1章(1)破談からのリベンジマッチ~年内成婚はマストです

「とにかく、今年中には結婚してもらいます」


 これは本気だ。

 はるばる領地から首都まで出向いて来て、花嫁修業中の一人娘に会うというのだから、正直、用件はこれかな? とベルナデットも予想はしていた。


(でも、ここまでお怒りとは)

 笑って許すだろう、とまではさすがに楽観していなかったけれど、予想していたよりはずいぶんひどい。


「でも、お母さま? 私にも言い分はありましてよ」

「それって、第二王子に婚約破棄されるだけの説得力があるのでしょうね?」


 うーん。ない。

 彼女の母・イネスは迫力系の美人だ。娘に遺伝した桜色がかった金髪もまだまだ艶やかで、首都にいればさぞかし夜会の華として目立ったことだろう。

 その母が怒っている。とても。


「いえ、その……? そもそも私はセヴラン王子と婚約してましたかしら……?」

 それは……、とイネスは咳払いし、

「正式には……。けれど、時間の問題でしたわ! それが最近になって思い出したように現れた男爵の娘に婚約者の座を横取りされるなんて!」


 いえ、それはないですわよ……、という否定の言葉をベルナデットはすんでのところで飲み込む。無闇に刺激してはいけない。

(お母さまはご存じのはずだと思うけれど……。意図的に無視していらっしゃる)

 彼女はため息をつく。


 第一王子と違って第二王子は長らく正式に婚約者を発表していなかった。きちんと決定していなかったせいだが、無責任な下馬評ではベルナデットは最有力と噂されていた。ほぼ確定であるかのように。


(それも、同様の令嬢たちのなかでは私がもっとも親密そうだから、という理由なのだけど……)


 誤解である。きちんと観察していれば、それが男女のものではないことは一目瞭然だった。セヴランは親戚でもあったし、親元を離れて首都の母方親族に預けられたベルナデットにとって、扱いやs……、いやちょうどいい遊び相手おもちゃだったのだ。


「いえいえいえ? 王子は死んでも嫌がるでしょうし、私も御免こうむりますわ」

「だとしても、セヴラン様は貴女にとって結婚相手としての条件を十分に満たしていたはずよ?」

 母はびしりと指摘した。


「貴女、メンクイじゃない。あの方、お顔はよいのですもの」


 ああっ。ベルナデットはぎゅっと拳を作った。

「そう……、それは否定できません……! さすが伯母さまのお血筋でいらっしゃる……。お顔が……、とてもよい……」

 でしょう、と母は胸を張る。


 王妃と母・イネスは、婚前グエノール家の薔薇と呼ばれた姉妹である。すなわち、セヴラン王子とベルナデットはいとこの関係にあたる。

「けれども、私はそこまでお顔重視ではありませんわ? お母さまほどでは」


「な……、何を」

 今度は母がたじろぐ。


「大体、私がメンクイなのはお母さまの英才教育ゆえではありませんか! 私、いまだにお父さまの許へ押しかけ輿入れしたお母さまのことで皆さまにからかわれますのよ!」


 この母は若き日、イケメン相手に恋に落ちたとか言い出して、有力な中央貴族の令息との縁談を蹴って実家を飛び出してしまい、随分な醜聞になったことがある。

 それをネタに十数年経っても面白がられる娘の身にもなってほしいところだった。


 いえ……、それはね……、とイネスは恋する少女の顔になって

「貴女、全盛期のお父さまを見ていないから……。本当に素敵な方だったのよ。熊に襲われた私を救ってくださって……。素手で熊の眉間を打ち砕いた、その返り血のまま安否を気遣ってくださった笑顔が本当にまぶしくて……」


(だから、なぜ深層の令嬢が熊の出るような場所にいたのです? って話では)

 ごく幼いころは母の言う「ロマンチックななれそめ」も信じていたベルナデットだったが、十歳で令嬢トレーニング(と彼女は思っている)のために首都の母実家に預けられてからはすぐに真実に気付いた。


 当時、蛮族との闘いで戦功をあげた若きベルフォール辺境伯は、武勇のみならず美貌でも広く知られていた。その評判を聞いたイネスは僅かな供を連れて彼の支配地まで見聞にでて、そのまま戻らなかった。当時の縁談相手の顔面に大層な不服を感じていたのである。


