1年目5月・江戸彼岸に挿し木

 恵美は江戸彼岸えどひがんの苗木を持って田んぼに訪れていた。

 もちろんそこには先日植えた江戸彼岸が既に立っているし、江戸彼岸は『一大勢力』を持っていないので染井吉野そめいよしののように二本目以降を植えても能力が大幅に低下してしまう。

 この苗木は土地に植えるのではなく先に植えた江戸彼岸の生長段階を解放するのに使うつもりなのだ。

「おんや、さてはわっちに挿し木してくれなんしや?」

 自身の依り代の木の下でのんびりとしなを作ってくつろいでいた江戸彼岸が恵美たちに気付くと流し目を送ってくる。

 声をかけられたのに反応して今日も一緒にくっついてきたみづはがその場でぴょんぴょん跳ねて自分の存在をアピールしてるのが微笑ましくて恵美も珍しく邪気なく目を細めている。

「挿し木なの?」

 しかして恵美は苗木を同化させるという方法を具体的には知らなかったので江戸彼岸に問い返す形になってしまった。

 そんな呆れた態度に江戸彼岸はおかしそうにころころと笑って手招きをする。

「桜を同化させるのでありんすから、それは挿し木でありんす。ぬし様にとってはこれが挿し木なのかと思うくらいに呆気なくくっつくでありんしょうが」

 江戸彼岸の言葉を聞いて適性のある土地に苗木を植えた時みたいにするする勝手にくっつくのかなと恵美は見当を付ける。

 あちらの世界と違って不思議なことがいろいろと起こるのがこちらの世界だ。そもそも櫻媛さくらひめの存在が大いに神秘でもある。

 だんだんと恵美も慣れてこようというものだ。

「やっぱりレア度1のみんなは染井吉野と比べても能力が低くってさ。早く生長させてあげようってなったの」

 恵美がレア度と表現しているのは『櫻媛PROJECT』で確認した時に表示される桜の花の数だ。コノハナサクヤもレア度って言ってる。

 このレア度、実は櫻媛の能力値の格差も表していてレア度1の江戸彼岸や大島桜、志那実桜の総合値はレア度2の染井吉野に比べると本当に半分と言った感じだ。

 ちなみに蜜緋芽みつひめはレア度自体が存在してないけど染井吉野より能力値が高くて凹凸なくまとまっている。

「戦力の底上げは大切でありんしょう。うちは戦いは苦手でありんすが」

 確かに江戸彼岸は【衛】が基本値で5という蜜緋芽の十分の一以下だ。さらにこの土地は補正で【衛】が半分になってしまっている。

 その代わりに【祷】は20、【榮】は30と生長後に期待が持てる。

 そこではたと恵美は二条北宮造花にじょうきたのみやのつくりはなのことを思い出してためらいがちに江戸彼岸に懇願の眼差しを送る。

「あの、戦闘以外ならヤマに一緒に入ってくれますか?」

 あのご令嬢は近くの沢に来るのも他に代わりがいないから渋々といった態度なのだ。

 江戸彼岸も女を売りにしている雰囲気があるし山道を歩くなんて分を弁えなどと言われたら恵美は跪いてしまうだろう。

「ぬし様はうちらの主とも言える立場なのに、なにをそんなに下手に出てありんすか。……ああ、そう言えば下働きを嫌がる櫻媛がいりんしや」

 誰から聞いたのか江戸彼岸も恵美が懸念する理由に心当たりがあるようだった。櫻媛同士も意外と会話しているのかもしれない。

 江戸彼岸はそこでちょっと底意地の悪い笑みを浮かべて口元を派手な柄の目に付く袖で隠す。

「それなら大島桜おおしまざくらちゃんがご一緒してくりゃせんと怖うてヤマになど入りんせん」

「そ、そう来るかー」

 ここぞとばかりに好きな相手と一緒にいる時間を増やそうと策略する。

 でも大島桜はレア度1でも蜜緋芽に迫る戦闘力を持ったスタメン確定な強さだ。危険なヤマに入るには基本同行してもらうだろうから要望としてはかわいいものと言える。

 本当に大島桜が好きなんだなと思いながらその要求を受け入れる。

「それくらいならたぶんだいじょうぶかな」

「ふふ、ありがとなんし」

 江戸彼岸が綻ばせた笑顔は本当に嬉しそうでまるで野に咲く花のようでもあって恵美は見惚れてしまう。

 でもここにはそんな打ち合わせではなくて江戸彼岸の挿し木に来たのだ。それを忘れていなかったみづはが魂の抜けている恵美の袖をくいくいと引っ張って意識を取り戻させる。

「おっと……色気のある少女ってマジで国宝だね」

 なんか訳のわからないことを言いながら恵美は再起動する。蜜緋芽がこの場にいればさぞ冷たくて鋭い日本刀のような視線で恵美を見下してくれたことだろう。

 気を取り直して恵美は江戸彼岸を抱え上げてそれから既に大木となって枝を揺らしている櫻媛の依り代見てまた苗木を見て途方に暮れる。

 この恵美の身長にも近い大きさの苗木をどう挿し木するのか。挿し木なんて一枝を繋ぎ合わせるくらいしか知らない恵美はどうすればいいのか全くわからない。

「木と木を当てなんし」

 江戸彼岸に誘導されて恵美は飲み込めないながらもちょんと苗木の枝の先を植えられている方の幹に当てた。

 するとまるで吸い込まれるように、しゅるん、苗木が幹の中へと消えてしまった。

「はい、おしまい」

「え、これで? なんも変わってなくない?」

 本当に呆気なくて恵美はどぎまぎとしている。

「なんも変わりゃせんしよ?」

 しかも江戸彼岸からも変化なんてないと肯定されてしまって恵美は愕然とする。

 その間抜けな顔を見て江戸彼岸は楽しそうに喉を転がしている。

「苗木の同化は生長段階の解放であって生長段階を進行させるわけではありんせん。ここから生長に必要な霊力の充填と素材の受け渡しを終えてやっと実際に生長するでありんす」

「……そうだった!」

 そう言えばコノハナサクヤからそんな説明を聞いた覚えがあると恵美はまた驚きを露わにした。

 でも確かにこれだけで強化されてしまうというのも拍子抜けというかそんな訳ないだろうと言われたらその通りだと納得できてしまう。

「必要な霊力と素材はアプリで確認できるでありんすよ」

「ほんとだ……藁が、百本?」

「うちは稲に関わりが深い桜でありんすから」

 藁を百本集めるだなんて簡単なようで面倒のありそうな微妙な内容だ。それに霊力は100集めないといけない。

 江戸彼岸の最大霊力が28なのだからこれは他の櫻媛からも霊力を分けてもらわないといけないということだ。

 まだこの美人な少女が大人になった姿はお預けなのかと恵美は空を仰いだ。

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