1年目4月・発熱
異世界にやってきた初日、恵美は無事に屋根の下で眠れる家を確保でき、また食事もみんなと一緒にいただけた。
ただ、その食事というのが野山で取って来た野草と僅かばかりの雑穀の混じった汁物と、干し肉と言えば聞こえはいいけれど実際には干からびて木の皮のように固くなった鹿の肉で、恵美は夕食の間すっかり口を閉ざしてしまった。それでもこの世界の人々にとっては貴重な食糧を分けてもらったのであるし、郷に入っては郷に従えであるのでありがたく食べさせてもらった。
食事の前に山に狩猟や採集から帰って来た男性陣とも出会ったが、そちらも恵美を快く受け入れてくれた。それどころか恵美の前にひざまずいて崇め奉る騒ぎまで起こってしまった。どうやら、自分達とは違う服装の恵美を櫻媛と勘違いしたらしい。毎日ヤマに分け入る彼らは櫻媛に命を救われた経験もあって、女性以上にその存在を知っていてそして敬っているようだ。
もっとも恵美は櫻媛をサトに定着させるお世話係の櫻守であるので、櫻媛を通した崇拝を受けるのは強ち間違っていない。
そんな中々に濃厚な異世界人との交流を果たした翌日の朝、恵美は高熱を出して唸っていた。
「やぁ……苦しい……死ぬぅ……なにこれ……」
「ヤマの洗礼を受けてるわね」
「……わたし、山入ってないよぉ……」
じめっとした汗に肌を濡らしながらぐったりと口を開く恵美の額に
本当は冷たい水を絞った布で汗を拭ってやりたいけれど、水は常温しかないしそれも貴重だし、布もまた貴重だし、これが精一杯の看病だ。
「なんで……わたし、風邪なんて一度も引いたことないのに……」
「そりゃ、衛生環境がばっちりの現代日本から来た人間がこんなほぼ野生環境に放り込まれたら風邪くらい引くでしょ。どんだけ未知の病原体がいると思ってるのよ」
自然開発での障害として、未知の感染症の存在は実は大きなものだ。
逆に近代の都市開発はその病原体を出来るだけ駆逐して感染リスクを下げる方向で発達してきた。だが人間の免疫は多くの病原体と接することでどんどん獲得して強化されていくシステムだ。感染リスクがないというのは免疫獲得チャンスがないのと等しい。
「さむい……あついのにさむい……」
恵美は青褪めた顔でがたがたと震え出す。掛け布団なんてものはなく、冷えた土の上で転がされているだけだ。
この竪穴住居には五人の女性と二人の子供が住んでいるが、乳飲み子や胎児のいない三人は昨日と同じく既に外へと出かけている。
赤ちゃんを抱いた若い女性も妊婦のお姉ちゃんも恵美を気遣わし気に見ているが、子供達に風邪が移るのを恐れているのか遠巻きに壁に背中を当てている。
そんな中、昨日最初に出会った少女がひょこりと恵美の側にやってきた。
「うん……?」
恵美が生気のない瞳を少女に向けると、なんだか少女は、むん、と気合を入れた気がした。
そして次の瞬間、少女は全身を使って恵美に抱き着いてくる。子供特有の高めの体温が悪寒の走る恵美の肌に温もりと安らぎを与えてくれる。
「あっためてくれてるの?」
言葉の分かってない少女は恵美の声に反応はしないが、その代わりのようにぎゅっと抱き締めてさらにぎりぎりなんとか背中に回した手で労わるように撫でてくれる。
「うぁ、やさしい……いいこ……けっこんしてくれる……?」
「あんた、病気で弱っててもセクハラ発言は治まらないのか……そっちこそ本当に病気ね……」
これだけ息も絶え絶えになっておきながらも幼気な少女に邪な思いを抱く恵美に蜜緋芽は頭を抱えたくなったが、さすがに今回は頭を引っ叩くのは我慢した。むしろ床に転がっているのをみると踏ん付けたい気持ちがふつふつと沸いてくる。
でも恵美もその軽口で体力を使い切ったようで電池が切れたように瞼を閉じて呼吸を浅くする。恵美の息が掠れる音を憐れんでいるのか、赤ちゃんを抱いた年若いお母さんが瞼を伏せる。
そして深みのある小皿のような土器を取って来ると徐におっぱいを絞り始めた。
それを今日もお姉ちゃんの腰に抱き着いて離れなかった男の子に手渡すと、その子は土器になみなみと注がれた母乳が零れないように慎重に恵美に近寄ってきて、その口に土器を当てる。
「うぁ……」
唇に土器が触れたので反射的に薄く開くと、弟くんは土器を静かに傾けて恵美にそのお乳を飲ませてくれた。
「あ……ほのかにあまい……でも牛乳よりもあっさりしてて……でもなんだか懐かしくて落ち着く味わい……」
「よくまぁ、熱出してバカになってる舌でそこまで味が分かるものね」
死にそうな声を出しているくせに他人の母乳をテイスティングするとかいう変態思考が口からもろ出しになっている恵美を見ると、別に心配する必要ないんじゃないかと蜜緋芽は勘違いしてしまいそうになる。
母乳は栄養価が高く子供に免疫を与える役割もあるので、これを分けてくれるのはこの世界の人達にとって薬の役割があるのだろうし、また家族と同じく助けたいと思っていることの表れであるのだろう。
出会って二日目ではあるが、そんな恵美でも見捨てないくらいに今赤ちゃんを抱いている若い女性も優しいのが分かる。
「あんた、優しくしてもらった人全員に気持ち悪いことばっかり言ってないで、ちゃんと感謝しなさいよ」
蜜緋芽が白い目で見下してくるのに対して、恵美は弱々しく頷く。
そしてそこで恵美はくたりと意識を手離して夢も見ないで眠りに落ちていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます