1年目5月・ヤマガミ討伐計画

 恵美がぱちりと目を開く。

 朝だ。ひんやりとした土床のど真ん中に寝転んだ恵美の顔へと真っ直ぐに入り口から射しこんだ朝日が当たっている。まぶしい。すっごくまぶしい。

 でもはっきりと覚醒した頭に痛みは少しもなかった。全快だ。

 恵美は勢いよく、がばりと立ち上がった。

「恵美ちゃん、ふっかーつ!」

 両手を高く上げて声高々に喜びを宣言した。

「エミ、うるさい、おばか、静かになさい」

 そして狭い住居内で騒音を反響させた恵美に向けて毎度のことながら同居人を代表していろはが冷たい眼差しと一緒に苦情をぶつける。染井吉野そめいよしのの教育はしっかりと成果が出ていて言葉遣いはすっかり流暢になっている。

 それだけに恵美が受けるダメージは大きくて腕を上げた体勢のまま凍り付いた。

 一瞬の硬直の後に恵美の目淵まぶちを決壊させる。

「純情な少女が悪い言葉を覚えちゃったー!」

「エミ、うるさい、おばか、だまれ」

 余計に喧しくなった恵美にいろはは容赦なく追撃を加える。幼い弟の耳がおかしくなるという危機に対してならいくらでも強くなれるのがお姉ちゃんなのだ。

 逆に妹ちゃんのみづはは子供みたいに泣きわめく恵美がかわいそうに思ったのか、ぽんぽんと頭をたたいて慰めてくれている。

「うわーん! みづはちゃん、ありがとう!」

 感激のあまり恵美はぎゅっとみづはにしがみつく。

「エミ、みづは、おそう、ゆるさない」

「襲ってませんが!?」

 いろはからの恵美への信頼度は著しく低い。

 まるで虫を見るような目付きに恵美は背筋がぞくぞくした。

 そんなちょっと悦びを感じ始めた恵美の背中が体重を乗せた足に踏んづけられた。

「ごめん、この気持ち悪いの、今持っていくから」

「ぐぇっ」

 蜜緋芽みつひめはやって来るなり恵美を折檻して見せていろはを安堵させた。

 蛙のように潰れた恵美を蹴飛ばして住居の外へと放り出した。

「ほら、元気になったならさっさと女神のとこに行ってこれからの作戦会議するわよ」

「ミツヒメ、ひどい……いたいんですけどぉ……」

「このまま蹴り転がして運ばれたくなかったら立ち上がって自分の足で歩きなさい」

「うぅ……すぱるた……えすえむ……」

 すぐにねじ曲がった情欲に思考が繋がっていく恵美を蜜緋芽はゴミのように見下ろす。

 あと三秒しても起き上がってこなかったら本気で女神たちのところまで蹴り転がしてやろうと蜜緋芽は心に決めたのに、切り替えの早い恵美は早速復活して立ち上がってしまった。

