2章(2)いやいや、それっていわゆる詐欺ですよね???

 食事を済ませたのち、テーブルに香草茶が並べられる。これも自家製なのだろう。新鮮でいい香りがした。

 ベルナデットの瞳の輝きを知って、王子は優しく微笑む。

「これは民のひとりに香草の扱いに長けた者がいて、いつも俺のところに届けてくれるんだ」


 要は国民は少しはいる…… ということ。

 ルシールは表情を変えずに算段した。


 婚約者……、まだ候補だけれど、を連れての帰還なのだから、国境を越えた時点である程度の出迎えがあってもいいはず。

 それなのに、影も形もない。

 重臣らしき、男たちの姿もない。

 人の気配すら、そもそも……。


 そんな国があり得るだろうか?


 一晩中警戒を解かなかったルシールはベルナデットの傍を片時も離れてはいない。だから、彼女はろくに外を確認することもできなかったのだけれども、それでも窓から覗いた夜明け、そのわずかな風景ですらも、栄えている、とはとても言えないものだった。


 はっきり言ってただの山間の限界集落ポツンと一軒家だ。

 そんな場所では、街を追われた老人ならまだしも、若者がいるかどうかすら怪しい。

 納得できる説明があるならしてもらおうじゃないか、という姿勢だ。


「それで……」

 ベルナデットは話を促す。じりじりと脇にいるルシールの圧が怖い。

「うん。きっと驚いたよね?」

 申し訳なさげにアデルは目をふせる。


(いえ、むしろ驚かない理由がなくない?)

 ベルナデットも内心突っ込んだ。


「ノレイア王国は、もう十年以上、炎竜の呪いを受けているんだ」

 ベルナデットとルシールは顔を見合わせた。

 竜、という言葉はふたりを真剣にさせるだけの重みがある。竜に限らないが、少なくともその名前を冠する生物が現れた、となれば真っ先に考えるべき事象があるからだ。


「寡聞にしてがあったとは、まったく聞き及んでおりませんが……」


 世の中には嵐や日照り、蝗害など、さまざまな災害がある。しかし、神獣や魔獣によって起こされるそれは、他とは性質が異なる。

 それは、周辺に呪いをまき散らす。


 そのため、「天劫」という分類に分けられて、別種の扱いを受ける。当然、近隣諸国にも周知される習いだ。

 ましてや前大公妃の出身地となれば、何らかの支援はされるのが通例で、貴族たちにも通達はあるもの。


 そんな重大事件が起きたのに、まがりなりにも辺境伯令嬢であるベルナデットが知らないなどということは普通あり得ない。

 だが、ルシールにとっての問題点はそこではなかった。


「つまり、そのような重要事を伏せてお嬢様に求婚をされたということでしょうか!」

 堪えきれず抗議の声を上げた。

「やめなさい! 月琳、無礼よ!」

 さすがにベルナデットは止めたが、いいんだよ、とアデルは片手でそれを制した。


「そうか……、君はベルナデット嬢の姉妹婚の相手なんだね?」


 今度はルシールが言葉を呑み、ベルナデットの方は感心する。

「よく、ご存じですわね」

 そりゃ、妻になって欲しい女性の国については知りたくなるものだよね、と彼は無邪気に答えるけれども、これまでベルナデットに求婚した貴族子弟でそこまで調べた人間はほとんどいなかった。


 姉妹婚あるいは姫婚とも呼ばれる同性同士の契りは、もはやベルフォールと幾つかの地域にしか残っていない非常に古い風習だ。

 男性同士の場合は兄弟婚といったらしいが、こちらは早くに廃れてしまった。


 原型はともかく、現代では郷士以上の身分にある女性が結婚をするときに、夫あるいは実母の縁者の女性と特別な関係を結ぶ。

 一種の後見制度だ。

 ベルナデットのように乳母子めのとごを相手に選ぶこともある。


「まだ、その予定、というだけのことですけれども」

 それはそうだよね、貴女は未婚なのだから、とアデルも頷く。


(忌避感はないようだわ)


 ベルフォールでは、姉妹婚をした者同士は親子と同等の関係になるとはいえ、それは他国では通用しないと彼女は思っていたし、ベルナデットと結婚すると侍女の愛人がついてくるのだと妙な勘違いをされることもあった。

 もちろん、秒でお断りを入れたが。

 でなくとも、野蛮で穢らわしい制度だと嫌がられる場合もある。


 彼女は、少しほっとした自分に驚いた。

 まだ、求婚を受けるかどうか、自分でも決められていないのに?


