1年目5月・江戸彼岸顕現
柔らかに揺らめく
江戸彼岸はその名前の通り彼岸の頃に花を咲かせる桜でそれはお米の種を植える時期と同じだったりする。だから昔の農家からは種付け花と呼ばれて大事にされてきたし田んぼを護ってくれると信じられていて近くに植えられているのも多い。
ヤマノケとの戦場になった田んぼにも早めに依り代を植えて櫻媛に守ってもらった方がいいとなった時に恵美が江戸彼岸を選んだのもそんな謂れを思い出したからだった。
今日も今日とてみづはが恵美の横で
そんな二人並んだ背中に蜜緋芽は冷めた眼差しを向けている。
「張り切って穴掘りする気満々なところに悪いんだけど、たぶん苗木を地面に突き刺すだけで植樹完了するわよ」
さぁ、やるぞ、と胸の内の熱気を高まらせていたところに冷や水を浴びせられて恵美とみづは二人して全く同じ顔できょとんと振り返る。
「ほわっつ?」
「ない?」
二人それぞれに慣れない言葉を舌足らずに零したのが精神年齢の幼さをよく表している。みづはは年相応だし
「ほら、ここは元から櫻媛の植樹に適した地点でしょうが」
「……たしかし」
そう言えば恵美は今まで桜の植樹できると『櫻媛PROJECT』で表示されていなかった場所にばかり植樹をしていた。
だから必要だった植樹の前準備もすっかり慣れてしまって、それからファンタジーのなかった向こうの世界ではそういうものを省けなかったのもあって、つい今回も土を掘り起こす道具を用意してしまった。
蜜緋芽が最初から気付いていたのに指摘しなかったせいもある。
「ミツヒメ」
それに気付いた恵美が非難をこめてジト目で蜜緋芽を見る。
でも蜜緋芽は肩をひょいとすくめるだけでその視線をいなしてしまう。
賢いみづはは木鋤の出番はないらしいとちゃんと理解して足元に下ろした。
「みづはの方があんたよりえらいじゃない」
「ぐっ、怒るに怒れない言い方をして……!」
小さな女の子を出汁にされて文句を言ったらみづはを怒ってるみたいになるので恵美は不服でも苦情を飲み込むしかない。
すさまじい敗北感が恵美を襲う。
「あ、なんかクセになるかも」
しかしこのヘンタイ、そんな一般人なら憎悪に変わるような感情をもよおしてもあっさりと快感へと消化している。
「本気で気持ち悪いからさっさと植樹に戻ってくれない?」
恵美はぽつりとつぶやいただけだったけれど蜜緋芽はそれだけでも堪えられなくて鳥肌の立つ腕を擦って自分を慰める。
「あ、はい」
これでも恵美は空気の読める女だ。これ以上は蜜緋芽に甚大な精神ダメージが入ると悟っていそいそと江戸彼岸の苗木を抱える。
空気が読めても限界ぎりぎりまで自重しないのでプラマイゼロどころか大きくマイナスなのが恵美の残念なところではある。
「みづはちゃん、あぶないから離れれてね」
恵美は丸太よりも大きくしかも伸びた枝や根を巻いた土の塊のせいで取り回しの悪い苗木を運ぶのを見て寄って来ようとした幼女を制止する。
ただでさえバランスが取られるのに足元で小っちゃなみづはがいたら転んでしまう。それで苗木にみづはがぶつかってケガでもしたらたいへんだ。
目をぱちぱちと瞬かせるみづはの肩を蜜緋芽が捕まえる。
恵美は安全をしっかりと確認してから田んぼのそばまで江戸彼岸の苗木を運び、そして勢いをつけて持ち上げた。
「よっ、こいしょー!」
どす、と苗木が柔らかい土に振り下ろされた。
その瞬間に苗木は自分から地面へと根を沈めていってその反対に幹と枝を空へと伸ばす。
ぐにゃぐにゃと生長していく苗木に巻き込まれないように後退する恵美の目の前で江戸彼岸は二メートル弱ほどの高さまで伸びてから枝を揺らした。
しゃらり、と幣のような音を立てて新緑の芽が開き和やかに香る。
その中に紛れて妙に重そうで派手でけばけばしい着物で身を包んだ少女が、とん、と足を地面に触れさせた。どこか大人びて、恵美も実際に見たことはないけれど遊女見習いを連想させる澄ました笑みを浮かべながら江戸彼岸の櫻媛は小首を傾げている。
「はてさて。ぬしさまがうちの
人懐こい、もしくは人を小馬鹿にしている猫のような甘い眼差しと、風鈴のように軽やかで耳心地のよい声に、蜜緋芽はかすかに眉をひそめる。
