1年目4月・道具獲得

 一旦家に帰って来た恵美は、さて、と意気込みを吸い込んでお腹に胎児を抱えるお姉ちゃんに向き合った。

 まだ体が成長し切っていない妊婦の少女は不思議そうな顔をして恵美を見返している。

「穴を掘る道具を貸してください!」

 恵美が深々と頭を下げて目の前にきた旋毛をお姉ちゃんはまじまじと見てしばし時間が止まる。

 なんとも言えない微妙な沈黙の中で妹ちゃんが平らになった恵美の背中を目指してよじ登り始めて、相変わらずお姉ちゃんにぴったりくっ付いている弟くんの視線がその動きを追って上がったり下がったりを繰り返す。

「なにや?」

「出たー! なに一つわかってもらえないやつー!」

 たっぷり熟考した上で首を傾けて発せられたお姉ちゃんの返事に恵美は頭を抱えて叫んだ。さすがに何回も会話を試みる中で意味が通じてない時の返しは判明していた。

 恵美が上半身を起こしたから背中を握っていた妹ちゃんがずり落ちていって楽しそうに笑い声をあげた。

 やっと赤ちゃんを寝かし付けた若いお母さんが二人の大きな声にほんのりと微笑みを浮かべながら困っている。

「上代の言葉に近いのね。いったいどんな古い桜が言葉を伝えたのかな」

 恵美の騒がしさはさて置いてお姉ちゃんの言葉遣いを聞いた三春瀧桜みはるのたきざくらは、ほんほん、と思案を巡らせている。

 家にいた面々にとっては見も知らない相手である三春瀧桜の櫻媛さくらひめだったが恵美と一緒だったからか驚きの眼差しを向けられるだけで別段中に入るのを拒否されることもなかった。

 警戒心が薄いと言うか大らかと言うか、つまりは純真な人達である。

「かみだい?」

 恵美は聞き慣れない言葉に三春瀧桜を振り返る。

「古代っていうのと同じような意味よ。日本の大和朝廷が出来るよりも前、みたいな意味ね」

「遥か昔じゃん」

 遥か昔と同じような文明レベルなのよ、と恵美にツッコんでくれる蜜緋芽みつひめは今この場にはいなかった。

「おばあちゃんは千歳超えてるからね。年の功よ」

 三春瀧桜は若々しい肌艶をしながらころころと笑う。

 恵美がもう身を屈めないと知った妹ちゃんはそちらを登るのは諦めたようで袖や裾がひらひらと掴みやすい三春瀧桜に狙いを定めてむんずと掴み始める。

 三春瀧桜がお姉ちゃんの前に腰掛けるとちょうど登りやすい小山になって妹ちゃんは意気揚々と背中を這い上がっていく。

「わども桜う。土くものやある?」

「桜植う? いずら?」

「この家がさぶらい。もりとせむ」

「あな」

「え、ずるいずるい! なんでみんなそんなに簡単にお話できちゃうの!?」

「ふふ、年の功よ」

 お姉ちゃんとすんなりと会話を始めた三春瀧桜に向かって恵美が吠えるけれど三春瀧桜は悠々と笑って受け流す。

「桜植うるに土や犂くべし。物の具を貸したまえ」

「あいわかるぬ。あないせむ」

 三春瀧桜がパーフェクトコミュニケーションを成し遂げた結果身重のお姉ちゃんが立ち上がる。べったりくっ付いている弟くんもお姉ちゃんを見上げて一緒に立って手を握った。

「道具のあるところに連れていってくれるって」

「わ、わたしが一昨日した苦労はなんだったの……」

 この家に置いてもらうために何時間も訴えて咽喉を痛めたのもまだ記憶に新しい恵美はあっさりと要求を実現させた三春瀧桜を見てわなわなと体を震わせている。

 そんな相手してもしょうがない恵美の自尊心なんて誰も一顧だにしないで順番に家から出ていく。

「え、ちょ、も、もうちょっと恵美ちゃんを慰めてくれてもよくない? ねぇねぇ、かわいそうにって言って?」

「はいはい、いいこいいこ」

 三春瀧桜は文句を垂れる恵美を雑に相手して手を引いた。

 自分の足で、とてて、と付いて行った妹ちゃんも含めてみんなが立ち去って静かになった家の中に残された赤ちゃんを抱く女性は腕の中でなんとか我が子が眠ってくれているのを確かめながらほっと安堵していた。

