1年目5月・サトヤマ開発:草むしり
この前の水浴びの時にはみづはに手を引かれてそうとは知らずに越えてしまったサトのヤマの境界。その一歩手前で恵美は
一緒にいる櫻媛は三人。いつもお決まりの
これでヤマに入るのに【祷】【衛】【榮】の三つの担当を揃えられる。
しかし恵美は不安そうに後ろに控える櫻媛の一人、二条北宮造花を振り返った。
彼女が素顔を隠す扇こそ初対面と変わらず造りの美しさを誇っているけれど身を包む紙を織った装束はあちこちが破れてしかも日焼けで色もくすんでいる。
『櫻媛PROJECT』でデータを見ても現在の【霊力】は37と最大値の四分の一だ。先日のヤマノケとの戦いで恵美を守る結界を担った二条北宮造花は相応に消耗しているのだ。
「ツクリバナさん、けっこうぼろぼろでございますけども」
水浴びができるくらいに平穏な沢だとは言ってもヤマに入るのに素知らぬ顔もできなくて恵美はこわごわと二条北宮造花に伺いを立てる。
「この身は十日も保たなかったと清少納言も綴っているのを知らないのかしら?」
「うみぃ……そうですけども」
二条北宮造花は冷たい言葉で突き放してくるけれど恵美は美人相手にそんな割り切れない。
事前の打ち合わせでは二条北宮造花に【祷】の結界を、蜜緋芽に【衛】で戦闘を、染井吉野は【榮】で里山作りを担当することになっている。
でも二条北宮造花をこれ以上疲弊させるなら染井吉野と代わってもらったほうがいい気もしてきた。
「ツクリバナが【榮】になるのはどう? 結界も戦闘もしないし、【榮】ってそんなに霊力使わないんでしょ?」
「この手を土や草の汁で汚せと?」
「ひっ」
二条北宮造花はちょっと本気で機嫌が悪いのを鋭く冷たい殺気に込めて恵美にぶつける。
高貴な者の威圧を受けた庶民気質が染みついた恵美は一瞬で震えあがった。
「まぁ、今の二条北宮造花と染井吉野の霊力の差が6しかないし敵も出るんだかどうかわからないんだからいいんじゃない」
ヤマとは言っても大きな危険はない場所だからと蜜緋芽は予定通りに行くのを恵美に勧める。この辺りで気にしないといけないのは恵美の制限時間くらいだ。
「こっちもかなり霊力厳しいけど、ま、この辺りに迷い込んだヤマノケくらいは追っ払えるでしょ」
先日の戦闘で霊力を費やしたのは二条北宮造花だけではない。
蜜緋芽は一度霊力が0になっており他の櫻媛であったら枯死して苗木に戻っている状態まで陥っている。それでも戦闘力で言えばまだ蜜緋芽しか頼れない。
結局は事前に決めた通りの布陣で境界を越える。
「一歩踏み出してもなんも変わらないから実感ないんだよね」
そのせいで恵美は前回もそうとは知らないままヤマの中に入ってしまった。ゲームみたいに風景が変わったり雰囲気が肌を撫でたりとかしないのが現実だなって思う。
そして数歩進んだところで恵美は、はた、と足を止めた。
「ところで里山造りってなにすればいいの?」
恵美がいくら養蜂で山に入ったり畑を手伝ったりしてきたとは言っても根は現代日本の街で暮らしてきた若者だ。
里山を作り出すために必要な作業はおろか昭和中頃までは当たり前だった里山の管理や利用方法についてもまるで知らない。
「里山というのはそもそも人が利用して自然と生態系が維持されるものですので、始まりはどのようにというのはないのですよね。現代日本で取り組まれた里山再生は破壊された環境を復元する手法ですけど、今は逆に野生状態の野山を開発して里山の景観を作らなくてはなりません」
こういう時に染井吉野は率先して知識を共有してくれて頼りになる。でもそんな染井吉野でも現状で具体的にどのような作業が必要なのかの知識は持ち合わせていない。
「とりあえず人が行き来しやすいようにするのでどう? 草むしりして道を作れば?」
