1年目4月・染井吉野顕現
草を掻き分けて染井吉野の苗木を家の横に降ろした恵美は一休みと地べたに座りこんだ。
「つっかれたー!」
「本当にお疲れ様ね」
「はぅぅ。綺麗なお姉さんと小っちゃな女の子によしよししてもらえる……ここがエデン……」
恵美が苗木を持って来ている間に少女のお姉ちゃんと弟くんも家に入ったようで恵美は誰にも邪魔されずに幸福に浸っていられる。
「いよっし! チャージ完了! やるぞー!」
存分に甘やかされた恵美は急に立ち上がって空に諸手を上げて雄叫びも上げる。
その様子が楽しかったようで少女はきゃっきゃっと歓声と共に手を叩く。
そんな物もわかっていない少女の称賛に気をよくした恵美は手を振って応えて
さっき掘り返した土はもちろんまだ柔らかいので簡単に寄せられて苗木を植えるための穴を空けられた。
「よっ、こい、せっ!」
恵美は苗木を担いで自分で空けた穴に向けて根っこを放り投げる。
「あなた、割と力任せよね?」
「一人で植樹とかやらされたらこうもなるよ」
三春瀧桜から呆れられるけれど荒い息で肩を上下させるくらいに消耗している恵美は言葉通りに余裕が全くない。
それでも恵美はすぐに木鋤で苗木の根に土を被せて覆っていく。
最後に軽くぺんぺんと土を叩いて均せば植え替え自体は終了だ。
「さて、後は水を汲んで……こない、と?」
べたりと腰が崩れ落ちて地面に後ろ手を付いた恵美が視界に広がってきた光に言葉を途切れさせる。
光っているのは今植えたばかりの苗木で、その光が膨らむのに併せて染井吉野の木も膨らんでいく。
見る見る間に腰を降ろした恵美が仰ぐくらいに大きく育ったところで染井吉野は光を納めた。そして染井吉野の木を背景に置いて一人の少女――
見た目の歳の頃は高校生くらい、白いブラウスに桜色のスカートと清楚な装いをしている。顔立ちも櫻媛らしく整っているが学校一の美人と言われて納得するくらいには有り触れてもいる。
染井吉野の櫻媛はぼんやりとしていた目の焦点が恵美に合ったところでにこりと微笑んだ。
「こんにちは、櫻守さん。染井吉野です。どこにでもいるような桜ですけれど、持てる力の限りは尽くしてみせますね」
どことなく悲壮感の見え隠れする宣誓を染井吉野は言い切った。
初めて目の前で櫻媛が具現化する光景を目にした恵美はまだぼんやりと現実が曖昧にしか認識できていない。
けれど苗木は植えただけで元の大きさまで一気に生長するというのも櫻媛がそこから飛び出してくるというのもコノハナサクヤは予め教えてくれていたので、この状況についていけないのは恵美がすっかり忘れていたせいだ。
「えと……水、だいじょうぶ?」
そしてようやっと口をついて出たのはそんな言葉だった。樹木にとって水分は大事であるし植樹直後はなおさらなのであながち間違ってもいないけれど、やはり恵美はずれている。
「ええ、ちゃんと水のある層まで根を降ろしたので心配はいりません」
櫻媛の心情を本体が表現したのか染井吉野は恵美の頭上に伸ばした枝をざわりと揺らす。そこにはまだ新芽もなくて今がまだ冬であるかのように枯れ肌をさらしている。
春の日射しの中で葉の一枚、花のひとひらもまとわずに枝先の細い指先まで露わにしている桜の姿はなんとも言えないくらいに儚く胸を締め付けられる。
「ところで、櫻媛なのに若いですね?」
蜜緋芽や三春瀧桜と違って染井吉野はどう見ても恵美よりも年若い外見だ。
櫻媛と言えば年上の美人お姉さんと勝手にインプットされている恵美からするとなんというかこう、ちょっと手を出すのがためらわれてしまう。
「わたしは幼木ですから。そちらは巨木ですよね?」
「幼木」
染井吉野の言葉を受けて恵美は植樹から五年は経っていそうな姿に様変わりした大木を見上げる。巨木とまでは言わないけれど充分大木の貫禄だ。
「櫻媛の生長段階って別に依り代の大きさ関係ないからね?」
三春瀧桜にそんな指摘をされるけれど恵美は釈然としない。だいたい苗木の段階でもう幼木なんてとっくに過ぎていた。
「でも……若い女の子も堪能できて後から大人のお姉さんとしても楽しめるとか、二度おいしいってやつなのでは?」
しかしそこは恵美である。謎理論で自分にとって都合のいい状況だと認識を書き換えて楽しみを見いだしている。
そして現実を受け入れた恵美は早速染井吉野の手を両手で包みこんだ。
「つきましては末永くお付き合いさせていただいて差し当たっては今晩一緒に過ごしましょうね」
「ごめんなさい、出会って一日目の人と夜を過ごすのはちょっと」
いきなり口説き始めた恵美に対して染井吉野は生真面目に真顔でお断りを入れる。
がーん、と恵美はショックを受けるけれど今の唐突な展開でどうして上手くいくとか思えるのだろうか。
「こら。お嫁さん探しじゃなくてサトのみんなに言葉を教えてもらうのに呼んだのでしょう」
そして三春瀧桜からも当初の目的を忘れるなと窘められる。
「うぁ……そうでした、みんなとパーフェクトコミュニケーション取れる環境を作っていただくためにここに植えたのでした」
先程も起こった、恵美から話しかけたのに自分はそっちのけで話が進んでしまう疎外感を思い出して恵美は打ちひしがれる。
そんな恵美の姿を憐れんで染井吉野は口元に軽く握った手を寄せた。
「かわいそうに……わたし、これでも学校にもよく植えられていますから小学校の授業もずっと見て来たのです。お任せください」
「なにそれすごいっていうかわたしたちは桜に見守られてた」
染井吉野の言葉を信じるなら日本全国の学校で植えられている彼女はかなりの授業を見てきたことになる。その中で教え方の上手な教師のやり方も再現できる、のかもしれいない。
なにはともあれ、まずは一本、恵美は櫻守としての役目を果たすことができたのだった。
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