1年目5月・現状確認

「あめんぼあかいなあいうえお」

「あぇんぼ、ああいな、あーいーうーえーおー」

 今日も今日とて染井吉野そめいよしのの片方はみづはに言葉の教室を開いている。

 竪穴住居の影になるところにいろはも腰を降ろしていてすゑはもお姉ちゃんにぴったりくっついている。

 いろはは時折みづはの手本となるようにきちんとした発音で染井吉野先生の言葉を復唱していた。

 そんな和やかさを背景にしながら恵美はもう片方の染井吉野や蜜緋芽みつひめを始めとする櫻媛さくらひめたちと現状のおさらいと今後の打ち合わせをしている。

「藁の百本くらいならたぶんこのサトで集められますよ。合間に人々から貰っておきますよ」

 江戸彼岸えどひがんの生長に必要な素材のことを伝えると染井吉野は簡単にそう言ってのけた。

 それなら問題は霊力の確保だけで済むしそれも櫻媛が増えればみんなから集めればいいだけだ。

「すごい! さすが先生!」

「うちはいい子を持てて幸せよ」

「とりあえず江戸彼岸は抱き着いてこないでくれます?」

「エミも離れなさい。暑苦しくて染井吉野がかわいそうよ」

 感激をそのまま表現して染井吉野に抱き着いていた二人がそれぞれ引き剥がされる。こんなことをしているから話がいちいち止まるのが困りものだ。

「井戸はまぁ、掘れば水は出るでしょうね。長持ちする水源を探るんだったらもうちょっと時間がほしいところだけど」

「え、井戸ってそんな簡単に見つかるものなの?」

「こっちは水を地面から吸ってるの。どっちの方が水が多いかくらいは分かるし櫻媛同士で情報集めたら水源の位置くらいは見当つくわよ」

 植物であるからこその感覚で土の下の水源を探り当てられるという蜜緋芽にも恵美は感心する。

 人間だけだったらヤマ勘で掘って失敗を繰り返すところがまるで最新機材を使っているかのようなお手軽さと心強さだ。

「掘る時は人々にも手伝ってもらってやり方を学んでもらいましょう。技術は身を助けますからね」

 こちらはこちらで教育熱心な染井吉野である。自分たちだけで完結させるのでなく一人でも多くの人が一つでも多くのことができるようになるという目標を立てて堅実に現実の課題を利用している。

 染井吉野は人数が多ければ多いほどいいな、と恵美は向こうでいろんなものを指差して名前を一つずつみづはに教えている姿も一緒に眺めて思う。

「井戸は一日がかりね。サトヤマ開発は休まないといけない訳だけど……ちょうど二条北宮造花にじょうきたのみやのつくりはなが苗木に戻ったんだし明日でいいんじゃない?」

「うぅ……十日以内に必ず美女がいなくなるとか悲しすぎる……美人薄命……」

 造花である二条北宮造花は枕草子に描かれていた通り、今朝は影も形もなくなってしまっていた。

 イワナガの洞穴に苗木がちゃんと帰ってきているのを確認してどうにか恵美が大騒ぎするのも収まったけれどまた植えればいいと言っても悲しみは薄れない。

「いろいろと突飛な性質を持ってる分、性能は破格ではあるのよね」

「彼女がいるだけで〔芸〕の実際値が700越えますからね……。いろはなんて最近は和歌を詠んだりしていますよ」

「狩りの行き帰りに男たち歌ってるしね。獣除けにちょうどいいんだろうけど」

 たった数日でも如実に人々の振る舞いを変化させている実績を蜜緋芽と染井吉野はしみじみと評価する。

 花びら四つという高レアで一つの分野に特化して性能を限っているからこその劇的な影響だ。十日に一度消えると言ってもすぐに植えられてしかも植えてすぐに霊力が最大状態で顕現するという『造り物』の特性も相俟って櫻媛の中でも破格の存在だ。

「そのうちお城でも出来そうでありんすね」

 江戸彼岸は自分には関係ないからと無責任にころころと笑う。

 その言葉がたまたま風に乗って耳に届いたようでいろはがちらりとこちらと見てなんだか曖昧な顔で苦笑した。

「……ま、いいか」

 目ざとい蜜緋芽はそんな妊婦な少女の視線に気付いたけれどわざわざ話題に出すまでもないかと脇に置いておく。

「そのサトヤマも来週いっぱいには形になるのではないか。儂も花を咲かせられるようになれば蜜緋芽殿が【榮】に加われる上に、染井吉野殿達も交互に花御代はなみよになれるであろう」

 大島桜おおしまざくらの言う通りレア度が低い櫻媛たちは最大霊力が低いからこそ目一杯に溜まるのが早いという利点もある。

 特に同じ土地に雑に複数植えても能力値が下がらない染井吉野たちは休眠で霊力を溜めるのと花御代でヤマに同行するのとを入れ代わりで賄ってくれる。

 元から襲ってくるヤマノケや獣も大して出ない場所なので戦闘が得意な大島桜が一人で目を見張ってくれるだけでも十分に危険は退けられる。

 櫻媛を増やすという目標をしっかりクリアしていったからこそうまく状況が回ってくれている。

「ええと、サトヤマが完成したら今度は南の巨大熊退治だっけ?」

「いいえ。沢をサトヤマにしているのは練習と検証のためなので、完成したら次はサトの周辺を一つずつサトヤマにしていくのですよ」

 なんでサトヤマを作っているのかすっかり忘れてしまっていた恵美は染井吉野に優しく諭された。

 サトヤマはサトを守るために築いているのである。そのためにはサトに接するヤマ全てとの間にサトヤマという干渉地域を築かなくては城壁に通り道を残しておくような不備だ。

「……気が遠くなりそう」

 比較的やりやすいと言われた沢をサトヤマにしていくのにも試行錯誤を繰り返して四苦八苦している。さらに難易度が上がって数も増えるとなると恵美でなくても遠い目になってしまう。

「別にこっちだけで全部やる必要はないのよ。人手を使うのよ、人手を」

 なんでもかんでも自分でやらないといけない理由なんて現実にはない。

 染井吉野がサトの人々に言葉を教えているのだってコミュニケーションを取れるようにして協力を得るためだ。

 櫻媛たちは元からサトの人の手も使っていくのを念頭に置いている。そもそも大目的はこの世界の人々に文明を発展させることでありむしろ恵美よりも彼人かのとたちの方が当事者なのだ。

 恵美や櫻媛たちはヤマの脅威のせいでどうしても立ち行かないので助けとして呼ばれた存在である。

「そっか、そっか、みんなでがんばればいいのか」

 途方に暮れかけれていた恵美は蜜緋芽からの軌道修正で、むん、とやる気を取り戻す。

 みづはだって櫻媛の世話をするのにくっついてきて手伝ってくれている。それをもっと多くの人にも頼むだけだと恵美は自分にしっかりと言い聞かせた。

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