1章(3)メンクイ令嬢は美少女にも弱い

 こういうときの瞬発力は、父親譲りだ。ルシールを出し抜くことがよくある。

 警護をかわされた形になったルシールも間髪入れずに続いて、ベルナデットと大男の間に身体を割り込ませた。


「なんだよ、あんたら関係ないだろう」

 男は拳を開いて銅貨を数枚地面に落とした。乾いた金属音が土に吸い込まれる。


「まさか、それをこの子にぶつけるつもりだったの?」

 ベルナデットは、批難がましく男を睨んだ。

 彼女の背後には深くフードをかぶった少女がうずくまって震えている。


 くっそ、と男は頭を掻いて、大きくため息をつく。事情を知らない者に割り込まれて戸惑ってもいた。

「どこのお嬢さんか知らないけどさ、その子の顔を見ても同じことが言えるか?」

 吐き捨てるように男は言った。

「定められた境界を越えたら、おれらの村じゃ殺されても文句言えねえんだぞ」


 何をバカな……、とベルナデットが少女を立たせたとき、フードの中に長い耳が見えた。


(そういうことか)

 世界には、とても古い時代に起きた戦いのせいで異なる種族の血を引いた者たちが存在している。

 多くは、人里を離れて暮らしており、自分たちの里村から出てきたりはしないのだが。


 迷信深い地方では、そうした者を異形だといって忌み嫌うことも少なくない。それもあって、多くの場合、彼らは排他的で同種以外とは交わらない。


(祭の規模が大きくなったから、いろいろな地域から出稼ぎにでてきたのかしら)

 盛大な祭では稀に見る光景ではある。もっともそれは見世物小屋や大尽の奴隷として、ではあったけれども。


「どうしたの? 何故、貴女はここに?」

 ベルナデットは優しく尋ねた。


「ご主人様が、好物を買って来いとおっしゃって……。お使いに来ただけなんです。私、ちゃんとお金も払おうとしたんです」

 少女はおどおどと答える。


 ふだんから召使として使役する者もいないではない。こんな風に市井に出したりはしないものではあるが。


「そんなこと。買い物くらいいいでしょう。狭量な」

 ベルナデットは店主に抗議する。男は悪びれもせず、いやなこったね、と腕を組む。


「勝手に触りやがって。そいつが触れたあたりの商品は、もう売り物にならねえんだぞ」

「なぜ」


「汚されたからだよ! 当たり前だろう。銅貨何枚かじゃ足りねえんだよ!」

 ばかばかしい。不浄ケガレ思想を持つ民族は、だいぶ少なくなった。ちらっと流したルシールへの視線にも侮蔑が込められているところを見ると、男はその希少な生き残りのようだった。

 ベルナデットは黙って、ルシールに、いいわね?と、顔を上げてみせる。彼女の顔がすっと曇る。


(言いたいことはわかるわ……。そんな無駄遣いするんじゃないとかなんとか……)

 でも、これは許しちゃいけないと思うの。


「それなら、その一帯の商品を私が買うわ。それでいいでしょ。そのうえで私がこの子に売ろうが、あなたには関係ないわよね?」

「そりゃ……。まあ、それなら」

 男からすれば、廃棄する商品である。


「ベル!」

「いーの、どうせこの焼き菓子、食べたかったとこだし!」

 どのみち占いに使おうと思っていた分である。無駄に持ち帰るよりは使って、それで菓子の残りは屋敷の者への土産にすればいい。


「たくさん買ってあげるんだから、袋くらいはしっかりおまけしなさいよ! みんなに分けるんだから!」


 うるせえ小娘だな、とぶつぶつ呟きながら、男は商品をつめて、ほらよ、と突き出す。ルシールが受け取るとき、やはり男はすっと目を細めた。


 ベルナデットがその袋のひとつを、さあ、と少女に差し出すと、彼女はおずおずと銅貨を渡そうとした。

 断ることもできたが、彼女は少女のために受け取った。


「さて、と。この子を送って行く方がいいわね」

 ベル、と従者は彼女を咎めたが、「だってこのまま放り出したら無責任でしょ」と彼女は少女の手を取ってさっさと歩き出す。


 変に目立ってしまったせいで、少女を気に入らない者がほかにも出てくるかもしれない。商品としていい値のつく種族でもある。かどわかしがないとも限らない。


「宿はどこ?」

「こっち……」

 少女にくいと引っ張られる。思ったより強い力だ。


(あ、逆方向なのね……)