「はい! わたしがあなたのお世話係の恵美ちゃんです! ご予約は今からでも間に合いますくぁ!?」
「言葉習いたての幼女の教育にこの上なく悪い言動してんじゃないわよ、このおばか」
恵美は江戸彼岸の櫻媛の体に飛びつこうとした途中で背中に蹴りを入れられて地面に転がった。
非難がましく土に塗れた顔を振り返ればみづはを抱っこした蜜緋芽の足の裏がまた宙に浮いている。
「うぅ、おねえさんってば独占欲が強いんだからぁ」
「踏んづけてやろうか、このアマ」
まるで嫉妬しているみたいな物言いをされて蜜緋芽の額に青筋が浮かぶ。
「あらまぁ、うちのことを放ってじゃれ合うなんて、さみしくなりんす」
江戸彼岸は、よよ、とわざとらしく重たそうな袖で目元を隠して悲嘆する。
そんなあからさまな仕草にいいように引っかかるおばかは……残念ながらこの場に一人いた。
「そんな! かわいいお目めが涙で解けちゃうよ! だいじょうぶ、ちゃんとミツヒメの目を盗んで会いに行くから!」
がばりと上半身を持ち上げる恵美に蜜緋芽もいろいろと言いたいことはあるけれど相手すると余計に図に乗るのも目に見えていて疲れ切った息を吐いてやり過ごした。
そんな蜜緋芽に江戸彼岸が、ちらり、と袖の向こうに覗かせた瞳を細めて見せ付ける。
その不躾な眼差しは蜜緋芽を苛つかせて顔を険しくさせるので腕に抱えられたみづはから心配そうに、ぺちぺちと頬を叩かれてしまう。
「ちょっと、止めなさい」
結局蜜緋芽はみづはに気を取られて江戸彼岸が恵美の腕にしなだりかかるのを止められなかった。
「どうにも大変な目に遭われてるようでありんすな。お可哀想」
「わかるの?」
「ちっとは現状の知識も受け取ってありんす。けども、うちも戦うんは不向き。
「大島桜?」
江戸彼岸がどうして大島桜を薦めてくるのかわからなくて、はて、と恵美は首を傾げる。
一応、大島桜の苗木もイワナガの洞穴にあるので次に植えるのはできる。
「大島桜ちゃんは源氏に縁あると言われてありんしょう。そんでもって大島桜ちゃんは武芸に秀でてありんすよ」
「そうなの!?」
ヤマガミとの決戦を目指している現状において戦闘力に優れた櫻媛はすぐにでも欲しい人材だ。
江戸彼岸から思いもしなかった有益な情報をもらえて恵美は下心も脇に置いて喜んでいる。
「自分の親のことなのに教えてもらえんでありんせんの?」
江戸彼岸はそれはもう信じられないと非難がましく蜜緋芽にまぶたを半分下ろした眼差しを送ってくる。
なにを隠そう、蜜緋芽は大島桜と山桜のかけ合わせから作出された桜なので江戸彼岸の言う通り親子関係にある。
しかしそこから蜜緋芽もやけに当たりのきつい江戸彼岸の態度に、ピンと来るものがあった。
「あんた、さては自分の相手取られたと思ってこっちを嫌ってるのね?」
「そんなそんな」
蜜緋芽の図星を射たと思った仕返しを江戸彼岸はにこやかに大きく袖を振って笑い飛ばす。
「お子ちゃまに当たりゃせんよ。こんなのは冗談でありんす。本気やったらそんな相手に口利けるような隙を与えやせんわ」
江戸彼岸は途中までは軽口のように和やかだったのに、最後の最後のように蛇のように闇を細めた目付きをしてきて蜜緋芽は背筋に凍り付いた。
それは確かに今までの江戸彼岸が冗談半分の遊び感覚でからかっていただけだとまざまざと理解させる。
「そんな恐がらんで仲良うしんしょう?」
「……え、ええ、そうね」
蜜緋芽は蛇に睨まれた蛙とまではいかないけれどすっかり腰が引けた声で江戸彼岸を受け入れさせられた。
「そう言えば、染井吉野って江戸彼岸と大島桜のかけ合わせだっけ」
そんな様子を横で見ていた恵美もやっと日本で最も栄えた桜の品種の親元を思い出していた。
その言葉を聞き拾って江戸彼岸はそれはもう楽しそうにころころと喉を鳴らす。
「一番人に愛でられる娘を産めたんでありんすから、大島桜ちゃんとうちの愛が世界で一番ってことでありんしょう?」
その雲を蹴散らした青空のような江戸彼岸の笑顔を見て、さすがの恵美も彼女の前で大島桜を口説くのは控えようと心に誓った。
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