1章(2)壁の花へのプロポーズ~っていうか誰ですか?!

(まあ、わかってたことよねえ)


 入場したときの男性陣の「はっ」と息を呑む気配、続いて「ベルフォール辺境伯ご令嬢ベルナデット様」と使用人が名前を告げた後の「ああ」とテンションが下がる空気。


 ものすごい美人が来たと思ったけど、アレかあ……。


 などという心の声がダダ漏れである。

 予想通り、彼女は壁の華になる。悪目立ちを恐れてか、面識のある若い男性貴族すら全員視線も合わせない。


 ちらっと視線を送っても、さっと逸らされる。つい先日までしつこく手紙を送ってきた伯爵次男も子爵子息も、見事にそしらぬ顔を決め込んでいるほどだ。

 見知った貴族ご令嬢たちも婚活に忙しくて女同士つるんでいる暇はない。


(ま、それはそうよねぇ)


 彼女たちにとってもこれは絶好の機会なのだ。

 今回は付き添いもなく若い者たちだけで参加という趣向なので、誰も手助けはしてくれないのだから、個人の資質が試されるというもの。逆にいえば、本人次第でより格上を狙える、ということでもある。


 燃える彼女たちのやる気が目に映るようだ。

 音楽家たちが美しい曲を奏で始め、若い男女が優美にステップを踏み始めると、ベルナデットは本格的に手持ち無沙汰になった。


(これは、なかなかの苦行だわね……)

 うーん、さっさと退散するか?

 でも、ひいお祖母さまの気配りをそんな風に切り上げては顔が立たないし、何よりイネスに締め上げられるだろう。終わらない説教が始まる。


 だからといって、最後まで同席していてどうにかなるというものでも……。長時間の壁の花はしんどい。


 困った。


 挽回のきっかけすら見当たらないのだから。

 やることがなさすぎて、ベルナデットが踊る男女のミスした回数を数え始めた頃、遅れてやってきた、おそらく最後の招待客が開け放たれたドアを通過した。


「ノレイア王国アデル・デア・ノレイア様」


 初夏を思わせる薫衣草ラベンダーの風が吹いた。


 と、思った。彼が従者と供に会場に足を踏み入れた瞬間、そこにいた誰もが。


 すらりとした肢体、青年には珍しい銀糸のような白金プラチナの髪、少しクラシカルで伝統的なノレイア地方の礼装に身を包んだ王子は、神々の彫刻のように整った美しい相貌をしていた。


 そういう癖のベルナデットでなくても、息を呑んだろう。

 この大陸では女性である月の神だが、遠く東の国では男性神であるという。

 ならば、その神はきっとこんな姿をしているに違いない…… と思わせる、深い夜に注ぐ月の光のような王子だ。


 彼は濃い碧の瞳を、少し細めて誰かを求めるように周囲を見渡す。

 ついつい、人々は踊る足を止め、音楽家たちも役割を忘れて彼の挙動に注目してしまっていた。時間が凍る魔法でもかけられたかのように。


 いやでも、男性陣まで硬直することはないでしょうに。

 目を奪われといて何だが、ベルナデットはちょっと呆れる。


「ああ、いらしたよ、バメイ」

 彼は従者に呟き、にこりと笑った。そうすると、端正な顔は少しあどけなく可愛らしくなる。


 彼の向いた方向にいる女たちは、みながみな、絞るようにきゅっと両手を握った。

 血肉の心臓の脇にあるという、もうひとつの恋の心臓を射貫かれたのだ。

なんたる威力だろう。今まで、見たことも、名前すらほとんど聞いたこともない人物なのが不思議なほどに。


 そう思うベルナデットも同様に動けない。

 彼は迷わずつかつかと進んでいく。多くの瞳も絡まることなくひたすらに彼を追う。


 絡まることのない視線の矢印をまとった彼はふわりと外套を広げ、そうして優美に跪き、固まっているベルナデットの手を取った。


「やっと会えた。ベルナデット・ベルフォール」


(え? 私!)

 もちろん、面識はない。大体、一度会ったら忘れられるレベルのお顔ではない。


「私は、貴女に結婚を申し込みたい」


「な……」

(いや、ちょっと待て、順番!)


「どうして?」という言葉が出る前に広いサロンいっぱいに悲鳴に似た嬌声とどよめきが響き、それが収まった途端、仕事を思い出した音楽家が仲間に目配せして、新しい舞踊曲を奏で始める。


「まずは、踊っていただけますか?」


(そっちが後なの? おかしくない?)


「あ、はい。よ、喜んで?」

 疑問符をたくさん頭に浮かべたまま、彼女はすっと立ち上がった王子に導かれ、滑るように中央に出る。


(とにかく母上の特訓が無駄にならなくてよかった……)

 いや、そこではない、とベルナデットは思い返す。


(っていうか、誰?!)

 しゃら、と王子の手首が鳴る。最近の流行ではないけれど、丁寧で上品な作りのブレスレットが音を立てていた。


(そうだ。ノレイアといえば)

 古くから貴石の産地として有名な国だ。本人があまりに輝かしいのですっかり見過ごしていたが、ストランドやメダリオンを飾る宝石は上等なものばかりだった。特に指に嵌めたリングについている色の深い紅鋼玉ルビリアは大きさも色合いも特急品で、これひとつで宮殿が建つのではと思われた。


(余計覚えがないわ…)

 ノレイアはひいお祖母様の出身地だ。小さくとも立地の妙というやつで長く独立を保っている。大昔には傭兵団の輩出で知られていたらしいけれども、最近はほぼ噂も聞かない。まあ、首都からは距離もあるので、それは不思議なことではないものの……。

 地域としては逆方向だから、遠縁とはいえベルナデットの一族とは交流はない。


(はて……?)


 くるりとターンすると、ドレスの長いスリーブが空気に乗って一瞬羽根を広げたようになる。裾にあしらわれた繊細なレースが女性の動作をより優美に魅せる。

 まるで小鳥か昆虫の羽をもった妖精が降り立ったかのように。

 踊りの輪に入っていない者たちの目も、自然、彼女を追いかける。


 そうでしょうとも。

 髪の美しさも、イネスの誂えたこの日のためのドレスも、ベルナデットを引き立てる。


(ダンスは得意だもの)

 と、僅かに王子の足下がおぼつかなくなった。ベルナデットはさりげなく彼をフォローする。当人たち以外には気づかれない程度の、ちょっとした動作で。


 ふ、と王子は優しく笑った。

「そういうところが貴女は好ましいよね」


 ど、どうも、と彼女は目を伏せた。

(ますますわけがわからない。こんな愛情深い態度を示される何か、私はしたかしら???)


 いえ、待って? と彼女の心に何かが思い浮かぶ。

「あっ」


 確かにあった。ごく最近、妙なことが。

「思い出していただけたのかな?」


 とても嬉しそうに口元を綻ばせるのでベルナデットは頷くしかできない。無意識のうちだろう、力がこもっていく王子の掌の熱を感じながら、彼女は急展開した事態に戸惑っていた。




「で、近日、アルノーお父上がお着きになったら、一度ご挨拶に伺いたいというお話をお受けして戻ってきた、と」


 馬車で帰る道すがら、待機していたルシールに軽く睨まれながらベルナデットは頷いた。軽率な、と言わんばかりだ。


「無理でしょ、月琳ユエリン……。知りません、覚えてませんとは言えないわよ……」


 黒い髪と眼は遠い国由来だが、ルシールの横顔からはこちらの血筋も入っていることが窺える。彼女はかつてベルフォールで保護した奴隷たちの子孫だった。遠い異国から売られてきた者たちは、故郷(ルーツ)を懐かしんで今でも自国の言葉で子どもたちを命名している。