 彼女は迷うことのない足取りで市場を離れ、宿が集まる区域に向かう。祭の見物にきた近隣都市空の旅行者で盛況のようだ。


 中でも、大きくて複雑な改築をしていることで有名な『雲の百屋根クラウド・ヘブン』と呼ばれる宿屋についた。


(へえ。それなりの主に仕えてるのね)

 豪奢な部屋が多く、なかなか逗留には資金のいる場所だ。

 反面、客を選ばないので下卑た金満家も出入りしていたりもする。


(やっぱり送って正解だったな)

 じゃあ、と帰ろうとするベルナデットたちの服を少女はつかんで離さない。

「主がきっとお礼を言いたいと思います。私、そのままお帰りになられたら怒られちゃうから………」

 宿泊場所についてほっとしたのか、少女はフードを取って見上げる。


 上代エルフの血が入っているだけあって、透き通るような肌と大きくてキラキラと星をとどめた瞳で見上げられると、美形マニアのベルナデットにはなかなかに拒絶しづらい。


(うっ可愛い……)

「えーと、じゃあ少しだけなら」


「ありがとう、お姉さん!」

 美少女に嬉しそうに笑われるとつられて笑顔になってしまう。


 エルフの少女は掌に細い指で何かすっすっと書いて覗き込んだ。

「えと、今は……。この裏口から入って、突き当たり右に曲がって、左の壁、風景画を飾った先の部屋にお願いします」


「えっ、何?」

 引き留める間もなく、彼女はマントの裾を翻して、「先にいって準備しますね!」と駆け出した。


「ベル」

 姿とは裏腹、なにやら意味ありげだ。ルシールはあからさまに警戒していた。

「うん」


(あの子もマジナイを? そんなに大したものではなさそうだけど)

 しかし、種類がわからない。さまざまな地方にさまざまなマジナイがあり、気休め程度のものもあれば、それなりの効果を見せるものもある。

 系統だって知られているわけではないし、ベルナデットも専門家ではないから、ちらりと見た程度で判断しようはない。とは思うものの、首筋はひりひりと警告を強める。


 このまま帰ろうか、とちらっと考えた。

 月琳を巻き込むのは嫌だが、今さら、とも思う。


「ベル。あの子の血筋的に多少は怪しげな術をできてもおかしくはないけど、用心を」

 エルフに不思議はつきものだ、とはいえ。

 ベルナデットは頷く。すうっとルシールは息を大きく吸った。



 ルシールの喉から男の声色が響く。

 一族に伝わるレイゲンと呼ばれるまじないだ。行動を起こす前に次の行為を規定する。そこから外れて異変が起きたとき、口にした者にそれと知らせてくれるように、というものだ。


 ふたりは視線を交わし、言われたドアを開く。

部屋の中央にはテーブルがあって、向こう側の椅子には何者かが腰かけていた。

ぎし、と椅子が軋む。


「やあ、来たね」

 その人は手で自分に向き合った椅子を指し示し、もう片方の手でフードを外す。


「さあ。知りたいことをお言い」

 ベルナデットとルシールは顔を見合わせた。この顔を知っている。街中で配られていた、案内のチラシに似顔絵があった。


「ガイルム?!」

 老女は、ああ、そうとも、と小さく応えた。


「さあ、座るがいい。おまえは何を知りたい?」

(それにしても、あのチラシの絵はよく似せて描いたもんだわ)

 妙なところで感心する。あの手のものは別物になっている方が多い。


 あれ??? 首をかしげながらも、ベルナデットは差し示された椅子に腰かけた。

「知りたい……、というか。さっきのエルフの女の子は……?」

 ガイルムは、ああ? エルフ? と眉を上げた。


「あの娘が何か……?」

 いきなりガイルムは、まじまじとベルナデットの瞳を覗き込んだ。近すぎてぎょっとする。


「ああ……。そういうことか。へえ。あの娘がねえ、ほんと」

 不機嫌そうに呟く様子はとても良い主とは思えず、ベルナデットは不審に感じた。


(あの子の言い方では、関係は良さそうだったのに)

「まあ、いいさ。私はどのみち。来る者を視るだけ。さあ」

 そう嘯くと、ガイルムは両手の指で窓を作って、太古の呪文を唱えた。

 それは小鳥のさえずりのように聞こえた。

 もう廃れた国の言葉だ。


 すっと指の窓に薄い魔法の膜がかかり、ガイルムはそこを通してベルナデットを見つめた。

「うーん、尋ねるまでもないか。あんたは今大きな岐路に立ってるね。年齢的に言えば縁談だけれども、まあまあ、男を見つけて結婚すればいい、っていうそう簡単な話でもないね?」

