1年目4月・野良櫻媛

 袖を払うような気軽さでヤマノケを一蹴した三春瀧桜みはるのたきざくら櫻媛さくらひめは穏やかに微笑んでいる。その佇まいには晴れ着姿の華やかさ以上に内に秘める霊力の大きさで大瀑布のような威厳を感じる。

「素敵でお強いお姉さん、助けていただいてありがとうございます! つきましてはお礼として誠心誠意身の回りのお世話などさせていただきたいのですがいかがですかっ!?」

 そんな自然の持つ威厳なんてものに圧倒されずにどこか懐かしみのある顔立ちの美人の手を勢いよく取るのが恵美なのだけれど。

 急な戦闘で神経擦り減らして息を切らしている蜜緋芽みつひめはなんとか恵美の奇行を睨むのが精一杯で制止できなかった。

「そんな一人で私の手入れをするのは大変よ? 定期的に枝を落としてもらわないといけないもの。あ、でも何年かに一回だから出来るかも? んー、あ、だめだめ、一人じゃあんなに大規模な足場組めないわね。やっぱり一人じゃ無理よ」

 右手を恵美に握られた三春瀧桜は空いている左手を自分の頬に当てておっとりと見当違いな返しをしている。地上三階建てと同じ高さを誇る実物の桜の手入れの話をされても普通は付いていけない。

「瀧桜って枝垂れだもんね。後から伸びた枝が下の枝を隠して日に当たらなくしちゃうんだよね」

 しかし恵美は平然と一般人は気にしない桜の豆知識を引っ張り出してやる気を見せる。

「よく知ってるものね。嬉しいな」

「えへへ、美人なお姉さんに喜んでもらえるなんて幸せ」

「あんたらあんなことがあった直後にツッコミどころしかない会話してんじゃないわよ」

 ヤマノケとやり合ってこっちは疲れているのにツッコミ役をさせるな、という不満をむしろ思いっきり見せ付けながら蜜緋芽は恵美の足元で所在無さげにしていた少女を抱き上げた。

 少女もヤマノケの撒き散らす恐怖にまだ当てられていたようで抱き上げられると同時にぎゅっと蜜緋芽に身を寄せる。

「あ、ずるい! わたしも幼女にぎゅってされたい! あったか体温をくっつけられたい!」

「うるさい、おばか、静かになさい」

「逆輸入!?」

 聞いている方が頭が痛くなるような頭の悪い恵美の発言を蜜緋芽は切れ長の冷たい眼差しもセットで切って捨てる。

 腕に抱いた少女のお姉ちゃんが朝に言ったのをそのまま持ち出したのは罵倒を自分で考えるだけの元気もなくしているからだ。

「ふふ、みんな仲良しでよいこと。人ってやっぱりいいわね、護りたくさせてくれる」

 この恵美のバカで喧しい言動を目の前にしてよくそんな好意的なことを言えるものだと蜜緋芽は呆れと驚愕をたっぷりと混ぜ合わせて陰った眼差しを三春瀧桜に向ける。

「もしかして、あんたって天然?」

 信じられないし信じたくもないけれど真面目な性格の蜜緋芽はつい確認してしまって、そしてすぐに後悔することになる。

「いえ? 私も園芸品種のベニシダレだから。あんまり昔だから誰が植えてくれたのか覚えてなくて自信はないけど……人間が遺伝子解析もしてるから自然交雑じゃなくて植えた人はいるはず……よ? ああでも実は自然に生えてたのがこれだけ大きく育ちましたっていうのも神秘的で素敵なお話になりそうでいいかも?」

 ちがう、そういう意味じゃない、というお決まりのツッコミすらできないくらいに蜜緋芽は気が遠くなった。

「エミのおばかだけじゃなくて痴呆おばあちゃんの相手までさせられるとかこっち一人じゃ手に負えないんだけど、キミもがんばって言葉覚えて助けてくれない?」

 追い詰められた蜜緋芽は真剣な声で腕に抱く少女に助けを求めている。

現実逃避している蜜緋芽を少女はきょとんと見返すばかりだった。

 幼気な少女に苦労を肩代わりしてもらおうとするだなんて蜜緋芽は自分が疲れているのを実感してなおさら気が重たくなって溜め息を落とす。

「ミツヒメ、お疲れだね。大変そう」

「原因の九割あんただから」

「なんと!?」

 恵美が素知らぬ顔して気遣ってくるから蜜緋芽はきちんと疲労の元凶だと告げてやった。

 そんなに大袈裟に驚かれると余計にムカついてくるから逆効果だと早く学習してほしい。

「話が進まないからエミのおばかは放っておくとして」

「そんな! わたしもお姉さんといちゃいちゃしたい! かまって!」

「あんたいったいどこから出て来たの?」

「無視!? 地味に心に来るんですが、後でケアはしてもらえますか!?」

「まだエミは桜植えてないんだけど」

「はいはい! 恵美ちゃんです! 恵美ちゃん、ここにいます! はーい! おーい! 見えてる? 見て? ねぇねぇ、わたし、ここにいるよ? いじめよくないよ?」

「正直かなり助かったけどちゃんと信用できるように説明してくれる?」

「うん、美人お姉さん同士が向き合っているところを見れるとかもちろんご褒美なんですが、それはそれとしてわたしにも熱い眼差しを向けてほしいです! 目と目で通じ合いたい!」

