1年目4月・襲撃
そんな微妙な静けさの中で恵美が手に提げていたタブレットが突如としてけたたましく鳴き始める。
「え、なに? 通知? 電話……なわけないか」
このヤマに囲まれてサトの中も草が茫々と繁茂している世界ではもちろん電波は飛び交っていないし通信が可能な機器が他にあるはずもない。
それなのにタイマーを設定したわけでもないタブレットが鳴動を始めた理由がわからないので恵美は素直に通知の内容を確認する。
タブレットの画面にはどきつい赤色が刺々しくデザインされた図形の真ん中に『襲撃アラート』と大きく注意を促していた。
「襲撃、アラート?」
「は?」
蜜緋芽もその内容は全くもって聞いていないけれど明らかに危険な文言に虚を突かれている。
この世界で襲撃と言ってきて、しかも女神が手がけたアプリケーションで警告してくるのだ。それは間違いなくこのサトにヤマからの災害が襲撃してくるのに違いない。
つまりは集落と人々の壊滅の危機が迫っているという警告である。
「え、うそうそ、ほんと? 本気?」
恵美は慌ててタブレットに指を走らせる。
それに合わせてアラート表示は次々と詳細情報を吐き出した。
発生予想時刻は今から一時間以内。
南の方角、ちょうど先日ヤマノケがやってきた田んぼの向こうから。
危険度はサトの壊滅、全員死亡の可能性あり。
それはもうわかりやすく恐ろしいまでの終末を予言してくれている。
「み、ミツヒメ、これ……え、これ」
「落ち着きなさい。戦えるのは……こっちと
櫻守である恵美は戦闘の場に来てもらわないと櫻媛が十全の力を発揮できない。その言葉を蜜緋芽は口に出せなくて喉を詰まらせる。
「ミツヒメ、わたし、一緒に行くよ」
恵美は静かに、微かに声を振るわせて、けれど確かにはっきりと蜜緋芽に言葉を伝えた。
「そのためにわたしはこの世界に呼ばれたのでしょう?」
理不尽な滅亡を繰り返す人の儚さを覆すために、人の叡智が歓喜を花開く文化を爛漫と誇れるまで発展するように、無為に荒むヤマの威が人へと向かうのを防ぐことを期待されて、櫻媛は呼び出された。
恵美はその櫻媛の依り代となってこの世界に根付かせる櫻守として招かれた。
その使命は不意に与えられたものではあるけれど恵美はそれをなにも思わずに自分のものなのだと思うような素直な性格をしていた。
それをずっと身近に見てきた蜜緋芽は強張った表情を溜め息と一緒に緩めた。
「あんたがそういう娘だから櫻守に提案したの、思い出したわ。安心なさい、守ってあげるから」
「えへへ。期待してる」
愛の告白みたいな言葉を蜜緋芽から受け取ってはにかみながら恵美は蜜緋芽の手を握る。
その手を引いて蜜緋芽は一気に走り出した。
襲撃予測されたポイントへ向かう途中で染井吉野にサトにいるみんなを中心にある墓地へ避難させるように蜜緋芽が指示を出し、三春瀧桜は恵美が大声で呼び付けて同行してもらった。
田んぼの前に到着した時、まだそこはいつも通りの静けさだと恵美は感じた。
けれど蜜緋芽と三春瀧桜はそろって顔を険しく引き締めている。
二人からすれば静か過ぎるのだ。草むらで食事をしながら鳴いているはずの小鳥達の声も跳ね回る虫達の姿もない。
「あ、これ、拙いね。ちょっと本気出すよ」
物凄くのんびりとした口調で三春瀧桜は危機感を表明すると同時に、彼女の体が見る見る内に巨大化していった。身長十三・五メートル、彼女の魂が元にした巨木と同じ大きさまで三春瀧桜はその体を増大させた。
「なにそれ! そんなことできるの!?」
「ふふっ、出来ちゃうのよ」
