2章(1)激高、いや月光のバーサーカー

 農家の朝は早い。


 野生の小鳥たちはもう活動を始めている。


 家禽たちも鳴き声をあげながら開け放たれた戸から外に出ていく音がしている。家事や仕事をする人間の、振動のように微かな音も。


 そう、これは働き者たちの……。


(などとナレーションしている場合ではなかった……)


 ベルナデットは、狭いけれどもふかふかで心地よい寝台で目覚めた。

 もちろん聞きたいことは山ほどあったけれど、疲れ切ってしまった彼女は「今日はとにかく休んで」と勧められるままに案内された部屋ですっかり眠りこけてしまったのだ。


(部屋……)

 それで思い出して、周囲を見回す。質素だが、品のよい調度だ。


(とはいっても、まぎれもなく農家なんだけどね)

 羽毛を使ってはいるが寝具はリネンと綿。壁は石造りの上に板を張ってある。タペストリーはない。かろうじて小さな古いチェストがかつての高級品だったとわかるくらい。


(貴族がお忍びで農村体験しに来たのなら、悪くないのかもしれないけど……)

 そういう個性的な農園っぽい別荘を持っている変わった貴族もいるとか聞いたことはある。あくまで趣味の一環として、だけれど。

 はた、とベルナデットの目が部屋の隅で止まる。


 この爽やかな朝の空気に似合わない、どす黒い気配を放つものが……。


 まるで呪いの人形のような、ちょうど人間サイズの置物が……。


「月琳?」

 がばと起き上がる。そんな主を、のそりと椅子から立ち上がったルシールは冷たく見下ろした。


「よく、この状況で熟睡できるよね、ベル」

 ほんと辺境伯の血を継いでるよ、そういうとこ、と心底呆れ切った侍女の様子に、ベルナデットはあれ? と首を傾げた。

 彼女は旅装を解いていない。


「貴女、昨夜休んでないの?」

 のうのうと寝てられるわけない! とルシールは吐き捨てた。


「王子という触れ込みだったのに、この状況で。寝られる? 普通! ベルの噂を聞いて足元見てつけ込んだんじゃないか? いろいろ考えてたら腹が立ってとても眠れるものじゃなかったのに!」


(で、ですよねぇ……)

 余計な刺激をせぬよう、ベルナデットは口を噤む。


 ルシールは苛々を吐き出す。

「本当に王族なのかも怪しいよ? そう思わないの? そう少しは疑ってよ!」


(ああ、怒ってる……)

 思わずベルナデットは寝台で正座した。口に出さずともルシールはベルナデットのたじろぎを察し、自分とのギャップにさらに怒りを見せる。


「怒らない従者がいる? 自分の主人がバカにされてるんだよ? 悔しくて……。さあ、さっさと帰るよ!」

 ルシールはもう決断している。ゆえに荷ほどきだってしていないのだ。


「いえ、ちょっとそれは……」

 ベルナデットはおろおろと戸惑いながら、寝間着の一部をいじいじと触った。


「ほら、何か事情があるのかもしれないし……」

 加えてあちらの都合以前に、こちらの都合も悪かった。


 強火のベルナデット推しでもあるルシールは、ベルフォールのお国柄もあって理解していないようなのだが、ノレイア王国が思ったのと違うじゃない! ととんぼ返りしたのでは、父親はもちろん、紹介した前大公妃の名誉も傷つけてしまう。ベルフォール以外の場所ではそういうものなのだ。


 特に、ひい祖母さまにとっては、どれだけ寒村に見えようが懐かしの美しき故郷である。

 一方的に、酷い田舎! 騙された! 因習村! 帰ります! では通らない。

 遠方でもあり、現地を確かめにくい状況では、それなりのわかりやすい体裁いいわけが必要だ。でなければベルナデットのワガママで済まされてしまう。

 ルシールは疑いのまなざしをベルナデットに向けた。


「……。顔面偏差値イケメンへの未練じゃないよね。それ」


「うっ」


 それもあった。確かに、それがなかったらグズグズ言わずにとっくに帰途についていたかもしれなかった。


「と、とにかく」

 ベルナデットは居住まいをただした。

「今のところ、住居が王国というには少し……、いえ、かなり控えめだという以外は、あちらに落ち度はないのよ」


 それが最大の問題でしょうが! とルシールは憮然とする。


 仮の宿だったとしても、婚約者を連れて来た先が宮殿でも城館でもなく、農家というのは、十分な問題では? せめても国境近くの別宅というならまだしも、とうていそんな作りではない……、と彼女は思ったが、一応、主人の言い分を待って黙っていた。


「大体、この家屋敷が本拠地とは限らないし……。結論を出すのは、お話をお聞きしてからでも遅くはないでしょう」

 そうはいうけどベルは変にお人好しなところがあるからなあ、とルシールは小さく、けれども深く嘆息した。


 悪評ばかりが高い令嬢ではあるけれど、彼女は結構優しいのだ。そのせいで損をすることも……、そう、つい先日それで不当な目にあったばかりだというのに、早くも記憶の彼方のようだ。


