1年目4月・二条北宮造花顕現

 ヤマに入る時の注意事項を聞き終えた恵美はひょいと空に伸びるコノハナサクヤの樹の枝を見上げた。

「女神さまの花珠はなたま、けっこう増えてるね?」

 濃い桜色に色付いて膨らむ蕾は日の光を受けてきらきらと輝いていて遠目でも数えやすい。もう五十個は超えていそうだ。

「今は六十の花珠が付いていますよ。確かに順調ですね」

「それでも櫻媛さくらひめの苗木が十二本? 多いんだか少ないんだか、微妙ね」

 コノハナサクヤは純粋に喜んでにこにことしているけれど蜜緋芽みつひめは懸念ばかりを気にしている。

 苗木を十二本も植えるのは苦労するだろうけれど人手として考えると十二人というのは多くはない。

「順番に植えていかないと溜まっちゃうね。明日は二条北宮造花にじょうきたのみやのつくりばなを植えよっか。家の近くでいいかな」

 恵美も早く櫻媛を増やしていこうと意気込んでいる。

「あ、同じ場所に桜を植えると土地の補正が二本目は二分の一、三本目は三分の一と減っていきますから気を付けてくださいね」

 けれど考えなしで染井吉野そめいよしのと同じ場所に植えようとしていた恵美にコノハナサクヤが日常会話のように水を差す。

 思いも寄らない指摘を受けた恵美は唖然として口も体も動きを止めてしまった。

 その横で恵美の脱力した手からタブレットをさらった蜜緋芽が住居付近の土地補正を確認した。

「染井吉野が【祷】が一倍、【衛】が〇・七倍、【榮】が一・一倍だから、次に植えるのは【祷】〇・五倍、【衛】〇・三五倍、【榮】が〇・五五倍ね」

 こうして数字を直接読み上げられるとその差は衝撃的だ。

「順序が逆なら半減せんかったがな」

 ショックを受けている恵美を憐れんだのかイワナガが吐き捨てるように順番が悪かったと伝えてきた。

「え、なんで?」

 しわがれた声に耳控みみひかえれて恵美がくりんと首を巡らせると言い出した本人はその勢いに顔を引きつらせる。

「染井吉野ってやつは『一大勢力』って特性を持っとるじゃろうが」

 蜜緋芽が染井吉野の『一大勢力』をタップして説明を表示させて恵美に見せ付ける。

 ここで初めて恵美は櫻媛の持つ特性を確認するのがとても重要だというのを思い知った。

 『一大勢力』の内容は同じ土地に同一品種の桜を植えた時に能力値が上昇すると共に同じ土地に植えられた時に複数植樹による土地補正軽減を受けないというものだ。

 これを持つ染井吉野は百本目でも千本目でも元のままの土地補正が適応される。

「ぐぬぬ……仕方ない、今日はこの後、別の場所で植える準備して明日植えるか」

 恵美は蜜緋芽からタブレットを受け取ってサトのマップを眺めてどこに植えようかと当てを探し出す。

 二条北宮造花は屋敷の中に植えられたものだから野原に植えるのはよくないと思い、なるべく人家の近くで植えてあげたいと恵美は考える。

 でも他の人の住居近くに勝手に植えるというのもあんまりよろしくないとも思う。

 最終的に恵美が決断したのはあの高床倉庫の側だった。道具を片付けるのが楽でいいという打算もある。

 恵美は宣言通りその日のうちに土を掘り返して次の日の早くに紙の花が揺れる苗を早速植え付ける。

「いっくよー!」

「はいはい、見てる見てる」

 相手する人がいないと恵美が拗ねるので今日も蜜緋芽が同行してやっている。

 今回は事前に土をうなっているから恵美も体力が有り余っている。前のように苗を投げるようなことはせずゆっくりと土に降ろして接地させた。

 土を被せれば染井吉野の時と同じく苗が光り出して独りでに大木へと生長する。枕草子に書かれた通り高さは三メートル前後で薄紅に色付いた紙の花が日を跳ね返して砥光とみつを散らし見上げる恵美は目を細める。

