1年目4月・状況説明

 しばらく恵美の好きにさせていたお姉さんは、もういいだろってくらいに時間が経ったところで、ぺいっ、と欲望全開レズビアンを引っぺがした。

「あぁんっ」

 せっかくのご褒美を取り上げられて、恵美は色っぽく物足りなさそうな声を上げる。

 そんな欲しがり女の額にお姉さんは容赦なく平手を叩きつける。

「ひんっ! いたいぃ」

「いい薬よ。あんた見知らぬ異世界に連れてこられたくせに説明を聞く気もないとかどんだけ図太いのよ」

 お姉さんに言われて初めて、恵美は確かに、と自分のおかしさを顧みる。

「わたしってば……もしかして大物?」

 そしてそこで何故か誇らしげにドヤ顔をしてくるのが恵美の思考のおかしいところである。

 そんな恵美の目の前でハニーブラウンの髪を三つ編みシニヨンにしているお姉さんは心労をたっぷり込めた溜め息を吐いてから疲れ切って重たくなった口を開く。

「あんた、しばらく余計な口利かないでそこの女神様方からの説明を聴きなさい」

 お姉さんがそんなに真剣な表情と口調でお願いしてこられたので、恵美は自分の右手で口を塞いで誠意を見せる。本当は両手で口を押えた方がいいかもとは思ったけれど、タブレットを持ってなきゃいけないので妥協させてもらった。この辺りも草刈りしてないで伸び放題といった景観なので、タブレットを地面に置いたらそのまま失くしそうだからだ。

「そんな見てて笑いそうになるような真似は止めなさい。なんでそう話が進まなくなるようなことばっかりするのよ。相槌くらいは許すから」

「ぷはっ」

 お姉さんにお許しいただいたので、恵美は口から手を離して止めていた息を再開する。

「なに息まで止めてんのよ。極端か、このおばか」

 お姉さんがくすりと笑ってくれたから、恵美は馬鹿なことしてよかったと気分が良くなる。

「仲睦まじくて喜ばしいことです」

「はん。そのせいで全く話が進まんがね」

 しまった、お美しい女神なお姉様と可愛くて怒りっぽいお婆ちゃんを放置してしまった、と反省して恵美は体をもう一度反転する。

 すると当然だけどさっき見た大岩とそれに根で抱き着いた桜の大木が目に入って、もう一度圧倒される。岩だけでも恵美の祖母の家と同じくらいの大きさがあって、そこから伸びる桜は首が痛くなるくらいに見上げても天辺が見えないくらいに枝葉を広げている。

「どこから話したものかとは思いますが、まずは自己紹介というものからですかね。ふふ。この世界で初の自己紹介ですよ」

 女神なお姉様は世界初を楽しんで機嫌よくしている。恵美には分かるべくもないが、自己紹介どころかこのような緻密で膨大な情報を交わす会話そのものがこの世界初の出来事であったりする。

 美しい女神は胸に血色のよい手を当てて自分を指し示す。

「わたくしはコノハナサクヤとお呼びください。それと」

 まずは自分が名乗りを上げたコノハナサクヤは、隣の老婆が後に続くかとちらりと視線を送る。

 けれど醜く皺を顔に刻む老婆は不機嫌そうに鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。

 コノハナサクヤはそんな老婆の態度に苦笑を浮かべて、結局は自分で台詞を繋いだ。

「こちらは姉のイワナガです」

 二人の名前に聞き覚えがあった恵美は驚きでぱちぱちと瞬きを繰り返す。

「コノハナサクヤヒメとイワナガヒメ? え、天皇のお嫁さんになった女神様なの?」

 恵美が口にしたのは正確に言えば初代天皇と記される神武天皇の曽祖父に嫁いだ女神達であり、しかもイワナガヒメの方は醜いからと親元に付き返されている。

 そんな恵美のうろ覚えな知識に呆れた訳でもないけれど、コノハナサクヤは楽しそうに喉を鳴らす。

「いえ、そちらの世界の神霊そのままではありませんよ。単にわたくし達の存在を恵美さんの持つ言語で一番よく表現しているからそのようになっているだけですので」

「なんでわたしの言語? あ、そういえば異世界っていうのに普通に言葉通じてるね? これがラノベでありがちな言語チート?」

 恵美は異世界なのに言葉に不自由しないというご都合主義を今更に実感する。逆に言うと女神ときちんと会話するまでここが異世界だという意識が希薄だったのだ。

「強ち間違ってもいませんが、確かその手のセオリーは転生者の方に能力を授けるものですよね。でもわたくし達は逆に恵美さんの言語をコピーして使わせてもらっている立場です。この世界、まだまともな言語がないので、細かい説明なんてとても出来ないのですので、そちらの言語をお借りしております」