 どうも、ベルフォール辺境伯に似て対話スキルに難が……。ストレートすぎるというか、裏がない、いや裏を読まないというか……。読めないというか……。


 そこまではルシールも口にしなかった。主としては欠点ではなく、長所だと思っているからだ。一方で、流されなければいいが、と心配にもなる。

 絶対にそうはならないよう、自分が監視するつもりではいた。


「あの……、だからね、月琳……」

 反論しないよう、最大限の努力をして、むう、と口を結んでいるルシールの機嫌を必死に取っていると、扉を叩く音がした。


「おはようございます。お支度されたら食堂へ……。朝食を用意しております」

 低い美声は、王子のものではない。彼の連れていた従者だろう。


「わかりました。お嬢様はさっき起床されたところです。今からご準備をされますので、少しお待ちください」

 切り替えて冷静な返事をするのはさすがだ。返事をしかけたベルナデットを押しとどめ、ルシールが答える。


 身分のある令嬢は本来気安く他人の従者に回答するものではないが、この場合、単にノレイアの人間と距離を置かせたいというルシールの横やりだった。


 備え付けの手水を使って顔を洗い、髪をとかす……、まではよかったけれど、裾が短くて飾りの少ない服を選ぶのに手間取った。農家では無駄に長いスカートは物を引っかけてしまうかもしれなかった。


 第一嫌味になる。

 いえ、いっそ派手なのにしましょうよそうしましょう、というルシールを何とか押しとどめて、仕方なく一部の装飾を外してごくシンプルに変える。


 要らないとベルナデットは言ったのだけれど、一応持っていきなさいと、イネスに非公式の夜会でも恥ずかしくない程度の衣装を持たされていた。そのせいで活動的な服はごくわずかだったのだ。


(やっぱり、必要なかったじゃない)

 というのはさすがに後知恵である。

 大規模とはいえ農家で着るわけにもいかない。結局、どこかのタイミングで街に忍び出ようと用意していた平民風の服が一番役に立った。


 わかっていればわざわざ持参しなかったのに、とルシールはぶつぶつ文句を言っている。そうねえ、とベルナデットも苦笑いする。男性ふたりの引率では、そこまで気は回らないだろう。


(つまり細やかな気を配れる女性は常駐していないということになるわね)


 明るくなって間取りがわかると、農家はやはり普通の作りではなかった。

 昨夜は大地主の居宅のようだと感じたけれども、明るくなってから内装を見るとそれ以上に気を使って建築されている。第一、民家にしては廊下が広い。


 食堂に向かいながら、ベルナデットはふうんと息をもらした。

 見た目に反して設計思想は館に近い。何か理由があって作られた、それ風の建物ということのようだ。

 少し進むとすぐに、敷食堂の位置は知れた。


「あ……。すごくいい匂い……」

 つい口走り、ついでにお腹が鳴ってしまい、ベルナデットはルシールに軽く睨まれる。食欲には勝てない。


(でも、このパンケーキの焼ける匂いに抗える人類はいないんじゃないかな……)

 小麦粉は人類の親友、とばかりに廊下を曲がると、入り口が大きく開いた食堂は目の前になる。

 扉はない。

 木製の無骨なテーブルが見え、その向こうには直結した台所の入り口があった。もちろん、良い匂いはそこから流れ出ている。


 四人分のテーブルセットがあり、パンケーキは三つ、一つは今焼いている分だろう、空だった。サラダと、おそらくチキンらしい肉を載せた皿もある。


 四人、ということは王子とそのご両親だろうか、とルシールは控えめに周囲を窺った。いくら何でも、ここに王一家全員ってことはないだろうか……。

 それでは本当にただの富農だ。

(そんなオチだったら、もう月琳の怒りを抑えられる自信はないわ……)

 さきほど呼びに来た従者が水差しから柑橘類の皮が入ったグラスに水を注いでいる。王子らの姿はない。


「来たね。おはよう」

 さわやかな声色をした王子の挨拶が耳に届く。厨房からだ。

「好きな椅子に腰かけていてくれるかい」


 ベルナデットはルシールと顔を見合わせる。どこが上座ということはないようで、逆に選びにくい。すると、グラスを配置しに来た従者が、そのついでに野草の花をひとつ置いた。


(ここにしろってことかしら)

 そのまま椅子を引くので、逆らわず腰かけた。まだ皿は空だ。


「前を失礼するよ」

 隣の厨房からフライパンを持ったアデルが顔を出す。

「えっ」

 驚いて声になった。

 彼は器用にフライパン返しを使って、ベルナデットの皿にできたてのパンケーキをのせる。


「お、王子が作、お作りに……?」

 びっくりしすぎてどもった。いや、腰に前掛けをしてるのだから、間違いはないのだろうけど。


「それほど得意というわけじゃないけれどね」

 にこっと笑う。


(と……)

 ベルナデットは言葉を失った。


(到着早々、エプロン男子なんてありがとうございます!)