「それはともかく、話を続けるね」

 アデルの言に、ベルナデットには否やはない。


「知っていると思うけれど、ノレイアはもともと火山を擁した国なんだ」

 令嬢教育の基礎知識として、周辺諸国の概要くらいはベルナデットも聞いていたので、頷いた。それは過ぎ去ったかつての話、と教えられている。


「火の源は死んだのだと思われていたんだが、ずっと眠っていただけだったんだね……。それが活発化してしまったらしい」

 ふっと表情が陰る。

「この地よりも高い場所にあった宮殿と城下街にも誰も住めなくなってしまったそうだ。それが十数年前に起きた天劫だと言われているんだ」


「どうして……。そんな」

 噴火など何百年を最後に止まっていると考えられていた。


「詳しいことは、俺も生まれたばかりだったのでわからないんだよね」

 それはそうだろう。

 時間を考えて、ベルナデットは浅い発言だったと口を噤んだ。


「今では宮殿周辺に炎竜が棲み着いて容易に近づくこともできないし……。地脈の変化を察して炎竜がやってきたのか、炎竜が来たから活発になったのか、それも不明なままなんだ……」

 何もわからない、というのはどういうことだろう?

 ベルナデットとルシールは首を傾げる。アデルは肩をすくめた。

「そう、不思議に思うよね」


 あ、はい、と彼女らは小さく同意する。

「理由のひとつは、宮殿を放棄するときに俺の両親である前王夫妻や主立った臣下たちはみな命を落としているためだ」


(王と王妃がおられない……?)

 さらっと告げられたけれども、もちろん、そんな情報も首都には知らされていない。

(いえ、待って)

 ベルナデットは、淡々と語る彼が身近な者たちを大勢亡くしていることに気づいた。他人ごとのような口ぶりだから見逃してしまいそうだけれども。


「ああ……。やはり君は優しいよね」

 そう微笑むアデルの方が優しい表情である。

「気にしなくていいんだよ。幼すぎて、寂しくはあっても、悲しみを感じるほどには思い出がないんだ」


(そんな……)

 今は、そのことは……。そう諭すルシールの視線を受けて、彼女は気持ちを静める。

「続けるね」

 気にするなというけれど、すぐに他人の感情を察してしまうではないの、とベルナデットの方が悲しくなった。そんな人が、何も思わないなんて、そんなことないでしょう……、と。


「先に逃がされた女子どもと若者、それを保護していた少数の大人たちだけが何とか生き延びることができた……。だから、実際に何があったのかを知っている者はほとんどいないんだよ」


(え? ほとんど?)

 それは皆無ではない、ということ? しかし、彼女はもう話を遮らずにいた。

「ふたつめの理由は、この事情を事前に貴女方に伝えられなかったこととも関係があるのだけど……」


「……。呪い…… ですか?」


 ほぼ無意識にルシールは呟いた。今回は口を挟むつもりではなかったので口元を抑え、「出過ぎた発言を」と非礼を詫びる。

 気にする様子もなく、さすがだね、とアデルは肯定した。東方出身には呪いに詳しい者が多い。


「炎竜は、我が国と民に複数の呪いを施した。そのひとつが、国境を越えたらこの天劫について語ることができない、というもの」


 ああ、だから。


 誰もノレイアの人々が苦しめられていることを知らないのだ。

 ここの出身である前大公妃でさえ……。


「そのため我が国の事情について先にお伝えすることは、適わなかった。それは大変申し訳ないと思っている」

 アデルとバメイは立ち上がり、ベルナデットたちに対して最高の礼を取って見せた。


「いえ、それはもう……。どうぞ腰を下ろして」

 寛大なお心に感謝する、とアデルは言うが、 ベルナデットのもやもやは晴れてはいない。


(つまり、都合よく騙していた、と言えなくもない……)


 王子たちにそのような計算はなさそうだけれども。

 ふたりの様子を窺うと……。

 申し訳なさげにする控えめな眼差し、頬に掛かる髪、そんな王子を気遣いつつも言葉は発さず、傍らに控える従者……。


(あら……。視力がよくなりそう……)


 それに事前に知っていたとしても断ったどうか、彼女の立ち位置からはかなり微妙である。

 彼女には、他に選択肢はなかったのだし。


 そうベルナデットが考える傍らで、ルシールは発言を控えながらも苛立ちを抑えるのに苦心していた。

 主と王子はなんだかほのぼのした空気を醸成しているけれども、客観的にいえば、現在のノレイアは最悪の多重債務王国といって差し支えない。


 主な産業が停滞し……

 国民が減り……

 王族をはじめ、支えるはずの臣下たちがまるっと死亡し……

 あげく炎竜なんて手に負えない怪物が闊歩し……


 なのに、それを伝えて助力を乞うこともできないなんて!