「……えっと?」

 コノハナサクヤの言葉が高度に過ぎて理解が及ばなかった恵美は困り顔で隣に立つお姉さんに助けを求める。

 お姉さんはお姉さんで、これ以上どう噛み砕いて説明すればいいのかと困っている心情を肩を竦めることで表現し返した。

「説明することが多過ぎるのよね。ある程度はそんなもんか、で流しなさい。よく考えないで納得だけするの、得意でしょ」

「なんかひどいこと言われてる気もするけど……ま、美人なお姉さんと仲良くなれるならなんでもいっか!」

「そうそう、あんたはそういうやつよ。隣にいてこれ以上なく悲しくなるけど、それでいいわ」

 深く考えるのを止めて現実を受け入れる恵美に、お姉さんは悲しいやら喜ばしいやら複雑な心境を持て余して肯定しておく。とにかく後戻り出来ないのだけは確定しているので、嫌だとか言われても困るだけだ。

「この世界ではまだ人は言葉も持たないくらいに文明が遅れているのです」

「ふーん……だからさっきの女の子も挨拶してくれなかったのかー。ん? あれ? この世界? 国じゃなくて?」

 続くコノハナサクヤの説明に恵美はまたきょとんと目を丸くした。

「だって日本が縄文時代から弥生時代に入る時代って、もう中国では国あったよね? 稲作とかあっちから伝わってきたんだし。ここはそうじゃないの?」

 疑問を口にする恵美に対して、お姉さんが信じられないというように目を見開いた。

「エミって妙に頭いいとこあるわよね。えらいけど」

「いやぁ、それほどでもー。ご褒美はちゅーでいいよ?」

「調子に乗らないの」

「いたっ」

 ちょっと褒めたらすぐに図に乗る恵美の額を、お姉さんは容赦なくぺしりと叩く。頭が高くなるのはまだいいとしても肉体接触をご褒美に求めてくるのはいただけない。

 そんな二人のじゃれ合いにコノハナサクヤは目を細めている。

「確かにここは島国ですが、大陸でも人類の文明はまだ見られていません。稲はもう入って来ていますが、それも海を渡るのに持っていた食糧を増やした結果です」

「いつの時代も冒険心に溢れた人っているんだねぇ」

 恵美はしみじみと感心しているが、そういう挑戦を好む人達がいるから人類は生息地を拡大したり文化を交流させたりして発展するのだ。

「大陸でも未だに人類が文明を芽生えさせていない。それこそがこの世界の問題点であり、貴女を呼んだ理由でもあります」

 ここからが本題だ、とコノハナサクヤの声が少し温度を下げる。

 恵美も流石にこれくらいの空気は読めるようで祖母の形見であるタブレットをぎゅっと胸に抱き締めて心の支えにした。

「恵美さんの世界でもそうだったと思いますが、人類は生き物としては非常に弱くヤマでは個体数を増やせません。そして人口が増えなければ文明の発展も望めません」

「……ヤマ?」

 恵美は聞き慣れた言葉が、聞き慣れない意味で使われた気がして遠くに見える高い山を指差して首を傾げた。

「エミの言語感覚だと、自然っていうのが一番近いわね」

「ああ、自然の脅威ってやつ?」

 すかさずお姉さんが横からフォローしてくれて恵美は伸ばした指をすっと降ろした。

 勘違いしてた訳じゃなくて、あくまで確認しただけなんだから、と恵美はお姉さんに向かって、えへら、と笑いかける。

 お姉さんの方も、ちゃんと分かってるわよ、と呆れの見え隠れする溜め息を返してくれる。

「人がサトを開くためにヤマを削る時、ヤマも反発するのは当然です。普通の世界でなら人はヤマに返り討ちに遭いながらもついには克服して領地を広げるでしょう。しかしこの世界ではヤマの気が強く、また人への反発も過剰なのです」

 この世界のヤマは人類を頑なに拒絶する。人が集落を作っても人口が増えて力を持つ前に災害が起きて壊滅させる。

 嵐が、地震が、冷害が、獣が、虫の大繁殖が、雪崩が、津波が、そして病がサトを全滅させる。この世界で人の作ったサトが百年と続いたことはないとコノハナサクヤは恵美に語る。

「百年と言われましてもスケールが大き過ぎて実感が持てませんが」

「三世代と続かずに全滅してるのよ。技術も何も受け継がれる余裕がないのは分からない?」

 神の視点での時間間隔についていけずに、個人の寿命だけを目安にして十分長いんじゃないかと考えてしまった恵美の間違いを、お姉さんがまだ身近な単位に変換して窘めくれる。祖母、母、自分までで、その子供に繋がっていかないと考えると、確かに心許ないかもと恵美も少し思えた。

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