 しかし、首都ではさすがに呼びづらい。ベルナデットについて来てからは対外的にはルシールで通していた。


「私は目にしていないが、それだけの美丈夫なら、ベルが覚えていないなんてあり得ないだろう」

 ふたりきりになると物言いに遠慮は消える。ふたりは幼なじみでもあるし、ベルフォールでは身分差による格差は首都ほど大きくない。


「確かにお美しいけど、決して女性的ではないのよ。手を取ったときにわかったわ。手袋越しだけど鍛えている者の手よ、あれは」


 ベルナデットは近い感触を知っている。

「お父さま相手のダンスを思い出したくらいにね。昔は傭兵の国だっただけのことはあるのでしょう」


「でも、記憶にない」

 そこまで観察しておいて、とルシールは呆れる。


「ないわね~」

 ベルナデットは唸って壁にもたれかかった。

 これは案外まずいのでは?


「どうしよう! いざ、お父さまと相対してから『申し訳ない、人違いだった!』ってなったら!」


「いっそ、輿入れするまで気づかずにいてくれた方がありがたいな。それなら」

侍女は他人ごとである。問題がひとつ解決する、と言わんばかりだ。


「あなた、私が片付けばなんでもいいと思ってるの!」

 ルシールは黒い瞳の目線だけを彼女に流した。


「私にとっては。私はベルの行く先についていくだけのこと」

 相手が誰かなんて、関係ないね、と嘯く。

「月琳……」

とはいってもねえ、とベルナデットはため息をつく。


「結婚してから、間違いだったって追い出されてもそれはそれで……」

 不肖の娘すぎて、両親の顔に泥を塗りかねない。


「いいよ? そうしたら、ふたりでどこか知らない国でも行こうか。私が何をしてでもベルを守るからさ」

 さらりと言う。ああ、従者の愛が重い。


「立場、逆よぉ……」

 確かに、間違いで終わらせるには惜しい方ではあるけれど。そこは割り切らなければ、と彼女は切り替える。


「本当に覚えがないなら、早めに伝えるべきだと思うの」

「まあね。本当に覚えてない? 何かあったとしたら、いつだろう?」

 そおねえ、やっぱり、とベルナデットは腕を組む。


「二日前の感謝祭しかありえないのよね」

 ルシールも同意した。

 女神の感謝祭は月一で行われ、併せて市が開かれる。豊穣を喜ぼうといいつつ、実際は物産展の口実だ。


 貴族の子弟がおしのびで、市井の祭りに紛れ込むのはいつものこと。ベルナデットも常習犯で、そんなありふれた一日のはずだった。

が、その時は少し様子が異なった。




「ベル、脱線がひどい。買い物に来たんじゃないだろう」

 お気に入りの屋台で串を買おうとしてベルナデットはルシールに襟首を捕まれた。従者は黒い瞳の目線だけを、くいと空に上げる。


「もう午後も半ばだ。数刻で日も落ちる」

「わ……、わかってるわよぉ……」

 慌てて財布を仕舞う。


「私はベルの護衛でもあるからな」

 余計な事をしないように、と口を突き出す。彼女は心配性だと主人は思う。


「女神の祭で不届き者なんかでないわよ。毎回平和なものじゃない」

「それでも、だ」

 ルシールは警戒を解かない。


 女神の感謝祭は三ヶ月に一度、四季の祝いと重ねて規模を大きくする。今回は春祭でもあるので、人出も出店も多い。加えて内輪ではあっても前大公妃の祝賀会も催されるため、外部からの訪問者も増えていた。


 ざわめきが違う。

 ふだんとは異なる雰囲気がある、とは脳天気な主人もルシールは言えなかった。

(落ち着かない感じがあるのよね。別に、普段と違う何かを見聞きしたというのではないけれど)


