1年目4月・お見送り

 一先ず最重要の案件について恵美が承諾したのをもって、残りの細かい説明は追々していくとコノハナサクヤは一旦話を締めた。

「タブレットに入れたプログラムで把握出来る情報も多いですし、実際に疑問を持たれてから問い合わせてもらった方が覚えやすいとも思いますし、難しいお話はこれまでに致しましょう。それに櫻守としてのお勤めは勿論大事にして欲しいですが、まずはサトの人に受け入れてもらいませんと、恵美さんの衣食住が確保出来ませんから、今日のうちにそちらの問題を片付けた方が宜しいかと存じます」

「……え?」

 異世界に飛ばされてきて衣食住が保障されていないと女神に言われて、さすがの恵美も目を点にした。

「あの、神様的なあれやこれやで住むとことか社会的立場とか用意されてないのでしょうか?」

 先にない、自分で現地住民と交渉しろ、と言外に突き付けられたのに、恵美は諦め悪くコノハナサクヤに問い質す。

 イワナガが今日何度目かの、はん、と冷たく鼻を鳴らした。

「わしらにそんな権能はありゃせん」

「すみません、わたくしは命の持つ素質を開花させる権能、姉は寿命を永続させる権能しか持ち得ていませんので、これでも出来得る限りは既にさせていただいているのです」

 がーん、と恵美ははっきりとショックを受けていた。ちなみに蜜緋芽はお気楽な恵美にとってたまにはいい薬になると黙って見守っている。

「まさかの野宿の危機……」

 誰もそこまでは言っていない。自分でサトの人達と交渉して住む場所と食糧を分けて貰えと言っているだけだ。なお、恵美はそこまで考えていないが、その現地住民は言語による意思疎通が出来ないと既に名言されてはいる。

「そこまで気落ちするでない。わしの権能を授けたと言うておろう。飲まず食わず程度で死ぬことはない。生きる安楽を享受出来ぬだけじゃ」

 屋根の下で眠れる安心や食事の楽しみを一日でも欠かすのは現在日本人にとってかなりの苦しみなのだが、こちらの世界はまだ人が簡単に死んでしまう時代だ。イワナガは死なないのだからその程度はなんてことはないだろうと、ちょっと方向性を間違えた慰めをしてくれた。

「え、ちょっと待って。わたし死なないの?」

「普通の人間の寿命程度でどうこうなる問題でなかろう。ひょんなことで死なれても困るしな。数千年は今のままで生かしてやるわい」

 イワナガからさらっと不老不死宣告をされてしまった。しかも期間が数千年って恵美が元いた世界での人類史に匹敵してしまう。

「わたし……神様になっちゃう?」

「あんたのお気楽思考って本当に幸せよね」

 当の本人が呑気な顔を向けてきて呑気な発言してくるので蜜緋芽は容赦なく鋭い目付きを割り増しで冷やして応えてあげた。

 それは一々メンタルを削ってくる恵美に対する精神攻撃のつもりであったのだけれど、恵美ときたら、やだ、かっこいい、濡れる、とかほざいて頬を押さえて悦んでいる。

相手するのも疲れるので蜜緋芽は大人しくそこで引き下がった。

「それはそれとして、野宿は恵美さんにとって辛いかと思います。このサトの人達は温厚ですし、言葉も根気強く話しかけていらしたら自然に覚えてくれるはずです。文化がないので言語が発達していないだけで、言語野はもうしっかりと発達していますので下地がありますから」

「そうはいいますけど……はっ! お二人がみんなにお願いしてくださるほどうですか! 女神様なんですから、二つ返事でいける気しかしませんが!」

 恵美はいいことを思い付いたと不遜にも女神に対してわがままなおねだりを始める。

「あ、無理ですね」

 しかしそれはよりにもよってずっと好意的に接してくれていたコノハナサクヤの方から一蹴された。

 さっきまで甘やかされていたのに急に厳しくされて恵美はショックで顔を青褪めて上半身を仰け反らせる。

「あ、そんなに落ち込まないでください。わたくし達はこの地の者達から見えないのです」

「しかも信仰されている訳でもないしな」

「……神様なのに?」

 二人の女神から告げられた事実に恵美はきょとんと目を丸くした。神様なのに信仰されていないとは矛盾してないだろうか。見えないというのはまぁ、恵美だってこっちの世界に来るまで神様を見たことがないのでまだ分かるけども。

「人間が信仰しているのが本物なのかどうか分かってないのなんて、どこの世界だって同じじゃないの」

 そんな恵美の背中に蜜緋芽から呆れた口調で言葉が投げ付けられる。

 人に信じられているから神なのではない。向こうの世界だって本質を見抜かれないままに勝手な立ち位置に置かれている存在はいくらだっていた。

「ともかく、あんたはすぐ楽をしようとしない。一目で女口説く癖に何をそんな嫌がってるのよ」

 恵美のコミュニケーション能力が異次元なのを痛感している蜜緋芽は煮え切らない態度にいい加減腹が立ってきたところだ。

 その怒気に触れて恵美は委縮してタブレットを胸に抱き締める。

「だって見ず知らずの相手にいきなり住むところとかご飯とか提供しろって、体面悪くない?」

「……あんた、そんなところはちゃんと恥じらいがあったのね」

 蜜緋芽は不覚にもちょっと感動してしまった。恵美に人間らしい羞恥心があっただなんて、まだまだ日本の教育も捨てたもんじゃないと胸の内で称賛している。

「どちらにせよ、このサトの者達とはこれから長く付き合うことになりますから、どうぞ交流を試みてください」

「はん。受け入れられるまではわしの岩の切れ目で眠ればいい。コノハナサクヤの神体が屋根代わりじゃ、雨露は凌げるとて」

「やだ、ここにきてお婆ちゃんがデレた」

「張っ倒すぞ、小娘」

 せっかくイワナガが気遣ってくれたのに余計な口を利いて台無しにする恵美は、叱られてもぺろりと舌を見せて愛嬌で受け流す。

「ほら、そろそろ行くわよ」

 このお気楽でマイペースなおバカに任せていたらいつまで経ってもここで時間を浪費していくと気付いた蜜緋芽は、来る時と同じく恵美の手を取ってサトに向かって連れていく。

「ああ、また来るからね、お婆ちゃん! 女神様もまたお話してくださいねー!」

 蜜緋芽に引っ張られるのになされるがまま連れて行かれる恵美は、それでも後ろに振り返って二人の女神に向けて、行ってきます、とばかりにタブレットを持ったままの手を大きく振る。

 コノハナサクヤは優雅に右手を振り返し、イワナガは虫でも払うように手を振り払って恵美を見送った。

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