1年目4月・神様と顔合わせ
恵美がお姉さんに連れられて歩いていくと、大きな岩に根を張り巡らせて天に伸びる桜の木が見えてきた。けれど日射しは間違いなく春の暖かさなのに、その桜は新緑の瑞々しい芽が可愛らしく伸びているのに花は蕾も膨らんでいなかった。遠目だと幹や枝もごつごつと堅さを感じさせて、根の張り巡らせている岩と同質化しているようにも見えてしまう。
「あれの下まで行くからね。疲れてない?」
「ぜんぜん」
このお姉さん、結構甘やかしだなと恵美は思った。集落がこじんまりとしているから、端から端まで迂回して歩いても、まだ三十分も経っていない。伸びた草に足が捕られなくはないけど、お姉さんが力強く手を引いてくれているし、なんなら蜜蜂の巣箱を持って山道歩いたりもよくしていたからこれくらいまだまだへっちゃらだ。
恵美が確かにへこたれてないのを確認すると、お姉さんは満足そうに頷いてペースを崩さずに歩みを進めていく。
近づいて見ると、緑でしか飾られていないと思えた枝にも、花の色へと鮮やかに染まり切って今にも開きそうな蕾がぽつぽつと見えた。けれどやはり、花綻ぶ瞬間へ期待させる匂うような未丹の襲もなくて、遅咲きの桜だと仮定してもとても尋常ではない。
そんなことを思いながら天に掛かる桜の枝振りをぼんやりと見上げてそぞろ歩きしていたら、かくんと腕が後ろに引っ張られてつんのってしまった。手を引いてくれてたお姉さんが足を止めたのにも気付かなった報いだった。
かっくんと縦揺れした首が元の位置で余韻を残してブレる視界に、これまた煌びやかな衣装を纏った美人の姿が映る。こちらはどことなく輪郭にあどけなさが残っていて可愛らしさまで備えている完璧な美女様だ。
「前を見て歩きませんと危ないですよ?」
くすくすと鈴を転がすような含み笑いで新しいお姉様は恵美を愛でてくる。
「初めましてお美しいお姉様! 結婚を前提にまずはお友達からお付き合いしてくださいませんくぁあっ!?」
手を繋いでいた元からいた方のお姉さんも引きずる勢いで前のめりになりやがった恵美の後頭部が、スパーンッといい音を鳴らして叩かれた。
予想も出来ないくらいに常識外だった恵美の挙動を完全に読み切って手を引かれる運動エネルギーに身を任せて後ろからの襲撃の威力を上げた反射神経はちょっと人間業じゃなかった。
「あんたは出会い頭に見境なく口説くな! あの方、女神様だから!」
「あぅぅ……女神様だなんて納得のお美しさでございますぅ」
たんこぶが出来そうな痛みで後頭部を抱えてうずくまっているクセに美女を褒めるのに余念がない辺り、恵美はなかなかに大物かもしれない。
「女神と聞いても動じないくらいに据わった肝は頼もしいですね」
桜の木の下で待っていられた新しいお姉様もとい女神様は見るだにおかしな恵美に対して柔らかな微笑みと共に称賛をくださった。その微笑みの日射しだけで恵美は天にも昇りそうなくらいにときめいてしまう。
「はん。何時の世も見目麗しい者ばかりが求められるなんて碌でもない
浮かれて沸騰した恵美の脳みそを冷やそうとするように小馬鹿にしてくる偏屈な声が浴びせられた。
羽衣を浮かべて隠されていた女神様の背後から、見るからに干からびて、皺が深く刻まれて、不細工で醜い、表情が硬くてそれはもう人間嫌いそうな老婆がぬっと姿を現す。
その腰を曲げて今にも地面に倒れてしまいそうにバランスの悪い立ち姿を見て、恵美はきょとんと目を丸くする。
その呆けた顔を見て老婆はもう一度、はん、と不機嫌に鼻を鳴らした。
それを合図に恵美は満面の笑みを輝かせて。
「やだ、お婆ちゃん、嫉妬? 嫉妬しちゃうの? もう、なにそれ、かわいー! だいじょうぶ、お婆ちゃんはお嫁さんにもらうのはあれだけど、お婆ちゃんはお婆ちゃんでわたし大好きだからー!」
躾のなってない犬が客人に飛びつくよりも速くそして勢いよく、真正面から老婆に抱き着いた。
「ひぇ!? なんだい、この小娘は! 罵詈雑言浴びせられてるのに抱き着いてくるんじゃないよ! 頬擦りするな! 頭悪いんじゃないかい!」
「お婆ちゃん、すご、肌が岩みたいに固い! しかも冷たい! あっためてあげるねー!」
何を隠そう、恵美はお祖母ちゃんっ子で祖母が倒れて亡くなる前にも一緒に住んで面倒を見てたくらいなのだ。偏屈で意地悪な絵本に出てくるような老婆だなんて、恵美にとってはこれはこれでまた違ったストライクど真ん中なのだ。
恵美の襲撃を受けて慌てふためく老婆の姿に、恵美をここまで連れてきたお姉さんは責任を強く感じているのが見て取れるくらいにはっきりと溜め息を吐き出す。そして彼女はおもむろに両手を広げて、恵美を迎え入れる体勢を嫌々ながら作る。
「エミ。こっちおいで」
この世界で最初にあった好みど真ん中の釣り目がちお姉さんに万全に受け入れられる体勢を整えて貰っているのを見て、恵美は一瞬で動きを止める。
そしてじっとお姉さんを見詰めて、無言のまま本当にいいのかと伺ってくる。
「おいで」
お姉さんはいろいろとやるせない気持ちを押し潰すように、言葉少なにもう一度恵美を呼び付ける。
恵美は瞬間移動もかくやという素早さでお姉さんの胸に向かって跳び込み、その細い体にぎゅっと腕を回す。
「うぅん、細いけど体幹がしっかりした抱き心地ですごい安心感ある……体が沈み込む幸福感はないけど、すべすべしたお肌の滑らかさがすんごくいい……あ、蜂蜜みたいな匂い、好きぃ」
この女、ぶっちゃけ気色悪いなと、お姉さんはげんなりと顔に陰を作って絶望に俯き、体をまさぐられるのを無心で無視し続ける。
「お前さん、無理をするでないよ……」
さっきまで恵美の犠牲になっていた老婆が逆にお姉さんを心配して気遣ってくれる。
「や……保護者としての責任が一応あるから……」
恵美は自分が抱き着いているお姉さんが今にも消えそうな遠い目をしているのに全く気付かずに素肌を晒している鎖骨の間に頬を摺り寄せてご満悦になっていた。
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