「うっさいっての、黙れ!」

「ぎゃんっ!?」

 三春瀧桜から話を聞こうとしているのに鬱陶しい身振り手振りとぎゃんぎゃん喧しい声で自分に注意を引こうと躍起になる恵美に蜜緋芽は我慢の限界を迎えた。むしろよくこれだけ存在の煩いやつを無視できたものだ。

 そんな蜜緋芽の健気な忍耐力がわからないバカの頭に容赦なく渦巻く桜吹雪を叩き付けた。ヤマノケの体も吹き飛ばす威力を後頭部から受けて恵美は撃沈する。

「仲が良くてがんぷく、がんぷく」

「そのノリもういいから。話を聞け、会話しろ」

 蜜緋芽がブチギレてお仕置きした光景を仲良しの一言で喜んでいる三春瀧桜も邪険に扱われる側になってしまった。

「はいはい! わたしちゃんと話聞いてる! むしろミツヒメが聞いてくれなかった! 会話しよう!」

「復活までが早いのよ! 黙れっていってんでしょ、もっかいぶつわよ!」

「ぶー」

 かと思えば自己主張にためらいがない恵美が地面から起き上がってぴょんぴょんと跳ねてアピールしてくる。

 すでに沸点超えている蜜緋芽は一瞬の隙も置かずに怒鳴り散らして恵美を威嚇した。

 さすがの恵美もそこで引っ張るほど人として終わっていないのでぶーたれながらも前のめりになっていた体を引き戻す。

「いい? こっちの質問に簡潔に答えて。あんたどっから来たの?」

 もう余計な茶々は許さないと蜜緋芽は強く冷たい口調を三春瀧桜に突き付ける。

 そんな剣呑な空気にも三春瀧桜は動じずににこにこと答えた。

「ヤマから来たのよ。えっと……あの、会ってないから名前が分からないんだけど私達桜の魂を呼んでる神様がいるでしょ? そこに向かってたんだけど辿り着けなくて山の中で根付いちゃったのね。言ってみれば野良櫻媛?」

「野良のお姉さん?」

 櫻媛がそのままイコールでお姉さんと変換されている恵美の脳内の残念さはさて置いて、蜜緋芽は三春瀧桜の説明を理解しようと咀嚼する。

「世の常として野良はゲットしていいことですよねゃん!?」

 さて置けなかった。

 また見境なく美人にこなかけようと活き活きとしだした恵美の頭に蜜緋芽はもう一度桜吹雪をぶつけておく。

「ヤマの中を探せばあんたみたいな即戦力が見付かるの? 見た感じ、苗木植えてすぐの櫻媛よりは強力よね?」

 なんと言っても恵美や少女を守るのを優先していたとは言え蜜緋芽が苦戦したヤマノケを挨拶代わりの気軽な一撃で倒してみせたのだ。

 三春瀧桜という有名な桜の魂を素にしているから強い櫻媛なのだろうというのを差し引いても生長の違いを感じる。

「他の娘はどうだろ? ヤマの中で目覚めるとヤマの気でぐわっと勢いよく生長するけど、逆にヤマの気に侵されて寿命も長くは持たない気もするから。たぶん、二週間もしたら枯れちゃうと思うんだよね」

 期待に応えられないのが悩ましいと三春瀧桜は顔を曇らせる。

「え、お姉さん、二週間の命なの?」

「エミ……櫻守を通さないで呼んだ時と同じことが起こって実体化したって訳ね」

 恵美はこんなに美しく瑞々しい健康な見た目の櫻媛がすぐに命尽きるという事実に、蜜緋芽はやはりそんなに都合よく戦力が増えないという現実に、それぞれ打ちひしがれる。

「あ、でも、私は短い生でもみんなの助けになりたいって思ってるから。それにいつかはちゃんと呼ばれて櫻守さんの手で植えてもらったらずっと一緒にいられるんでしょ? お試しもいいと思うんだよね?」

 ちょっと暗くなった空気を嫌がるように三春瀧桜が努めて明るく希望を口にする。

 世の理を変えるのは無理なのだから今は誰もがそれでよしとするしかなかった。

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