 ベルに向かって随分ずけずけと物を言うな、とルシールは内心不快に感じた。

と、その瞬間、ガイルムはぐるんと手をそのままルシールに合わせた。


「私の物言いが気に入らないようだね。いい番犬じゃないか。おまえも面白いな」

 別に、とルシールは唇を噛む。これにはベルナデットがむっとした。


「あら、私を視てくださるのでは?」

「おお、そうだった……。ふうん。あんたは、選ぶことができる。どこかに招待されているね? 若い男女が集まるような種類のやつだ……」

 そこで、ふーむ、と老婆は考え込んでから、


「そいつに参加すれば、あんたは生涯を左右する出会いと巡り会うだろうな。おそらく望む以上の相手を見つけることができる……。だけど」

 逆に、と強調して


「行かなければ、今後縁談がまとまることはないだろうな。故郷に帰る姿が見えてるからね。だとしても、最終的にはそれも無駄にはならないようだが」


 つまり? ベルナデットは首を傾げた。

「結婚相手を見つけるように言われているのですが、ならば、ご招待を受けて出会いを求めよ、と? そういうことでしょうか」


「ざっくりまとめれば、そうなるね」

 ガイルムは姿勢を崩して煙管を手に取り、安心しな、煙の出ない不思議な草だよ、と断って火をつける。事実、不愉快でない程度の香ばしさが多少漂った。


「それで幸せになれると?」

 ふっと、老婆は笑った。


「さあ? どうだろ。それは請け合えないね」

 占い師じゃないの? ベルナデットはルシールを見上げた。ルシールは、ほら、所詮そんなもんですよ、と静かに態度で主張した。

 ガイルムは笑う。


「幸せは自分の努力もあるし、巡り合わせもある。感じ方だって人によりけりだ。そこまでは私にはわからないね」

 一口吸って吐き出す。


「はっきりしているのは、その招待はあんたの人生を大きく変えてしまうだろうってこと。どっちに転ぶのかまではわからない」


(占いってそんなものなの? これでは月琳にしてもらうのとあまり差はない……)

 完全に頼るまでに気持ちはなくても、もうちょっといい感じのことを言ってくれるものかとベルナデットは期待していた。


「そう……。結局、決めるのは自分ってことなのね」

 わかってるじゃないか、と占い師はにやっと口角を上げた。


「どうもありがとう。わかったようなわからないような感じだけども」

「そんな礼があるかい。このガイルムに観てもらっておいて」

 面白そうに老婆は言う。


 釈然としないままに礼を告げ、立ち上がろうとしたベルナデットにガイルムは、ああ、ひとつだけ、と付け加える。


「個人的に言うならばね、大きく動く運命ってやつはほとんどが手に負えないものだ。だが、選ばなければ掴み取れないってのも事実」

 これは占いじゃないよ、年寄りの経験則、とにやりとした。


「さあ、もうお帰り。鳳大路に向かいな。来た道はざわついているからね」

 それも占い? とベルナデットが訊ねると、ガイルムは、いや、時間帯、と応えた。

「そう……。あの子によろしく伝えて」

ふたりは部屋は軽く会釈して戸口に立つ。蝶番は、ぎい、と音を立てる。


「さよなら、ベルナデット・ベルフォール。また会うこともあるだろう」


 閉まる瞬間、老婆の声が微かに届く。

(いいえ、私は名乗っていない)


 振り返ると、もう出てきた扉はなくなっていて、何の変哲もない壁になっている。

 この宿にそんな仕掛けあっただろうか? 聞いたこともなかった。


「うーん、化かされた気持ちだわ」

「あの子は占い師の侍女で、気を回してベルを占わせてやった、ってこと?」

 出来事のつじつま合わせをしてみたルシールも、納得した表情ではない。

「そうねえ……。そう考えるしか」

 ベルナデットは腕を組む。


「でも、ひい祖母様のご招待、お受けしないわけにはいかないというのは理解したわ」

 行きたくなかった? とルシールは肩をすくめる。


「気は進まなかったわよね、どうしても」

 というよりも、行っても無駄だろうとベルナデットは思っていたのだ。

 でも、本当に最後の望みになりそうでもある。できる限りのことはしなければならないだろう……。

 ガイルムの返事に、そんな風に思わされた。


(選ばなければ掴み取れない、かあ……)

 それは、そうよね……。

 占いよりも、その一言が一番ベルナデットの胸に重く響いていた。

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