 その紙花と光に隠れるようにして枝の股に一人の櫻媛が腰かけて扇で顔を隠している。

「あら、尊貴な者の顔を見ようとする不届き者がいるようね。なんてはしたないこと。これだから下々というのは嫌ね」

 教科書で見たような平安貴族の重たそうな和服を何枚も重ねた二条北宮造花は恵美に向けてくすくすと嘲笑を降らしてくる。

 よく見るとその生地は布ではなく和紙だ。和紙で象られた衣装なのに端がしなっていて着心地もよさそうなのが余計に高価な代物だと思わせる。

「高飛車な貴族令嬢とか最高です! もっと罵っちゃ!?」

「わざわざ煽るな、この特殊性癖女」

 手を振ってもっとサービスして欲しいと意地汚くねだる恵美の頭を引っ叩いて蜜緋芽はそのどうしようもない口を閉じさせた。

 蜜緋芽が見上げればまさか罵倒を追加で求められるだなんて思っていなかったのだろう、二条北宮造花は顔を隠した扇の手も固まらせている。

「何か言いたいことがあれば聞いてあげるけど」

 情け深い蜜緋芽は硬直している二条北宮造花に水を向けてあげた。

「まさかと思うけど、その変態がこの身を世話する櫻守であろうはずがないわよね?」

 二条北宮造花の声音が大仰なのは貴き身の上故に自然に出たものなのかそれとも事実は逆であるのを悟りながらも必死に否定しようと努めた結果なのか。

「残念だけど」

 蜜緋芽は言葉少なに二条北宮造花が望んでいない真実を返す。

「今すぐ身罷ってやろうかしら」

 貴族にとって恵美を側に置くのは死を望むようなことらしい。貞操の危機を感じているのなら不思議ではないかもしれない。

「そんな! お美しい御身がこの世を去るだなんて世界の損失です! きっと隠されているそのお顔も貴女の花びらのように煌めいているのでしょう、是非お目にかかりたい!」

「あんた、よくまぁ、女を口説く時ばっかりそんなにボキャブラリー豊富で堂に入った物言いを使い分けるわね……」

 まるでシェイクスピアに出てくる美男子のような口上をすらすらと述べる恵美に蜜緋芽はもう呆れ返ってしまった。

「礼儀がなってなくてとても人とは扱えないわね。下賤な獣は地に身を晒す危険を冒すのはもののふの務めよ」

「ありがとうございますっ!」

 思いっきり罵ってやったのに感激に胸を押さえて礼を言ってくる恵美に二条北宮造花は再び硬直する。

 そして物言いたそうに扇で隠したままの顔を蜜緋芽に向ける。

「言っとくけど、邪険にしても逆効果だし甘えさせても図に乗るし、なんなら無視しても勝手に発情するわよ」

「駆除した方がよくない?」

 恵美を害獣扱いする二条北宮造花に蜜緋芽は肩を竦める。言い返すような言葉はなにも持っていないけれど実際に恵美に危険が及ぶなら絶対に排除するので、結局二条北宮造花に対して取る態度も曖昧に受け流すようなものになってしまう。

 二条北宮造花もその身を貴きお方のために費やした業があるので蜜緋芽を非難するのも自分の心にそぐわない。

 だから櫻媛として顕現した姿を霧のように消し去ってその場から逃げてしまった。

「あー! 綺麗なご令嬢が消えちゃったー!」

「いや、一から十まであんたのせいだから。反省しろ」

 全く悪びれた態度もなく絶叫する恵美の声に蜜緋芽は頭が痛そうに眉をしかめた。

 こんなんで櫻媛の協力を得てヤマから迫る脅威を退けられるのかまるで不安しかない。

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