1年目4月・苗木生成

 蜜緋芽みつひめの一撃から数秒で復活するくらいには恵美は頑丈な女だ。

 元気よく起き上がる恵美を蜜緋芽は忌々しそうに見下しながらもイワナガに預けた少女を回収する。もう抱っこされて動けないのが嫌になったのか少女はぐずるので自分の足で立たせて手を握って離れないようにする。

 少女が好きに歩き回るのは構わないけれど大人達が話にのめり込んでつい目を離した隙にいなくなったりだとか、あまつさえすぐそばにいる変態の手に捉えられたりだとかしたら保護者であるお姉ちゃんに申し訳が立たない。

「なんだろう……お姉さんに意味なく警戒されている気がする」

「あんたを警戒する理由なんかごまんとあるわよ」

 こんな時ばっかり勘のいい恵美を蜜緋芽は容赦なく掣肘する。

 その剣呑な空気を吹き飛ばそうとしたのかコノハナサクヤがおっとりと口を挟む。

「よろしければ櫻媛の苗木を実際に生み出してみましょうか」

「お姉さんガチャ!?」

「あんた、出てきた櫻媛に怒られるから絶対に本人達の前に言うんじゃないわよ」

 櫻媛の召喚はこの世界を発展させる礎となるものなのに、恵美は自分の率直な欲望でしか物事を捉えていない。

 蜜緋芽はものすごく疲れてしまうけれど多少はお目溢ししてやらないとやっていられない。

花珠はなたまは恵美さんが来る前に確保しておいた十個、それと恵美さんがいらしてから増えた二十個がありますが、最初から多くの櫻媛を呼んでも手が回らないと思いますので当初の予定の通り十個の花珠で二本の桜の苗木を呼びましょう」

 花珠五つで一本の桜の苗木が召喚できる。それはつまり一体の櫻媛を呼び寄せるのに等しい。十個を使った後の残り二十個の花珠は櫻媛四体分となる。

 一度に六本の桜を管理するというのはこの世界に来て生活にも慣れていない恵美にとって荷が重いというのがコノハナサクヤの判断だ。黙って聞いているだけだけど、蜜緋芽やイワナガも同意見でそのまま話を進めてもらう。

 恵美当人もまだよく分かっていないので言われるがままだ。

「では、始めます」

 コノハナサクヤはきっちりとそう宣告して手杯てつきを重ねて自分の神体である桜の大樹、その枝に掲げる。

 すると空を覆うほどに伸びた枝にぽつぽつと付いていた紅色の濃い花珠が淡く光を灯して、ぷつりと枝から離れたコノハナサクヤの重ねた手のひらの上へと独りでに集まってくる。

 十個の光る花珠はコノハナサクヤの手のひらの上でくるくると回る。それは次第に光を強めていって、その軌道はいつしか一つに繋がって円を描く。

 そして最後にはその光は視界をホワイトアウトさせるほどに強まって、恵美は眩しさに思わず瞼を強く閉じた。

 ぎゅっと瞑った暗闇の中で光が遠のいたのを感じて、恵美は怖々と瞼を持ち上げた。

 するとコノハナサクヤの目の前に二本の桜の苗木が立っていた。

 片方はまだ芽も茶色く固い裸の細枝を伸ばすよく見慣れた苗木で、もう片方は枝の細さは同じでも桜色の紙が花の形に飾れていて一見すると大幣おおぬさにも似ている。

「造花? でも木はちゃんと桜だし……肌感からするとヤマザクラかな?」

 恵美はまだしばしばする目を庇うように細めながら苗木というには不思議な風体の方を腰を曲げたり体を捻ったりしながら観察する。

「苗木も『櫻媛一覧』で管理されていますよ」

「そうなの?」

 コノハナサクヤのアドバイスを受けて恵美はまたタブレットに視線を落とす。すると確かに蜜緋芽桜の他に二本の桜の情報が追加されていた。

 そこに載っているのは『染井吉野ソメイヨシノ』と『二条北宮造花にじょうきたのみやのつくりばな』となっている。

「二条……きたのみや……の、造花って、まさか!?」

 恵美は桜として聴き慣れないその名前を、けれど頭を霞める何かがあって口の中で転がしているうちにハッと気付いて目を見開いた。

「もしかして枕草子に出て来るあの桜の造花!? 道隆様が定子様に贈られたの!?」

 恵美の驚きにコノハナサクヤは鷹揚に頷いた。

 二条北宮は藤原道隆が娘である中宮定子のために区画整理を行って新築した屋敷であった。平安の当時、貴族の家と言えば丁寧に整備して自然を人の手で作り上げた庭がステータスであり、そこに植えられた樹木も年月を経た立派なものこと褒め称えられた。

 新築の二条北宮には当然そんな見応えのある樹木はあるはずもなかったのだが、なんと道隆は梅の花が盛りという寒い時期に立派な桜の木に本物さながらに造った紙の花を咲かせた『つくりたる』桜を植えて庭の、そして屋敷そのものの格式を上げて中宮に相応しいものを仕立て上げた。

「エミって変なとこで物知りよね」

 そんな一般人は全く覚えのない実物が目の前に出てきたのに感動している恵美に蜜緋芽は素直に感心した。

「え、だってあの場面めっちゃよくない? めっちゃいいよね?」

「はいはい、良かったわね」

 蜜緋芽は恵美の感動にまるで共感できないのであっさりと受け流す。

 恵美は不満そうに、むー、と唇を尖らせるけれど、すぐに目の前に現れた歴史に残る桜の苗木に意識が奪われる。

「いいな、いいな、これ植えたら大きくなるんでしょ? 本物も一丈余りって書いてあったけど同じ大きさになるのかな?」

「もちろん、植えた時には当時と同じ姿になりますよ」

 コノハナサクヤにお墨付きをもらえて恵美は嬉しくなってぴょんぴょんと両足で跳ねる。

「桜の苗木ですがイワナガが保管してくれます。苗木状態なら例え万年が過ぎようとも何一つ損なわず保存されますのでご安心ください」

「はん。岩の中に仕舞って置くから植樹する時は取りに来るんだよ」

 植えるまでは永久保存だなんて女神様らしく太っ腹な話だ。

 恵美はこれまたお婆ちゃんが自分のために仕事をしてくれると知って顔を輝かせる。

「その煩い顔は止めんか」

「ふふ、はーい」

 恵美は返事は素直にするけれどにやついた表情は全く変わっていない。

 その顔に大層苛立たしそうにイワナガは、はん、と鼻を鳴らす。

「それと、櫻媛が枯れることもあると先程申しましたが、枯れた桜はまた苗木に戻ってイワナガのところに保管されます。また一から育て直しになりますが、いなくなったりはしませんよ」

「なにそれ優しい世界だね」

 優しいのは世界の法則ではなく二人の女神の温情であるのだけど恵美はまだ神の意志は世界の仕組みとしか思っていなかった。

「桜が植えられる場所はサトマップやヤママップに表示されますので参考にしてください。まだマップに出てない場所でも恵美さんが手を加えることで桜の苗木が植えられるようにすることも当然出来ます」

 さらに植える土地によって櫻媛が強化されたり逆に弱体化したりと相性があるのでそこは注意してほしいとコノハナサクヤは付け加える。

 そこら辺はやって慣れればいいかな、と恵美は呑気に造花を飾られた平安の桜の木肌を撫でて感触を楽しんでいた。

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