 そんなふうに迷惑がられているのにも気付いていない恵美は三春瀧桜のすべすべとした手のひらに手を包まれて目を輝かせている。

「手を握られるだけでこんなに幸せそうなことがあるだろうか、いやない」

「反語の現代訳をする時にわざわざ逆接まで繋げるのって情緒ない文章だと私は思うのよね」

 恵美と三春瀧桜は二人してどうでもいい感想を言い合ってゆっくりと歩くお姉ちゃんの背中を追う。

臨月も近いだろう少女を出歩かせるのは胸が痛むけれど、いかんせん言葉が通じるのはこのサトで彼女だけだ。頼りにしないとなにもかもが行き詰まってしまう。

「こち」

 手を繋いだ弟くんと一緒に彼女が足を止めた先にあったのは木造の高床倉庫だった。ただ自然に倒木したものを材にしているらしく近くで見るとちぐはぐとした納まりの悪さが目立ってそこここに隙間もある。

「え、なにこれ、ここだけ文明レベル高くない?」

「そう? 造りも甘いしこれくらいはあっても不思議じゃないと思うけど」

 恵美は地面から床が離れているだけで高度な建築物と勘違いしているけれど、実際に日本でも高床式の建築は縄文時代の発掘現場からも発見されているので、文明としては竪穴住居と一緒に存在しているのは分相応だったりする。

 だから古い知識にも精通している三春瀧桜は平然と受け入れている。

 それに床が上がっていると言ってもその高さは少女達の胸や肩の高さで、恵美や三春瀧桜には腰ほどの高さだ。

 小柄なこの辺りの人達でもひょいとよじ登るのに苦労しないくらいしか高さが確保されていない。

 事実、妹ちゃんの方が腕を伸ばして軽々と木を結んで繋げられた床に体を上げる。

 お姉ちゃんはさすがに重たいお腹のせいで登れないらしく倉庫を指差して登っていいと恵美に促してくる。

「微妙に登りづらい高さだな、っと」

 足が上がるほどには低くなくかと言って腕をかけるには屈まないといけないちょうど面倒な高さの床に手をついて恵美は体を持ち上げる。

 三春瀧桜は緩やかに手を振っていて登ってくるつもりはないらしい。

「来ないの?」

「この子達も行かないようだからこのまま外を見張ってるね」

 確かになにか襲ってくるなら中から出て来るよりも外からやって来るだろう。

 どうせ道具を取るだけだしと恵美も納得して入り口に下げられていた扉らしい萱の簾を手で避けてひんやりと陰に浸る倉庫の中へと入る。

 壁の隙間から差す僅かな日射しだけを頼りに中を確認すると藁を敷かれた床の上に壺やら干した果物やら毛皮やらが乱雑に置かれている。

 恵美が首をちょっと巡らせると入り口のすぐ横、視線を前に向けているとちょうど死角になっていたそこに石器や木の道具が壁に立てかけられていた。

「うーん、なんかどれもちょっとだけ形の違う木の棒って感じで見分けがつかないな」

 石器はどれも短かったり小さかったりでとても土を掘るのに向かなさそうだ。

 木製品の方はどれも長さがあるけれど恵美が見慣れた現代の器具と違って金属がはめられているわけでもなく全体が木であるので、ともすれば模型のようにも思えてしまう。

 自分一人で悩んでもなにもわからないと早々に観念して恵美は適当な一つを手に取って外へと持ち出した。

「ねぇねぇ、わたしだと見てもわかんないんだけど、どれがいいのか教えてくれる?」

 恵美は外で待つ三春瀧桜を見下ろして手に持った棒をぶんぶんと振って注意を引き付ける。

「動かしたら良く見えないよ」

 三春瀧桜は蜜緋芽と違って苦言を零すでもなく知識を貸してくれる。

「今持ってるのはたぶん脱穀に使うやつね。もっと先が広くて平べったりのとか鍬みたいなのはなかった?」

「鍬みたいなのはなかったもん。どれも木を削った感じ」

 恵美がざっと見た中で記憶にある鍬のような柄と刃が明らかに別に作られて組み合わせたようなものはなかった。

 取りあえず適当に選んだこれは違うのだとわかったからまた簾をくぐってなるべく違う形をした道具に持ち替える。

「これはどう?」

「ああ、いいんじゃない。木鋤ね、きっと」

 三春瀧桜が言った通りに柄の先が広がって平べったいものを選んだらオーケーをもらえた。

 鋤と言われても恵美は名前しか知らなくて形が合ってるのか判別できないけれどスコップには似ているような気もする。

「よし、じゃあ、これを借りよう」

 穴掘りの道具を手にして、ふんす、と鼻を鳴らして木鋤を肩に担ぐ恵美の横にちょこちょこと小さな人影が出てきた。

 いつの間に中に入っていたのか小さな妹ちゃんが恵美が持つのよりは短い木鋤を抱えていた。

 恵美がその姿を見下ろすと少女は恵美を見上げて木鋤を肩に乗せるポーズを真似て上手くバランスが取れずによろけるのだった。

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