「そこのお間抜け二人、危機感持て」
子供みたいに爛々と目を輝かせて大きくなった三春瀧桜を見上げる恵美に、どや顔で呑気な返事をする三春瀧桜、その両方に蜜緋芽は苦言をぶつける。
「これ、今なら下から見えるんじゃあぐっ!?」
「危機感を! 持ちなさい! このおばか!」
三春瀧桜の足元に移動して下から服の中を覗こうとした恵美の頭を蜜緋芽は本気で殴って悪行を阻止する。
そんな冗談みたいな本気の攻防をしている間に低い地鳴りの音が恵美の肌までも震わせてくる。
その嵐の予兆にも似た圧迫される空気の押し寄せてくる方へと恵美が顔を上げると、森の木々を揺らし隙間から土煙を立ち昇らせて、なにかが駆けてくる気配を悟る。
その先頭が森を抜け出して高く跳ねた姿を見て、恵美はそれが鹿の姿をした真っ黒い煤のような靄のヤマノケであるのだと認識する。
それが最初の一列だけて十数頭。後から追いかけてくる集団はまだ山の中にある木を揺らしている。
「え、どんだけいるの……?」
「津波か土砂崩れかって感じね。ねぇ、行けるの!?」
巨大化して顔が遠くなった三春瀧桜へと言葉を届けようと蜜緋芽は叫ぶ。
「任せて」
三春瀧桜は緩慢とも思える動きで腕を振るった。
その動きに合わせて怒涛の花びらの瀧が迸って鹿のヤマノケの半分を飲み込んで、押し潰した。続けてもう一度振るった腕で発生させた桜の瀧がもう半分の先頭と数秒遅れで飛び出した第二波の三割ほどを撃退した。
耳をつんざく瀑布のような音に恵美は両手で耳を押さえて自分の聴覚を庇っている。
「すごいけど、大雑把ね!」
蜜緋芽は焦りで苛立ちのように吠えて桜吹雪を巻き起こす。
三春瀧桜の攻撃にもみくちゃにされながらも足を藻掻いて這い出てきた鹿のヤマノケを的確に狙って後ろへと吹き飛ばす。
蜜緋芽は一発でヤマノケを消し去るほどの攻撃力を持たないけれど三春瀧桜が生み出す瀧の瀑流に押し込んでやった。
「っと!」
その隙を狙って別方向から飛び出してきたヤマノケが恵美に向けて角を突き出してくるのを蜜緋芽は寸前で花びらを舞わせて盾として防ぐ。
そこにさらにもう一頭のヤマノケが迫るから蜜緋芽は恵美にぶつかるようにしてその体を肩に担いで大きく後ろに飛ぶ。
「ああもう! そんなぽかぽか来たら攻撃も防御も間に合わないでしょうが!」
敵に対して言っても仕方ないのはわかっていても蜜緋芽は叫ばずにはいられない。
三春瀧桜の援助は期待できない。彼女にはヤマから次から次へと押し寄せてくる本隊をがっつり削り続けてもらわないと、それこそ何十頭という数が恵美に向かってきて対処しきれるものではない。
討ち漏らしの処理と恵美の防衛、両方を同時にこなすほどの戦闘スキルは蜜緋芽にはなくて歯噛みする。
「結界だけなら代わってあげても良くってよ」
ひらりと舞う紙吹雪が恵美にぶつかろうとしていた角を防いで散った。
蜜緋芽は反射で身を捻りそのヤマノケを弾き飛ばす。
その拍子に蜜緋芽に手放された恵美の体が、ぽすん、と紙製の和服にぶつかった。
恵美が振り返れば二条北宮造花が扇で顔を隠したままで見下ろしてくる。
蜜緋芽はその姿をにやりと笑いながら次に襲ってくるヤマノケを三春瀧桜の方へと吹き飛ばした。
「あんたも大概ツンデレね!」
「やる気なくすような事言わないでくださる?」
蜜緋芽は気勢よく吠えて前へと踏み出し、二条北宮造花はすっと恵美の前に出て紙の花びらを浮かべて結界を描く。
ここからやっと防衛線の本番だ。
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