 すわ失踪か誘拐かと大騒ぎになったこともあって、この意外な組み合わせは一時期、国一番の話題、つまり退屈しのぎのネタ、だったのだ。

(せっかくまとめかかった縁談を反故にされたと、お祖父様たちからどれだけ愚痴を聞かされたか……)


 しかし、彼女は母とは違う。勇猛な父の血も受け継いでいる。つまり……。

「ともあれ、セヴラン様、お顔はよろしいけれども、私はちょっと……」

「何を贅沢な」

(お母さまにはわかっていただかなければ)


「だって、あの方、ヘタレなんですもの!」

「貴女……。言い方……」

 思い返せば初めての出会いは六年前……。

「これ、あげる」とはにかみながら庭先で摘んだ花を差し出してくれた王子の指には毛虫が蠢いていた。


「あら、虫が」

 指摘すると王子は真っ青になって固まってしまったので、ベルナデットはさっと摘んで庭木の葉に戻し、「取れたわ」と優しくほほ笑んで安心させてやろうとした。

 なのに、返ってきた言葉は………。


「この…… 毛虫女!」

(あのときは私も子供だったから、カチンときてしまってついつい泣かせてしまったのだわ)

 しみじみと思い出される、幼き日の思い出であった。


 以来、セヴランはいい子分。なにかと彼女に頭が上がらないだけであって、ロマンスの欠片も介在していない。


「いくらお父さまの領地を継ぐのは私ではないとはいっても、ああいう男性を婿として受け入れられると思います? ほかでもないお父さま配下の……」

「それは……」


荒熊旅団オゥルスフェロスが」

 それはそうだけど、とイネスも唸った。


 腕に覚えのあるアルノー・ベルフォールの部下は、やはり荒くれ者が多い。首都で育ったセヴランはいわば都会育ちの温室育ち。剣術の腕前はそこそこらしいのだが、手合わせとなると身分もあってどこまでその勝利を信じてよいものか、とはイネスも感じてはいた。

 忖度されている……。と感じるときもないではない……。


「まあまあ、母上」

 それまでソファで大人しくベルナデットの蔵書をめくっていた少年が、ひょいと立ち上がって口を挟む。女の子と見紛うほどかわいらしい。


「聞いたこともない男爵令嬢にセヴラン様を取られたとなれば、面目が立たない気持ちもわかるけど」

 まだ九歳なのに大人びた物言いをするのは、リュカ・ベルフォール。ベルナデットの年の離れた弟だ。


 ベルナデットが首都にやられてから生まれたベルフォール辺境伯の一人息子で、彼女は自分が家を出されたのは子作りのためではなかったかとちょっと、いやかなり疑っている。


「口さがない者が、好きに話しているのでしょう」

 イネスはさりげなくそれ以上の言及を牽制した。


 早熟な弟が言ったように、このたびセヴランが婚約を大々的に発表したペトワーズ男爵の令嬢は、つい先日まで誰も存在を知らなかったという曰く付きの女性である。

 ベルナデットも陰口には参加しないものの、こんな場合の背景は男爵の隠し子か、政略結婚目的の養女であろうことは察しがつく。


(まあ、お顔の系統が異なるものね……)

 きれいな顔なら、女性だって大好きだ。ベルナデットが見たところ、男爵令嬢オディールは男爵夫人には似ていない。それに暗い色の髪が多いペトワーズ家の中で、プラチナがかった金髪は彼女ひとりときては。


 なにより控えめで謙虚といえば聞こえはいいが、受け身で消極的、いつもおどおどしているような態度はとても貴族令嬢としての教育を受けて育ったようには思えない。


(あの娘はそんなだから……)