 理由がわからないから言えない。市に入ってから、ずっと首筋がひりひりするような感覚がしている。

 それなのにすぐに出て行きたくないような、惜しい気持ちもあった。


「さっさと用事を済ませよう。こっちだろう」

 春祭名物、各地の名物パンが並ぶ一角から引きずり出されるようにして、ルシールはベルナデットを奥の小路に連れて行かれた。

 一応、侍女として連れてきている体なのだが、彼女も力は強い。ルシール自身は、自分を護衛、と定義している。


 帰りに寄ってね! それくらいはいいでしょう? とベルナデットは未練たらたらだ。

「まったく……。大体、ベルが行きたいって言い出したのにさ」

 外出に反対だったルシールは不平をこぼす。祝賀会の前に事故でもあったら大変だからだ。


「だってえ。ついでに市を楽しみたいじゃない? ここを通れば近道になるし」

 それに縁談が進んだりしたら、いつまでこうした自由も満喫できるかしれたものではない。


(あ~、そういうことをうるさく言う男には捕まりたくないな……)

 そこはなるべく考えないようにしている。いざとなれば言うことを聞く気もないのだし。


 これほど道草を食っていてはどうなんだか、とルシールは肩をすくめる。

「ここ数日は首都に滞在してるって聞いたのよね」

 けれど、機会はイネスたちが出かけた今日この日しかなかった。


「高名な占い師のガイルムが」

「あー、ほんとそれ、うさんくさい」


 心底イヤそうな顔でルシールは吐き捨てる。占いなら、自分がするのに、と不満を隠さない。


「月琳の占いもいいけど、今回は私の一生の大事なのよ……!」

 自分も嗜むわりに、他人の占術には懐疑的、というのは変なものだとベルナデットは思う。宗派の違いというやつだろうか。


(本当のとこ、月琳のは結果がどうとでもとれちゃうのよねえ……)

 本音はしまっておいた。


「それに百発百中……、は大げさかな? でも、ガイルム・ナホイチェが祭で小屋を開くなんて二度とないかもしれないし……。いつもは複数の館を転々としながら、以前からの予約の相手しか観ないっていうじゃない?」

 当日分があるのなんて、とっても珍しいことなのよ! と強調する。


「はいはい、わかったよ。でも、そんなに楽しみにしてたのに、寝坊してたら世話ないよ」

 それはもっともな突っ込みで言い訳のしようがない。


「そ……、それは日頃の、ホラお母さまの特訓のせいで……」

 朝食の後、うっかりソファで二度寝したのがいけなかった。


「そんなのんびりしたことで、観てもらえるのかな……。もう枠埋まってるんじゃないのか」

 人気なんだろ、というルシールの感想は的を射ていた。


 今現在、ガイルムの占い小屋周辺には、それほどの人だかりはなかった。

 さもありなん、午前の早いうちに整理券が配られて本日の受付分はいっぱいになっていたのだ。


 事情を伝える係が待ち構えており、ベルナデットのような出遅れた訪問客に説明している。それでもごり押ししようとする者もあったが、「無駄ですよ」と小柄な説明役は肩をすくめた。


「そーゆーの、織り込み済みなんで、ガイルム様はここにはいらっしゃいません。時間になったら整理券に地図が浮かぶ仕組みなんです」

 ベルナデットたちは係が他の者に伝えるのを、少し離れて聞いた。


「おおー魔法だわ」

 単純なベルナデットに比べて、 ルシールはあくまで懐疑的だ。


「手品だ、そんなの」

肩をすくめて、さあ、どうします? 無駄足でしたけど、と主人に問うた。


「そうねえ……」

 仕方ないから買い食いして帰ろうかなと屋台を見渡したベルナデットの目に、振り上げられた拳が目に入った。


「ちょっと! 何をしてるのよ!」


 警告気味に荒い声を出して、さっと駆け出し、彼女は大柄な屋台の主の前に立ちはだかった。

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