蜜緋芽は悩むくらいだったら行動しろというタイプだ。どうせヤマは切り開かないといけないのだし重機があるわけでもない自分たちがいくらがんばったところで自然に復元できないような状況にできるわけもないだろうとも思っている。
少し投げなりな思考かもしれないけれどそれくらいでなければ原始の世の中で人類が文明を発展させるなんて不可能だ。
「んー、まぁ、草むしりならすぐできるしね」
サトの人たちが水浴びでよく利用しているので踏み締められて草が短い道がなんとなくできている。そこの草を取り除いて地面の見える道にするのは確かにわかりやすい目標だ。
その場にしゃがんで草をむしり始める恵美のそばで染井吉野も一緒になって腰を屈めた。
蜜緋芽は立ったまま周囲を警戒している一方で二条北宮造花は無関係に見えるくらいに一切関心がない様子で佇んでいる。
なんとも纏まりはないけれどそれでも勤勉な染井吉野のお陰で作業はしっかり進行している。
「あと里山と言えば山の獣が来ないように石垣を築くのも大事だと思います。ヤマノケもある程度退けられるのではないでしょうか」
染井吉野は作業の苦労を紛らわせる雑談代わりに里山について知っている知識を語る。
それに恵美は子供のように好奇心を引かれて、ふんふん、と頷きながら手を動かし続ける。
「里山の石垣ってあんまり高くなくてもいいよね」
「はい、人の膝丈くらいが多いではないでしょうか。サトに降りてくる獣の代表は猪ですけど、猪はちょっとの段差も越えられないので費用対効果がよいのかと」
「鹿や熊は山に食べ物が多ければ滅多に里には降りてこないものね」
「昔は日本でも狩猟が盛んでしたから、出てきたらいい獲物だったでしょうね」
二人共とも喋っていても手を止めることはなく蜜緋芽は時折溜まった草の山を抱えて少し離れたところに立っている二条北宮造花の前に積み重ねる。
そして二条北宮造花はその中から食べられる草をより分ける。
完全なる分業体制がいつの間にかできあがっていた。
「てか、文句言ってたクセに草触ってるじゃない」
「摘まむくらいなら堪えて差し上げましてよ」
平安時代の天皇も親しい相手に若菜を摘むと百人一首にあるし現代日本でも農耕を司る祖神に習い豊作を願って天皇が毎年稲作をしていたりもする。日本の古い貴族というのは庶民の抱いている印象よりも土仕事をするものだ。
二条北宮造花は屋敷内を飾るものとして生まれたので自分で働く経験も意識もないけれど目の前で雪山を積む中宮定子様も見ている。目の前に運ばれるなら食べられるものくらい持ち帰れるように拾うくらいはする。
「ま、食べるのは大事だからね」
ついさっき
「うん?」
そんな感じで話を切り上げたところで蜜緋芽は沢に入り込んできた気配に目を向ける。【衛】を引き出された櫻媛は
蜜緋芽が水の流れに近寄って目を凝らすと、ゆらり、と大きな魚影が水面に
「ほう」
蜜緋芽の目が獲物を狙ってきらりと光る。
そしてピンとデコピンのように人差し指を弾いて白い花びらをひとひら水面に浮かべた。
その花びらが作った波紋が広がって消えてしまったちょうどその時に虫と間違えたのかさっきの大きな魚の影が飛ぶように迫ってくる。
大きな口を開けてそれが水の中から跳ねた瞬間に狙いを定めて蜜緋芽は花吹雪を塊にしてぶつけた。
その一撃は上手に人間の赤ん坊ほどもある巨大な魚を蜜緋芽の方へと弾き飛ばすと同時に気絶させた。
蜜緋芽は飛んできた魚をすぽりと両腕に納める。
「エミ、晩御飯が捕れたわよ」
「んー? でかっ!? なにそれ!?」
「イワナ」
その腕に抱えた巨体を見て目を丸くする恵美に蜜緋芽は涼しい顔でその名前を伝えた。
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