1年目4月・初めての会話

 第一サトビトの少女との交流に失敗してしまって、恵美はぺたんと草むらにお尻の形のスタンプを押した。

「どうでもいいけど、スカート汚れるわよ」

「……あ、着替えもないじゃん。一生……数千年、この服のまま?」

「二十一世紀の縫製技術だって言っても十数年で襤褸切れになると思うけど」

「くあぁ、その後にまっぱになるのやだなぁ」

 これは着る物を貰うためにもきちんとサトの人達のコミュニティに入れてもらわないと、と恵美は改めて事態の重さを実感する。そのファーストコンタクトの末に少女に逃げられてしまった訳だけど。

「やっぱりお姉さんが怖い顔でわたしをイジメるから怯えて逃げちゃったんだと思うなー」

「相手に言葉が通じてないからって光源氏しようとする誘拐犯を放置出来ないでしょうが」

「ぼーりょくはんたーい」

 のんびりと下らない言い合いをしている辺り、恵美はそれ程焦っていないかもしれない。

 恵美は座ったまま足の裏を合わせて、自分の体を安楽椅子のように揺らして遊び出す。

 呑気な相方を見下ろして立つ蜜緋芽みつひめだが、特に恵美を急かすつもりもないようで黙っている。

「あら? 戻ってきた……っていうか、誰か連れて来てる?」

「え、なになに、かわいいあの子が帰って来たの?」

「そのセクハラコメンテーターみたいな言葉のチョイス止めなさい」

 きっちりと二本足で立っていた蜜緋芽は、少女が走り去っていった方からがさごそと草を揺らしてこちらに誰かが来るのを先に見付ける。

 その言葉を受けて恵美も、よっこらしょ、と立ち上がって手庇を作って蜜緋芽と同じ方向に目を向けた。

 確かにそこには、さっきの少女に手を引かれてもう少し大きな少女と、それからその新しい少女の腰にくっ付いている男の子が揺れる草の合間に見え隠れした。

 向こうの世界で言えば、手を引く少女が小学三年生くらい、手を引かれる少女が中学生になったばかり、男の子はもうすぐ小学一年生くらいって感じだ。

 三人はえっちらおっちら歩いてきて恵美達の前までやって来る。

 お腹を押さえた少しお姉ちゃんの少女は恵美と視線がぶつかると、ぺこりと頭を下げてくれた。

 おや、と恵美が思っていると顔を上げたそのお姉ちゃんはゆっくりと口を開く。

「なやサクラヒメ?」

「喋ったあああああ!?」

 お姉ちゃんな少女がはっきりと意味があると聞き取れる発声をしたことに驚いて恵美は絶叫を空まで飛ばしてしまった。

 その余りの声の大きさにちっちゃい方の少女が顔をぎゅっと搾り、耳を手のひらで覆って守っている。

「ところでなや櫻媛ってだれ?」

「知らないわよ。こっち見ないでちゃんと相手と会話なさい」

 聞いたことない単語を後ろの蜜緋芽に伺った恵美は素気無く首を振られて突き返される。

 恵美が視線を離している間に男の子が草を一画折り畳んで、ぺちぺち叩いて主張していた。お姉ちゃんは男の子の頭を優しく撫でると、その即席のクッションに腰を降ろしてから重たそうに膨らんだ自分のお腹を擦る。

「え、待って。もしかしてこの子、妊婦さん? この年で? え、犯罪じゃない?」

「あんたよくもまぁ自分を棚に上げてそんなこと言えるわね。この時代なら普通なんじゃないの。動物だって性熟成したらその年の内に繁殖するでしょ」

 本当に余計なことばっかり気にしてちっとも本題が進まない、と蜜緋芽は何度目かの呆れ顔になる。異世界や時代によるギャップに驚くなとは言わないが、横道に反れる頻度が多過ぎる。