 蜜緋芽は腹いせの機会を失って小さく舌打ちをする。

「えーと、うん、行こ」

 これ以上話を続けるとお説教は免れないと思って恵美はいそいそと歩き出した。

 蜜緋芽も優しいのでこの場は小言もなく見逃してあげる。半分くらいは説教しても甲斐がなくて無駄な労力を省きたいからでもある。

「おばーちゃーん! 女神さまー! こんにちはー!」

 恵美は蜜緋芽から逃げるようにして女神たちの姿が見えるなり駆け寄った。

「はん、ヤマガミに襲われたにしちゃ元気だね」

「すっかり良くなられたようで良かったです。三春瀧桜みはるのたきざくらは……残念でしたね」

 改めて言われるとまた恵美もしんみりしてしまう。

 自分たちを生かすために犠牲になった三春瀧桜は、けれど最後までにこやかに散っていったからこそやるせなさが胸にうずくまる。

 陰を落としてうつむく恵美を見て、イワナガがふてぶてしく鼻を鳴らして湿気った雰囲気をあざ笑った。

「はん、過ぎたことを思い返すなんて不毛なことするより、これからどうするのか話し合った方がよっぽど建設的ってやつじゃないのかい」

 イワナガが気を遣ってくれたのを目ざとく受け取って恵美はうざったいくらいに表情を輝かせる。

 その顔に当然イワナガは苦虫を噛み潰したように嫌そうな表情を浮かべた。

「そうですね、あのヤマガミの化身にも逃げられてしまったので、放って置いたらまたすぐにサトへ襲ってきます」

 やはり三春瀧桜によって退けたのも一時しのぎだとコノハナサクヤに確定させられてしまった。

 まだ記憶に新しいあの脅威的な暴力にもう一度立ち向かわなければならないと知って恵美は気を引き締める。

「そもそもヤマの気が動物の姿で顕現するようになったのは最近のことなのですが、どうやらその模した動物の生態に近い習性も得るようなのです」

「さいきん?」

 コノハナサクヤの説明の中で気になった言葉に恵美は反応した。

 気遣いのできる若い見た目の女神はそれがどのくらい前からなのか補足してくれる。

「ええ。櫻媛さくらひめがこちらの世界に芽生えるようになってしばらくしてからなので、ここ百年ほどですかね。その前は正しく災害そのまま、大洪水や噴火や地震のような形でサトを襲ってきてましたので」

「ひゃくねん」

「さりげなく神様スケールの時間感覚で話してくるわよね、この女神」

 百年とか現代人でも一生で足りないくらいの時間をつい最近と言ってのける女神の感覚に恵美は目を丸くして蜜緋芽は呆れている。

「ともかく、むしろ相手しやすくなってるってわけね。台風倒せとか言われても困るだけだわ」

 蜜緋芽はそれでも変化した状況がマシなものになっていると捉えてコノハナサクヤに先を促した。

「三春瀧桜によって消滅寸前までヤマの気を削られたのであのヤマガミの化身もすぐには活動を再開出来ないでしょう。恐らく次の春、通常の熊が冬籠りから目覚める頃、三月の終わりから四月にかけてに襲撃してくるでしょう。それも最も凶暴になった状態で」

「春の寝起きの熊とか一番出会っちゃいけないやつだもんね」

 冬ごもりを通して秋に蓄えた栄養の全てを使い切った春の熊は一番腹が空いていて気が立っており、一年で一番危険な時期だ。

 そんな時にサトに降りてこられたら今度こそ守り切れるか分からない。

「それを踏まえて、あの化身を討伐する機会は二回あると考えています。一つは秋に入る前、夏のうちに討つことです。これは最も弱っているところで相手取れるでしょう。もう一回は冬籠りに入って栄養も多く消耗しているであろう真冬に見つけ出して討つことです。休眠から覚醒までの間に攻撃する隙もあるでしょうし起き上がっても動きは鈍いと思われます」

「秋だと栄養蓄え始めて相手するのが厄介ってことね。それに冬籠りするかしないかの頃も良く肥えていて厄介、と」

 秋が抜かされた理由を推測する蜜緋芽にコノハナサクヤはその通りだと頷きを返す。

 相手は日本三大巨桜の一角が切り札を使っても倒し切れなかった強敵だ。なるべく弱ったところに襲撃する以外では勝ち目は万に一つもない。

「うーんと、夏だとわたしたちの戦力が整うかどうか、とにかく急がないといけない。冬は戦力を集める時間がある」

「でも冬まで伸ばしたって戦力が充分に揃うかどうかは分からないわよ。あと冬にするのに問題なのは足場の悪さでしょうね。雪、降るんでしょう?」

「ええ、目標にする時期ですとヤマは雪に閉ざされてそもそも分け入るのに大きな危険が伴います」

 どちらにせよ困難は大きいというわけだ。こうして見るとヤマガミが春に襲ってくるまで戦力を増強して待ち構えるという案もなくはない気になってくる。

「三春瀧桜みたいな即戦力はどっちにしろ欲しいところね。出来れば同じくらいの格の……」

「例えば神代桜とか淡墨桜とか?」

「協力してくれればいいけどね」

 恵美が三春瀧桜と並べられる他の二本の桜を上げるが蜜緋芽の反応は苦い。

 そもそもそんな強力な桜が野良で見つかるのかというのもあるし、三春瀧桜から以前に聞いた話によるとその二本は人間に余り好意的ではなさそうでもある。

「でも、ま、見つかる前から諦めるとマジで打つ手ないから、出来るだけ探した方がよさそうね」

「うん。うまくみんなが強くなって仲間も見付かったら夏に、間に合わなかったら冬の討伐を目指すのがいいんじゃないかな」

「あんたにしちゃ堅実な案じゃない」

 口振りよりも遥かに嬉しそうに蜜緋芽は恵美がきちんと考えられているのを褒める。一つ目を断念しなくてはならなくなってもその次に繋げられる作戦というのは安全マージンの管理としてとても正しい。

 恵美は珍しく褒められて、ふふん、といい気になるのも今日だけはそのままにしておいた。

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