 何考えてる、ベル! という怒号を含んだルシールの重い視線を感じて、ベルナデットは、んん、と喉の調子を整えるふりをしつつ居ずまいを正す。


 ちなみに、ベルナデットは、ほぼ料理はできない。


 台所にフライパンとエプロンを置いたアデルは食堂に戻ると、ベルナデットの向いに腰かけた。窓を背にして、少しばかり逆光になっている。


「眩しい……」

 というか、神々しい……。


(ああ、ご来光……)


 なんとなく世界に感謝したい気持ちになる。


「じゃあ、俺がここでちょうどよかったよね。光を遮るから。その分、外の風景は見づらいだろうけどね」


(いえ。眩しいのは貴方の顔面です……)


 とは言えずに、お気遣いありがとうございます、とベルナデットは礼を述べた。

「君もそっちに座って。バメイ、終わったらお前も」

 アデルは、ベルナデットの脇に控えるルシール、それからスープをサーブする自分の従者に声をかけた。


 従者が同じテーブルに? ルシールはつい眉を寄せた。

 ベルフォールでは珍しいことではないけれど、ベルナデットについて故郷を離れて以来、そんなことをする貴族は見たことはおろか聞いたこともない。しかも、彼は王族だという触れ込みなのに。

 やはり疑念を拭えない。


「おかしかったかい?」

 王子はルシールの気配を気取った。


「俺は肉親の縁が薄くてね。バメイは臣下ではあるけど、家族だし、何より友だちなんだ」

 多少は常識と違う自覚があるのだろう、取りなすようにアデルは続ける。


「それに、ベルフォール領も形式にはこだわらない風土だと聞いていたのだけど」

「ええ」

 ベルナデットは強く頷いた。


「我が故郷をご理解くださって嬉しく思います。さあ、ルシール、王子のお気遣いを無駄にしないで」

 渋々とルシールは席につく。バメイが続くのを確認して、アデルは食事前の祈りを捧げる。相手は七人の女神たち。ノレイア王国も女神信仰の根強い地域である。


 食事は……。


(とても……、美味しい……!)


 特に野菜が美味しい。サラダを口にして目が輝いたのを見逃さず、アデルは「うちの野菜なんだ。朝採ったばかりだよ」と教える。


(道理で!)

 周辺地帯から届けられはするが、首都で朝採り野菜を確保するのはコネがいる。それなりの貴族でも、常に新鮮な野菜を手にしているとは限らないのだ。


 美味しいものを口にすると、自然とにっこりしてしまう。ルシールは苦々しい気持ちでそんな主を盗み見る。


 確かに食事は良いかもしれないが、それが何だというのだ。むしろ、こうして和気あいあいとテーブルを囲んだ後で、婚約破棄などと持っていけるのか、と気が気でない。

 スープを口に運んでベルナデットは、手を止める。


 ん?


 王子は肩を竦めた。

「気が付いた? それは乳母のレシピなんだけれど、何かが足りなくて」

 ベルナデットはナプキンで口を拭いた。乳母という人は首都周辺の出身だったのかもしれない。近郊の街でよく作られるスープの味に近かったからだ。


「イノンドじゃありませんかしら。首都近くのマレドという地方の作り方に似ているように思いますので」

「ああ。そうかも! なるほど!」

 アデルは嬉しそうに微笑み、感嘆するように手のひらを広げた。


「貴女は物をよく知っているね」

 気を許した柔らかな表情に、ベルナデットの頬も緩む。


「アデル様こそ……。ご自身で何でもお出来になるとは驚きます。私の父上もそんなところがありますので、親近感を覚えますわ」


 ふふ、とふたりは微笑み合っ……、ってる場合じゃないでしょ! とルシールはベルナデットの足をがんと蹴った。


 大体、辺境伯の自分で何でもやるっていうのは、鹿を仕留めてその場で内臓処理をし、切り分けて山賊焼きにするっていう話でしょうが!

 パンケーキなどという微笑ましいものではない。


 このままほのぼのムードでごまかされてはならない。


 ちょうど食事も終えたようだし、と差し出がましい侍女と思われるのを承知でルシールは「お嬢様」と促した。


(痛いくらいに蹴らなくてもいいのに)

 わかってます、わかってます、とばかりベルナデットはルシールの足を押し返す。


「アデル様……、お聞きしたいことがあります。この後、少しばかりお時間よろしいでしょうか」

 そうそう。ルシールは小さく頷いた。


「うん。そうだね。話をしなければと俺も思っていた……」

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