 お姉ちゃんな少女は恵美に話が通じていないのを悟ったのか、ぽんぽんと臨月近い割に膨らみの少ない胸を叩く。

「あえ」

「……あえちゃん?」

 自己紹介なのかな、と恵美は少女の告げた言葉を鸚鵡返しする。

 しかしそうじゃないみたいでお姉ちゃんは困ったように眉を寄せる。

 それから両脇にちょこんと座ってお姉ちゃんを挟みこんでいる年下の少女と男の子の頭に左右の手それぞれを乗せる。

「あがと」

「あがとくん? あがとちゃん? え、二人共同じお名前?」

 やっぱり恵美の解読は間違っているようで、お姉ちゃんな少女は、むぅ、と唇を尖らせる。

 言葉が通じないって辛い、と恵美はさっきぶり二回目の感想を持つ。

「その二人共が、その子にとっての『あがと』って立ち位置なんじゃない?」

「え? なに、兄弟、みたいなこと?」

 確かに三人共顔が似てる気がしなくもない。揃って将来有望な美形の素質がある。

 恵美はお姉ちゃんの横に座る二人を順番に指差して呼んでみる。

「あがと。あがと」

 これでどうだ、とお姉ちゃんの顔を見ると、明らかに不機嫌そうに目を眇められてしまった。

「いな、なのと。ふとも、あがと」

 違うと言われたのは何とか恵美にも分かった。なのとってなんだろう。

 取りあえず、あがとだと自己主張されたのは分かったけど、恵美があがとって指差したら訂正されている。

「指差したのが嫌だったのかな?」

「分からないわよ。この時代の非言語コミュニケーションなんて」

 蜜緋芽に訊ねても頼りがいがない。

 どうにも分かり合えない会話に恵美は頭を悩ませてしまう。

「発音は日本語っぽいんだよな……単語が違うような……そうでもないような? んー、古語?」

 そういえば学校で習った古語って日本語とは思えないくらいに現代語とは別言語だった。だがしかし、古典は恵美にとってどちらかというと苦手科目だ。なお、英語の成績も低かったのでそもそも言語に対する思考が得意ではない。

「でも喋れるの、この子だけみたいだね。他の二人はずっと黙っているし。ああ、なんも分かってない顔してるだけでも可愛い……。ねぇ、ぼく、将来お姉さんをお嫁さんにしてくれない?」

 解けない問題に対する忍耐力が低い恵美は、つい欲望に突き動かされて少年の頭を撫でながら婚約を願い出てしまった。髪の毛がごわごわしてる。ちゃんと手入れしたら逸材になりそうなのにもったいない。

「あんた、本当に見境ってものがないの? そんなお姉ちゃんにくっ付いて回るくらいに純粋な年頃の幼児に粉を掛けるとか節度ってもんを母親の胎内にでも捨ててきたわけ?」

 なんてことをしたら当然、後ろの蜜緋芽から白い目で蔑まれるのは必然なわけで。

 見えてなくても背中がぞくぞくする視線や声の冷たさは恵美にとってご褒美なのだけど、ここで悦んではいけないという自制心はギリギリ恵美にもあった。

 言葉は分からないものの、蜜緋芽の声音から不穏を感じ取ったのか、お姉ちゃんは男の子頭に置かれたまま停止していた恵美の手をぺしりと叩き落とした。

「あぁん、つれない」

「あんたに釣られたらその子の人生転落よ」

 盛大に話を脱線させている恵美の鼻先に、ぴっ、とお姉ちゃんが人差し指を突き付けた。

 やばい、警察呼ばれるのか、と恵美は身構えたが、幸運なことにそれは杞憂だった。そもそもこの世界に警察なんて組織はまだ存在していない。

「な、サクラヒメ、や?」

「え? わたしの名前は櫻媛じゃないよ。佐倉恵美だよ。そもそも櫻媛ちがうし」

 名前の確認をされたと勘違いした恵美は少女に否定を述べて、きちんと名乗りを上げる。

 しかし言われた方の少女は怪訝な顔をして、恵美から視線を外した。意思疎通を諦められた気がしなくもない。

 お腹の大きな少女は代わりに蜜緋芽を指差して問う。

「なや、サクラヒメ?」

「ええ、こっちは櫻媛よ。蜜緋芽桜の櫻媛。分かる?」

「ミツヒメサクラ。サクラヒメの名。なの名」

「そうそう」

「なんでミツヒメとはお話通じるの!?」

 こっちは散々苦労して何にも伝わらなかったのに、蜜緋芽の方とは一往復で会話が成立した現実に恵美は吼えた。

「ずるいずるい! わたしだって合法ロリ妊婦と楽しくお喋りしたいのに!」

「いっそ隔離した方がいいんじゃないかって思わせるようなクソみたいな発言しないでくれる? お願いだから」

 ちょっと蜜緋芽からの侮蔑の眼差しがヤバい一線を越えてしまっていたので、恵美は慌てて口を噤む。困った時の黙秘権は偉大だと恵美は常々思っている。なお、黙秘権を間違って覚えているのは言うまでもない。

「たぶんだけど、エミは一度に喋る情報が多過ぎてその子が捉え切れていなくて混乱してるのよ。今みたいに短く少しだけ言葉を投げなさい」

「……そんなオタクみたいな限界早口してないもん」

 自覚のない恵美は不貞腐れて蜜緋芽への態度を悪くする。

 しかし集団内でまだ言語が成立していない環境にいる少女から見て、学校教育という発達した学習環境にいた恵美の『普通の会話』は紛うことなく情報過多だ。

 それでも素直な恵美は蜜緋芽に言われた通りに意識して喋る言葉を減らして、それからゆっくりにしてみる。

「わたしは、櫻媛じゃないよ」

「な、サクラヒメ、ない?」

「通じた!」

 やっと一歩前進、一つだけだけど情報を交換出来た歓びで顔を輝かせて恵美は勢い良く蜜緋芽に振り返った。

 そんな飼い主に褒めてもらいたがる子犬のような恵美を、蜜緋芽はしっしっと雑に手を払って前を向かせる。

 それから何回も何回も、たどたどしいやり取りを繰り返して恵美は少女と話を進めていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る