 到底、気合いの入った貴族階級でやっていけるような性格ではない。


「けれど、セヴラン様のお気持ち、僕にはわかるな……。姉上は確かに母上から美貌を、父上から強靱さを受け継ぎ、条件や能力スペックはとても高い。それは僕だって認める」

 この弟が素直に姉を褒めるときは、溜めの時間である。


「ただ、性格が悪…… いたたたた!」

 最後まで言わせず、ベルナデットはリュカの柔らかい頬をつまみあげた。


「まあ、身長は少し伸びたと思ったけど、まだまだ頬っぺは赤ちゃんだわ。よく伸びること」

 リュカは姉の手を振りほどいた。肌は即真っ赤になった。


「そういうとこ! そういうとこがセヴラン様もヤだったんだよ! 僕にはわかるね!」

「お前、家庭教師たちに神童とか持ち上げられて、調子に乗ってるのじゃない?」

 不穏な空気を感じ取り、リュカは母の後ろにさっと隠れた。


「いくら姉さまが女では背の高い方だからっていっても、僕だってもうすぐ父さまみたいな偉丈夫になるんだからな! そしたらこんな暴力には屈しないんだからな!」


「あら」

 ベルナデットの菫色の瞳に暗い炎が灯る。

「そんなわかりきったこと……。賢いようでもお子様ガキね。力ではいつか女は男に負ける……、だからこそ、今のうちに逆らったらただでは済まないのだと、お前の心と体に深く深く叩き込んでおく必要があるとは思わない……? まだ足りなかったかしら?」


 イネスは大きく息をつく。

「これ以上心労を増やさないでちょうだい。ベル、弟をいじめないで。リュカも、こうなるってわかってるのに懲りないんだから」

 彼女はソファに深く座り込んだ。


「ルシール」

 ベルナデットは故郷から連れてきた侍女を呼んだ。

 タイミングを見計らっていた有能な侍女は、人数分のお茶をテーブルに広げる。たんぽぽはちみつ茶を飲んで、ほっと一息突きかかったイネスだったが、きりりと気を引き締め直して、傍らにいた自分の侍女に荷物をほどかせた。


 この侍女も、イネスが実家から連れてきた腹心である。体格のいい年増で堂々たる態度だ。ばあやではないが口うるさく、ベルナデットは少し苦手だ。


「よく、陛下がセヴラン様のご婚約をお許しになったこととは思いますが、もうそれはいい。所詮余所のお宅のことです! 問題は振られてあぶれた形になった、貴女です!」


 別に振られてなど……、と言い返そうとした娘を制し、

「はっきり言わないと伝わらないようだから、単刀直入にしましょう。今回の婚約発表で、貴女の株は大・暴・落。貴女は男爵令を虐め抜いていて、王子がそれを助けたことで恋に落ちたという筋書きになっているためです」


 なんですと?

「そんな覚えは……!」

「わかっています」

 イネスはぎりぎりと歯を食いしばった。


「貴女は確かに性格に難はありますが、弱い者虐めをするような人間ではありません」

 リュカが母親の隣で、「僕を除いては」と口パクで静かに突っ込む。


「もともと、セヴラン様と貴女の婚約云々はベルフォール地域を押さえるために、王家が当家とを深めておきたいという政治的背景あってこそ出てきた噂です。その上でこういう横やりが入るということは、何かしらきな臭い事情もあるのでしょう。ですが!」

 親としてはそんなことは、この際どーでもいい。顔に書いてあった。

 母は侍女が荷物から出して手渡した書類の束を、娘にずいと突きつけた。


「それはそれとして、このままでは貴女は嫁かず後家ルートまっしぐらです! 何のためにわざわざ一人娘を首都にやって礼儀作法を身につけさせたと思っているのです!」

「いえ~、でも、私は無理に結婚しなくても……」


(故郷のベルフォールに戻って、気ままな実家暮らしも悪くない……、むしろその方が)


「やめてよ」

 ゴミ以下を見る目つきになってリュカが切り捨てる。


「性格の悪い小姑が棲み着いてる家なんかに、来てくれる女の子がいるわけないじゃん。僕の結婚に差し障る」


「そういうことです。貴女に甘いお父さまも今回は大変憂慮なさっていて、ここ一年で相手を決めさせる、なんならご自分がお決めになるとおっしゃっています」


 それでも、あの方にしてはかなり譲歩なさっているのよ、と母は付け加える。

 自分たちが恋愛(?)結婚だったために、ベルフォール家では伝統的に親が決めていた結婚もできるだけ本人に選ばせてやりたい、と思っているらしい。


「私だって、貴女には想う方に結ばれて欲しいとは願っています……」

 しんみりとしたイネスに、ベルナデットも深く頷く。

「貴女も知っているでしょう……。ベルフォールの家風は質実剛健……。お父さまの審美眼で結婚相手を決められたら……」

 想像すると、母娘ともに目眩がしてくる。


(野生の熊が夫になっていても不思議じゃない……!)


 ベルフォール辺境伯は決めたら実行する男だし、中央貴族とは感覚が異なっている。

 実際、イネスを襲いかけた熊とは何故かその後、種族を超えた友情を結んでいて、ベルナデットとリュカは巨大熊が庭園でくつろぐ我が家で生まれ育った。我が父ながら意味がわからないが、ない、とは言い切れない、とベルナデットはぞっとした。


 イネスにとっても孫の遺伝子に関わる重要案件である。

「お父さまと私とで、受けた縁談の申し込みを選別して釣書を持ってきました。この中で決められたら話は早いのですが」


 気乗りしないままベルナデットは幾つか釣書を開き、すべて秒以下で閉じた。

「お、お母さま……? せっかくですけども……」


「わかっています……!」

 娘から視線を逸らしてイネスは吐き捨てた。

「貴女の言いたいことは……! さきほど貴女の市場価値は急下降したと言ったでしょう! もはや婚活タイムセールの目玉商品は、永遠の花嫁修業中をしているというグラン・グランジェ家のご令嬢か、あるいは貴女という二択なのです」


(そこまで言っていたかしら……?)

「悔しいけれど、釣り合いとしても格下の貴族が求婚してきているのが実状……。王子のロマンスのせいで、貴女が考える以上に悪評が際立っているのですよ。これでも、論外な方は外させていただいているのです」


(それでいてこの顔ぶれ……)

 いっそ修道院にでも……、とちらと考えたベルナデットだったが、言葉にする前に「それから、お父さまが修道院なんか許さないからな、とのことですからね」と釘を刺される。


 古くからの女神を奉ずるベルフォール地方では首都を中心とした主神教は異教に分類される。宗旨替えを求められる修道院は絶対にNGだ。そもそも、ベルフォール辺境伯の勘気を恐れてどこも受け入れはしないだろう。


「とはいえ……、選択肢がこれだけでは貴女もつらいでしょう。最後の可能性ワンチャンがあります」

 イネスは、蝋で封をされた一通の手紙を差し出した。


「近く、今の大公妃殿下と私の祖母、つまり貴女の曾祖母にあたる前大公妃の生誕祝いが内々で行われます。招待されるのは、親族や姻族のみといった内輪の祝賀会です」


 というか! と、母は語気を強めた。

「はっきり言うと、ひいお祖母さまは貴女の噂に心を痛めて、このような機会を作ってくださったのよ。感謝なさい」

 はあ、とベルナデットは招待状を受け取る。


「貴女にとって最後の希望は、このパーティで結婚相手を確保することです! もし見つけられなければ、お父さまが決めるとおっしゃっていました」

「う」


 ベルナデットもそれは避けたい。

「開催は二週間後……。当日はお父さまも前大公妃へのお祝いを述べにいらっしゃる予定です」


 領地で小競り合いがあり、イネスたちと同道できなかったことはベルナデットも聞いていた。むしろ、その状態でも何とか顔を出そうとしているということは、それだけ父親が本気だということでもある。


 怒らせると怖い、頑固な一面もあることを思いだし、ベルナデットは震え上がった。


 リアル熊との結婚だけは避けたい。


「それまでは」

 イネスはきっと厳しい顔つきになる。

「貴女をどこに出しても恥ずかしくないよう、最後の仕上げをしますからね!」


 母も本気だ。


 でも、そういう問題かしら、とベルナデットは首を傾げる。

(礼儀作法を完璧にして、外見に磨きをかけたとしても、そんな短い期間で私の評価がどうにかなったりするものではないと思うのだけど……)

 部屋の外は、のどかな仲春。心地よさそうな風に花々も揺れている。


(うーん、無理かな~……)

 その光景とは裏腹、彼女には不安しかなかった。

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