 どこからどう考えても


「さあ、じゃあ、帰りましょうか、お嬢様! お食事ありがとうございました!」


 そうにこやかにお礼をいってとんぼ返りすべき案件である。

 なのに……。


 このメンクイ脳天気令嬢はお相手の笑顔ひとつで、すぐぽーっとしてしまう。これでは近いうちにすっかり絆されてしまうことだろう、と幼なじみだからこそ未来予想図がありありと描ける。


 いつもなら無理にでも場を終わらせてベルナデットを説得するところなのだが、王子の従者が無言のうちに圧を加えてきて、どうにもやりにくい。ルシールが何かを思い、目を上げるといつも視界に自分を睨むように見つめるお付きの男がいるのだ。


 王子の話が終わったら、首都に帰るよう説得しなければ……。

 ルシールは横目でベルナデットをちらりと盗み見た。

 ぼんやりしているかと彼女は予想していたが、意外にも主は考え込むような、少し賢そうな顔をしている。

 多少は状況をわかってくれていればいいのだが、とルシールは密かに気を揉んだ。


(とにかく、お父さまに知られなくてよかった……)

 それだけは間違いない。ベルナデッドの懸念はそこにあった。

 彼は、神獣や魔獣に興味津々だ。腕に覚えがあるので余計悪い。国元を放り出して、一緒に訪問私用ではないか、などと言い出しかねない。


(まあ、無駄なのだけどもね)

 おそらく、そうしようとしたとしても何らかの横やりが入って実現できなかったはずだ。

(だって、お父さまには強い加護があるから。そうした生物とはまず邂逅しないように運命に差配されているのよね)


 だから、傷を負うことも少ないし、まず死なない。そのせいで、アルノー・ベルフォール辺境伯の戦闘相手はもっぱら他国の人間、せいぜいが熊と相場は決まっているが、それが近年では不満らしく、腕がなまると、贅沢な愚痴になっていた。


(といって、加護も完璧ではないから、下手に魔獣などとやりあって意気投合して連れ帰られても困るのよね)

 家族一同からすると、特殊なお友達は巨大熊程度で勘弁しておいて欲しかった。


「こうして俺たちは国境近くに転居せざるを得なくなった……。我が国の主要な産出物だった鉱石や貴石の採掘場にも、同様に近づけなくなってしまっている」

 アデルはさらに詳しく国情を説明する。その口調には静かではあるが、悔しそうだ。それはそうだろう、自分の土地を持つ者なら誰だって。


従前まえの中心地は荒れ、残った国民の半数は他国へと旅稼ぎに行ってもらっているような、情けない状況なんだよ。王国とはいってもね、本当に名前だけ」

 それに、と彼はすっと一度息を吸った。

「貴女には正直にお伝えするが」


「アデル様」

 初めてバメイが口を挟んだ。


「それはまだ……」

 主人は首を振る。

「いや、ちゃんと話さないとね。もう十分巻き込んでいる。もし、彼女がなら、早くにわかった方がいい。違えば、きっと話したことも忘れてしまうだろう」


(どういうこと?)

 それも教えてもらえるのだろうか?


「何も隠すつもりはない。今のノレイアは王国とは名ばかりだ」

 もっとも、俺にかつてのノレイアの記憶はないのだけどね、と彼は寂しそうに笑う。

「残っているのは歴史という過去ばかり……。残った王族や廷臣たちは何とか国を守ろうとしてくれているけれど、このように自活自炊しなければやっていけないほどに貧しい……」


 ルシールの眉がすっと寄る。辺境伯の輿入れ先として適当ではないのは、言うまでもない。一方、バメイの表情にも僅かに剣呑さが加わった。

 ルシールがお付きとしては出過ぎている、そうバメイは感じている、とベルナデットは気づいていた。


(それも無理はないけれども)

 ベルフォールの地域性が大抵の地方と合うことはない。

 アデルもルシールの意図を悟っていた。そうだね、と軽く顎を引く。

「俺も積極的に花嫁候補を探しに行ったというのではないんだよ。これは言い訳になるかな」

 自嘲するアデルを、そんな、とベルナデットはとりなす。


 何でもない仕草の一つひとつが本当によく映えて感心する。イネスがこの場にいたら随分喜んだことだろう。

「前大公妃が早くに両親を亡くした俺を心配して気を回してくれたのでね。お気持ちには応えるために形だけでも参上しようと……」

 ノレイアではほとんどが十代で結婚あるいは婚約をするという。その辺の事情はベルナデットら貴族子女と大差はない。


 周囲の者たちはだいぶ気を揉んでいたけれど、この状態ではね、どうにも、と彼は少し困ったような表情をする。

 そもそも天劫災害は一個人で容易にどうにかできるものではないので、手詰まりなのは当然だった。


「それから、私用で首都にいる身内に会う必要があったものだから」


 ああ、とベルナデットたちは合点する。

(なるほど。不案内な都市で道に迷ったところを私たちと遭遇したというわけなのね)

 ベルナデットの中で経緯が結びついた。


「もう気づいているかもしれないが、、天劫事変を置いてもノレイアの国風は独特なところがあってね。そうそう思い描くような女性と出会えるなど、期待していなかったし……。これはせんに辺境伯にもお伝えしたことだけれど……」

 すっと視線を下げて、それからアデルはまっすぐにベルナデットを見つめて微笑んだ。


「貴女のような人がいるとは期待していなかったんだ」


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