは、まあ、一理ありはするけれど……。

 認めてあげるわけにはいかない。

 あら、魔物なんて、と彼女はいなす。

「あんなに小さい子が無事に報告できるんだもの。闇雲に攻撃してくる生き物ではないってことだわ」

 そういうところはよく気がつく。ルシールも同じ予想はしていたものの、内心舌を鳴らす気持ちだ。


 ごまかされてくれたら楽なのに、と。

「だとしても、万一があったら辺境伯夫妻に申し訳が……」


「それよ」

 ぴたっと足を止めて、ベルナデットはくるりと振り返る。


「ねえ、お父様たちが全く何も知らずに私を送り出したと思う?」


「……。でも天劫は……」

 それはそうね、知りえないでしょうねとベルナデットは腕を組んだ。


「でも、経済状況に気づかなかったはずはないわ。王子がおっしゃっていた事態なら十年以上は真っ当な交流もされていなかったのだし、まったくの情報不足よね。お父様たちのおことだもの、私たちの出発に当たって直前に詳細を聞き集めたでしょうね」

 その程度の調査は、どの貴族の親でもやることだろう。


「でも、肝心なところは出てこないわけよね、呪いがあるから」

 ルシールは、それで? と続きを促す。

「極北にあるという伝説の光と氷のヴァナヘイムじゃあるまいし、ひいお祖母様の出身地なのよ? 断片的で僅かな話しか集められない時点で、何かが起きてると気づくのではないかしら」

 それはそうだ。ルシールは否定できない。


「その辺の事情について、お母様はともかく野性の直観で生きてきたようなお父様が勘付かないと思う?」

「それは……。確かにそうなんだけれど」

 ルシールも感じてはいた。

 あのご両親がまるで知らない、などあるだろうかと。


「ある程度、把握はしてるのよ。その上で、私を放り込んだんだわ」

 ベルフォール辺境伯夫妻は子煩悩ではある。だが、必要以上に甘やかしたりはしない。

 さらにアルノーはちょっと感覚がおかしい。娘だろうと過保護にするタイプではない。

 それ以上に、面白そうな話だ、どれ、体験させてやろうくらいの気持ちで首を突っ込ませたとしても不思議はない。むしろ、いざとなったら自分が乗り込んでいってやる、くらいの気持ちではいるかもしれない。


 獅子は千尋の谷に我が子を、などというものだが、それを娘にも容赦なくしようとするのはどうだろう…… とはベルナデットもルシールもちょっとは思いはする。

 イネスがベルナデットを自分の生家に預けた理由は、ベルフォールで成人になると、どんな女戦士に育ってしまうかしれたものではない、と危惧していたからでは、と実の娘でも脳裏をよぎったりする。


「それにお母様は……」

「あー……。うん」


 あの人、メンクイだからなあ……。


「判断がアテにならなくなるのよね……。部分的に」

 顔面偏差値で、かなり割り引かれてるでしょうね、と二人は嘆息した。


「まあ、それでもいいじゃない?」

 にこっとベルナデットは子どものように無邪気に笑う。


「これで大きな問題があったんら、お断りする理由になるでしょう? 私は晴れて高齢独身の行かず後家ルートまっしぐら、リュカが何といおうとベルフォールに帰還して、小姑として君臨してやれるでしょうよ」

 それはそれで面白いでしょう? と、あまりに主がいい笑顔をするので、ルシールは目眩がした。


「帰国する口実を見つける気ならいいけど……」

 本当にそれで済むだろうか、とルシールは心配になる。


「それ相応のことがあればそうするわよ? いくらお美しい王子だとしても、結婚はベルフォールとこの国を縁づかせることになるもの。だって」

 決意を込めてルシールを見つめる。


「私たちが立ち向かうのは天劫だわ。その影響は、ただ人にどうこうできるものではない。そのことを見誤る気はないわね」


「ベル……」

 侍女は主をじっと見つめた。


「本当に?」


 んー?

 ベルナデットは視線を泳がせる。


「うん、多分。……。がんばる」

 えへっと笑うと、ルシールは額に手をやってため息をついた。


「ほんとにしっかりしてよ……」

 大丈夫だろうか。ルシールから見てもベルナデットはまごうことなくあの母の娘である。


「で、どうして部屋に入らないの?」

 ベルナデットは、もう一度、へらっと笑った。


「部屋、どこだっけ?」

 覚えてないなら、早く言ってよ! とルシールに引っ張られて部屋に戻ったベルナデットは大急ぎで着替えを済ます。それから玄関で待つアデルたちと合流した。


 この早着替えもふつうの令嬢ではありえない技なのだが、アデルたちは気づかなかったようだ。首都で同様のことがあったら、大抵は男性に「早いね」と驚かれる。なのにノーリアクション。


(女性の影がないわ)

 愛人という意味ではなく、女性の使用人や親族の。それがどういうことなのか……、いえ、考えるのは後回しにしましょう、と彼女は思考を切り替える。


 邪魔にならないよう、彼女は長い髪をポニーテールに結い上げた。すっきりした男装の彼女を見て少しだけアデルの瞳孔が開いたが、ベルナデットは気づかない。


 けれども、目ざとくルシールは見てとった。

 ベルを気に入っているのは事実のようだけれども、それは悪いことではないけれども、と認めながらもついつい苛ついてしまう。


 ルシールにとっては本当のところ、結婚なんかしなくていいのだ。これまで通りで構わない。


 ベルフォールでの結婚なら、女は自由だ。

 姉妹婚をしたふたりの邪魔をする者はいない。

 どこに行こうが、何をしようが、許可を取る必要もない。

 それは、ルシールに異邦の血は入っていてもだ。でも……、他の地域では。

 ベルナデットは、まだその不自由さに気づいていない。ルシールはいち早く予感していた。


 昨夜到着したときには、はっきりとはわからなかったが、住まいの周辺には整備された芝生と簡素な庭がある。その向こうに木立が並び、住まいと生産の境界となっていた。

 小道をたどって脇を抜けていくと可愛らしい田園地帯が広がっていた。


(王国というより、大規模な農園にしか思えないけれど……)


 だとしても、農作物や畑の作り、働く人たちの風体・雰囲気から得られる情報は多いだろう、というそんな計算もベルナデットにはあった。

 百聞は一見に如かず、っていうものね、と。


 ノレイアの耕作地帯は、緻密で整然としている…… 小さくて……。


(可愛らしすぎない?!)


 そこには数多くの農夫たちが勤勉な様子で動き回って作業しているが……。


(って全部幼子族じゃない!)

 ベルナデットとルシールは、またもや、ぐっと声を詰まらせた。


(ここには、私たちサイズの国民はいないの……?)

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